201x年の秋(4)
今回も宜しくお願いします。ヤナギ
「お兄さん、何か悩み事があるの?」
俺の腰の辺りをマッサージしながら、ミカが小さくそう口にした。俺は相当に驚いた。
「どうしてそんな事が判るんだ?」
思わず首を廻し、俺はミカに問うた。率直な疑問だ。
「判るよ。いま私は疲れています。いま僕は怒っています。今日のお兄さんは、筋肉と骨が訴えてるよ。いま、私は悩んでますって」
筋肉と骨が訴えている?まるで俺には理解ができない。理解できないが、驚くことに俺がいま悩んでいるのは事実なのだ。
結果として、俺と金本の面談は1時間以上に及んだ。そこから逆算すると、金本の若い慟哭は半時間以上も続いた事となる。そんないたたまれない金本の様子に、金本の彼女までが嗚咽を漏らす始末だった。
俺は何もできなかった。決して何もしなかった訳ではない。
(その若さで会社への貢献を考えること自体、素晴らしい事だと思う。俺が20代の頃は、そんなことすら考えなかった)
(昔よく先輩方に言われたのは、最初の10年は会社の厄介になる。次の10年で会社に貢献する。さらに次の10年で次の世代を育てる。それがうちの会社の一つの基準)
満足できていない。俺が金本に掛けた言葉のどれもが、決して今時の若者の心に響くものでないことは、言った自分がよく承知していた。
(近いうちにまた来るよ)
赤く眼を腫らした金本に背を向けて病室を出たのは、単純に病院が設けている面会可能時間が終わろうとしていたからだ。結局、俺は他の誰でもなく俺との面会を希望してくれた金本の期待に、まるで応えてやることができなかった。それが俺自身の冷静な自己評価である。
(僕は金本さんのようになりたい)
俺の背中に届いた金本の悲壮感を帯びた言葉が、今も心に刺さっている。
何をした訳でもない。何ができた訳でもない。それでも何だかべっとりと重たい疲労が、背中や腰の辺りにへばり付いていた。
(土日の週末は比較的ひま)
帰路についた俺は、そんなミカの言葉をふと思い出し、少し遠回りをしてこのマッサージ店のドアを開いたのだ。3回目の来店ということになる。そして客の付いていなかったミカを指名し、現在に至るという訳である。
ミカの指が俺の背中を押し込む度、甘い痺れが背に発生する。前回も感じた事だが、とんでもなく高い技術のマッサージだと思う。正に職人技だ。そんなミカのマッサージに、俺はつい心を緩めてしまったのかも知れない。
「俺自身の問題ではないが・・・」
そんな前置きを付けて、今回の金本の一件を、意外と細かくまで話し初めてしまっていたのである。
「ふ~~ん、それはお疲れ様やったねぇ~」
気持ちが籠っているのかいないのか、イントネーションからはまるで推測できなかった。
そんな感じがミカの反応だった。その間も、高い技術のマッサージが止むことは無い。
(最近の若い社員は・・・)
ため息と共に思わず出そうになったその言葉を、俺は飲み込んだ。そう、そんな考え方がいけないのだ。
「私には会社勤めの経験はないけど、会社ってそんなに大事なのかな?」
この女は何を言っているのだ。会社勤めの経験のない只のマッサージ師の言葉に多くを期待すべくもないが、それでも(会社ってそんなに大事?)はないだろう。
大事に決まっている。そもそも会社が無くなれば、俺達サラリーマンは明日の飯を食っていくのにも困る。俺の胸に少しの苛立ちが生じた。
(お前なんかに会社員の何が分かる)
言葉にこそしなかったが、俺の思いは正にそれだった。言っても仕方のない相手だから言わなかっただけだ。
「会社ってそんなに大事?例えば、人よりも?」
なに?何だって?どきりとした俺を、ミカの次の言葉が追い打つ。
「会社が無くたって人は生きていける。私みたいに。でも人がいなければ、そもそも会社は成り立たないんじゃない」
うっ、その通りだ。一介のマッサージ師ごときに何が分かるかと言う幼稚な先入観が、俺の眼鏡を曇らせていたのだろう。さらにミカの言葉が続く。
「会社の存在価値とは、即ち世の中への貢献である・・・by前田〇子。映画の中で、前田〇子が言ってたよ。そんな風に・・・さすが組織のリーダーは違うよね。いや、リーダーは高橋ミナ〇だったかな」
違う。前田〇子の言葉じゃない。前田〇子が映画かドラマで、ある人物の言葉を引用しただけのことだ。まさか一介のマッサージ師の口から、経営学の神様の言葉を聞くことになろうとは。
「世の中・・・世の中って、つまり私達のことだよね。会社の存在価値とは、私達への貢献である。だったら会社のために人が駄目になるなんて、本末転倒ってことにならないかしら」
思わず俺は、体を起こしていた。そう、その通りであると思った。
「私は貴方のようになりたい・・・か。たった一度だけ、私もそんな事を人に言われたことがあるな。大昔の話だけどね。ある意味、その人のその言葉が、私の人生を変えちゃったかもね」
ミカの過去に何があったのか。そんな事、俺が知る由もない。それにしても・・・
ミカに対する興味を頭の片隅において、俺は次に金本に会う日、何を彼に伝えるべきかを考え始めていた。




