201x年の秋(5)
今回力作かもです。よろしくお願いします。
ここは西日本支社第一会議室。俺の前に座っているのは、第一営業部長と総務部人事課長の二人。
営業第一部長は、会社では俺の上席の上席に当たる。重要な会議では同席することもあるし、当然、俺自身これまで何度も会話を交わしている。
一方で人事課長とは、ほとんどこれまで接点がなかった。顔と名前は分かる。そんな程度の関わり方だった。
今日は12月第二週の月曜日。定時15分前に出社し、席につき程なくして、斜め後方からすでに出社していた第一営業部長に声を掛けられたのだ。
「大友君、ちょっと20分ほど時間を貰えないかな。大友君の都合のつくタイミングでいい」
一介のサラリーマンが、相応の立場にある上司から直接に声を掛けられる。それは大抵良くない話と相場が決まっている。しかし、その時の部長の表情には、そんな悪い予感をさせる雰囲気が、まるでなかった。とても穏やかで優しい顔だった。
部長からの声かけだ。いつも通りの忙しない週のスタートだったが、無碍にできる訳がない。
そして俺は作業の手をいったん止めて、部長の後に続く形で、この第一会議室に入ったのである。そして2分も経たず、人事課長が入室してきて、今に至る。
二人が並んで俺の向こう側に着席したが、俺はすぐには椅子に腰を下ろさなかった。目上の者への礼儀である。
「どうぞ」
部長に促されて、俺は音を立てぬよう椅子を引き、そして座った。
「仕事の調子はどうだい?」
「お陰様で、この下期は順調です」
そんな部長と俺とのやり取りは、まあ一種の露払いのようなものだろう。たぶん今日の本題ではない。
「ところで今期の眼玉案件、N社のCRプロジェクトは大友君が担当だよね」
ああ、それが本題だったのかと俺は得心する。N社のCRプロジェクトとは、非鉄金属メーカとして国内最大手企業N社の大型設備投資プロジェクトである。CRはカーボン・レデュースの略。業界最大手企業が先陣を切って、地球規模で直面している環境・エネルギー問題に取り組む。その第一弾のプロジェクトと言ってよい。噂であるがトータルの設備投資額は約2000億円。仮にその投資額の2%がうちの会社へ落ちてきたと仮定して、その額は40億円。この数字は、俺の所属している課全体の年間受注予算の3分の2に相当する。
そして本件の営業担当が、他でもない俺なのだ。俺の今期の成果が、課全体の命運を左右する。そんな簡易計算をしてみると、あらためて身が引き締まり、少し怖いほどだ。
「商談が上手く進んだとして、メーカ決定、つまり契約締結はいつ頃になるだろうか?」
「正式照会が来年2月。スムーズに交渉が進めば、来年夏には契約になるかと思います」
口にしたスケジュール感は、俺の掴んでいる情報そのもの。何のバイアスも介していない。この時、俺が危惧したのは、続いて(確率的にはどうか?)という質問が来ることだった。
担当者としての心意気は、(何が何でも注文を取る)だが、担当者の心意気と会社としての見込みは意味合いが違う。大型案件であるが故、ここらの見誤りは組織の運営に致命的なダメージとなり得る。俺としては慎重に言葉を選ばねばならない。
が、そんな俺の予想は杞憂に終わった。そんな質問を部長が続けなかったのである。
「ならば、これから半年以上は、大友君としても忙しくなるだろう」
この質問に関しての回答は明白だ。答えは“Yes”だ。この先の半年は、会社勤めを始めて以降、もっとも忙しい半年となるだろう。物理的な忙しさはもちろんの事、その重責からくるストレスたるや、想像するだけで恐ろしいほどなのである。なにせ課の、そして部の命運がかかる大型案件なのだ。
「大友君は、英語は得意な方かい?」
英語はまるで駄目だ。海外出張時には、ホテルのブッキングにすら苦戦することが多い。
「情けない話ですが、英語はまるで駄目です」
正直にそう口にする。
「今回は海外の機械装置メーカやシステムメーカとの交渉なんかも、今後必要になってくるんじゃないのかい?」
その通りだ。商談が佳境になる程に、海外企業との交渉や連携が必要になるだろう。メールなんかのやり取りでは、辞書を片手に何とか対応してきた俺であるが、これからの具体的な問題の一つとして、俺の英会話力の実力不足がある。そしてこの問題が顕著化されるのは、遠い未来じゃない。すぐそこの未来だ。部長の指摘は実に的を射ている。それはそうだろう。部全体から見ても、10年に一回あるかないかの大型商談なのだ。部門責任者の部長が関心を持っていない訳がない。俺は言葉に詰まる。部長の目尻が少し下がる。
「そこで、英語も堪能な優秀なスタッフを、大友君に一人、預けようと思うんだが、異議があるかな?」
突然そういわれても、何と答えればいいか分からない。もちろん優秀なスタッフが俺の仕事をサポートしてくれるなら有難いというのが本音であるが。
俺はいま、相当に困った顔をしているのだろう。しかし、そのことにはまるで部長は頓着しなかった。
「入りなさい」
俺の肩越し、会議室の入り口に向けて、部長が声を張る。よく通る声だ。会社でそれなりのポストに就いている人達は、総じて良く通る声の持ち主が多い。それが出世するための必要条件という訳でもないのだろうが、でも総じていい声の持ち主が多いのだ。逆にポストがその声を育むのかも知れない。
「失礼します」
扉の向こうから聞こえた声も、若々しい張りのある声だった。扉が開く。
そこに立っていたのは。
「大友君も知っているよね。金本君だ。本人の強い希望で、どうしても大友君の下で働きたいそうだ。プラント営業の経験もあり、英語も堪能だと聞いている。今回の案件に適任だろう。どうかな」
そんな部長の問いに対しての、俺の回答を待つまでもなく、低く姿勢を下げた金本の大声。
「大友先輩、よろしくご指導、ご鞭撻お願いします」
この瞬間、会社に入ってから初めて実務を共にする後輩ができた。
「これが僕の答えです」
爽やかで力強い金本のセリフだった。
(金本君へ)
企業の存在価値とは、世の中への貢献である。
そして世の中とは、俺達の事である。
だから俺達が幸せになることは、即ち企業の存在価値の肯定になる。
逆に言えば、俺達社員が幸せになることが、社員が企業に提供しなければいけない必要最低限の貢献だと俺は思う。
自分や自分の彼女の幸せだけを考えればいい。
即ちそれが、会社の存在価値を肯定することになるのだから。
会社に何をやらされているかではなく、自分が会社で何をやりたいか。
それを考えて欲しい。目的は、飽くまでも自分の幸せだ。そうあるべきだ。
自分の幸せだけを考えればいい。
荒っぽい言い方にも聞こえようが、経験を重ねていくうちに仲間ができる。
そして自分がいつしか自分達に変わり、その自分達の和がいつしか大きく広がっていく。
そして知らず知らずに会社に貢献できるようになるものだ。
繰り返すが、今は自分の幸せだけを考えればいい。
金本君の幸せとは何か。
前向きな回答を期待しています。
大友




