仮初めの誓い
従者たちに下がるよう言いながら、義姉イザベルも一緒に席を外す。
いよいよ本題。自分たちで決断しろという合図だ。
この先は、遠目で見守るうちの執事たちを欺く演技力が必要とされる。
人生を決める重大な決断の割に、一時間も猶予はないがな。
「まずは、メグの話から聞こうか」
一同着席して紅茶で喉を潤し、人払いが済んだことを確認してからメグに再び話を向ける。
すると、彼女が珍しく言葉を選ぶようにしながら口を開けた。
「レギアス。貴方、この結婚をどう思う?」
「どうって?」
「…………不快に思ってないかってことよ」
「ああ。親たちの段取りが強引なのは正直不快だね。僕だって当事者なのに、今日の今日まで話が進んでいることを知らなかったんだからな。メグたちはいつ今回のことを聞いたんだ?」
「二か月前。貴方がネックビリアス侯爵領を引き継ぐっていう話と一緒に聞いたわ」
皆で頷き合っている。
そんなに前か。随分と、うちの母に信頼されているじゃないか。
俺が結婚相手を探せと言われ青くなっている裏で、とっくに決着していたとは。
まったく馬鹿馬鹿しいったらない。
お陰でかかなくていい恥をかき、今日またそれを上乗せする訳だ。
「強引に話が進むということは、それだけ状況が良くないってことでもあるから、誰を責めるつもりもないけどさ。自分の結婚が軽く扱われて面白いはずがないよ。もちろん、君たちもだろうけど」
援助を受ける形になる彼女たちが、その通り不愉快だと同意できないだろうが、基本的に気持ちは同じはずだ。
一族のために、家の方針だから、この場所にいる。
「今の状況が良くないっていうのは、きっと貴方が想像する以上なのよ。どうにもならないほど追い詰められていなければ、九人もまとめて貴方のものにならないわ」
「だろうね」
「私たちを身代わりにして、それぞれの家に支援金が支払われるの。期日を繰り上げて、お茶会を今日にして貰ったのは私たちの勝手な都合。本当にごめんなさい」
「事実を知るのが早まったんだし、支援金とやらを用意しているのも僕じゃない。何も問題ないさ」
うちの損得勘定を考えて、母たちが勝手に動いたことだ。裏側でどう取引が進んでいても知ったことではない。
問題は、辻褄合わせを子供世代に丸投げしている点。
九人のうち、妃になるのは「誰でもいい」と本気で思っているところだ。
俺は誰でもいいとは微塵も思っていない。
「レギアス。貴方は、この結婚をどうしたいの?」
こうやって、メグの表情が曇るような結婚にだけはしたくないというのが本心だ。席をゆっくり立ち、執事たちが遠く視界に入ることを確認しながら考え、答えを出す。
「思惑通りに踊らされるのはイヤだな。この場で一人選べというのが、まず気に入らない」
「……」
「君たちに従者をやらせるのも反対だ。もうすでに美しく磨きあがっているのに、表舞台から遠ざけるなんて無粋な真似はできない。ネックビリアス領に王族や名家が外遊にくることも当然ある。その時に君たちが従者の立場にあれば、何の発言権もなく、言われたい放題の屈辱を味わうことになるだろう? それは絶対に避けるべきだ」
「――――ありがとうございます。閣下」
白のイレーヌ嬢が立ち上がり、ゆったりと最敬礼をする。
表情からこわばりが取れ、意志の強そうな瞳に見つめられると、そのまま射貫かれてしまいそうだ。
思っていた通り、彼女がこの集団をまとめる要。全権責任者といったところか。
他の八人も立ち上がり、後に続いて頭を垂れる。
つまみ上げた純白のスカートを戻すと、彼女が続けて言った。
「私どもの立場からこれ以上の処遇を望むのは、とても厚かましいお願いになりますが、もし閣下のお気持ちに変わりがなければ、私たち九人とも、等しく妃に迎え入れて頂けませんか?」
彼女たちに戻る場所は既にない。
今後とも支援を送るという「生きた約束手形」としてのみ、存続を許されている。
ならば最初から選択肢は一つ。
「国王陛下でも三人のお妃様しかいらっしゃらないのに、自分が皆さん全員を受け入れて問題にならないでしょうか?」
「問題ありませんわ。私ども、閣下の人となりをマーガレットから伺っておりますもの」
「それは、どんな?」
「とても誠実で優しい方で、国王陛下よりも女性を見る目がいやらしいから、きっと…………大丈夫って」
うふふ。と彼女が笑い、周囲もまた続いているが、これは女性としてかなり大胆な言い回しだ。
大丈夫の前には「夜も」「何人の妃でも」という言葉が省略されている。
そちらの意味まで辿り着けなかった者は軽い冗談としてクスクス笑い、辿り着けた者は耳まで赤くなっているので分かりやすい。
昼間から際どい言葉を投げるイレーヌには焦らせられたが、これも一つはっきりさせておかなければならないことだ。
九人を従者でなく妃としたら、飾りとして置くのは許されず、世継ぎを沢山増やして彼女たちの実家の跡取りまで確保しなくてはならない。
特に一人娘のシフォナやメグの場合は、家からそういう使命も受けていることだろう。
結婚を決めて「はいおしまい」ではないと、早速釘を刺されたことになる。
恐らく、イレーヌが考えていた今日の勝利条件は、可能な限りの人数を妃としてねじ込むこと。
そして形だけの妃として冷遇されないよう、多少の無理をしてでも俺に「女」として意識させることだ。
重責に堪えながら言葉を発しているのが、白くなるほど握りしめられ、小刻みに震えている拳に表れている。
『高濃度魔素を吸収してよろしいですか?』
いや、今忙しいから。
痺れを切らした魔道石板が再び騒ぎ出した。「いいえ」を選択して、もう一度黙らせる。
このあといつでも鉱石の話を聞く機会はあるのだから待って欲しい。
「執事達も見ていますので、これから順番に求婚の形を取らせてください」
「私ども、幼い頃からずっと憧れていましたのに形だけですか? それに順番をどうするか、よくよく考えてくださいまして?」
時間の制約もあるので、適当な芝居で乗り切ろうと思ったら、イレーヌから待ったがかかった。
「皆に向かって、一度だけ愛を誓ってくだされば十分です。古代世界の言葉で素敵な誓約の仕方があるのでしょう? マーガレットから何度も伺っていますわ」
「あれは古代神の結婚式で使うものです、求婚の場には相応しくありません」
「私ども、駆け落ちなのですから結婚式は挙げられないではないですか。是非、ここで。お願いいたします、閣下」
そう言われると断る訳にもいかない。
魔道石板を黙らせながら文言を確認し、九人の婚約者に対面して跪く。
彼女たちもそれにならった。
古代神がこの世界までおられるとは思えないが、こういうものは気持ちが一番大事だ。
その意味で、この誓約文は俺の心情に最も近い。
「私、レギアベスタ・プルイーナ・ネックビリアスは、イレーヌ・プルイーナ・ジョーヌシトロン、メリアンヌ・エカテリーナ・ジョーヌシトロン、マリア・グレイシア=マカライト、マミナ・グレイシア=ライラクス、キュミ・グレイシア=タンジェール、ファーネス・オディエット・ラッカウェア、モルトカリナ・オディエット・ジルバーン、シフォナ・エカテリーナ・サイアン、マーガレット・ファルコニエーリ・ヴァンルージュと結婚し、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、死がふたりを分かつまで真心を尽くすことをここに誓います」
途中から誓いの声が重なったのは、メグが文言を周知していたのかも知れない。
名前がやたらと多い以外は普遍的な誓約文を口上し、結婚の誓約を行った。
顔を上げると九人の妃たちの目には、じわりと涙が浮かんでいる。
全てが喜びであるはずもない。
安堵感、屈辱感、不安感。
きっと複雑な成分でできている雫だろうと思う。
こんな庭の一角で、略式にも程がある内容だが、彼女たちの目的がひとまず達せられたなら、俺としては幸いだ。遠くの執事や侍女達が、ハンカチをもって介添えしようとしているが、軽く手を上げてこれを制した。
「ありがとうございました、閣下。私どももレギアス様とお呼びして宜しいですか?」
「もちろんだ」
「形だけでなく本当の夫婦になれるよう、貴方を深く愛し、助けられるよう努力して参ります。ずっとおそばに置いて下さいませ」
彼女たちに笑顔が戻ったところで、これからのことに思いを馳せる。
妃を娶ったので、ネックビリアスに帰還する――そう執事達の前で宣言した後、いつでも出せるよう準備してある馬車三台に分乗し船着き場へ移動。
既に到着しているバロー達同行組の従者と合流し、乗船後はすぐに出航。明後日の朝には迎え入れ準備の整った城に入る算段だ。
事後処理も含めると、頭痛がしてくるほど忙しい。
「そういえば、誓いのキスは?」
メグがまた余計なことを言い出した。その習慣があるのは古代世界だけだと教えたのに。
こればかりは同時に行えず、再び順番問題が再燃するのでわざと省略した流れなのに、昔教えた段取りをしっかりと覚えていたようだ。
誰が第一夫人になるのか含めて、そっと棚上げした問題を引っ張り出しやがって。
おかげで九人の妃が再びざわつく事態となった。
『高濃度魔素を吸収してよろしいですか?』
だから、うるさいって!
しかし、そう毒つきながら触れた場所には、いつもと違う「はい」という文言が。
空腹に耐えかねた魔道石板が「はい」と「いいえ」の位置を左右入れ替えやがった。
おいこら、これはずるいだろうっ!!
「きゃあっ!!」
「いやん!」
「あんっ!」
「ふわぁ!」
「ひゃんっ!」
色々な声が聞こえながら、起こっていることは同じ。
胸元とスカートに縫い込んでいた光る鉱石が周囲の布を巻き込んで消えたため、押さえ込んでいた胸がばつんと弾けだし、白い脚も深くまで大きくはだけたのだ。
あまりの事態に目が追いきれない。
胸をかき抱き、しゃがみ込む九人を見て、侍女たちが慌てて飛び出してくる。
とんでもない瞬間を目撃されてしまったようだ。
俺が何かしたと……絶対に思われてるだろうなあ。