停滞(6)
今回もよろしくお願いします。
サラリーマンとしては多少生々し過ぎるかもって反省してます。
それはミカからの着信だった。スマホの液晶に彼女の名が表示された時、俺の心臓が小さくトクンと鳴った。最後にミカと言葉を交わしたのは、もう一カ月も前のことだ。
(ここに居る奴みんな死んでしまえ!)
それが最後に聞いたミカの声とセリフ。どんな態度でこの着信を取ればいいか、俺は迷ってしまった。それでも反射的に座敷から降りた。意を決めてこの着信を取る。俺たちの会話も、この時には停滞していたため、場の気不味さをいったんリセットする意味もあって席を立ったのだ。
「大友です」
とても無機質な味気ない声質となってしまった。別に何かを意図した訳ではない。
今の俺の気分がそのままの声質となっただけのことだ。
「腹減った~~~メシおごれ~~~♪」
抜けるように明るいミカの口調だった。それは俺にとって意外であり、そして今の俺達の心境とは対照的だった。もちろん電話の向こう側のミカが、こちらの心境なんぞ知る由もない。俺はどんな対応をしていいか分からない。時間が停止したかのように言葉が詰まる。そして数秒の沈黙。数秒が長い。
「あっ、ジュンさん、なんか暗~い。この前の事、やっぱり怒ってる?」
ミカの言う“この前の事”とは即ち、反社会勢力の事務所に乗り込んだあの夜の事を示しているのだろう。決して怒ってる訳ではない。とんでもない経験だったし、かつてない怖い思いをしたのは事実だが。
「言い訳がましく言うとね、あのあと私、マエジマ組に引き返したんだよ。しまった~~ジュンさんを極道の事務所に置き去りにした~~!!って。相当に慌てたわ。でも無事に帰れたみたいね。よかった」
そう、俺はあの後、ミカの実の姉である芝山美波なる人物の車に乗り込み、マエジマ組を後にしたのだ。その事をミカが知っているかどうかは分からない。実の姉妹である。そんな会話が二人の間であっても不思議じゃない。一方で、多分この姉妹にそんなやり取りは無かっただろうとも想像できる。長らく疎遠だった家族関係であることを俺は知っているからだ。
「ま、いいや。お腹が空いた。飯おごれ。希望は博多ラーメンと明太子ごはん」
変わらずミカの口調は明るい。彼女なりに何かを吹っ切ったのだろう。彼女はまたマッサージ店での仕事を始めたのだろうか。気になる事は少なくない。しかし・・・
「申し訳ないが、いま会社の人達と会食してる。今日は都合が悪い」
何一つ嘘のない事実である。だから俺は素直にそう言った。
「なに食べてるの?」
屈託ないミカの言葉が続く。何を食べているか。一杯目のビールと一緒に運ばれてきたお通しは炊いた大根だった。それ以外はまだ何も口にしていない。そもそもまだ食べ物のオーダはしていない。何を食っているかと問われても、今は答えようがない。
「いま居酒屋に入ったところだ」
ミカの質問に対する直接の回答にはなっていないが、まあいいだろう。頭の悪い女ではないはずだ。こちらの状況は察するだろう。
「じゃあ居酒屋の後の締めのラーメンでちょうどいいじゃない」
関東の人達は、居酒屋の後にラーメンを食うという話はよく聞くが、俺達3人は揃って関西人だ。それに今は、とても女と食事をするような心理状態じゃない。それでも今日のミカは手強いようだ。ではそんな今のミカを鬱陶しいと感じるかと言えば、そうではない。むしろこれまで彼女から受ける事のなかった可愛げさえ、俺は感じている。そして俺がミカに好意を抱いていること。これは客観的に考えて、どうやら間違いなさそうだ。
「分かった。2時間後。9時頃には体が空くと思う。夕食としては少し遅いが、それでも良ければ一緒にラーメンを食おう。それまで我慢できないなら、何か軽い食事でも取っておいてくれ」
「あいよ、了解」
夜の9時。本来ならミカはマッサージ店で仕事をしているはずの時間である。やはりもうマッサージ店には出勤していないのか。まあいい。会った時に聞けばいいだけの話だ。
「またこっちから連絡する。8時半くらいには動ける準備をしといてくれ」
短くそれを伝えて電話を切り、俺は森と金本の待つ座敷へと戻った。
妙な感じだ。そう思った原因はいくつかある。
まず一つ目の違和感が、カウンターではなくテーブルに座していること。思えばラーメン屋のテーブルに座るのは初めての事かも知れない。
二つ目の違和感の原因はミカの服装である。ラフなジーンズ姿と店で見るチャイナドレス姿。それしか見たことのない俺には、シックな黒いロングスカート姿のミカに驚いている。
腰の位置の高さが際立つ。そして上は清潔感のある白いブラウス。綺麗だ。メイクも決まったミカのエレガントな装いに、俺は少々戸惑っている。
俺だけではない。ミカとは初対面ではないはずの金本ですら、一瞬“誰?”という顔をして、明らかに見惚れていた。それほどにミカのロングスカート姿は新鮮で美しかったのだ。
さらにもう一つ。なぜかこの場に森がいる。つまり今このラーメン屋にはミカと俺、金本と森の合計4人が同じテーブルで座しているのだ。
8時半になろうという頃、誰がという訳でもなく、お開きの雰囲気が漂った。森が店員の一人を呼び、会計の準備を依頼した。それまでの俺たちの会話の大半は、T社の大企業らしい横暴なやり方や、部長の開き直った態度に関しての悪口の類だった。それでもいわゆる“談合”に立ち向かうような発言には至らなかった。サラリーマンとして、それは当然だと俺も思う。悔しい思いがあることは否定できないが。
「もう一軒行くか?」
そんな珍しい森の誘いを、知り合いと会う予定があるからと俺は断った。
「このあと知り合いとラーメンを食う約束をしてます」
ミカの事を“知り合い”という表現をした。言ってから”友人“とした方が良かったかと考え直したが、もう遅い。
「相手は女か?」
やはり森が掘り下げてきた。森のその問いでいう処の女とは、単純に性別のことではなく、男女としての関係の異性なのか?という問いだったのだろう。
「俺の女という訳じゃないですが、性別は女です」
森が妻子持ちであることを俺は知っている。反対に俺が40半ばにして未だ独身なのも、森も知っているだろう。
これまで森からそんな話題を振られたことは一度もない。なぜか今の森はいい顔をしている。職場の上司と部下というだけの関係から仲間へ変わるきっかけになりそうな会食だった。
CRプロジェクトの結末は、俺たちの望む結果にはならないかも知れないが、それでもチームとしていい方向に転がるような、そんな期待が俺の腹の中にはあった。
「俺たちも一緒にラーメンを食いに付いて行っていいかな?」
多少俺にとって以外だったそんな森の一言により、俺たちはいまラーメン屋のテーブルに座しているのである。
(友人の芝山さん)
すでに店内で待っていたミカを森に紹介したとき、森は相当に驚いた顔をした。
予想以上の美人であることに驚いた。正にそんな感じだった。170センチはあるかも知れないミカのすらりとした長身もインパクトがあっただろう。
(お前もなかなかやるな)
ちらりとこちらに向けた森の眼の色は、明らかにそう語っていた。




