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夢傀儡師  作者: 丈乃井 想
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冴目内町


壁に掛かった振り子時計が規則的なリズムを刻みながら、ポロンポロンと静かな部屋に音を零し続けている。

もしこの音が目に見えるのならば、それはきっと丸くて光沢のある宝石玉みたいな音なのだろう。

それくらいこの振り子時計から零れる音は綺麗で心地良かった。

焦げ茶色の長方形の箱に文字盤と長短の針、そして細い秒針、少し色褪せた金色の振り子。装飾なんてないシンプルなデザインの振り子時計は、自身の事には目もくれずただ黙々と仕事をこなす職人のように振子を左右へと揺らす。


───ポロン、ポロン


部屋の中央にある電球はしっかりと明かりを灯しているのに、この部屋は少し薄暗い。ひとつある窓も締め切られていて、外からの光は一筋も入っては来ない。

畳が敷かれた床からは仄かに藺草の香りが漂っているが、別に新品の畳というわけでもないらしい。その証拠に所々解れて、表面がけばけばと逆立っている。

目の前のテーブルには先程出されたお茶と桃の花を模した綺麗な桃色の和菓子が乗っている。美味しそうなこれを早く口に運びたいけれど、それはまだ後だ。

私は視線を少し上げ、目の前に座っている彼へと意識を向けた。

何だか現実味の薄いこの部屋で、一番現実離れしているとすればこの彼だ。

十代と言われても二十代と言われても、もしかしたら三十代だと言われても納得してしまいそうなほど、その容姿や雰囲気から年齢を感じられない。

しかし見た目は決して老けているわけでなく、寧ろかなり整っていて怖いくらいだ。

色素の薄い肌や髪。それなのに瞳の色は吸い込まれそうなほどの漆黒。鼻筋はスっと通っていて、薄い唇は仄かに色付き微笑を浮かべている。儚くもあり、芯の部分は太く筋が通っているような立ち居振る舞い。

そして、この声。

「あなたが僕に依頼をしてきた、滝沢さんですね」

低く落ち着いたこの声が、この場の雰囲気に更に深みを持たせている。

私は高鳴る気持ちを抑えながら「はい」と答え、仕事先でやっているように年齢や会社名を言おうとしたが彼に制止された。

「ここでは名前さえ分かれば大丈夫です。個人的な事は詮索しませんし、追求もしません。ただ僕があなたを認識出来ればいいのです」

「そうですか。わかりました」

「滝沢さんは、この店に来るのは初めてですよね」

「そうです。未だに信じられないでいます。本当にこの町にこんな店があったなんて思いもしませんでしたから。ネット上での都市伝説か、誰かが広めたろくでもない噂話だと思っていました。だから、まさか自分が辿り着けるなんて」

そう言うと彼は口元に手を当て、クスッと笑った。そんな小さな動作すら、こんなにも絵になるなんて。同じ人間として少し悔しい気もするが、仕方がない。だって今はそれ以上に、重大な事が控えているのだから。

「ここに来る人は、皆さんそう言います」

「それであの、本当に…。本当に出来るんですか?」

「それもよく聞く台詞ですね。でもそうですよね。皆さん今まで一度も体験した事がないのですから」

彼は納得したように少し頷いた。そして真剣な眼差しをこちらに向けながら。

「出来ます。僕ならば」と、迷いのない言葉を口にした。

私はその言葉に体の芯から震えるような感覚を覚えた。そして本当に震える声で、更に聞き返した。

「で、でも、一体どうやって?そもそも、私にはその感覚が分かりません。だからどうすればいいのか、さっぱり検討が付かないのです。もし、ダメだったら。いや、ダメ元で来たと言う気持ちもあるのですが、やはりそれ以上に期待もあるので」

すると彼は手の平をこちらに向け、落ち着いてと言う動作をした。

「大丈夫です。ここに来た人は皆さん体験出来ているのですから。それに、あなたがどうこうする必要はありません。私が少し手を貸すだけです」

何だか急に恥ずかしくなり「すみません、取り乱してしまって」と、軽く頭を下げた。

「いいえ、大丈夫ですよ。それよりも、少し質問と約束して頂きたい事があります」

さっきまで聞いていた声よりも真剣な声に、私は顔を上げ姿勢を正し───何でしょうか。と、問い返した。

「まずは質問です。あなたはどんな所でも眠れる人ですか?」

「はい。音が余りにも煩かったり、かなり辺鄙な場所とかでない限りどんな所でも眠れます」

「それなら良かったです。眠る場所はこの家の寝室ですから音は静かな方ですし、高級ではないですがちゃんとした布団を敷いています」

世の中には少しの物音やいつもと違う匂い、布団の感触で眠れなくなる人も居るようだが、私の場合は目を瞑れば数秒で眠りに落ちる事が出来た。

「では、次です。決行は土曜日の夜ですが宜しいですか?」

「それも、問題ありません。寧ろ次の日が休みなので有難いくらいです。これで一ヶ月後とか言われたら、どうしようかと思いました」

私はホッと息をついた。こんな期待した気持ちのまま一ヶ月後を過ごすなんて、それこそ眠れなくなってしまいそうだ。

「それなら良かったです。質問はこれで終わりです。次は約束ですが、これが一番重要です」

私はひとつ息を飲み込んだ。彼の纏う雰囲気が、少し硬くなったような気がしたからだ。───何ですか。

「体験するのは、この一度限りです。二度目は、ありません」


───ポロン、ポロン


一瞬にして部屋に静寂が訪れた気がした。

息と一緒に言葉まで飲み込んでしまったかのように声が出てこなかった。

私の飲みんだ言葉が分かるのか、今まで来た人達が全く同じ事を言ったのか。彼の次の言葉は、私の飲み込んだ言葉の答えになっていた。

「依存性が出て来てしまう可能性があるからです。自分の思いのままに生きる事の出来る世界を手に入れると言う事は、現実逃避にも繋がります。もうこの世界にいたくない、楽な世界でずっと生きていたい。それは一種の、麻薬のように」

「いやでも、だからって一度きりだなんて!」

「もしこの約束を了承して頂けないのであれば、このお話はなかった事にさせて頂きます」

どうあっても譲らない。そんな固い決意を感じられた。だから私は渋々ではあるが「分かりました」と答えていた。

肩を落とす私に、彼は辛そうな顔で「申し訳ありません」と言った。きっと今まで何十人、もしかしたら何百人に同じ事を言ってきたのだろう。

その中には今の私のようにすんなりと受け入れた人もいれば、きっとゴネて彼を困らせた人も居たのだろう。彼の表情からはこれまでのそうゆう経験が伝わって来るようだった。

「了承頂けて良かったです。ありがとうございます」

彼が軽く頭を下げた。

「いえ、お願いしているのはこちらですから。どうぞ、宜しくお願いします」

私も彼に習い、頭を下げた。

これで話は終わり帰宅する流れに思えたが、頭を下げた時にテーブルの上に手付かずまま置かれた和菓子が目に入って来た。そうだった、話している内に食べるタイミングを逃し続けていたのだ。

仕事終わりでこの店に来たからもうすっかり夜も()けってきた頃だ。これ以上長居するのは迷惑かと思ったが、せっかく出してくれた物を残して帰るのは勿体ない気持ちと、純粋にこの美味しそうな和菓子が食べたいと思う欲望が勝り、図々しいかと思いつつ「この美味しそうな和菓子、食べて帰ってもいいですか?」と尋ねてみた。

すると彼は「あははっ」と声に出して笑った。今までの表情とは違う笑い方に、彼の素の表情を垣間見たような気がした。

「もちろん、食べて行ってください。あなたの為に用意したお茶請けですから」

彼は嫌な顔ひとつせず、私の頼みを受け入れてくれた。

食い意地が張っていると思われただろうか。少し恥ずかしさを抱えつつ、桃色の和菓子に黒文字くろもじで切り込みを入れた。中身は白餡が入っており、口に運ぶとなんとも上品な甘さが口いっぱいに広がった。

この店に来た時から張りつめていた心が、和菓子の甘さで解かされていくようだった。

「お味は如何ですか?」

私の湯呑みと自分の湯呑みにお茶を注ぎながら彼が尋ねてきた。湯呑からは香ばしい焙じ茶の香りと、ゆったりとした湯気が立ち上っている。

「すごく美味しいです。ありがとうございます」

「それなら良かったです。用意した甲斐があります」

現実味のないこの空間が、とても心地良かった。


───ポロン、ポロン


***


そして土曜日の夜、時刻は二十一時。

いよいよこの時が来た。

「準備はいいですか?」

「はい」

期待と不安で声が少し震えている。

「寝室はこの家の二階にあります。部屋までは案内しますが、僕は部屋の中には入りません。扉には中からしか開けられない鍵が付いていますので、気になるようでしたら鍵をかけて下さい」

「分かりました」

「そして、これを」

そう言うと、二つ折りされた真っ白い紙を手渡された。

「その紙を枕の下に入れてから寝て下さい。但し、決して開かないように」

「分かりました」

私の返答に、彼は納得したように小さく頷いた。その後小さく「あっ」と声を漏らした。何か伝え忘れた事でもあるのかと首を傾げるといきなり「すみません」と謝ってきた。

私が意図を汲み取れないでいると、すぐさま「前回お会いした時、ちゃんとご挨拶をしていませんでしたね」と言った。

私は一方的に名前を知っていたが、彼から直接聞いてはいなかった。

彼はそう言うと姿勢を正し、真っ直ぐにその漆黒の瞳をこちらに向けてた。

「それでは改めまして、夢境導むきょう しるべと申します。ここ、明晰堂めいせきどうの店主をしております。あなに、望むままの夢を見せて差し上げます」

そう言った彼の瞳は三日月形に細められていた。


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