停滞(5)
今回もよろしくお願いします
ヤナギ
「談論なんて曖昧な言葉を使わないで頂きたい。すなわち談合ですよね。それがこのCRプロジェクトの顛末なら、何のためにうちの大友が、いや大友だけじゃない。この案件を受注するために3年以上も力を尽くしてきた社内の人達の苦労と努力は何だったんですか?」
顔を紅くして森が部長に噛みついている間も、俺の膝はわらわらと震えていた。怒っているかと言えば怒っている。悲しいかと問われれば悲しい。それじゃあ、何に対して怒っているかと問われれば、よく分からない。何が悲しいのかと問われれば、上手く説明できない。
怒りという感情をエネルギーに直接変換して部長に楯突ける森が、ある意味では羨ましい。
部長がゆっくり言葉を選び説明した我が社がいま置かれている現状を説明すると、すなわちこうなる。
(某大手メーカから談論の申し入れがあった。相手が有力企業である故、この談論を断ることはかなり難しい)
たったそれだけの状況を説明するのに、部長はたっぷり5分以上の時間を使った。
因習、慣習、協力、体質等々。部長が丁寧に選んで使った言葉のどれもが、申し入れがあったという談論を否定する方向に使われることはなかった。
「もちろん森君の気持ちはよく分かるし、言っている事は正論だ。しかし正論だけでやっていける程、この業界は単純で綺麗な世界じゃない。森君ほどの経験がある営業課長なら、それが分からん訳じゃないだろう」
「担当する部門長としては、“はい、そうですか”と簡単に言う訳にはいきません」
部長と森が張りつめた顔で睨み合っている。どちらも視線をまるで逸らさない。ここまで森とは骨がある男だったのかと思う。それなりに長い付き合いだが、実は彼について、知らない部分や誤解していた部分があったのかも知れない。
森の剣幕に対して、(ふぅ)と息を漏らした部長が、声のトーンを落として言葉を繋ぐ。
「談論を持ちかけてきたのは、とある企業だ。かなり力のある会社だ。仮にうちがこの談論を断ると・・・」
「断るとどうなるのですか?」
トーンを落とした部長の声色に対して、森の言葉は相変わらず尖っていて圧力がある。
「ガチンコ勝負になる。先般、関連案件全部持って行かれる最悪のシナリオがあり得ると言ったのは、そういう意味だ。リスクのある案件を他社に押し付けて、比較的難易度の低い案件を受注して利益を出す。コンプライアンス云々を別にすれば、企業の選択として、決してそれは間違った方向ではないと思うが」
部長の言う事は理解できる。個人的な感情に蓋をすれば。それが分からぬ森でもない。しかし・・・
「納得できかねます」
俺の心情を代弁したような森の発声はそれでも力強かった。
「じゃあ敢えて言わせてもらう。さっき森君は、自分のことを“担当する部門長”と、そう言ったね。では“担当する部門長”として、責任を持って全ての注文を取ってくると今ここで宣言できるかね?そう言い切った以上、(失注しました、ダメでした)は通用しない。そして、その場合、我々がガチで戦う相手企業の名は・・・」
「T社ですか?」
俺が割り込んだ。(ほぅ)という驚きの表情を一瞬だけ俺に向けた部長だったが、その視線はすぐに森の方に向き直った。つられて俺も森の方を向く。森の顔が強張っている。当然だ。
T社。想像し得る最悪の競争相手だ。森が固まってしまうのも無理はない。T社と競合して100%勝つと断言できる営業なんて、この業界には多分いない。
「明日何があるのかと聞いたね。すでに想像できているかも知れないが、T社の営業部長と会うことになっている。内容は説明するまでもないだろう。もちろんすぐに結論が出るような話じゃない。明日は相手側の意向をまずは聴く段階だ。内容はまた報告する。考えておいてくれ」
早口に捲し立て、部長は会議室を出て行った。俺達二人は重く冷たい沈黙に取り残されていた。
森と俺、そして若い金本の3人で飯を食っている。上品とはお世辞にも言えない小さな居酒屋だ。思えばこうやって森と一緒に飯を食うことなど、これまでほとんどなかった。最初のドリンクがテーブルに置かれてから10分は経っているが、金本はまるで口を開かない。重苦しい俺達二人の雰囲気を、もうすでに彼も肌で感じているようだ。
「どう思うよ、大友」
どう思うも何も、サラリーマンとしての選択は明らかだ。上席の考え、すなわちそれが会社の方針とするなら、俺たちは従うしかない。この業界では圧倒的発言力を有するT社と、全ての案件に関してガチンコで競合する。丸ごと案件を持って行かれる可能性がある。むしろその可能性の方が圧倒的に高い。リスクの少ない案件にターゲットを絞り、事実上の特命でこれを受注する。その選択肢にたぶん誤りはない。これまで担当してきた自分が納得できないだけだ。それでも俺はこの結論を受け入れるのだろう。悔しい事だが、それが会社勤めの人間なのだろう。それしかないのだろう。
あれだけ部長に噛みついていた森も、今は何かを諦めた表情をしている。
もう俺たちの選択はほぼ決まっていた。
俺がグラスの底に薄く残ったビールを苦々しく喉に流し込んだ時、俺のスマホが震えた。




