世界で6番目の女(4)
今回もよろしくお願いします。
ヤナギ
ミカの施術が始まってから、すでに20分は経過しているだろうか。俺はうつ伏せの状態で、静かに頃合いを見計らっている。
(ところで例のゴルフの話は・・・)ってな具合に、ミカの方から話題を振ってくれることを待っていたのだが、そうは問屋が卸さないようだ。今も無言で、ミカは俺の背中を指圧している。なら致し方ない。
「この前に話したゴルフコンペのゲストの事なんだが・・・」
俺としては、相当に意を決して切り出したのだが、ミカからは特段に反応はない。
“話を続けろ”と無言で催促されているようだ。
「たしかマリア・リーって言ってたよね。まさかとは思うけど、オリンピック銅メダリストのマリア・リーじゃないよね。世界ランキング6位の・・・」
「へぇ、あの娘、世界で6番目なんだ。それは知らなかった。でもオリンピックでメダル取ったのは本当だよ。私も、その時は一緒にいたし」
なんてことだ。もう間違いない。ミカが呼ぼうとしているゴルフのできる有名人とは、世界ランキング6位のプロゴルファーであり、東京オリンピック銅メダリストのマリア・リーなのだ。しかも、その時は一緒にいたとは、一体どういう事なんだ。まるで実感が付いてこない。
(本当に来てくれるのか?)
俺が聞きたいのは正にそれなのだが、それが言葉にできない。あまりにも非現実的と思える想像は、言葉に変換しにくいものだ。
「あんた、どういう関係なんだ?マリア・リーとは?」
こちらの方の疑問は、意外とあっさりと言葉になった。驚きが言葉になって、つい零れ出た。そんな感じだ、
「別に。お兄さんと一緒だよ。私の働いていたマッサージ店に来て貰ったことがあって・・・」
いや、同じ訳がないだろう。俺はごく普通のサラリーマンだが、マリアは超一流の世界的アスリートだ。
ミカは積極的にマリアとの関係について、語ろうとはしない。仕方がないので、俺の方から色々と問うていく。そして知った2人の関係を整理すると、凡そ次のような関係という事になる。
アメリカはテキサスのマッサージ店で、店員としてミカは働いていた。その事だけでも、俺には驚きだ。
そこに客として現れたのが、プロゴルファーのマリアだった。
一流のアスリートの筋肉の束に驚いたミカであるが、この段階では、この客が世界的なプロゴルファーであることをミカは知らない。筋肉の量とその柔らかさは、数多の客にマッサージを施してきたミカが驚くほどであったが、体中のあちらこちらに疲労が原因と思われる強張りがあった。骨格のバランスも、決して良くは無かった。
たっぷり2時間かけて、マリアの体をミカは解した。骨格の歪みも、可能な限り矯正した。そして、その翌週の試合で、マリアは優勝したのだと言う。
(貴方のマッサージのお陰で優勝できた)
数週間後に再び来店したマリアのそんな感謝の言葉によって、初めてミカは彼女がプロゴルファーであることを知ったらしい。
「優勝賞金は、たしか130万ドルだったかな」
130万ドル。今の為替で計算すれば日本円で2億円に近い大金だ。ゴルフの賞金の相場が俺にはよく分からないが、相当に大きな大会だった事くらいは、容易に想像できる。
以来、マリアはミカの勤める店に、頻繁に顔出しするようになった。
そんな繋がりで、マリアが東京オリンピックにオーストラリア代表として来日した際は、通訳兼トレーナーとしてミカも同行したらしい。
この段階で、いよいよ俺は恐怖すら感じるようになってしまった。
「そんな人が本当に来てくれるのか?もし来てくれるとして、その費用はどれくらい準備すればいいんだろう?」
あまりにも非現実的と思える現実に、俺は改めて現金な質問をせねばならなかった。
「お兄さん、人の話ちゃんと聴いてた?ラーメン一杯で話ついたって言ったでしょう。まあ、アスリートだからね。一杯と言っても替え玉の2玉3玉は食べるかも知れない」
いや、そんなことじゃない。オーストラリアからの飛行機代だとか、こちらでの宿泊費だとかの話をしているのだ。いやいや、そんな事よりも世界的なアスリートを招待するためのギャラは、いか程に費用が掛かるのか。去年二流芸人を呼んだ費用でも50万円以上は、会社が支払ったはずだ。
「いいよ、そんなの。マリアはお金に困っていない」
(いや、それでも・・・)
そう言いかけた俺の言葉をミカが遮る。
「お兄さんもくどいな。お金は要らないって言ってるでしょ、ラーメン代以外。まあ、種明かしをするとね、その時期はオフシーズンなのよ。北半球を中心にツアーを廻ってる娘だからね。その時期には、たぶん母国の韓国にいるはずだから。私達にとっての、まあ東京出張くらいの感覚だよ」
いよいよとんでもない事になってきたと、俺は驚愕する。
「一度は顔合わせが必要でしょ。マリアの予定が分かったら連絡するから。お兄さんの連絡先を教えてよ」
混乱しながらも、俺は携帯電話の番号が記された名刺を一枚、ミカに手渡す
「へぇ、お兄さん、大友さんって言うんだ。ファミリーネームで呼ぶのってあんまり好きじゃないのよね、昔から。これからは純さんって呼ぶことにするわ」
こうして俺はついに、ミカと連絡先を交換することとなったである。




