05 おでん、は京都生まれの関東炊き??
今回のテーマは少しだけ
日本語から離れます。
(=゜ω゜)ノ
歴史の流れもちょっとだけ
ってことで、、
さて突然ですが…
('ω')
【関東炊き】って食べ物…
知ってます??
おそらく昭和生まれの
関西人ならば知らない人は
いないでしょう。。
平成のはじめ頃までは
普通に学校給食とかで
出てましたから。
けど21世紀生まれや
関東より東の人には
ほとんど知られてない。。
なんで??(・o・)
答えは簡単。(^^)
今は関西でも関東炊きは
【おでん】と呼ばれるのが
一般的だから。。
最初から【おでん】以外の
呼び方をしない人には
なじみがなくて当然です。
けど…
そもそもおでんとは??
(;´・ω・)?
考えてみたらちょっと
変な名前ですよね。。
なんでその名前になった?
おでんデンデンデンデンな
武勇伝はあるの??
ってか関東炊きってことは
関東の炊き物なの??
というわけで……
(・o・)
今回のテーマはその
【おでん】です。
日本語関係ないじゃん、
って思われるかもですが
たぶん…大丈夫です。。
(`・ω・´)
まずそもそも、おでんは
いつ頃のどこが起源か、、
(・ω・)
韓国起源説を唱えてる
変な学者がいるそうですが
まったく関係ありません。
起源は日本の京都。
室町時代の初期頃と
言われています。。
そしてそのきっかけは、
日本人の生活習慣の変化
にあったそうです。
それより前、、
平安時代頃までは、
日本人の食事の回数は
一日2回が普通でした。
ご飯を3回食べないと
おなかがすくじゃないか。
(´+o+)
とはあまりならない。
なぜなら当時は今よりも
活動時間が短かいから。
そういう生活習慣だった
からだそうです。
では当時の日本人、(・o・)
全人口の8割ほどが農民
だった時代の生活リズムは
どういうものだったのか…
まず…日の出とともに起床。
٩( ''ω'' )و
そこから朝食の準備。
玄米を炊いたモノが中心。。
食事を終えたらゆっくりと
農作業に向かいます。
そして仕事を終えたら帰宅。
夕方になる前に夕食。
そして日の入りとともに
寝てしまうって感じでした。
だって夜は暗いじゃないか。
(/・ω・)/
つまり現代人とは違って、
1日12時間くらいしか活動
していない。(/・ω・)/
そりゃそれなら2食でも
大丈夫ってわけです。
けど…鎌倉時代頃から
庶民にも灯りが普及して
きたそうです。(^v^)
すると夜遅くまで起きて
活動するようになる。
ご飯を3回たべないと
おなかがすくじゃないか、
(´TnT)
となったわけです。
(;´∀`)
とはいえ当時の昼食はまだ
間食かオヤツの感覚。。
現代のガッツリランチとは
違って軽かったそうです。
そんな室町時代初期頃…
京の都で流行した昼食が
あったそうです。(・v・)
細い木棒に食材を刺し、
田畑の畦道でされていた
焚火で焙って食べる。
単純ですが温かい食事は
ありがたやってもの。
( ''ω'' )
そりゃ流行ったでしょう。
そして流行りがあると、
それを商売にしようって
者が出てくる。
当初は餅とか豆腐とか
単純な食材が中心だった
らしいんだけど、
競争相手が増えてくると
だんだんと複雑になる。
魚の練り物、こんにゃく
厚揚げなど多種多様。
(*´ω`)
現代のおでんのような
食材を何個も一本の
串に刺して売る。
これを火に焙って食べる
から様々は味が堪能できて
そりゃ美味いってわけ。。
ちなみにこの新商品…
【田楽】と呼ばれました。
('ω')
田楽とは田仕事の間の
楽しみってこと。
田楽踊りなんて現代でも
郷土芸能として残って
ますよね。。
ちなみにこの田楽、
味噌をつけて食べること
もあったとか、、
それが…今でも人気の
田楽味噌です。。
そりゃ…美味いです。。
そうなると…('v')
場所は京都ですから。
庶民の流行は試したい、
ってのが貴族の悪癖。。
(;´∀`)
けど貴族の人は安物を
嫌う悪癖もあるので……
[高級品]ってことに
しないとダメ。(ーcー;)
味噌汁なんか最初は
ご飯の付ものって意味で
【付】と呼ばれてたのに
献上するたびに丁寧に
御の字をつけてその、、
【御御御付】って
名前になったとか…
\(゜ロ\)(/ロ゜)/
まぁそういうわけで…
(/・ω・)/
田楽は【御田楽】って
名前に昇格しました。。
御が付くのは現代では
皇室御用達になった、
ってのと似た意味。。
それで庶民は田楽を、
【おでん】と呼ぶように
なったそうです。
٩( 'ω' )و
けど…ちょっと待て。
(=゜ω゜)ノ
おでんは関東炊きだぞ。
京都発祥の焙り物がなぜ
関東炊きになった??
実はそれ……
江戸時代が起源です。。
( ゜Д゜)
江戸時代にもなると、
一日3食は当たり前って
時代になりました。。
(/・ω・)/
昼食と夕食の間の八つ時…
今でいう午後3時頃に
オヤツを食べる習慣まで
できたそうです。。
(;´∀`)
ただそうなると…
昼食は現代とほぼ同じ、
ガッツリランチに
なりました。( ゜Д゜)
もう昼食は軽くない。
おでんの人気も衰退して
しまいました。。
(;´・ω・)
そんな頃に江戸では
空前のその、(/・ω・)/
屋台ブームが起きました。
一番人気は二八蕎麦とか
江戸前寿司だったけど、
新規事業者がマネをしても
なかなか成功しない。。
目新しいメニューはない
かいなというわけで…
おでんが試されました。
。(;´∀`)
けどこの時点のおでんは
火で焙るモノ、(・o・)
火鉢なんて人の手で
持ち歩いたら食材まで
運ぶ余裕はない。
(/・ω・)/
加えて注文を受けてから
焙るのはせっかちな
江戸っ子には合わない。
というわけで、、
焼いてダメなら炊いてみな。
となったとやら。^_^
串に刺した食材は
そのままに……
江戸に近い上総国の
野田の亀甲萬こと
お馴染みの醤油で炊く。。?
当時から開業していて
今でも人気の亀甲萬の
醤油が美味いという
色々な事情も重なって…
【醬油で炊いたおでん】
が出てきます。
(*´ω`)
これが…大人気。。
(・o・)
やがて蕎麦や寿司と並ぶ
人気屋台となって、、
しまいには串も取って
現代のおでん屋台ごとく
敷居をつけて食材を炊く
スタイルもできて…
現代のおでん屋台とほぼ
同じ形になりました。。
\( ^v^)/
…ただ…(´・ω・)
全国区の人気とまでは
いきませんでした。。
だって関西に屋台ブーム
なかったですから。。
それで関西より西では
炊いたおでんは知名度を
得られなかったです。
(´;ω;`)
けど江戸時代が終わり…
明治大正になると物流は
全国区になりました。
('ω')
醬油で炊いたおでんは
美味いから関西でだって
人気商品になります。
ただ……
おでんはダメ。
(・o・)
だって関西ではまだ
焙ったおでんが残って
いましたから。
同じ名前の商品はそりゃ
物流を混乱させる。。
だから関西以西では、
炊いたおでんの名前は
【関東炊き】って
なったんです。。
それで昭和中期までは
何も問題なく来た…
のですが、(・o・)
この流れを壊したのは
実は漫画の世界。。
チビ太のおでんです。
\(゜ロ\)(/ロ゜)/
ワシが連載している
某バレー小説の165㎝の
百地三太郎は無関係…
むろん赤塚不二夫先生の
チビ太のことです。。
このキャラクターが手に
持っていた食べ物が、
【おでん】という名前で
アニメ放送されたから…
昭和の子供たちもこれを
おでんと認識しました。
(・v・)
給食メニューでは
【関東炊き】として
出されても作者以降の
世代には【おでん】。
さらに時代は下り平成…
1993年(平成5年)には、
サークルKサンクスで、
【チビ太のおでん】が
発売されました。
(/・ω・)/
このあたりで関西でも
【関東炊き】に対して
【おでん】優位で決着が
ついてきます。(/v;\)
スーパーや学校給食でも
【おでん】という名前が
定着することになって…
サークルKがファミマに
吸収合併されると、
さらに力関係がそので…
今に至るというわけです。
(/;v;\)
そして令和になるともう
【関東炊き】という
言葉自体が死語になった
というとこですかね。。
(;´∀`)
こういうのも掲載します。
(;´∀`)
次回は…たぶん夏休みかな。
テーマも募集します。