第32話 法王の不眠
法王ペルゴリーノは眠れない日々を送っていた。
もう夜が明けるような時間だというのに、意識はしっかりとある。身体は疲れ果てているのに、目だけが爛々と光る。瞼を閉じてもただ視界が暗くなるだけで、眠気がやって来ることはなかった。
「あぁ……」
小さく呟き、ペルゴリーノは身体を起こしてベッドから立ち上がった。もう諦めたのだ。眠ることを。
ゆっくりとした動作で寝巻きを脱ぎ捨て、法衣に着替える。
鏡の前に立ち、グッと背を伸ばした。
無理矢理自分に威厳を持たせ、寝室から出る。
早朝の中央神殿は静かだ。まだ朝食の準備すら始まっておらず、多くの司祭達は眠りこけていることだろう。
「ペルゴリーノ様。相変わらずお早いですね」
神殿騎士の一人が声を掛けた。彼はペルゴリーノと違って寝ずの番が終われば詰所に戻り、すぐ眠りに落ちるだろう。
「何か変わったことは?」
「何もございません」
ペルゴリーノは胸を撫で下ろした。もし今、中央神殿で起きていることが外部に漏れれば大変なことになる。
「地下室に行く」
「はっ、お送りします」
神殿騎士はキビキビと先導するが、ペルゴリーノの足取りは重かった。
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中央神殿の地下には幾つもの部屋があった。単純な倉庫もあれば、悍ましい拷問器具の並ぶ空間まで……。
その中の一つ。ドアの左右に神殿騎士が見張りに立つ部屋があった。二人はペルゴリーノを認めると、礼をする。
「変わりはないか?」
「はっ。何も」
何か起きて欲しい。とペルゴリーノは思った。しかし、それは今日も叶わなかったようだ。
諦めつつも、ペルゴリーノは部屋の鍵を取り出す。
──カチリ。
ゆっくりとドアを開ける。少し湿っぽい空気が廊下に流れ出た。
護衛の神殿騎士が中に入り、異常がないことを確認してペルゴリーノを招いた。
部屋の中には簡素な寝台が一つ。その上には一人の女が横たわっていた。
女はピクリとも動かない。寝息も聞こえない。瞼は開いたままだ。そして何より、その身体が灰色だった。手も足も瞳も髪も。全て一様に。
そして、まるで石のように動かない。
ペルゴリーノは法衣の胸元から小瓶を取り出し、寝台の上の女に中身を振り掛けた。
一瞬、女の身体は光に包まれる。しかし、結局何も起こらない。
「はぁ……」
ペルゴリーノは部屋を出てから初めて、弱気なところを見せた。
「どうすればいいんだ……」
もう限界だった。
勇者が召喚されれば、アルマ神は聖女に関わる神託を下す。今回もそうだった。ガドル王国が勇者擁立を宣言した翌日には、ペルゴリーノに神託があった。
なのに、未だ世界に向けて聖女選定を宣言出来ていない。
もし、目の前の女が死んでいたのなら、新たな聖女に関する神託が下っただろう。
しかし、女は石のようになったまま生きているようなのだ。そしてその身は硬く、何をしても砕くことが出来ない。
「魔人どもめ……決して許さんぞ」
ペルゴリーノは恨み言を残し、部屋を去った。





