停滞4
何だかフォーマットが使いにくくなりましたね。私だけ?
(CRプロジェクトに関する案件の概略仕様、契約時期、エンジニアリングスケジュール、提出見積金額、予想製造原価を、それぞれに分けて今日中に資料として纏め、明日の午後に報告して欲しい)
それが会議室に呼び出された課長の森と俺に対しての、営業部長の要望事項だった。
その資料の作成自体は、俺にとっては苦にならない内容だ。およそ3年間、ほとんどこれらに全てのエネルギーを費やしてきたのだ。何なら、今から口頭でも説明できるくらいだ。
分からないのは、その部長の依頼事項の目的だ。来年度の受注・売上予算の見極めということなら、先月すでに課として報告しているはずだ。何よりそれなら、わざわざ会議室まで呼び出す必要もない。それに明日の昼という時間的制限は、一体なにに起因するのか。
会議室を出て席まで戻るまでの森の表情も、どこか浮かぬ感じだった。彼としても営業部長の要求の意図を探りかねているのだろう。
「大友、資料纏まるか?」
短くぼそりと、歩きながら森が俺に問う。
「問題ないです。資料自体は。それよりも・・・」
「それよりも・・・だよな。問題は、なぜその資料を部長が欲しがってるかだ。それも今の時期に」
森の思考も、どうやら俺のそれと近いものがあるらしい。そうだろう。課の運営を託される人物だ。頭の回転は速いし、酒さえ入らなければ信頼するに足る上司なのだ。この森という男は。
「いずれにせよ、今の段階では判断材料が不足しています。まず俺は資料を作ります。そして明日の部長との会話の内容で、何か分かる事があるでしょう」
(よろしく頼む)
その言葉の代わりに、森は俺の肩をぽんと叩いた。
「特高系の受電設備、配電設備の当社の見積金額は約14億円となります。予想発生原価は今も精査中ですが、おそらく10億円をいくらか下回る額に収まると考えています。メイン設備となる炉関係の変圧器2台ですが、現在の見積額はトータルで23億円です。過去にN社に納入した類似案件の契約金額に照らすと、この提示金額は・・・」
CRプロジェクトの案件表兼管理表として纏めていた資料の詳細部を一部削除して作った資料を基に、俺は営業部長に説明している。俺の横には課長の森が腕を組んで座っている。今のところ、森が発言するタイミングがない。
「以上が、当社がいま現在で照会を貰っている案件です」
ものの15分で作った資料を、俺は同じだけの時間をかけて部長に報告した。
「これらの案件で、ビジネスとして旨味のあるのはどれかな?逆にリスクの高い案件を挙げてもらってもいい」
その部長の質問がよく分からない。いや、質問の意味は分かる。その意図が分からないだけだ。それでも上席の質問に対して答えぬ訳にもいかない。
「テクニカルな面で一番難しいのは炉関係の変圧器です。ご存じの通り、発生サージの影響をもろに受ける箇所ですから。強度計算や絶縁能力など、検討項目が最も多いアイテムです。次にリスクが高いのは・・・」
「ちょうどこの炉設備の機械が、全体の約半分の金額と考えていいのかね?」
さらに踏み込んだ説明をしようとした俺の言葉を部長が遮った。部長の問いに対する答えは(正にその通り)という事になるが。
「つまりリスクの高い炉用のアイテムを無理に受注しなくとも、20億円を超える契約が見込める訳だし、会社としての採算性を考慮した場合、万が一の失敗を犯し利益を圧迫するよりは、リスクの少ない案件にリソースを集中して儲ける。そんな選択肢はないのかな?」
何を言っているのだ、この部長は。それが俺の率直な感想だった。炉回りの機械こそ、このCRプロジェクトの根幹設備であり、リスクがあるからこそ設計部門の人間に多大な協力をお願いしてきたのだ。それを今になって手放すなんて選択肢は、俺的にはあり得ない。それではこれまで俺に付いてきてくれた社内の人達に会わせる顔がない。
(あり得ません)
出掛かった俺の言葉の前に、森の言葉が僅かに先行した。
「チャレンジ、そして貢献。それが我が社のモートーではないのですか?」
それは固く尖った口調だった。
「森君、いったい何が言いたい?」
森の固い声の反作用とでも言うか、自ずと部長の声も大きく、そして固くなった。一気に場が張り詰める。俺の体が反応し緊張し始める。まだ3月だというのに変な汗が脇から噴き出る。
「炉周りの設備こそ、この案件の根幹です。そこを手放すのでは、当社がCRプロジェクトに参画したと大きな顔をして言えなくなります」
瞬間沸騰する癖のある森が、これ以上部長に対して熱くなるのはあまり得策ではない。ここは俺がそれを回避する役目を担わなければ。
「誤解のある言い回しをしてしまいました。技術的なリスクに関しては、設計部門の協力を頂き、およそ3年掛けて一つ一つ潰してきています。この期に及んで大きな仕様変更があるとは思えませんし、そこらのリスクは必要以上に身構える必要はないかと考えます」
部長を安心させるための俺の補足である。しかし、俺のその言葉に対して、部長はやや困った顔を作った。これには俺も疑問を抱かずにはいられなかった。そして俺の感じた疑問を、そのまま言葉にしたのが続いた森の問いだった。
「我が社がこれを受注した場合、部長として何か困ることがあるのですか?そして明日なにがあるのですか?」
その森のストレートな問いはさらに刺々しさが増していた。俺の懸念した通り、森の感情に火が灯ってしまったようだ。
部長が何やら考え込んでいる。相当に困っているようだ。滅多に見ない部長の顔だ。
そして、やや諦観したかのような顔に変わり、そして口を開いた。
「いま当社として最悪のシナリオは、これらの案件全部を競合他社に持って行かれることだ。それがあり得る状況に我々はいま置かれている」
その部長の言葉は、俺の背筋を一気に寒くした。




