九人の妃候補
魔道石板の存在について、家族も使用人も知っているが、実際にその力を見たものは俺一人だけだ。
前の持ち主から譲り受けた時に登録された人間にしか操れず、石板の持つ知識や力に触れられることはない。
そのせいか、時折石板の知識を話題にしても、誰も興味を示さない。
それどころか、見えないものは、存在しないのと同じだと言い返される始末だ。
だが、それは違う。
目に見えずとも、確かに存在するものは多数あるのだ。
我々が無知なだけで、世界に隠されている神秘の法則は、黙ってこちらを見つめている。
手元の石板から得た情報では、この世界は何度も作り変えられてきたもので、魔道石板が出来てから既に二度の再構築があったという。
魔道を中心として栄えた世界。
科学を中心として栄えた世界。
同じものに別の名前を付けただけの、似たような世界が終わるのを二つ乗り越えて、俺の手元にまでやってきた――。
――そう魔道石板が自己紹介してくれたものだ。
二つの世界の古代文字を習得した今となっては、これを馬鹿馬鹿しい『おとぎ話』だと突き放す気にはならないでいる。
魔道石板が休眠に入る前。
最後に見せてくれた、二つの世界が一番豊かだったころの映像は、とても作り物だとは思えないもので、記録されていた二つの「星の終わり」もまた、美しく壮絶なものだった。
星の死骸が再び集まって、新しい星々が生まれてくるという話は、神殿で聞かされる創世記よりもずっと鮮明に頭に入ってきた。
その魔道石板の言葉を信じるなら、星が爆発して死ぬ瞬間に僅かに作られる高濃度魔素――二つ目の世界では「放射性物質」と呼ばれていたそれを手に入れることで、莫大な富を得ることも、再び星を殺すことさえも出来るという。
そんな危険物の塊が、俺の目の前に九つ。いや九人並んでいる。
これはどうしたものだろうか。
「閣下。そんなに見つめられると……恥ずかしいです」
「これは失礼」
茶会に合流し、簡単な挨拶をして早々、胸元を飾る大きな宝石に視線を奪われたのだが、高濃度魔素が出現する場所が悪いのだ。
魔道石板が物欲しげに矢印をツンツンと向けるし、夜会で見るような大きく胸元のあいたドレスに囲まれれば、どんな男でも自然と目が追ってしまうに違いない。
しかし、間が悪いな。
これでは胸の谷間に目移りしているように見えてしまうではないか。
否定はできないが。
「レギアス。一人ずつ紹介させて頂いても宜しい?」
「お願いします」
呆れたと顔に大きく書いてある義姉が、白を基調としたドレスを纏った女性の背を押し、近くに連れてくる。
彼女は極度に緊張しているのか、表情が固く少し青ざめているようにも見えた。
「初めてお目にかかります、ネックビリアス侯爵閣下。私は、イレーヌ・プルイーナ・ジョーヌシトロンと申します」
「お父様がジョーヌシトロン侯爵閣下、本家筋のご長女よ」
「初めまして、イレーヌ様。僕も洗礼でプルイーナと名前を頂いているのです。一緒ですね」
「はい。良く存じ上げております。これから宜しくお願いいたします」
一年前の王子の件で降爵にはならなかったものの、領地の一部を没収されたのがジョーヌシトロン侯爵家だ。
名誉が守られたとする見方もあるが、負担する義務が変わらないのに収入を減らされるとなると、真綿で首を絞められるように苦しい状況が長く続くことになる。
王妃もえげつないことをするものだ。
本来、婿養子を取って家を継ぐ立場にある彼女が、九人の中に含まれること自体が驚きだが、火中の栗を拾おうなどという人物を、王妃の怒りが覚めるまで待ってもいられないということだろうか。
俺にはネックビリアスを継ぐという使命があり、そもそも養子に行くという選択肢がなかったから、王子事件でもなければこうやって結婚対象として出会うこともなかっただろう。
同い年の十七歳ということで、歳周りからすると王子や兄の世代が妃に据えるのが王都では一般的だ。実際、義姉と一つしか変わらない。それもあって交友関係もあったのだろうか。
言葉を交わし笑顔が戻ってくるにつれ、本来はとても可愛らしい人なのだと分かってきたが。
彼女が妃? いや、ここにいる誰もが妃候補だと聞いたところでピンとこない。
お互い婚約者ができる年齢としてはおかしくないが、実際に夫婦になるのは数年先でいいものを。
まったく。母たちは急ぎすぎなのだ。
「初めてお目にかかります、ネックビリアス侯爵閣下。メリアンヌ・エカテリーナ・ジョーヌシトロンと申します。以後お見知りおきを」
レモンのように鮮やかな黄色のドレスを纏っているのは、イレーヌの従妹に当たる子爵令嬢。
この二人までが同い年で、あとの七人は一つ年下の十六歳。今年成人したばかりということになる。
「先ほどは不躾にお姿を見てしまい、申し訳ありませんでした。とてもお綺麗でしたし、その珍しい石に少し興味があったもので」
たまたま近くにいて一番恥ずかしがっていたのは彼女だ。ここは早いうちに詫びておこう。
その会話を聞いた魔道石板が思い出したように表示を繰り返し始める。
『高濃度魔素を吸収してよろしいですか?』
だから「いいえ」だっつの。
すると、メリアンヌ嬢は悪戯っぽい表情を作りながら胸元の石について説明してくれた。
曰く、夜になるとぼんやり光る石が領地の鉱山で見つかって、その献上品を今回揃って身に着けてきたとのこと。
昼間は薄黄色に見えるこの石は、暗くなると黄緑色に妖しく光るという。
放射性物質として分類されていたものの原石で、そういう性質のものがあったかも知れない。
「お気に召して頂けたのであれば幸いです。皆、このスカート部分にも細かく縫い付けておりますので、夜になれば目印に――」
予定外の事まで口が滑ったのか、耳まで朱色に染まりながら順番を代わるメリアンヌ嬢だった。
「マリア・グレイシア=マカライトでございます」
「マミナ・グレイシア=ライラクスでございます」
「キュミ・グレイシア=タンジェールでございます」
「彼女たちは三つ子よ。珍しいでしょう?」
髪型を変えているせいか、瓜二つという印象ではない。
しかし、ドレスの色など手がかりがなければ自信がないくらいには似ている美少女三姉妹だ。
マリアは緑、マミナは藤色、キュミは橙色と覚えれば、当面は乗り切れるだろうか。
成人の折、神託によって授けられる「運命色」は、こうした公式ドレスでなくても何らかの形で身に着けるものなので、装飾品などで手がかりを探せばどうにかなるだろう。
家名の方はあまり聞いたことがないと思っていたら、名門グレイシア家の血筋から分かれ、三つの子爵家にそれぞれ引き取られたのだという。
何故の部分はあまり話したくない種類の事情らしいので、こちらから聞き出す必要もないだろう。
三人が洗礼名を持たない理由も、数分間の話題としてはふさわしくない。
彼女たちは順番を待つ間も目くばせしながらじゃれあっており、とても仲の良い姉妹だと一目で分かる。そして、緊張とは無縁の無邪気な振る舞いは、見ていて微笑ましいものだ。
三人の中から妃を選んだとしたら、姉妹の間に主従関係を持ち込むことにもなり、とてもこの笑顔の前では言い出せそうにない。
「ファーネス・オディエット・ラッカウェアでございます」
「モルトカリナ・オディエット・ジルバーンでございます」
漆黒と白銀のドレス。二人そろって紹介されたが、こちらは姉妹という訳ではないそうだ。
着こなしが難しい運命色を教会から授かっているのに、こんなに颯爽とした印象を受けるのはこれが初めてかも知れない。
何かと戦っているかのように気合が入った視線で見つめ返している。
下手な言葉を投げれば斬り返されそうだ。
「その運命色を着こなしている女性に初めて会いました。とても素敵ですね」
二人は顔を見合わせて相好を崩す。とても優しい笑顔を隠しきれない姿は年相応の、可愛い妹のようだ。
【漆黒】のファーネス。【白銀】のモルトカリナ。
実際は縁もゆかりもない子爵令嬢同士だが、姉妹だと言われても驚かない絶妙の組み合わせだった。
このうちどちらを選ぶかというのも相当な難題だ。
「シフォナ…………シフォナ・エカテリーナ・サイアン……でございます」
「シフォナ様。お加減如何ですか?」
「もう落ち着きましたわ。ご配慮ありがとう存じます」
消え入るような声で名乗るのは前将軍の一人娘で、王子事件で一番の被害を被った旧サイアン侯爵家の少女だ。
お噂はかねがねと口を滑らせそうになるくらい、この一年で有名になってしまった。
彼女に責められる行動があったとすれば、王子の前でその歌声を披露し、武運長久を祈ったこと。要するに、王子に見初められただけで暴走の責任を被せられた、完全なる被害者なのである。
ひときわ華奢な体つきに藍色のドレスがとてもよく似合っており、物憂げな表情が更に庇護欲をかき立てる。
もっとも、このような渦中に巻き込まれていなかったら別の顔を見せていたのかも知れないが。
今も、悪夢が早く覚めてほしいといった雰囲気を全身から発している。
何事もなければ将来は王妃だったに違いない人であり、今となっては結婚に一番覚悟がいる女性でもある。彼女を王都の外で保護することは、母たちが考える中でも優先課題だろう。
「私は――」
「ああ、メグか。何故君がここにいる」
「レギアスが領主になるってお話だったから、約束通り来てあげたのよ!」
「それはそれはありがとうございます。マーガレット・ファルコニエーリ・ヴァンルージュ様」
「自己紹介くらいキチンとさせなさいよ!」
テラスが一時、笑いに包まれた。
彼女の授かった運命色とはいえ、真紅のドレスに袖を通す強心臓は見習わなければならない。
そして王妃を相手にしても怯まずに「誰にも落ち度などない」と主張できる、くそ度胸。娘がそんな発言をしてヴァンルージュ家に類が及んでも、それを良しとする両親。
誰もが彼女を愛称で呼び、マーガレットという名前を忘れそうになる程、周囲に愛されている。
こいつと一緒になる未来だけは極力想像しないようにしていたのだが。
ここに選抜されて、同じように高濃度魔素で飾っているということは、他の八人とも旧知の仲ということか。
俺でも知らない一面があるようだ。
「それで。何しに来たんだメグ」
「人払いしてくれたら話すわ」