201x年の秋(3)
主人公の大友さん。既婚か独身か明記してませんでした。今のところ、それは本質じゃないし。さてどうしよう?Orcaさん、アドバイス下さい。
思いのほか金本の顔は元気そうだった。そのことが、多少の安堵を俺に与えたのは事実だ。しかし、決してそう楽観できる状況でもないらしい。
(今日は調子のいい日で、そうでない日はとても見ていられる状態じゃない)
それが、毎日面会に来ているという金本の彼女の説明だった。どうも“うつ病”とはそういうものであるらしい。俺とも会話の合間に、微かな笑顔を見せたりもする金本であるが、この彼女はそんな時も、全く固い表情を崩すことはない。ほとんど化粧もしていない朴訥とした面長な顔に、彼女のいま抱えている不安や疲れが、はっきりと表れている。
そんな彼女の体のことも心配であるが、それでも俺は訊かねばならない。金本が俺に何を期待し、他の何者でもなく、この俺との面談を希望したのかを。
その切り出しには、俺としては最大限の神経を使い、そしてタイミングを慎重に見計らっていた。
「大友さんは、すごいですね」
唐突と言えば、唐突な金本の言葉だった。俺が凄い?その意味が理解できない。昨年度の営業成績は、確かに部内でトップだったが、別に俺が凄い訳ではない。担当する業界の景気の動向や、顧客の設備投資のタイミング。法律改正も含めた世の中の動き。そんなのが複合的にいい方向に噛み合った結果であるだけだ。事実、今年の俺の成績は、まるで大したもんじゃない。
「俺なんて大したもんじゃない。今年の業績だって・・・」
「そんなことじゃあ、ないんです。いや、それもありますけど、何というか、その・・・」
今日俺はどんな言葉を金本に掛けてやるべきなのか、逆に何を言ってはいけないのか。そんな事前準備がまるで整わぬまま、自宅を出てきた。準備ができなかったというより準備のしようがなかったのだ。一方で金本の方も、特に何か俺に対する言葉や問いを用意していた訳でもないらしい。そのことが、少し俺には嬉しかった。
人が人に会いたがる。別段に理由はない。そんなのが本当の人と人の付き合いってものだろう。
慌てず焦らず、ゆっくりと正直な思いを言葉に変換してくればいい。いくらでも俺は待つ。
「すごく簡単に言えば、大友さんは、ちゃんと自分を持っているって思います。森課長に何を言われても、まるで態度と立ち位置がブレないって感じで。そこが凄いなぁって、ずっと思ってたんです」
自分を持っている?自分で自分のことを、そんな風に考えたことがない。金本がそんな風に考えるのは、単純に年齢と経験の問題だろう。若い者は、これから何者にも成り得る可能性を秘めている。俺くらいの年になると、未来の可能性が限られてくる。定年間際に、今の会社で部長くらいにはなるかも知れないが、さらに上に昇格することは無い。他の会社への出向なんてことも、多分ないだろう。
そんな風に自分が何者なのかの答えが、年を重ねる毎に限定されていき、それを受け入れ、客観視できるようになるだけだ。
さて、金本への返信はどうするべきなのか。
「繰り返すが、俺なんて大したもんじゃない。金本君も参加していただろう?上期のお疲れ会。その時の、俺と課長とのゴタゴタ。あんなもんだよ、俺の実力なんて」
そう、あれば10月上旬の金曜日。上期お疲れ会の名目のもと集まった飲み会の席で、課長の森と俺はやり合ったのだ。やり合ったと表現するのもどうだろう。単純に俺が酷く今の業績を責められただけだ。そしてあの夜、俺はマッサージ店に勤務するミカと会う事になるのだ。
「それでも森課長は、大友さんを転勤させたりできない」
それは・・・確かに俺の人事権は森が握っている。その気になれば、目の届かない他部署へ移動させることも可能だ。
「大友さんがいなくなると課長も困りますからね。替りが他にいないですから。それくらいはあの人も心得ている」
替りがいないのか、替る事を想定してないから、替りを考える必要がないのか。
それでも自尊も謙遜も無くして判断すると、俺が今いなくなれば、確かに森は困るだろう。部門長の立場として。まあ、多少は困って貰わないと、俺としても立つ瀬がない。
「僕なんて、まるで会社の役に立てていない」
はっとした。さっきまで時折笑顔さえ見せていた金本の表情に、生々しい苦悩が浮き上がっていたのだ。一体いつの間にと思える程の変わり様だ。20代半ばの若者が、(自分が会社の役に立っていない)なんて発想を持っていることも、俺には意外だった。もっとあっけらかんとした世代だと、勝手に思い込んでいたのだ。
(そんなことはないだろう)
そんな風な言葉を掛けてやるところなのかも知れないが、彼の仕事の内容もあまり知らない俺がそれを口にするのは、あまりにも安直に思えて、俺はその言葉を飲み込んだ。
「僕は・・・会社の役に立ちたいのに・・・それなのに・・・」
微笑が苦渋に変わり、そして若く熱い慟哭に至るまで、さほどの時間を要さなかった。




