10 敵に塩を送ったらどうなった?
不定期掲載GWの二回目。
(*'ω'*)
前回に引き続いて戦国時代が
ベースのお話です。
敵に塩を送る。
(`・ω・´)
誰もが知る有名な言葉。
苦境にある敵を助けるような
義に厚い言葉です。
かの上杉謙信が宿敵であるはずの
武田信玄に送ったのが語源です。
男の中の男の行為とも言われて
ますが実は…
そうでもないそうです。('ω')
軍神謙信公のファンには申し訳ない
けど……(;´・ω・)
今回は放置します。
私は人生の90%はふざけてますが、
悪質冗談は0%ですからこういう
のは切り捨てた上で続けます、、
(=゜ω゜)ノ
ではなぜ謙信が敵である信玄に
塩を送ったのか??(`・ω・´)
塩止めをされて塩が手に入らず
困っている敵を助けたのか?
その答えは、、
送ってなんかいません。
(*´▽`*)
そんなことする必要なかった。
というのが答えです。。
いきなりそんなこと言っても
わかりにくいので、
当時の状況を整理しましょう。
(*'ω'*)
問題の塩止めが行われたのは
1567年ごろ。
その少し前まで武田家は、
今川家、北条家と三国同盟を
結んでいました。('ω')
この同盟は強力。(`・v・´)
今川は三河から尾張を目指し、
北条は関東制覇に乗り出し、
甲斐武田は信州を制しました。
つまり現代で言えば三国で、
静岡・愛知(今川)、
神奈川・東京・埼玉(北条)
山梨・長野(武田)を制した
大同盟というワケですが、、
そんな同盟中の1560年。。
(・.・;)
桶狭間の合戦で名将、
今川義元が織田信長の手に
かかって討死にしました。。
するとこれを機に…
今川家は急速に没落。
\(゜ロ\)(/ロ゜)/
これ…武田家にしてみれば
絶好のチャンス。。
同盟を破棄さえすれば、
大国・駿河が手に入る。
そう考えて今川を裏切り
侵攻したのですが…(・.・;)
今川の当主、氏真だって
黙ってはいません。
( ゜Д゜)
同盟者で義父もである
北条の当主、北条氏康に
働きかけたんです。
[塩止をしよう]と、、
一方的に同盟を破棄した
信玄を憎く思っていた
氏康はこれを快諾。
武田領に塩を売ることを
禁止してしまいました。
これ…(・n・;)
武田にとっては一大事。
だって武田領は甲斐信濃。
現代で言うところの
山梨県と長野県。。
つまり…(・.・;)
海がない。。
( ゜Д゜)
塩は他国から買わないと
手に入らない。
塩がなければ人は死ぬ。
けどこれまでの購入元は
ほぼすべて太平洋側。。
つまり現代で言うとこの
静岡県の領主の今川と
神奈川東京埼玉の領主で
ある北条が協力すれば…
武田領内の人間は
みんな死んでしまうと
いうワケなんです。。
(*ノωノ)
そして…念には念。
武田と北に境界を接する
上杉家にも協力を依頼
することにしました。
上杉領は越後。
現代でいう新潟県。
日本海側からも塩が
手に入らないとなれば
武田は降参するしかない。
上杉は武田の敵だから、
この依頼に応じるだろうと
今川は踏んでましたが…
謙信は応じなかった。
(*'ω'*)
それだけのことです。
だってねぇ、(;´∀`)
塩止ってけっこう大変な
ことなのよ。。
商売人にすれば塩を高く
売れる内陸地に売れない
なんて大損だから。
武士にすれば塩だけを
取り締まるのは無理って
もんだから武田領との
商売自体を禁じることに
なるから。
そうなると…
当然ながら国は不景気に
なっちまうワケ。。
領主様は民の反感を買う
ことになるワケ。。
(;´∀`)
まして塩が止まれば
苦しむのは無辜の庶民。
武将として民を苦しめる
のは避けたいところ。。
となれば…(*'ω'*)
北条とも敵対している
上杉謙信にすれば、
そんな誘いに応じる必要
まるでなしってワケ。。
オマケに塩が高値で売れ
大儲けってワケ。。
ヾ(*´∀`と*)ノ
謙信にすれば塩止めに
応じないのは当たり前の
選択だったんです。
そしてその後、、
北から塩を手に入れて、
体制を立て直した武田は
三河の徳川と組んで、
今川家を滅ぼしました。
(*'ω'*)
塩止めの影響で今川領は
不景気になってた煽りも
あったのかもです。
民と家来に見捨てられた
今川はほんとアッサリ
やられちまいました。。
(*´Д`)
史実として滅亡したのは
塩止めから2年くらいの
1569年のことです。。
(・∀・)
さておき…
そしてさらにその後世に
裏切りとか色々あって…
(・.・;)
1582年に武田家は
織田徳川軍に滅ぼされ…
さらに同年の本能寺の変
の後のドサクサで、
武田領だった甲斐信濃は
徳川領になりました。
しかし…それも束の間。
(/・ω・)/
本能寺の変の後に徳川が
ドサクサしてる間に都では、
織田信長の家臣だった
豊臣秀吉が天下人ってこと
になっていました。。
そんな秀吉が1590年に
北条家を滅ぼすと、
徳川は北条領だった
関東に移されます。。
現代はともかく当時の
関東はってぇと…
草ぼうぼうのド田舎。
(/・ω・)/
家康入場後しばらくは
土木工事万歳えぃこーら、
ってなったわけです。
そこで活躍したのが
徳川が連れてきた
甲斐信濃の工員たち。
(*'ω'*)
なにせ甲州金山とかの
金堀職人がいたから。
土木工事や水道工事には
長けてたらしいんです。
(*´▽`*)
そして肉体労働をすれば
たくさん汗が出る。
汗が出れば塩気が要る。
まして彼らは武田領出身。
(´゜д゜`)
塩止めをされた経験者、、
塩が手に入らないことを
どこの誰よりも恐れていて
当然なんです。
だから彼らは普段の食事…
特に味噌や醤油は普通より
多くの塩を含ませたモノを
好んだそうです。
(*'ω'*)
関東の辛ぇ濃い口醤油。
敵に塩を送るったことに
起源があったんですね。。
さすがに上杉謙信は
関東管領だけのことは
あります。(*'ω'*)
最後はちょっとだけ駄洒落。
(;´∀`)
けどこういう成り立ちも
あるんですね。。
ただちょっとネタ切れ気味。
次回はいつになるか不明。
取り上げて欲しいネタとか
あれば受け付けますよ。
(*'ω'*)




