09 名前?(・.・;)本姓?、字?、実名?
不定期掲載の第9弾。
GWに際しまして。
(*'ω'*)
今回は昔の人のお名前に
関する豆知識です。
「よう、五の字じゃねぇか。」
「おう平の字。久々だな。」
これ、江戸時代の庶民たちの
普通のご挨拶。('ω')
五右衛門さんと平治さんの
会話と思われますが…
[字]って何?(・.・;)
そもそも江戸時代の庶民の
多くは読み書きできない。
自分の名前を認識するのが
精一杯ってところ。
ってこたぁ文字ではないって
ことになるけど。。。
ということで今回のテーマは
名前のお話です。('ω')
というわけで[字]ですけど
その前に一つクイズ。
源朝臣惟任日向守十兵衛光秀
これ、おそらく知らない人は
いない歴史上の人物ですが…
誰の名前か分かります??
簡単ですね。('ω')
答えは明智光秀さんです。
でも…あれ?(・.・;)
明智って入ってないの?
ってか長すぎない?
どう呼んだらいいの??
ってなりますので解説。
まず…源。
これが本姓です。
本姓とは[本来の姓]
または[本来の氏]。
つまり本来はどの姓に
属するかを示すもの。
だから名乗るときは、
みなもと[の]って
つけるのが通例です。
('ω')
各家の宗家であった
源頼朝さんや平清盛さん
藤原道長さん橘諸兄さん
などみんな[の]をつけて
呼ばれてますよね。
ちなみに…ここで言う
明智さんは源氏の分家で
ある足利氏の分家である
土岐氏の分家である…
長山氏を挟むかどうかは
微妙だけどとにかく、、
源氏の分家で諸流です。
(・.・;)
戦国ごろの武家の多くは
こんな感じです。
どっかの本姓の諸流で、
治めている地名などを
名字に名乗ってたんです。
明智荘が所領だから明智。
足利荘が所領なら足利。
例外もありますがおよそ
そういうもんです。^_^
ちなみに後世まで
残った本姓は主には
[源][平][藤原][橘]の
四つくらい。
だから「源平籐橘」は
四姓と総称されます。
だからかな。(・.・;)
本姓が明確でない武家の
多くは手前勝手に本姓を
名乗ってたようです。
例えば織田信長は勝手に
平氏を名乗ってます。
豊臣氏も半農の出なのに
なぜか藤原氏の出自と
いうことになってます。
徳川氏なんてご先祖は
藤原氏なのに、勝手に
色々と書き換えて…
名門・足利源氏である
今川家に対抗するために
没落した得川氏という
新田家の庶流を取り込み
新田源氏になりました。
なお新田家は足利家とは
兄弟で分かれた家柄で
新田家が兄の家筋。。
有名な先祖は武者長官の
あの新田義貞。
だから足利とのケンカに
用いたってとこです。。
(;´∀`)
さておき、(`・ω・´)
話を戻しましょう。
次の[朝臣]ですが、
これは朝廷の臣のこと。
士族はその多くが朝臣を
称していたそうです。
特に戦国武将に限れば
朝臣以外は極めて少数派
だったと言えます。。
私が思いつく限りでは
伊予河野氏が宿禰だった
くらいでしょうか。。
さてその次…('ω')
[惟任]は朝廷から贈られた
姓だそうです。
天下統一の総仕上げとして
九州を制覇するために、
織田信長は九州の名族の
姓を重臣に与える動きを
していたようです。
その中の一つが惟任。
だから明智光秀は文書では
そう書かれるそうです。
日向守は官職名。
今でいえば宮崎県知事。
当時は勝手に官職を名乗る
武将も多かったそうですが
これは正式だそうです。。
とまぁここまでは現代で
言えば苗字と役職。
(・.・;)
庶民にそんなもん
ありませんから実は
[字]とは関係ないです。
(/・ω・)/
では姓名で言うとこの
名はどうかというと、、
十兵衛。('ω')
これが明智さんの
[主な]お名前です。
仮名と言います。
親しい人はだいたい
そう呼びます。
大河ドラマ主役だった
麒麟さんの回では
そうでしたよね。。
偉い大名であれそこは
変わりません。
官職で呼ばれることも
ありますがこれは
官職のない人は対象外
ってことになります。
また[明智]と名字で
呼ばれることもあります
が、これ、(・.・;)
原則当主に限ります。
( ゜Д゜)
一族士族の代表者しか
名字で呼ばれることは
原則ないんです。
だから例えば秀吉は
[羽柴殿][豊臣様]って
呼ばれますがそれは
当主だから。('ω')
弟の秀長は当主では
ないですからどんなに
偉くなっても名字では
呼ばれないんです。
だいたいが役職名か
[小一郎さん]です
名字で呼ばれたければ
分家するとかして新たな
氏族を名乗ればいい。
そういうものです。
最後に光秀ですが…
これは武士や貴族が
名乗る実名です。
特に武士の場合は
一族の[通し字]が
あります。
足利家の[義]、
徳川家の[家]、
などが有名でしょうか。
それに加え主君などの
烏帽子親から一字を
貰うことが多いです。
だから将軍家など
トップの人以外は、
烏帽子親から貰った
字を一文字目に、
通し字を二文字目に
するのが通例です。
例えば…毛利家の
通し字は「元」です。
('ω')
だから歴代当主は
親分格の大内氏から
一字をもらって…
大内義興から一字
もらって毛利興元。
大内義隆から一字
もらって毛利隆元。
大内氏が滅ぶと将軍
足利義輝から一字
もらって毛利輝元。
さらに幕府も滅ぶと
豊臣秀吉から一字
もらって毛利秀元。
ってな具合です。
(*'ω'*)
ちなみに毛利元就は
興元の弟なので、
兄から一字貰って
元就なのです。
まぁそれはそれで
いいのですが…
人を実名で呼ぶのは
ものすごく無礼なこと
だったそうです。
( ゜N゜;)
時代劇なんかでよく
[信長殿][家康]なんて
呼び合ってますがこれ
ありえないことです。。
( ゜Д゜)
主君が家来を呼ぶ際も
これは許されません。
(・.・;)
ハゲネズミやサルは
良くても[秀吉]はダメ。
キンカンは良くても
[光秀]は絶対ダメ。
いくら主君でもそんな
無礼なことしたら
謀反されちゃいます。
そんなもんです。
けどでは…(・.・;)
なぜ武将は普段は
呼ばれるはずのない
実名の方が有名なの
のでしょう??
その理由は…
署名や記録には実名が
使われるからです。
(´v`)
特に自署や自伝では
そうなるんです。
織田三郎信長の
[信長公記]なんか
モロですよね。。
でも一方で…(・c・;)
仮名の方が有名な
武将も居ます。
竹中半兵衛重治とか
黒田官兵衛孝高とか
山本勘助晴幸とか。
その理由は…
主君から仮名で
呼ばれることが多い
からです。
(;´∀`)
だって彼らの本質は
軍師ですから。
功を立てて働き、
実績を残す武将を
[支援]する役割が
強い立場ですから。
およそ軍師の実績は
主君の[一部分]と
して記される。。
そういうもんです。
(;´v`)
だってこれ…日本に
限ったことではない。
もっともっと昔の
中国でも同じ。。
だって日本でいう
ところの実名より
仮名が誰よりも
知られた中国人は…
軍師・諸葛亮孔明。
( ・`v・´)
ちなみに中国では
日本と順序が異なる。
日本流に言えば、
[諸葛]が姓で
[亮]が実名で
[孔明]が仮名。
主君の劉備玄徳に
仮名で呼ばれることが
多かったからです。
なお…劉備玄徳は
[劉]が姓で
[備]が実名で
[玄徳]が仮名です。
やはり主君は実名が
有名ですが…(・.・;)
中国では仮名なんて
言いません。
(/・ω・)/
玄徳も孔明も[字]…
[あざな]と言います。
親しい人から主に
呼ばれる名前は
あくまで[字]です。
(`・ω・´)
そして日本名でこの
字に該当するのが
仮名ということ。。
そして姓も官職も
実名もない庶民には
名前そのものが字
ってことになる。。
親しい人の名を
[字]をつけて呼ぶ。。
(*'ω'*)
言葉の汚い江戸庶民に
とってはこれ…
前世代有名人や、
上流武士階級に対する
憧れの表現だったの
かもしれませんね。。
名前って時代により変遷
するもんですから。('ω')
現代のように名字と名前が
一つずつの時代ってのもただ
一過性のモノかもしれません。
けど…だんだん日本語から
離れていくなぁ、
(;´∀`)
まぁ作者がそんなに
知識豊富じゃないから
しゃぁないんだけど、、