その店のミカ(7)
今回もよろしくお願いします
乱暴にドアが開らかれる音に続いたのが、複数の男たちの怒号だ。なんと言っているのか、まるで聞き取れなかったほどに、怒りと興奮がそこに満ちていた。
馬鹿でも分かる。先般、ケツを蹴られて追い出された男が、仲間を引き連れて戻ってきたのだ。さすがに俺も、これには全身が強張り、すぅと血の気が引く感覚になった。
「おやおや、早速おいでなすった。では第2ラウンド、行きますか」
まるで臆するような気配がミカには無い。むしろ今の厄介事を楽しんでいるとさえ思える。躊躇の欠片も見せず部屋を出ようとするミカに、さすがに俺は声を掛けた。
「おい、相手はたぶん堅気じゃないぞ。しかも複数だ。出て行かない方がいいんじゃないか」
「あら、お兄さん優しい。ミカが虐められたら助けてね~~」
茶目っ気に溢れた声質。ウィンクの一つでも加えれば、大抵の男の眉が緩むようなミカの微笑。いや、俺達がいま置かれているのは、そんな安穏とした状況じゃない。剣呑この上ない状況なのである。
「まあ、兄さんには関係のない話だから、この部屋で大人しく待ってな」
一転して先の茶目っ気が消えうせたミカの冷たい声と佇まいには、なんだか奇妙な迫力があった。すでにベッドから腰を浮かせていた俺の動きが止まる。ミカがこの期に及んでスマホを操作している。怖いほどに落ち着いている。この女は一体?
「よし、じゃ、行ってくる。くれぐれも大人しくしてるように」
スマホをチャイナドレスの腰辺りにあるポケットに押し込みながら、ミカが念を押した。
すぐにミカはドアの向こうに消えて見えなくなった。
「お帰りなさい。早漏ボーヤ。ちゃんとパンツ履き替えた?それと初めましてかしら、そのお友達」
堅気でない男たちの神経を逆さに撫でるような挑発的なミカのセリフと声。
これに興奮がさらに高まった男たちの怒号が重なる。
いつ取っ組み合いに発展してもおかしくない程に、男たちの感情が高まっている。いや、取っ組み合いで済めばましだろう。果物ナイフの一つくらいは、男たちの中に準備している者がいるかも知れない。そんな非常事態が十分にあり得るのだ。俺の体もさらに緊張が一段階高まった。
ふいに鳴った電子音に体がびくりと反応した。誰かのスマホに着信があったようだ。
「ああ、ごめんごめん。大切な彼氏からの電話かも知れないんで、ちょっと取るね。待ってね~」
どうやら着信があったのはミカのスマホだったようだ。そして人を小馬鹿にしたような声の抑揚。それにしてもどうだ、このミカの落ち着き様は。その様子とあとの展開を、ドア越しに俺は探る。
「ああ、アタシ。夜分にごめんね。いまお見えになられた・・・ふんふん、え~と、全部で3人。特徴?う~~ん、それは説明しづらい。一人は体がデカくて、んでもって早漏・・・」
あまりにも緊張感のないミカの気怠い声質。それよりも受話器の向こう側の相手は一体誰なのだろう。俺はドアの向こう側の様子に、さらに神経を研いで耳を澄ます。
3人いるらしい男たちの怒号も、一時的に気を抜かれたように止んでいる。
「あ~~もういいわ。スピーカにするんで親父さん、直接好きに喋ってくれる?」
“親父さん”と呼ぶからには、ミカの電話の相手は男なのだろう。しかしその相手がミカの実父でないことは、なぜだか想像できる。不思議な親しみが込められた呼び方だった。
機械を介して聞いたその男の声は怖かった。おそらく50代には届いている。恰幅のいい体格としっかりした顔の骨格。強く鋭い眼光。そんな男の詳細までもが、具体的に想像できる程だった。
「でっ、堅気の方々に迷惑をかけてるチンピラどもは、一体どこの誰なんだい?まさかマエジマの身内に、そんな輩はいねぇわな」
先まで鳴り響いていた男たちの怒号が、嘘のように収まっていた。呆気に取られている男たちの今の表情が眼に浮かぶようだ。何物も存在していないかのような静寂が、ドアの向こう側に発生している。5秒、10秒。ゆっくりと静かな時が流れる。
「ほらほら、自己紹介の時間だよ。まずは早漏にいさんからいってみよっか。頑張れ、ほい」
おそらくミカは男たちに向けて自分のスマホを差し出すような仕草をしているのだろう。
男たちは答えない。何だかよく分からないが、一気に形勢が変わってしまっているようだ。
またも訪れる膠着の時。
「覚えてやがれ」
スマホのスピーカが音を拾わないよう注意を払った男たちの捨て台詞に、もう迫力や怖さは微塵も宿っていなかった。