停滞2
今回もよろしくお願いいたします
(先程はアポも取らず押し掛けまして、誠に申し訳ありませんでした)
そんな枕詞を最初に付けた俺であるが、本気で申し訳ないと考えてる訳じゃない。この二週間、まるでアプローチが無かった先方からこうして着信があったのだ。俺の今日の揺さぶりに、ある程度の効果があったと前向きに捉えるべきだろう。
「ちょっと大友さんに、お話ししておいた方がよい事がありまして・・・」
やや声を潜めるようなトーンが、スピーカ越しに伝わってきた。周囲の耳を気にしている事は明らかだ。敢えてそれが分かる様な演技をしている事も考えられる。腹の探り合いを仕掛けられている。そう捕えるべきだ。
「周りの人に訊かれては良くない内容なのでしょうね」
(何か貴殿としても喜ばしくない事態が発生した。その予想はできている)
そんなニュアンスを仄めかす意味で、先方の言葉を遮ったのだ。
俺の返答に、吉川さんは特に驚いたりはしなかった。
「なるほど。すでにお気付きなら話は早い。あまり周囲に訊かれたくない話です」
礼儀知らずを装いノーアポで現れた。すでに何かの情報を掴んでいる切れ者のふりをしてカマを掛けた。使い方を誤れば、諸刃の剣となりかねない俺の言動だが、今日は上手く歯車が噛み合っているようだ。
これで、ようやく今起こっている事の本質と本音に触れることができそうだ。
「これまで御社と大友さんには、大変に世話になっている。わざわざ訪ねて来られた大友さんを無碍に扱うこともできない。そこで、どこか人目に付かない処で、少し会話する時間はないでしょうか?」
それが吉川さんの電話の趣旨だった。
先方の業務終了を待って、今から一時間半後、俺と吉川さんは、ここから二駅ばかり離れた駅前の居酒屋で落ち合う事としたのである。もちろんわざわざ二駅も離れた店を選んだことにも意味がある。何だか心臓が、いつもより速く脈打っている感じだった。
風邪の初期症状のように、俺に背中には悪寒のようなものが張り付いていた。
「いま、一体何が起こっているのでしょう?」
吉川さんが俺の前の席に座り、ドリンクの注文が終わるや、ストレートに疑問を投げてみた。ここは遠慮するタイミングじゃない。たたみ掛けるべき時だ。それが俺の営業としての判断だ。今日の自分の判断には信頼を寄せていいはずだ。
「分かりません」
吉川さんのその回答は、待ち構えていた俺からすれば、やや意外で拍子抜けだった。そんな訳はないだろう。ならばどうして、今ここで俺と向かい合っているのだ。(話がある)と言ったのは、そっちの方じゃないか。言葉にこそしなかったが、そんな俺の不満はちゃんと伝わったようだ。
「正確には分からない。その言葉に偽りはありません。担当している私ですら、よく分からない事が社内で起きているようなのです」
俺は彼の目を真っすぐに見据える。無言で次の言葉を催促する意思表示だ。同時に、彼の眼が、決して嘘を言っている人間の眼には見えなかった。これから彼の発する言葉は、ほとんど真実と捉えて問題ないだろう。
(うん)と小さく頷いた彼の表情が、こちらの心理状態を理解したことを示していた。
「何が起こっているのか、ある程度の推測はできます。いまから私の周りで起こっている事実だけを、一切のバイアスを介さずに申し上げます。そこから大友さんが導き出す推測が、私の考えるものと同じであったなら・・・」
年齢は30代前半。国立大学出のエリートだと聞いている。今日も彼の発言は論理的で分かりやすい。事務所内での要領を得なかった彼の態度の方が、いつもの彼と違ったのだ。
「その推測は真実である可能性が高い・・・そう言えそうです」
俺の返答に吉川さんは、今度は大きく頷いた。
(では)と小さく呟き、吉川さんは、いつも以上に丁寧に、そして何かを確認するように、ゆっくりと話し始めた。
「もう1カ月近くは経つでしょうか。弊社の事業部長、分かりやすく言えば、私の上席の上席の、さらに上席に当たる人物です」
「平たく言えば、御社のお偉いさんという事でしょうか」
「まあ、そんな処です。この事業部長が、頻繁に応接室に入るようになりました」
わざわざ関係者の目と耳を避けて、二駅も離れた居酒屋で、しかも個室を取ったのだ。周囲の事にはそれほど気にする必要はないが、それでも俺達は自然と声のトーンを落としている。
「何かの会議を頻繁に行っている・・・ということでしょうか?」
「それなら応接ではなく会議室で十分です。わざわざ応接室で、しかもその面会相手について、我々担当には何の連絡も報告もない」
「つまり、こそこそと、そのお偉いさんは誰かと頻繁に面談していると、そういう認識で合ってますでしょうか?」
「その可能性が高いと、私は考えています。もちろん私が穿って考え過ぎている可能性もあります。今は3月ですからね。4月の人事異動についての、未だ公にできない内容の話かも知れない」
俺は小さく頷く。吉川さんの言う通りだ。やはりこの人は頭がいい。俺は頷くしかない。
「まあ、これが私の周りで実際に起こっている事の一つ」
それ以上の可能性について吉川さんは語らなかった。彼は最初に(一切のバイアスを介さず、起こっている事実を列挙する)と言った。ならば、この段階での不確定な憶測は不要と考えるべきだろう。次の吉川さんの言葉を、俺は待つ。
「次のお話は、全くの偶然から分かった内容です。つい一週間くらい前の出来事です。大友さんは、うちの事務所のエントランスを何度もご覧になられていますよね」
見ている。この3年で少なく見積もって50回はこのエントランスを潜っている。
正面にはN社の創業以来の年表があり、代表製品も数多く展示されている。他に国や自治体から何らかの賞を受けた時の賞状やトロフィーなんかも展示されている。いかにも大企業のエントランスらしい雰囲気だ。
「このエントランスに電光掲示板があることはご存じですかね?」
電光掲示板。ある。100インチは超えていそうな大きな掲示板だ。たまに(歓迎〇〇株式会社様)なんて表示が出力されている事がある。その掲示板のことだろうか。
「そう、その掲示板です。それにある企業の名前が表示されていました。私が昼休憩を取ろうと外に出るタイミングでした。珍しい会社が来ているのだなと思ったので、間違いありません。でも・・・」
でも、何だと言うのか。来客があるのは珍しい事ではあるまい。
「不思議なのは、私が昼食を取って帰ってきた時には、その表示はすでに消されていた事です。出社時も当然、私はエントランスを通るのですが、その時には表示がなかった」
吉川さんの言葉の意味する処が、未だ俺には分かっていない。俺が分かっていない事を承知した顔で、吉川さんが続けた。
「午前中の訪問なら出社時にたぶん目にしている。午後からの訪問なら、時間的に考えても表示は残っているはずだ。この事の意味が、私もしばらくは分からなかった。総務部の入力ミス。それ位でした。可能性が想像できるのは」
それは確かにあり得る。さらに想像を膨らませるなら、一瞬で現れて一瞬で消えるような訪問の仕方を、その会社がしたとか。
「どうでしょうかねぇ、わざわざ応接を取って対応するような客ですからねぇ。因みに・・・」
このタイミングで最初に注文した前菜のいくつかが店員によって運ばれてきた。一度俺たちの会話が止まる。回りくどく店員が料理についての説明をする。まるで耳に入ってこないし、興味もない。
店員が去ったあと、俺達二人の会話に、僅かの間が生じた。店員が意図せず作ったこの沈黙が、むしろその後の吉川さんの説明を加速した。
「あとで総務部に確認したのですが、応接を予約したのは事業部長でした。そしてその日、事業部長は午後一から半日、応接室に入ったままでした」
ここまで一気にまくした吉川さんが一変して黙した。
(一通り説明した。さて大友さんはここから何を推測しますか?)
そう発言したのと同意の沈黙であることが分かった。俺が想像力を働かせる番だ。
どこかの企業の人間が、担当者を飛び越えてユーザ側のお偉いさんと密談している。そしてこの時期だ。事業部長と直接面談を申し入れる事ができるという事実からも、その人物も相当の立場にある人間なのだろう。それらから想像できる事。
いまは可能な限り最悪と思われる状況を想像しなければいけない。リスク管理とはそういうものだ。
「ある企業がトップセールスを狙っている。そしてターゲットは御社のCRプロジェクトへの参入」
できれば否定して欲しかった俺に推測に、吉川さんは小さく顎を引いて、これを肯定した。




