Ⅰ.最悪の誕生日
「くそめ!」
何故、時間を巻き戻すことができないのだ! いつもいつも――。
2010年6月10日、初夏。バター色の日差しに遠火の直火で焼かれながら、闇雲に走っていた。今なら此方はトーストにされても吝かでない。
足が縺れ、次第にチマチョコリが着崩れていく。
ムシャクシャしていたのは会社を首になったからだけではない。昼間の加藤直美との言い争いが原因である。
遡ること数時間前――。発端は些細なことだった。
「なんで此方には手が2本しかないの⁉ 8本くらい付けて産めや、うちの母親め」
仕事最終日。会社のロッカーを空にして、作業着やら作業靴を移民バックに詰め込んだ。さらにおやつを包んだ風呂敷を持ち、北越山駅で切符を買う際に両手が荷物で塞がっていた此方は俄然、歯がゆさと苛立ちが頂点を超えて叫んだ。半ば独り言のつもりだった。いつも思う。2本じゃ足りないのだ! せめて鼻がにょきっと伸びてきて、パオーンとか物を掴めたら……!
『お母さんを悪く言うんじゃない。あなたを一生懸命産んだんだから』
ここで口を挟んだのが、駅まで付き添ってくれた加藤直美である。
彼女は此方の出産に立ち会ったとでも云うつもりか。何故『一生懸命』だなんて解る?
北越山にある食品工場『マロンクリイムデリカ』に入社してから、ろくなことがなかった。定期券を落としたり携帯電話を失くしたり、通勤時のトラブルに加え、社内では作業着を忘れたりロッカーの鍵を紛失したりと大ドジ祭りの連続だった。そんなだからいつも遅刻寸前に工場へ滑り込み、タイムカードは一分前に打刻、セーフ。
ほどなくして派遣元の営業マン、伊田徹夜氏から名目上の『退職届』を手渡される。
社内の女性陣は、此方をとかく辟易していたらしい。延いては通勤時の服装までとやかく云われる始末だったようだ。荷葉色と桃色を基調とした丹青なフュージョン韓服は此方のお気に入りなのに、どんなファッションセンスを持とうが個人の自由である。
出る杭は打たれるのが世の常だ。こと、日本人の集団は出る杭を打つのが大好きなのだ。朱に交わっても紅くならない此方は、格好の餌食だったことだろう。
唯一、見捨てずに側にいてくれたのが加藤直美ちゃんだった。
『女は子供を命がけで産むんだよ。我が子の命と引き換えに、亡くなってしまう人もいるからね』
誰が〝産んでくれ〟と頼みました?
『ここまであなたを大きくしたのはお母さんなの。男は種付けするだけで終わるけど、女は命がけで産んで育てるっていう宿命があるの。母親を大事にできない娘は、誰からも愛してもらえないからね❔ あなた女の子なんだから』
バカ野郎❗ 此方男だわっ。
電車には乗らず、直美ちゃんを置き去りにして元来た道を引き返した。
『愛ちゃ――』
直美ちゃんの声は秒で聞こえなくなった。
五里霧中で走り続け、いつしか森の中に入っていた。草木が足元に絡みつき、とうとう芝生の絨毯に倒れ込む。そのまま身体をくるりと半回転させれば、辺り一面に広がるエメラルドと青い空しか見えなかった。
いつもの住宅街ではない。北越山にこんなところがあったんだ……。
胸元にチクリと刺さっているのは、時を巻き戻せるはずの不思議な時計。人生に後悔なんかするものか! 普通の人間のままでなんていたくなくて、魔術社【アブラカタラーナ】で購入したものだった。未だ止まったまま針が動かない、ブローチ型の不良品を握りしめる。
6月10日。時の記念日。首死原愛時、どうやらこのまま24回目の誕生日を迎えるらしい――
実話(¬_¬)=3
実話なのかい┐('~`;)┌