ミカの戦争(4)
迷宮入りしそうな予感。それでも読んでくださっている方々、ありがとうございます。
「戦争と呼んでみたり、抗争と言ったり、古い連中はカチコミなんて言い回しをする奴もいる」
“親父さん”の口調は、飽くまで静かだ。年少の者に何かを諭すような、余裕と丁寧さを感じさせる。分厚い視線が真っすぐにミカに向けられている。こんな視線を真正面から受けて、よくミカは視線を落とさず立っていられるものだと思う。
視線が怖かった。声が怖かった。姿勢が怖かった。拳骨の形が怖かった。気を抜くと、膝から床に落ちてしまいそうなほどに、“親父さん”の纏う全てが怖かった。
「戦争でも抗争でも、何ならカチコミでもいいわな。売られたこともあれば、こっちから吹っかけたこともある。そんなだって俺たちの仕事の一部だ。極道だからな、俺たちは」
“親父さん”の口調は変わらない。静かであるが巨大なエネルギーを有している波のようだ。
「こっちから吹っかけるにせよ、売られるにせよ、俺たちの喧嘩にはルールが一つある。ミカ、それが何か分かるかい?」
“親父さん”が小さく両の手の位置を変え、分厚い胸の前で腕を組んだ。たったそれだけの動作にとんでもない迫力が感じられた。俺の膝がわらわらと恐怖で震える。
「分からない。分からないし、知ったこっちゃない。極道のルールなんて。ルールを無視するから反社なんて呼ばれてんじゃないの、貴方たちは」
相変わらずにミカの声は尖っている。その声だけで人の肌を突き刺すことができそうだ。それでも“親父さん”は苦笑しつつも悠然としている。張りつめて今にも破裂しそうなミカの緊迫。余裕を持ってそれを受け流す”親父さん“。
この両名のどちら側に、不幸な未来が待っているか。
そんな仮定をするなら、その答えは明らかだ。いまのミカには余裕がない。余裕のない者には、破綻が隣り合っているものだ。だからこそ、俺は怖い。怖くて仕方がない。
「喧嘩に必要なものは大義名分だよ。俺たちの世界ではね。人はそれを任侠なんて呼んだりする。俺たちの喧嘩にゃあ、任侠が必要だ。必ずね」
諭すような“親父さん”の口調。ミカは黙している。
「シバヤマ・ミカが前嶌組に喧嘩を吹っかけた。まあ、それはいい。じゃあ、そのお前が吹っかけた喧嘩の大義名分は一体何なんだい?」
“親父さん”が大きく背もたれに体を預ける。ぎしりと鳴った椅子の音に、俺はびくりと反応してしまう。”親父さん“の太い腕は、今も組まれたままだ。落ち着いた風情でミカの返事を待っている。
「うちの娘達に手を出した」
ミカの声は震えていた。声こそ震えていたが、視線は真っすぐに“親父さん”を睨みつけていた。
「ほぉ、でっ、そのエビデンスは?」
“エビデンス” 日本語にすれば“証拠”ということになるだろうか。ビジネスの世界では、今や一般的になっている言葉である。しかし、それを反社に身を置く人物から聞いた事が、相当に意外だった。
「これだよ」
ミカが上着のポケットから取り出したスマホを、大きな机の上に放り投げた。これが分厚い机の上を滑り、“親父さん”の目の前で止まった。若い女の持ち物とは到底思えない飾り気も何もないスマホだ。
“親父さん”がこれを手にする。画面を見つめる。
防犯カメラの映像を、ミカは数枚、マッサージ店で写真に収めていた。そのうちの一枚が、いまミカのスマホの液晶に映し出されているのだろう。
「ケンジ」
「オス」
俺たちの後ろに立っていた2名の黒服のうちの背の高い方が、しなやかに歩み、“親父さん”の脇に立つ。そして画面を確認し、“親父さん”の耳元で、一言二言呟いたようだ。内容までは聞き取れない。(う~ん)と親父さんが呻き声に似た音を漏らす。そして大きな背を椅子に預ける。ゆっくりと言葉を発する。
「シュンスケという男だ。この男は。以前はうちの組員だったが、ごく最近、破門にした。あまりにも素行の悪さが目に余ったのでね。素行云々が言えるような柄でも立場でも職業でもないが、この男のやる事には、あまりにも任侠が無かった」
“親父さん”の言葉に対して、ミカの返信はない。それがどうしたとばかりに、“親父さん”を怖い眼で睨みつけている。
「なあ、ミカ。小娘の感情が、一時的に高ぶった時の言葉とはいえ、お前にうちに宣戦布告されたんだ。所帯は小さいが、これでも歴史のある組だ。そして今、こうやってお前さんと組の頭である俺が、正面から向き合っている。なんならさっき、玄関先でドンパチやって、お前をハチの巣にすることだってできた。やろうと思えばね。やっちまった後始末には、多少の骨が折れただろうが」
ミカは黙っている。“親父さん”の言うことを否定できないのだろう。二人のやり取りがあまりにも非現実すぎて、俺はこの時、恐怖する事すらも忘れ始めていた。
(なぁ)とミカを諭すように、“親父さん”が身を乗り出した。
「それでも、こうやってお前さんと向き合っている。相応の誠意を示してるつもりなんだが、それはお前にも分かるだろう」
しばし間を置いて(こくりと)ミカが頷いた。
「シュンスケは、もううちの人間じゃあない。だから俺たちには関係がない・・・なんて言ったら、お前としても納得はいかんだろう」
これにもミカは小さく頷いただけだ。
「一晩でいい。俺に時間をくれないか。俺たちのやり方で、お前も納得できるけじめの方法を考える。それまで、ちょっと体を休めといてくれ。おい、ケンジ、案内しろ」
「オス」
ケンジと呼ばれた男が、俺たちの方に向き直る。
「お二方の今晩の宿を準備しております。しばしお寛ぎ下さい」
すらりと背の高いシンジなる人物の声は、“親父さん”の声とはまた異なる奇妙な迫力があった。すぅと背筋が寒くなる。
「うちのやってるラブホだよ。高級ホテルって訳にはいかないが、一晩休むだけなら十分だろう。朝までには連絡を入れる。しっかりと体と頭を休ませておいてくれ」
“親父さん”が、そう補足した。
“親父さん“の言うけじめなるものが、俺にはまるで想像できなかった。




