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ミカの戦争(3)

極道の事務所って、これまで1回しか入ったことないんですよね。

そんな経験あることの方が珍しい?

今回もよろしくお願いします。


ヤナギ


白髪スーツ姿の男が座している木製の机は重厚で、放つ光沢には静かな迫力があった。塗料による輝きではない。永い時を経て、徐々に滲み出てくる艶の深みなのだろう。

組み合わされている全ての材が分厚く大きい。機関銃の玉が相手でも、しばらくの時間は人の身を守ることができそうだ。


机の上に乗っている物は何もない。いや、ある。男が両の手を置いているのだ。

無造作に置かれた男の手からも、この机が放つものと同質の威厳が感じられる。軽く握られた拳はデカく、ごろんと丸い。拳骨を包んでいる肉の量が多い。

分厚いのは拳だけじゃない。顔も分厚い。胸も分厚い。人を射るような眼光もが、分厚かった。この男の体を包んでいるダークグレーのスーツの布の量も既製品の域ではあるまい。


「久し振り・・・って、挨拶を交わせるような状況ではなさそうだな」


やはり分厚かった声の主。ミカが“親父さん”と呼んでいる人物である。年の頃は60代後半か、若しくはそれ以上。俺の両親とそれほど変わらないだろう。だから、ある程度は俺にも年齢が推測できるのだ。


「戦争だって言ったでしょ」


ミカの声が固く、冷たい。たっぷりと暖房の効いた室内なのに、ミカの声で振動した空気が、その場に凍って床に落ちそうだ。



(戦争だ!)


そう叫んだミカが、マッサージ店を一人飛び出そうとしたのは、ほんの40分前のことだ。

俺がこれを引き留めた。引き留めようとした理由が、自分でもよく分からない。ここでミカを引き留めねば、何かとんでもない事態が起こってしまうという予感。予感というより、それは確信に近かった。


(戦争だ)


そのミカのセリフは、ただの言葉の綾なんかには聞こえなかった。はっきりとした覚悟と殺意が満ち満ちていた。

戦争という言葉は、もちろん知っている。規模の大小こそあれ、今もこの地球のどこかで、戦争や紛争が起こっているのは、紛れもない事実なのだ。それでも、今を生きる俺たちほとんどの日本人には、まるで実感すらも湧かない机上の言葉だ。


飛び出そうとするミカの腕に、俺はしがみ付いた。次の瞬間、俺の体は、大きく丸く宙に踊った。見事に背中から床に落ちた。固いコンクリの床と衝突した背中が、嫌な音を立てた。一瞬、息が止まったが、驚いたり苦しんだりする余裕は、俺にはなかった。体を捻り、ミカの両足にしがみ付く。みっともない様だ。それでも、ミカをこのまま一人で飛び出させる訳にはいかなかった。絶対に。

(ガツンッ)と頭部に衝撃を受けた。ミカが俺の頭部に足裏を落としたのだ。全力じゃない。もしミカが、本気でかかとを踏み下ろしていたなら、それが女一人分の体重であっても、俺は意識を保っていられなかっただろう。そしてもう一撃。これにも手加減があった。

ミカがこの期に及んでも俺に対して遠慮しているなら、まだ救いはある。俺は泣き叫ぶように頼む。


(1人で行くな、行くなら俺も連れていけ!)


ミカの動きが止まっていた。何がミカの動きを止めたのか、俺にはよく分からない。


「兄さん、あんた、バカか?」


呆れた様子のミカ。そう、馬鹿かも知れない。きっと馬鹿なのだろう。それでもミカを一人で行かせる訳にはいかない。


“死” 本当は、全ての人間が、いや、全ての生物が、その十字架を背負って生きている。その十字架が生物を押し潰す瞬間が、今であっても、数十年後であっても不思議じゃない。単純に時間だけの問題だ。そしていま、“死”という怪物が、ミカに襲い掛かろうとしている。それをリアルに想像できてしまうのだ。


「お兄さん、死ぬよ、マジで」


ぼそりと呟いたミカの声が、やけに悲し気だった。そして俺は、地に這いながら悟った。

この女は死すらも既に覚悟しているのだと。

一個の人間が死を覚悟して行動を起こす。先の知れている老いた者ならともかく、そうでない者が死を覚悟する。そんな非常事態が、いま起こっている。状況の理解が追いついているのかいないのか、それが漠然としてぼやけている。


「俺も連れていけ」


馬鹿の一つ覚え。俺にはそれしか言えない。ミカの言うように、俺はいま、ただの馬鹿なのだろう。それでいい。なぜか俺は、素直にそう思っている。

ミカが片足を高く持ち上げる気配がした。俺は次の衝撃に備えて、体を固くする。衝撃はこない。まだこない。そしてミカが上げていた脚を静かに地に下ろした。


「時間がもったいない。付いてきてもいいけど、絶対に邪魔はするな。邪魔すれば、私があんたを殺す」


ミカの“殺す”という言葉の意味。それは何かの比喩ではない。そんな現実とは思えない言葉が、決して誇張された表現ではないことが、直接、肌に伝わってくるのだ。不思議な事この上ないのだが、俺はまるで恐怖を感じてはいなかった。俺の中の感受性が、このとき麻痺していたのだ。


「邪魔はするな」


ミカの念押しに頷き、そして俺は店の近くに停めてあったミカの赤い車に乗り、本当に“前嶌まえじま組”に、たった二人で乗り込んだのである。


ミカの運転は、驚くほどに静かだった。その静けさが、逆にとても怖かった。

車が走り出してから20分と要さず、俺たちは前嶌組なる、おそらくは反社会組織の事務所に到着した。古風な構えの威厳を感じさせる門の前には、4人の黒服の男たちが立っていた。皆、揃って恰幅が良かった。

門の真ん前に乗り付けた俺たちに、さして驚く様子を彼らは見せなかった。何らの情報が、すでに“親父さん”から入っていたのだろう。

4人の黒服のうちの一人が近寄ってくる。血が凍るような恐怖に、俺はいまさらに襲われる。


「シバヤマ・ミカさんですね。お待ちしておりました。親父おやじがお待ちです。中へ」


あっさりと俺たちは、分厚い門といくつかの扉を潜り、いま、前嶌組の親父と面と向かっているのである。



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― 新着の感想 ―
[一言] ヤクザの親玉のところに入っていくとは…ミカさんのとんでもなさに驚かされると共に、大友さんの勇気にも脱帽です…そして柳さん、なんでヤクザの元へと…。 もうどうなってしまうかわかりませんし、ただ…
2024/01/22 00:57 退会済み
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