その店のミカ(4)
Orcaさま
ご自愛くださいませ・・・
どこの部屋も造りは似たようなものだろう。3日前に入店した記憶を探ると、客が寝そべるベッドと簡易照明が置かれた小さな机。部屋にあるのはそんなものだったはずだ。
いま俺が聞いた音は、小さな机が倒れたとかいう音量じゃなかった。ならば倒れたのはベッドということになる。仮にいま、かなりでかい地震が来たって倒れるような代物じゃなかった。ということは、それは人為的に倒されたということになる。
何やら下品な男のだみ声が、隣の部屋から壁越しに響いた。相当の興奮を含んだ声の質だ。
何らかのトラブルが発生したのだろうか。それが何だか、俺には見当がつかないが。
「オキャクサン、ダメダメ」
男のだみ声の半分くらいの声量で聞こえたのは、女のカタコトの日本語だった。女が何かを拒絶しているらしい。次の女の言葉に耳を澄ませるまでもなく、部屋のドアが乱暴に開かれた。立っているのは中肉中背の若い女。年齢はおそらく20代。これと言った特徴を説明するのが難しい風貌だ。紺色のチャイナドレスを着ている。
眼が怯え切っている。そして俺など存在していないかのように、受付の奥の方に駆けた。
何かから逃避する行動。女の行動はまさにそれだった。
何から女が逃げているのか、そのことはすぐに分かった。大柄な男が、ドアの開かれた部屋から飛び出してきたのだ。肉の量が多い。背も高い。俺よりはいくらか若いか。髪が短く、そしてグレーのブリーフ一枚だけを着けている。
ブリーフの前の部分が大きく立ち上がっている。その盛り上がりが何を意味しているのか、俺も男なので分かる。
「何いい娘振ってんだよ。どうせ無許可で風俗紛いのサービスやってんだろ。警察には黙っといてやるから、ちゃんと最後まで面倒みろよ」
ドスの効いた声だった。体がデカく、眼が座っている。こんな男に声を荒げられたら、それは大抵の女はビビッてしまうだろう。逃げてきた女が体を固くする。
怯えた若い女をかばうように、小太り中年女がこれに寄り添う。この中年女の眼にも、あからさまな怯えが見て取れた。
「オキャクサマ、コマリマス」
何が起こっているのか、少し俺にも理解できてきた。
おそらくこの若い女に、男が性的なサービスを要求したのだ。受付にも部屋の中にも、(性的な行為は行わない)と明記されていたはずだ。(どうせ無許可で・・・)なんて言いぐさは、男の身勝手な憶測だろう。
俺の心にさざ波が立つ。この男に対する怒りである。しかしどうしたものだろう。男は相当に怒っている。朱く腫れた顔からも吐く息の匂いからも、酒が入っていることは明白だ。この悶着に関われば、面倒なことに発展する可能性が高い。男はそういう類の人種なのである。それが分かる。
男が、ぐいと一歩、女たちに詰め寄る。女たちがさらに体を強張らせる。短い時間で、俺の思考が巡る。俺は中学、高校と柔道部に所属していた。段位は2段。20年以上のブランクがあるが、まあ普通の中年男よりはいくらか強いだろう。ではいま、この酔っ払った大男と組み合ったらどうなるか。俺の柔道経験と体格差が相殺されて五分と五分。そんな感じが俺の正直な予想だ。でもそれは、この男に一切の格闘技経験がないという前提だ。実際のところ分からない。何よりいい年をした社会人が、人と取っ組み合うなんて事をやっていいのだろうか。これは悩ましい。
そうこう考えている間にも、さらに男が足を進める。若い女が高い声を発した。揉め事はご免こうむりたいと言うのが本音だが、こうなっては致し方ない。俺はゆるく体に力を巡らせる。
その時だった。一番奥の部屋の扉が開いた。殊更に慌てて開いたという感じではない。
自室のドアを開くような自然な開き方だ。
「ウッサいなぁ。なんかトラブル?」
どこか気だるさを宿した眼をして出てきたのは、碧いチャイナドレスを着た長身の女。あのミカだった。