世界で6番目の女(5)
本編完結です。次章もよろしくお願いします。
ヤナギ
とても東洋の生まれとは思えない程に、肌の色が黒かった。その黒さが日焼けによるものであると分かるのは、彼女の左手手首から先の色白さ。右打ちのゴルファーは、一般的に左手のみにグローブを着けるのである。
身長は160センチ前後。決して大柄という訳ではない。艶のある黒髪は、肩に届いていない。笑った時に見える白い歯と、日焼けした肌の色との対比が際立つ。
驚くのは、その顔立ちの若さだ。あどけないとすら形容できる。実年齢は22才らしいが、10代と言っても十分に通用するほどの若々しさだ。
このあどけなさを宿す少女と呼んでいいルックスの人物が、年間に何億円もの賞金を稼ぐプロゴルファー、マリア・リーなのだ。
ここは大阪中心部からほど近い某ゴルフ練習場。都会のド真ん中に位置するが故、ボール単価は異常に高い。向こうの壁までの距離は約200ヤード。こじんまりした練習場だ。場所が場所だけに、これは仕方がない。
ソウル発15時関西国際空港着のフライトで、マリアは日本に降り立った。ミカがこれを自家用車で迎えた。
俺達との待ち合わせ場所は、大阪駅構内にある某ファミリーレストラン。約束の18時を数分遅れて俺と金本が店内に入ったとき、ミカとマリアはカップから湯気の立っている飲み物を口にしていた。室内だと言うのにマリアは厚い赤色のブルゾンを羽織っていた。アメリカ西海岸南部に拠点をおく彼女には、日本の冬の寒さは、相当に堪えるのだろう。
食事は取っていないだろう。今晩の食事は、俺達がラーメンをおごることになっているからだ。マリアの要望は博多ラーメン。彼女が東京五輪で来日した際にこれを食し、一口で大好物となったらしい。
(軽い食事が機内で出たので、まだあまりお腹が空いていない。軽く体を動かしてからの食事としたい)
そんなマリアの要望から、俺達は急遽打ちっぱなしゴルフ練習場に訪れたという訳である。
当然のことゴルフクラブなんかは準備していない。受付でドライバーと7番アイアンをレンタルした。レンタル料は一本200円。プロゴルファーなんて人種は、道具へのこだわりが人一倍で、自分のクラブでしか練習しないなんて印象があったのだが、このマリアに関してはそうではないようだ。“弘法筆を選ばず”ってところなのだろう。
平日だと言うのに、練習場は繁盛していた。空いている打席は数える程だった。
「打席は一つだけでいいですか?」
店員の質問も当然だ。マリアとミカ、そして金本と俺。4人で打つのに1打席だけでいいのかという質問だ。いい。体を動かしたいと考えているのはマリアだけなのだから。俺も金本も、多少ゴルフはやるが、今日プロゴルファーの前で、自分たちの下手さ加減を披露するつもりは毛頭ない。
俺達4人が指定された打席に着くと、右隣の打席で練習していた50代と思しきおじさんが、あからさまに眉をひそめた。騒がしい連中が来やがったってところなのだろう。
気持ちは分からないでもない。俺が練習するのは、接待ゴルフなんかの予定が入ったとき、直前に少しだけ玉を打つという程度。それでも昨今のゴルフブーム、しかも若者の間での流行が顕著で、ワイワイがやがやと騒がれて、俺でも鬱陶しく感じることがままあるのだ。
しかし、マリアとミカは、まるでそんな事に頓着していない様子だ。それはそうだろう。このマリアが一たびクラブを握れば、このおっさんも、さぞかしびっくりする事だろう。
何だかその瞬間が、とても楽しみだ。さぁ、見せつけてやれ。オリンピックメダリストの実力を・・・って、え??
マリアが手にしていた7番アイアンを俺に手渡す。いや、ちょっと待ってくれ。俺は練習するつもりなんて端からない。それでもマリアは(さぁ)とばかりにクラブを突き出す。
「大友さん、打てって言われてますよ。ここで断るとマリアさんの機嫌が悪くなって、最悪コンペに出ないなんて事態も・・・」
こら、金本。お前、なんでそんな嬉しそうな顔をしている。だが彼の言う事も一理ある。
仕方なく、俺はクラブを受け取る。何カ月振りだろう、クラブを握るのは。まるでグリップがしっくりこない。球を真っ直ぐに打ち出すイメージも湧かない。一度アドレスを取ったものの、体が動かない。これでは何も始まらない。(動きたくない)と訴える体を、開き直りという意思の力で強引に始動させる。クラブを上げる。一気に振り下ろす。
(カッ!)とボールの頭をクラブが叩き、低い弾道で弱々しく玉が飛び出した。そしてすぐに地に落ちる。
ちらりとマリアの方を振り返る。あどけない顔で微笑を浮かべている。まだ俺が打つのか?眼でそう訴えるが、マリアが代ろうという態度を見せない。なら、もう一球だけ。
(ドフッ)という鈍い音がした。クラブが地面を叩いたのだ。結構な衝撃が手首を襲った。少しだけ一打目より高く玉は上がったが、弱々しい打球であるという事は、まるで一球目と変わらなかった。
「完全に体がスウェーしているよ。それじゃあ、まともに当たらないよ」
そんな声を掛けていたのは、最前に眉をひそめた50おじさんだ。どこの練習場にもいる者だ。この手の教えたがりは。
「こんな感じになってるよ、こう、こう」
いかに俺の打った二球が、不格好なスイングから生まれたものであるかを強調するように、おっさんが俺のスイングを再現してみせた。多少は誇張してのスイング再現だろうが、体がギッコンバッタンして本当にみっともない。
「Teach mee,too! 」
いつの間にか赤い上着を脱ぎ、立ち上がっていたマリアが、俺からクラブを取り上げる。
「“私にも教えて”って言ってるよ」
ミカがおっさんに声を掛ける。無愛想な声色だ。まあいつもの事だ。黙っていれば美人なのに、まるで男に媚びるようなところが、このミカにはない。まあ、男に媚びる必要のない生き方をしているのだろう。
機械が自動的に吐き出したボールを、7番アイアンのヘッドでひょいと手前に転がした時には、もうマリアはアドレスに入っていた。俺のように動作が固まったりしない。大きなテイクバック。そして実にあっさりとマリアはボールを打った。低くボールが飛び出す。
トップ?そう俺が誤解してしまうほど、飛び出したボールの軌道は低かった。ミスショット?そんな訳があるはずがない。一気に上方向にボールが軌道を変えた。空に突き刺さったかのように、いつまでもボールは落ちてこなかった。
これにはおっさんも口あんぐりだ。どうだ、見たか。いや、そこは俺が自慢する話でもない。
「プロの打つ玉って、本当にすごいですね」
俺の横で、ぼそりと金本が呟く。俺も頷くしかない。ただの一度も見たことのないような軌道と球速だ。
「来年は、あの玉みたいに飛躍の年にしたいですね」
まだマリアの打ったボールは、12月の夜空に張り付いたまま、落ちてこなかった。




