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モフデレシリーズ

愛されることなく捨てられた王女は、子犬殿下と仲睦まじくなりました

作者: りすこ

 

 私、ペネロペ・プロスタコフは今日、蛮族の花嫁となる。


 その蛮族がいる地域は、三十年前まで、私の国が支配していたものだ。

 蛮族は人とは違って、獣に近い容姿をしている。

 彼らを化け物と虐げ、尊厳を奪い、私の国は彼らに酷い仕打ちをしてきた。

 その結果、蛮族は私の国から解放を求めて、立ち上がった。

 長い攻防の末、蛮族は私の国から独立。一つの国となった。

 しかし、蛮族は私の国がしたことを忘れていなかったのだろう。周辺国と手を組みだし、着々と力をつけてきた。


 一触即発の事態を防ぐため、友好の証として王女である私と蛮族の王子との政略的な結婚が成立した。


 でも、この結婚は、蛮族を騙すための策略だ。

 私の父はどうでもよい娘を蛮族に与え、彼らを油断させるつもり。

 隙を見て、蛮族の国に攻め込み、また支配下に置こうと機会を窺っている。

 両親は私の身に何が起きようと構わないのだ。

 それは、ずっと前から分かっていたことだった。


 私は両親に名前を呼ばれたことすらない。

 母はひどい癇癪もちで、気に入らないことがあると、すぐ部屋の調度品を割ったりして暴れる。

 彼女にとって私は、子供ではなく不満のはけ口だった。

 父は自分の意見に背くものには容赦がない。

 その場ですぐ、家族ごと監獄行きにしてしまう。

 王太子の兄も同じようなもの。

 義姉となった令嬢と一緒になって、権力という名の暴力をふりかざしている。


 彼らを諌める人は、次々に居なくなってしまった。

 城には、誰も何も言わない人だけが残り、私もその一人。

 暴言しか言わない家族の前に立つと、言葉は溶けて消えてしまう。しゃべれなくなる。

 父や兄のような大柄の男の人を見てもダメだ。


「生き残りたけば、蛮族にせいぜい媚びを売るんだな。お前はこの日の為に生かしてやったんだ」


 嘲笑う父の顔を見ても、私は反論することもできなかった。



 輿入れのための煌びやかなドレスに袖を通し、ぼんやりとした頭で馬車に乗る。

 国入りまでの付き添いの護衛と侍女は人形のように感情もなく、いななく声と車輪の音だけが馬車の中で響いていた。

 これから、どうなるのだろう。

 そんな不安も感じることもなく、私の心は冷えきっていた。何も考えられない。

 荷物のように揺られ、長い旅路を行く。


 蛮族の国に着くと、馬車の扉が開かれ、隣に座っていた侍女に突き飛ばされた。

 捨てられたゴミのように、私は馬車から転がり落ちる。

 不意に落とされたせいで、手を地面に突いてしまった。膝もだ。

 ドレスの袖もスカートも汚れてしまい、呆然としている間に、馬車はさっさと走り出してしまった。


 これが、王女の婚姻。

 身一つで捨てられたようなものだし、蛮族から見たら挑発的な行為だ。

 こんな王女でよければ、くれてやる。

 彼らを格下に見て、嘲笑う父の声が聞こえるかのよう。


 本当に、私はどうでもいい娘なのね。

 分かっていたことなのに、凍りついた胸の奥が軋む。

 暗澹とした気持ちを振り払い、汚れたドレスの裾をさばき、前を向く。

 そこで初めて、蛮族の人々の姿を見た。

 彼らを見て、心臓が止まるかと思った。

 体の内側から心臓の音が大きくなるのを感じる。

 この興奮は、苦痛しかなかった王宮生活での唯一の安らぎと同じものだ。


「かの国の王女だ……」と、呟く人々の瞳は憎悪に満ちている。

 歓迎されていないとは分かっていたけど、モフモフとした耳や、つるんとしたヘビのような皮膚を見て、私は歓喜にわなないた。


 可愛い!

 動物さんや、爬虫類さんがしゃべっているわ!


 なんという光景だろう。

 好きなものが二足歩行で、会話をしている。

 夢みたいな光景だった。



 私は人は苦手だけど生き物は好きだ。

 それはひとえに、魔女、変人と言われて離宮に追いやられた叔母の影響によるもの。

 叔母は生き物をとても愛していた。

「ヘビちゃん! 今日も可愛いわね。リボンをつけましょ! あら、このリボン嫌い? 違うの持ってくるわね!」と、ニコニコして言ったり、「いやぁぁぁ!ダンゴムシちゃん! 元気になってぇぇぇ! 」と、大騒ぎする人。


 くるくる変わる叔母の表情に何度も笑ってしまい、私もすっかり生き物が好きになった。


 厳しさしかなかった教育の隙間時間に、彼女に会いに行くのが唯一の楽しみ。

 叔母は私に草花や、虫、動物たちに歌で対話することを教えてくれた。


「生きているものはみんな尊いの!」と言う叔母の笑顔は眩しくて、私もその中にいることが安らぎであり、救いだった。


 叔母とはお別れを言う暇もなくここに来たから、目の前の方々を見ていると、心が慰められた。



 国入りして息付く間もなく、私は蛮族の王に謁見することになった。

 汚れたドレスはヘビ頭の侍女に着替えさせられた。

 彼女の私を見る三白眼の瞳は、憎々しげだったけど、しゅるっと出る舌が可愛い。

 惚けたまま護衛に連れられて、城内を歩いていく。


 両隣にいる護衛は、硬そうな皮膚の方々だ。

 前に出た細長い頭に、体に似合わない小さな黒い目。センザンコウに似ている。

 背が高いのに、目が可愛いおかげか怖くはない。

 不思議な気持ちのまま、扉の前に立たされる。

 この先が陛下に謁見の間である。


 扉の前にいたオオカミみたいな獣人が、すっと私の前に立つ。


「陛下の御前に立つ前に、こちらをお飲みください」


 トレイの上に置かれた杯を差し出された。

 これは何だろう。

 透明な液体が入っているわ。

 尋ねたかったのに、大柄の彼を前にして口が動いてくれない。


 威圧感のある眼差しに怖気て、私は杯を手に取り飲み干した。

 苦い味わいだけど、水みたいにすぅと喉を通っていく。

 飲みきると、体が熱くなる。フワフワしてきた。

 ぼうとしたまま、杯をトレイに戻す。


 オオカミの獣人は私に一礼して、下がっていった。

 扉が開かれ、陛下の姿が見える。

 陛下は立派な鬣のある方だった。

 大柄で威圧感のある眼差しは、父に似ていたけど、丸い耳が可愛らしくて、怖いとは思わない。

 腰を落として礼をすると、陛下の声が部屋に響いた。


「ペネロペ王女よ。我が同胞として、そなたを歓迎する」


 名前を呼ばれて、びっくりした。

 叔母以外で、私の名前を呼ぶ人がいるなんて。

 陛下の眼差しは厳しくもあたたかい。


 そんな目で見られたら、どうしていいのか分からなくなる。

 嬉しくてムズムズしてしまい、私は俯いたまま、淑やかに礼を返した。

 無言の一時だったけど、つつがなく陛下にご挨拶できたのにほっとして、旦那様となるシェパード殿下と対面することになった。


 殿下は、とても、とても可愛いかった。



 私より一歳年上の十九と聞いていたけど、背は低く、人の子供に耳としっぽをつけたような容姿をしている。

 柔らかそうな白い毛並みの垂れ耳が警戒するようにぴくんぴくんと動いていて、大きな黒い瞳は私を睨んでいた。

 子犬みたいな姿だ。可愛い。


 まあ、と声を出すのを必死でおさえて、唇を引き結んでいると、殿下は腕組みをしたまま口を開いた。

 鋭く尖った犬歯が見える。可愛い。


「君との婚姻は、我が国を欺くためのもの。父上は君を歓迎すると言うが、俺は騙されない。俺が君を愛することは決してない」


 可愛い声。少年みたいだわ。

 にこにことしていると殿下の耳が忙しくなく動き出した。


「……話を聞いているのか?」

「はい。聞いております」

「……ではなぜ、笑顔なんだ」


 警戒されているのに、すっかり舞い上がった私は本音を口にしてしまった。


「殿下の仰る通り、私はこの国を油断させる為に嫁がされました。父はこの国の征服を諦めておりません」


 きっぱりと言ってしまうと、殿下の黒い目が大きく開いた。動揺しているのか、小ぶりな鼻がヒクヒク動いている。可愛い。

 こんな可愛らしい殿下がいる国に攻め込むなんて。我が父とはいえ、気持ちが分からないわ。

 とは言っても、殿下から見たら、私も父と一緒の人間なのでしょうね。残念だけれど。


「我が国のしたことを考えれば、殿下が私を嫌いになるのも当然ですわ」

「……ならなぜ。笑っていられるのだ。俺が君の立場なら、そんな風には笑えない」


 だって、可愛いから。

 なんて言えるはずもなく、曖昧に笑った。


「愛されないのは、慣れておりますので」

「……慣れている? どういうことだ」


 殿下の瞳孔が細くなり、部屋の空気がピンと張りつめた。


「国家間同士の婚姻にしては、君の輿入れはあまりに礼節に欠く。君は本当にペネロペ王女なのか? 答えろ」


 あぁ、そうか。

 殿下は私が王女ではなく身代わりの者だと疑っているのね。

 それも、そうか。

 あのような仕打ちをするなんて、殿下には考えられないのだろう。

 私は本物の王女なのに、何と答えればいいのだろう。


「答えられないのか?」


 いっそう低くなった声に、体が小さく震え、私は口を動かした。


「私は……わ、わたっ……わたし、わたしは……」


 いけない。緊張して、言葉がつっかえた。

 こんな時になって、悪い癖が出てしまうなんて。

 最悪だ。

 殿下も不審に見ている。

 どうしよう。

 焦りばかりが膨らんだその時、かっと、火がついたように体が熱を持ち始めた。

 思わず自分で自分を抱きしめると、殿下は剣呑な目で言った。


「……自白剤が効いてきたな……答えよ。君は何者だ?」


 自白剤? そんなものいつ――

 考えがまとまらないうちに、腰から力が抜けて、その場にへたりこんでしまった。

 殿下は私の前に立ち、上から見下ろしてくる。


「君は、誰だ?」

「……私は……ペネロペ・プロスタコフ。プロスタコフ家の長女でございます」


 言葉がつまずくことなく、スラスラ出てきた。こんなに流暢に話せるのが不思議だ。

 私は自分が政略の駒として、ポイ捨てされたことを洗いざらい語ってしまった。


 淀みなく話していたが、それは自分の境遇を見つめることと同じ。

 家族には愛されなかった――という現実を直視してしまい、胸が苦しい。


「私たちの関係は親子ではありませんでした。支配者と被支配者でした……」


 そう告白したとき、片方の目から涙が流れていた。

 嫌だわ。泣くなんて。

 とっくの昔に両親のことは諦めたはずなのに。

 まだ、未練があるみたい。


「だから……陛下や殿下に名前を呼ばれて、嬉しゅうございました……名前を呼ばれたのは、久しぶりでしたので……」


 涙がハラハラと流れ落ちて、止めることが難しくなる。

 俯いてしまうと、殿下は床に膝をつけて、私の顔を覗き込んだ。

 さきほどまでの警戒はなく、痛ましそうな顔をしている。


「……辛いことを話させてすまなかった。君はひどい環境にいたのだな……俺の国では考えられない行為の数々だ」


 そう言って、殿下は垂れ耳をへにゃりと丸める。


「……俺は君を誤解していたようだ。愛すことはない、など、仮にも夫婦になる相手に言うことではなかった。すまない」


 しゅんとなるお姿が可愛い。


「……そんな気にしないでくださいませ。殿下が警戒するのは無理もないことです」


 なぜか殿下の瞳がとろけたように輝き出す。ほんの少しだけ口元に笑みを浮かべていた。


「……君は優しいな……」


 殿下が手を差し伸べてくださる。

 手を貸してくださるのかしら。

 そんなの恐れ多い。


「……自分で立てますので」


 申し訳なくなりながら、立とうとしたけど足に力が入らない。薬のせいか腰が抜けてしまっている。


「立てないだろう。手を貸す」


 そう言うと、殿下は横に立つと、あっという間に背中と膝裏に手を回し、ひょいと私を持ち上げた。


「えっ……!」

「ふむ。君は軽いな。人族とは、かくも軽いものなんだな」


 しみじみと言われたけど、状況がおかしい。

 子犬のような愛らしい殿下が一回りも大きな私を横抱きにしている。

 どこに、そんな力があるのでしょう!


「あ、あのっ……! 殿下、重たいので! 下ろしてくださいませっ」

「ん? 重くはない。薬を盛ったのは我が国だ。君を部屋まで運ぶ」

「……そんなこと、なさらなくても……」

「いいや。君に不快な思いをさせた詫びをさせてくれ」


 殿下のしっぽが、左右に揺れている。

 お顔もキリッとしているし、使命感に燃えた瞳をしている。


「……恥ずかしいです。お許しください……」


 居たたまれずに言うと、殿下の顔が赤くなっていった。

 しっぽの揺れが、さっきよりも早い。


「し、辛抱してほしい。君の部屋は、隣だ。すぐにすむ」

「……隣、でございますか……?」

「あ、あぁ。その後はゆっくり……寛いでくれればいい……分からないことは、侍女に聞けば――ワン!」



 わん?



「ワンワン!」


 なぜか、殿下が顔を真っ赤にして、犬みたいに吠えている。

 可愛すぎますっ!

 両手で頬をおさえて、身悶えていると、今まで空気になっていた従者がすっと前に出てきた。


「殿下がケモノ化されましたね。通訳させて頂きます」


 え? ケモノ化? 通訳?


「殿下は獣人特有の力――獣力(じゅうりょく)が膨大すぎて、成人になっても、コントロールができていません。興奮すると人語ではなく、ケモノ語をしゃべってしまいます」

「ワン!」

「……そう、だったのですね。興奮を抑えれば、元に戻られるのでしょうか?」

「はい。ケモノ語を話すのは一時だけです。ですが、ペネロペ様が可愛くて興奮しておりますので、しばらくはこのままです」

「えっ……」

「ワンワンワン!」

「バカ。本当のことを言うなと、言っております」

「ワォンっ?! ワンッ!」

「吠えてますが、照れているだけです」

「ワーン!」


 淡々と言われてしまい、私は殿下を見た。

「ガルルッ」と唸って従者を睨んでいるけど、顔は真っ赤だ。


「……あの。殿下……」


 じっと見ると、殿下は垂れ耳を丸めて「くぅーん」と鳴いた。可愛い!

 頬を両手で挟んで身悶えていると、従者が真顔で言った。


「殿下がケモノ語になりましたら、私が通訳しますのでご安心ください」


 殿下の可愛さにすっかり舞い上がりながらも、私はこくこく頷いた。


 この従者は殿下が生まれた時から側にいたそうだ。

 彼に聞いた話では、殿下の背が低く少年らしいのも獣力(じゅうりょく)というものが膨大すぎるから。

 ありあまる力のせいで、体の成長が止まってしまっていた。

 殿下は体格のことで、世継ぎを作ることは難しいそうだ。


「夫婦になっても、君と子供をもうけることはないだろう。この体は子供だ。君との結婚は書面のもの。白い結婚となるだろう」


 殿下の力が落ち着かれ話せるようになった頃、そう告白された。


「王位は弟が継ぐ。多産の家系だから、世継ぎの心配はない。俺は生涯、国を守ろうと思っていた」


 殿下は子犬みたいなお姿をしているけど、軍事に携わっていた。その手腕は、右に出るものはいないそうだ。


「だから、憎い国の君との婚姻を俺自ら申し出たんだ……」


 結婚する気はなかったから、相手は私でもよかった。

 そう正直に言われてしまったけど、嫌悪感はない。

 むしろ打ち明けてくれたことに感謝をした。


「そうでございましたのね。でも、私のことは気にしないでください。私はこの国にいられるだけで、夢見心地になるのです」


 叔母の影響で動物が好きだということを告白すると、殿下は怪訝そうな顔をした。


「人族は我々を格下に見ているだろう。そんな人が王族にいるのか?」

「叔母は変わり者と言われていました。どこか浮世離れしておりましたし……」

「……そうか」


 そう言って、殿下は考え込んでしまった。

 思案すると片耳がぴくぴくっ、ぶるって動くのね。可愛い。


「……君を無下に扱うことはしない。それだけは誓う」


 真摯な瞳で言われ、ドキリとした。

 私は高鳴る胸を落ち着けようと微笑みを口許に浮かべた。



 殿下と私は婚約者としての日々を過ごすことになった。

 でも、これも。一時のものだろう。

 獣人の皆様は、人族である私の存在を認めてはいない。

 それに万が一、私の国が攻め込んできた時、敵国の姫を王子妃にさせるわけにもいかない。

 殿下との婚約は、つかの間の、夢の時間だ。

 でも、できれば長くこの国にいられればよいと願ってしまった。


 冷遇されてもおかしくはない状況だったのに、殿下はお優しく、忙しい公務の合間を縫って、私との時間を作ってくれた。

 美味しい菓子をいただきながら、殿下と向かい合わせに座って、お茶を飲む。


「不自由はしていないか? 何か足りないものは」

「何もありません。侍女の方も親切で可愛らしいですし」

「侍女? あぁ、ヘビ族の女性だったな。……人族の女性は爬虫類が苦手だと聞いていたが、君は平気なのか?」

「はい! ツルツルした肌がキュートでございます!」


 思わず力を込めて言うと、殿下は目を丸くした。

 私は浮かれたまま、両手を合わせる。


「いつか彼女の肌に触ってみたいですが、そんなことしたら嫌がられますわよね……」

「触りたいのか……?」

「はい!」

「……そ、そうか。……その……なんだ。ツルツルだから触りたいのか?」

「そうですね……」


 殿下をじっと見つめる。

 何かを期待するような顔をされている。

 気のせいかしら?


「ここの方々は、愛らしい容姿をしておりますので、皆様に触れてみたいです」


 憎い人族である私が触れるなど、嫌がられて無理だろう。

 わかりながらも素直に言ってみると、殿下は目を伏せた。


「……なら、俺を撫でればよいではないか」

「え?」

「な、なんでもない。――ワン!」


 また殿下がワンって言ってくださった。

 可愛い!


「ワン! ワンワワン!」


 真っ赤になって吠える姿に顔を綻ばせていると、沈黙していた従者が歩み出てきた。


「俺をモフれと、殿下が言っております」

「ワオン?! ワン! ワワワン!」

「撫でられるのが嬉しくてたまらない。存分に撫でてくれと言っております」

「ワーン!」

「そう、なんですか……?」


 殿下を見ると、嫌がっているような顔をしている。

 でも、しっぽは揺れていた。

 いいってことでしょうか。


「少しだけ、触れてもいいですか……?」


 恐る恐る尋ねると、殿下は逡巡した後、頭を私の方へ向けてくれた。

 頭を差し出すなんて、王族ではしない行為だ。


「頭を……宜しいんですか?」


 殿下が頷く。

 期待しているのか、しっぽの揺れが先程より早い。

 私はそっと殿下の後頭部を撫でた。

 真っ白な毛は、犬に似た触り心地だ。気持ちいい。


「ありがとうございます」


 名残惜しくなりながらも、一回だけ撫でると、殿下は私をじっと見てきた。しっぽが揺れて椅子を叩いている。

 嫌がられてはいないみたい。


「ワン!」


 殿下が笑顔で吠えた。

 ドキドキと胸の鼓動が弾んで、私は久方ぶりに、心から笑ってしまった。



 婚約を白紙にされる可能性はあったけど、私はこの国のことを学びたくなって、可能な範囲で教師を付けてもらえるよう殿下にお願いした。殿下は快く受け入れてくれて、マナーや獣人の歴史を学ぶ。


 彼らはファミリーをとても大事にしていた。

 力の弱い者は、強い者が守る。

 その意識が高いので、結束力が強い。

 殿下が私を庇護してくださるのも、か弱き存在だからだろう。


 何よりも驚いたのが、彼らの歴史だ。

 獣人は人の創世より先にいた存在だった。


 神の作りし存在。人に言葉を教えたのは、彼らだったという教えにも驚かされた。

 私の国では真逆のことが言われている。

 人は知力が高く、他の存在の頂点に立つものであるというのが常識だ。

 でも、彼らを見ると、私の国の認識の方が間違いだったのではないかと思えてきた。


 彼らは腕力が強い。

 殿下は私を軽々と持ち上げていたし、窓の外から見える侍従の方々は、ぎょっとするほど大きなものを運んでいる。

 彼らは人族より、運動能力に優れている。


 そればかりか学校の数も私が居た国より多く、道の整備も進んでいる。彼らの国の方が、進んでいるように感じた。


 それなのに、なぜ私の国に屈していたのだろう。


 三十年以上前、獣人が支配されていたときは、魔女の力によるものだと言われていた。

 魔女……

 叔母のことを母がそんな風に言っていたが、彼女が獣人たちを支配するなんてないだろう。

 不思議に思いながら学んでいき二ヶ月後。


 殿下が不意に「ガウガウ」しか言わなくなってしまった。


「あの……殿下……?」

「……ガウガウ」


 せっかくのお茶の時間だというのに、殿下は不機嫌そうで、私と目を合わせてくれない。

 困った私は、すがる思いで従者を見た。

 従者はやれやれといった風に肩をすくめた。


「殿下は、拗ねているのです。小さな頃から、拗ねるとガウガウしか言わなくなります」

「ガウッ!」

「拗ねて……ですか? 私は何かしてしまったのでしょうか……」

「ペネロペ様と教師が仲良さそうにしているのが気に入らないのです」

「えっ……」

「ガウガウ!」

「俺のペネロペに微笑まれるなんて、羨ましいな、この野郎と思っているのです」

「ガッ!」

「殿下は教師に嫉妬しているんです」

「ガーーウーーッ!」


 驚いて殿下を見ると、気まずそうに目を逸らされてしまった。

 照れているのか、顔が赤い。

 その横顔を見ていたら、心がムズムズしてきて、舌が回らなくなる。


「あの……あの……殿下……」

「……ガウガウ」

「わ、わたし。私は……殿下が……い、いい一番……一番っ」

「ガウ?」

「一番、かわいっ……!」


 教師よりも可愛いですと叫ぼうとして、急いで口を閉じた。

 可愛い子犬さん。なんて言ったら、殿下のコンプレックスを刺激して「ガウガウ」しか言ってくださらなくなるかもしれない。

 そっぽを向かれるのは、寂しい。

 私は回らない頭で必死に考えて、手を前に組んだ。


「私は、殿下がっ……」

「……ガウン?」

「殿下が! いいい……いちっ……一番、好きです!」

「キュウン?!」


 殿下が高い声を出して、顔を赤くする。

 口走ったことが恥ずかしくて、私の頬に熱が集まった。

 火照った顔を両手で挟んでいると、殿下は椅子から立ち上がり、座っていた私の体に抱きついてきた。

 ぎゅうぎゅうに抱きしめられ、「ワン!」と言われる。

 可愛い!

 わあぁぁぁ……と、声に出せずに固まっていると、従者が眉一つ動かさずに言った。


「俺も好きだあああ!と、叫んでいます」

「えっ?!」

「ワンワンワン!」


 殿下のしっぽが高速で振られている。

 可愛い。ドキドキして、おかしくなりそう。

 私は身悶えて、何も言えなくなってしまった。



 そうして殿下には良くして頂き、時を紡いでいった。

 今日は中庭で、殿下とお茶を飲む約束をしている。

 約束の時間に早めに着いた私はご機嫌だった。椅子に座って陽だまりの中にいると、心が弾んでしまい、私は歌を口ずさんだ。

 目を閉じて、心地よく歌っていると、物音がして私は目を開いた。

 後ろを振り返ると、殿下と従者がいる。

 驚いてこっちを見る二人に立ち上がり、カーテシーをした。

 殿下はしっぽを振りながら、私に近づく。


「今の歌は? 人語とは違うものだったが……」

「叔母に教えられたものです。歌うと動物や植物が元気になると言っていました」

「……そうなのか」

「何か気になることでも……?」

「いや……あまりに心地よかったから、もう一度、聞きたくなった」

「えっ……」


 殿下の瞳が星屑を宿したようにキラキラ輝く。しっぽも、すごく揺れているわ。遊んでほしそう。


「殿下がよろしければ」


 くすりと笑うと殿下のしっぽが高速で揺れだした。

 殿下には座ってもらい、私は歌を披露した。

 目を閉じて、歌っていく。

 お腹から声を出すなんて久しぶりだ。

 とても気持ちいい。

 もっと、歌っていたいわ。


 満たされた気持ちで歌い終えて目を開くと、多くの獣人が集まっていた。

 モフモフな耳がたくさん。

 つるつるな皮や、ちょろちょろな舌を出す獣人もいる。

 国入りしときに見た憎悪はどこにもない。

 誰かが拍手をした。

 ひとつの拍手が呼び水となって、喝采となる。


「なんて素敵な歌なんだ……!」

「心が安らぐわ……」


 うっとりと私を見つめてくる瞳に、私はぎこちなく微笑みを返すだけで精一杯だ。

 叔母の歌がこんなにも好まれるなんて、驚く。ドキマギしていたら、殿下が爛々と目を輝かせて私に近づいた。


「ワワワワン! ワン!」


 言葉を頂く前に、吠えられた。

 でも、殿下のお瞳はキラキラしているし、しっぽも揺れている。

 きっと、喜んでくださったのだろう。

 私は照れくさくなり、ふふっと笑ってしまった。



 叔母の歌は不思議な音階らしく、学者が集められすぐに研究が始まった。

 私が叔母から教えられた歌は二つあった。

 全てを歌詞を紙に起こして、言語を調べていくと、かつて魔女が使っていた歌だった。

 皮肉にも、歌のひとつは私の国が獣人の国を支配するために使われたものだった。

 獣人の皆様は、人よりも力が強い。

 それを歌で懐柔していたのだ。


「一つ目の歌は、支配するもの。君が歌ってくれたのは真逆の効果がある。獣力(じゅうりょく)を安定させるものだ」


 殿下が話してくださった事実に驚きつつ、記憶を辿っていく。


「……もう一つの歌は、動物が病気で暴れたときに叔母が使っていました……」

「なるほどな」

「……叔母は変わり者の魔女と呼ばれていました……」

「そうか。魔女の力を残そうとしていたのだな」

「……それは違うかと……叔母は離宮の片隅に追いやられておりました」

「それは変だな。我が国を征服したければ、魔女の力を大切にするはずだ」


 逡巡する殿下の顔を見ながら、私は呟くように言った。


「……母は、妹である叔母を嫌っていました。……顔を見るのも嫌だと言っていました。二人の間に何があったのかは分かりませんが、叔母の力を使うのは考えにくいです」

「そうか……」

「こんなことを申し上げるのは心苦しいのですが、父はこの国を格下に見ています。簡単に征服できるだろうと過信しております……」

「なめられた物だな」


 怒りを押し殺すような声を出され、私は俯いた。

 私は父を止められなかった。

 その行為が今更ながら肩に重くのしかかる。

 殿下が私の顔を覗き込んできた。


「ペネロペ。俺に歌を聞かせ続けてくれないか」

「えっ……」

「君の歌は抑えきれない俺の獣力(じゅうりょく)を正常にする可能性があると学者が言っていたんだ……頼む」


 私の歌が殿下のお役に立つ。

 そう思ったら、喜びが体の内側から溢れてきた。


「えぇ。もちろんでございます!」


 笑顔で答えると、殿下は嬉しそうに笑ってくれた。




 朝と夜、寝る前。殿下に歌を聞かせることが日課になっていた。

 私が歌うと、足を止めて聞き入ってくれる方々が増えていった。

 殿下は歌を心地よさそうに聞いてくれて、その顔を見ると幸せがあふれてきた。


 一ヶ月、二ヶ月。――半年を過ぎたとき、殿下の獣力は安定して、陛下と同じくらいの体格になっていた。


 私が見上げるほどの大柄。

 可愛いお姿はどこにもなく、顔立ちは凛々しく、声は低く、側で聞くとドキドキしてしまう。

 それなのに、私を見る瞳は子犬の時と同じくキラキラ輝いていて、幸せそうに蕩けている。

 そんな顔をされたら、緊張してしまいうまくしゃべれない。


「ペネロペ。君のおかげで、俺の獣力は安定した。君は俺の呪いを解いてくれた恩人だ」

「そ、そんな……わ、わわわ、わたしは、できることをしたっ……しただけですっ……」

「いいや。君の献身に家臣たちは心を打たれているのだ。俺たちの婚姻を誰もが望んでいる」

「え? ……あ、は、はははい……」


 殿下は私の左手をそっと、すくいあげ甲に牙を立てた。

 手を甘く食まれる行為は、(つがい)になってほしいという申し込み。

 伴侶にしたいという願いだ。

 びくっと体を震わせると、殿下は跡のついた手の甲を舌でなめた。

 腰骨の辺りがぞわりとして、両足が震え出す。

 殿下は手の甲にキスを一度落とすと、まっすぐ私を見つめた。


「ペネロペ。俺と結婚してほしい」

「は、はひっ!」


 プロポーズされた途端、私は腰を抜かしてしまった。色々と限界だった。

 すぐに殿下が支えてくれて尻もちをつくことはなかったけど、私は熱に浮かされてしまい、しばらく立てなかった。

 嬉々と私を横抱きにする殿下にしがみついていくので精一杯だった。




 こんなに幸せでいいのだろうか。

 あれよあれよという間に婚姻の準備が進んでいく。

 私はフワフワと夢見心地で、これが現実とは思えない。

 でも、殿下があまりにも幸せそうに笑うから。

 私も泣きそうな気持ちで、笑顔を返した。


 でも、そんな幸せは長くは続かなかった。

 私と殿下の結婚式があと三日というときに、父が兵を挙げたのだ。



 幸せを嘲笑うような進軍。

 武装した兵が国境に押し寄せている。

 しかも傘下に置いた二国と共に、この国を支配しようと攻めてきた。

 こちらも迎え打つべく、友好国と共闘することになった。

 頼もしく、大変ありがたいとは思うけれど、殿下が最前戦に行くと聞いて、私は平静ではいられなくなった。


 父の言葉が脳裏を過ぎる。



 ――生き残りたけば、蛮族にせいぜい媚びを売るんだな。



 呪いのような言葉に心が縛られる。

 足元から幸せが崩れていくような気がした。


 殿下との縁は、砂上のものだと知っていたはずだ。

 父の思惑だって分かっていたはずだ。

 それなのに、私は結局、父の計画の駒となってしまっていたのではないだろうか。

 この国の人に取り入り、油断させるきっかけを作ってしまったのではないか。


「……私のせいです……」


 私は呆然と呟いていた。

 殿下は悲痛に顔を歪め、私の肩を掴んだ。


「それは違う! ペネロペは俺の恩人だ!」

「……でも、父から、殿下に媚びを売れと言われました……わたしは……」

「ペネロペ!」


 殿下が私の頬を両手で掴み、上を向かせる。


「俺の顔を見ろ! 君と出会ったときと違うだろう!」


 ひゅっと、喉がなった。

 殿下は優しく眦を弛めた。


「……違うだろ?」


 私は口をすぼめ、泣きそうになりながらうなずく。

 殿下は私の額に自分の額をあてた。


「君は君にしかできないことをしてくれただけだ。媚びを売っていたのは、俺の方」

「……そ、んな……こと、ないっ……です……殿下は、おやっ……お優しくて……」


 しゃくり声をあげながら言うと、強い眼差しで射抜かれた。


「君を傷つけ、どこまでも我が国を踏みにじる奴らを俺は許さない。出陣してくる」


 ――行かないで、ください。

 って、言いそうになった。だから、口は固く閉じた。

 震えたままでいると、殿下がくっつけていた額を離し、私の唇をぺろりとなめた。

 びっくりして、ポカンとすると、殿下は犬歯を見せて笑っていた。


「必ず勝利して、戻ってくる。そうしたら、式を挙げよう」


 私は何も言えなくなってしまい。気持ちを伝えるために殿下に抱きついた。

 こくこくと何度も頷き、殿下は強く抱擁してくれた。




 この方を戦地に行かせる父が憎くてたまらず、その人の血が流れる自分が恨めしい。

 でも、そんなこと言っても私は私だ。

 私はペネロペ・プロスタコフであることは、生涯、変わらない。

 ――なら、私は。


 殿下のひく兵を見送りながら、歌った。

 勝どきの歌となるように、殿下が好きだと言ってくれた歌を、声を張り上げて紡ぐ。


 彼らは強い。侵攻を防ぐだろう。

 私は信じて歌うのみ。

 殿下の姿が見えなくなっても、私は歌い続けた。

 喉が潰れて、枯れるまで、彼らを思い続けた。


 声が枯れた後は聖堂にこもり、祈りを捧げた。

 不安は頭から消した。

 そうしないと、闇に飲み込まれてしまうから。

 一心不乱に祈る。

 どうか、彼らに勝利の女神が微笑みますように。

 私は寝食を忘れて、祈った。




「ペネロペ様! ペネロペ様! 勝利です! 我が国が勝ちました!」


 ヘビ頭の侍女に呼ばれて、私は目を開いた。

 彼女は三白眼の瞳から涙を零しながら、呆然とする私の手を取る。


「殿下はご無事でございます! ペネロペ様! 殿下がお戻りになりました! 怪我をされていますので、私室にいま――ペネロペ様!?」


 侍女の言葉を聞き終わる前に、私は駆け出していた。

 長く動かすことのなかった足はもつれてしまう。

 転びそうになりながらも、殿下の元へ。

 早く。早く。

 お願いよ。足よ。動いて。

 私を殿下の元に、連れて行って。


 息を切らせながら、転がるように私たちの部屋に行くと、殿下はベッドに体を起こしていた。

 服の隙間から包帯が見える。

 その姿が痛々しくて、泣きそうになる。

 殿下は鼻をひくりと動かし、私を見た。

 目が合うと、幸せでとろけた顔をされ、名前を呼ばれる。


「ペネロペ、ただいま」


 私は弾けるように駆け寄り、腰を落とし殿下の膝元に縋りついた。


「……おかっ……おかえりっ……なさっ……」

「ペネロペ。顔を上げて」


 くしゃくしゃの顔のまま上を向くと、殿下が顔を近づけてきた。

 唇をなめられる。

 びっくりして、目を丸めると、殿下は幸せそうに笑った。

 その顔を見たら、安堵が胸に広がって、私もへにゃりと笑ってしまった。





 二国間の争いは、こちらの勝利で終わった。

 こちらが押してゆくと父と共闘していた二国があっさり見限った。兵の士気も下がり、停戦条約が結ばれることとなった。


 停戦条約を結ぶ際、陛下は現国王は政治から退くように要求したが、父と母、兄夫婦は反発した。

 再び挙兵する動きが見られたため、陛下自ら出陣。

 その動きは素早かった。

 圧倒的な数で囲うと、抵抗はなかったらしい。

 最後は父や母、兄夫婦を支持していた者たちが、こぞって彼らを差し出していた。

 彼らの沙汰は、陛下の一存で決められることとなり、戦いは終わりを迎えた。


 そして、陛下は処罰を決めた。

 私と殿下は陛下に呼び出され、父たちが晒しの儀をすることになったと告げられた。


 晒しの儀は、言葉通り罪人を国民の前で晒し者にすることだ。

 朝から晩まで鉄格子に入れられ、国民からの罵声を聞く。その後、罪人は投獄される。

 刑の重いものは陛下、自らが葬り去る。

 獣人の国では、処刑人は存在しない。

 王、自らが首を刎ねるのだ。

 その習わしこそ、王が王たる証であった。


「君とシェパードの婚姻を余も望んでいる。しかし、こたびの侵攻により、君がかの者たちと血筋が同じであることを不安視する声もある」


 それは当然だろうと、私は頷きながら聞いていた。


「シェパードとペネロペに晒しの儀の立ち会いを命ずる」

「ペネロペも……ですか?」


 殿下の質問に、陛下が頷く。


「ペネロペが立ち会い人になることで、君が暴虐者たちと違うことが国民にも伝わるだろう」


 陛下は誠実な瞳をされていた。

 父や母の前に立つのは、まだ怖いけど、陛下への思いに報いたい。


「かしこまりました」


 腰を落として頭を下げる。

 こうして晒しの儀に立ち会うことになったけど、殿下は乗り気ではなかった。


「……ペネロペは、親の前で話せなくなると言っていただろう。大丈夫か?」

「覚えてくださっていたのですね……ありがとうございます」

「ペネロペのことだから」


 殿下はしっぽを左右にふった。

 でも、すぐにしっぽの揺れが止まってしまう。


「あいつらはペネロペを見たら逆上するだろう。酷い暴言に君が傷つかないか、心配だ」

「殿下……」

「すごく、心配だ……」


 へにょりと耳を丸めて、今にも「くぅーん」と鳴きそうな顔をされる。可愛い……

 肩に入っていた力が抜けてきた。


「殿下がそばにいてくださるので、私は大丈夫です」


 私は心から笑った。


「殿下との婚姻をつつがなくできるのであれば、私はあの方々と向き合います」

「ペネロペ……」


 殿下が私を抱きしめた。


「暴言には耳を貸さなくていい。何か言われても俺が守る」


 強い言葉と抱擁に身を預けながら、私はこくりと頷いた。



 晒しの儀は、王城の広場で行われた。

 多くの聴衆が見守る中、檻に入れられた四人を見つめる。

 父も母も兄も、義姉も、かつての輝きはなく、ずいぶんやつれて、小さく見えた。

 同情も湧かない。

 私の心は冷めきっていた。


 冷たい目で彼らを見たとき、父は声を張り上げた。


「この役立たずがッ! 何のためにお前を、この国に嫁がせたと思っているのだッ!!」


 父の告白に私はひゅっと息を飲み干した。


 礼節に欠く、杜撰な輿入れは、父の計画のひとつだった。


 父は家族を重んじ、弱い存在を保護する獣人の特性を知っていた。

 カワイソウな姿でポイ捨てすれば、きっと獣人の同情をひく。

 私を殺しはしないだろうと、見込んだのだ。


 そんなことをした理由は、私に支配の歌を歌わせたかったから。


 父は、叔母が私に歌を教えていたことを把握していた。

 動物が好きということも。

 気弱な私のことだから、化け物のような彼らを見たら、怯えて支配の歌を使うと思い込んでいたのだ。


 結婚相手がシェパード殿下であったことも父にとっては都合がよかった。


 獣人国の最強の兵士である殿下を懐柔すれば、武力は低下する。士気は低下する。ほくそ笑んだそうだ。


 でも、兵を挙げてみれば、殿下は獣力を安定させ、鬼神の如く敵を薙ぎ払った。


 父の杜撰な計画は、もろくも崩れたのだ。



「全く。お前は、動物ならなんでもよいのか? こんな化け物みたいな容姿をした奴らを好きだのなんだの言って。正気の沙汰とは思えないな」


 虫けらを見る目で言われても、心はスンと静まり返っていた。何も感じない。

 もう、父の言葉は私の中で何の価値もないものになっていた。

 そこら辺に転がっている石より、無価値。

 だから、もう傷つかない。


 それよりも、叔母の歌を獣人を懐柔するために使おうとしていたことに嫌悪感が湧き立つ。

 顔をしかめると父は鼻で笑った。


「蛮族に取り入って、気が大きくなっているな。なんだ? 蛮族に優しくでもされたか? お前は、あの変人にしか相手にされなかったからな! ははは! 動物にしか相手にされぬなど、人間として生きている価値などないだろう!」

「黙れッ!」


 黙って聞いていた殿下が吠えた。


「それ以上、我が妃と、我が民を侮辱するなら、俺が貴様の首をこの場でへし折る!」


 殿下が怒ってくれた。

 それに、胸がいっぱいになる。

 今にも父に噛み付かんばかりに唸り声をあげる殿下の顔を見つめた。


「殿下、ありがとうございます……私の代わりに言いたいことをすべて話してくださって」


 殿下は私を見たけど、まだ不服そうな顔をしている。だから、精一杯、微笑む。


「私は傷ついておりません。何を言われても、どうでもよくなりました。ですが……」


 父を正面から鋭く見つめる。

 緊張で喉が震えた。

 でも、言わなくちゃ。私が父に言わなくては。

 黙って諦めるのは、もうおしまい。



 さぁ、言え。

 つっかえずに、言うのよ。


 胸を張って、両足を踏ん張れ。

 私は殿下の隣りに、堂々と立ちたい。



「この国の方々は、自ら考え、行動しています。彼らは蛮族ではありません。私はこの国の方々が愛しいです。彼らを貶めることを言うのは、おやめください」

「何を生意気なッ!」


 父が怒鳴り出して、鉄格子を掴む。

 そんな父を母が押しのけた。


 父の背中の洋服を引っ掴んで、邪魔者にするように私と目を合わせる。母の不意の行動に驚いて、ひゅっと息を飲み干す。

 母と目が合うと、見たことがないくらい優しく微笑まれた。


「ねぇ、ペネロペ」


 母に名前を呼ばれた瞬間、ぞわりと鳥肌が立った。

 母は甘えるような視線を私に向ける。目頭には涙の膜ができていた。


「お母様。あなたを愛してるの……愛してるのよ……」


 ――愛している……? 何を言っているのだろう。



「お前っ! 気持ち悪いことを言うなッ!」


 父の怒鳴り声で、我に返る。

 見えたのは、苛立った母の顔。

 いつもの顔だ。


「陛下は黙っていてください! わたくしたち、このままでは一生、監獄に閉じ込められますのよ! もう、嫌だわ。髪に艶もなくなりましたし、こんなボロ布を着せられて、侍女もいないんですのよ? もうこんな生活、うんざり! 嫌っ! 嫌! 元の生活に戻してよ!」


 母が癇癪を起こして、鉄格子をガシャンガシャンと揺らす。


「ねぇ、ペネロペ。お母様、可哀想でしょ? こんな酷い目にあって、可哀想でしょ? わたくしたちは家族でしょう? ここから出してよ。お母様、辛いの……」


 そう言われて、心はスンと冷えきった。

 家族のことを話して、泣いていた自分が馬鹿らしくなる。



 私は母に、名前を呼ばれたかった。

 笑顔を向けられたかった。

 手を伸ばしたら、繋いでほしかった。

 抱きしめて、ほしかった。


 母のぬくもりとはどんなものだろう、と夢想した。


 でも、すべて叶えられなかった。

 叶えられなくても、もう、いい。


 母への未練は、ここでおしまいだ。

 私には殿下がいてくださる。


「なんて自分勝手な……」


 怒りで牙を剥く殿下の腕を取って、甘えるように組んだ。

 公的な場では、はしたなく見えてしまうかもしれないが、私はあえて笑顔を作った。


 さぁ、口角を持ち上げて。

 笑いましょう。


「あなたが、私に関心がなかったおかげで、殿下にお会いすることができました。ありがとうございます」


 母に向かって、にっこりと笑う。


「今、とても幸せです。私を産んでくれたことには感謝しております――さようなら」


 最後の言葉は低い声で言い切ると、母はポカンとした顔になった。

 母だけではない。

 父も兄夫婦も、虚を衝かれたような顔をしている。その顔がおかしくて、私はふふっと笑ってしまった。


 私は殿下を見つめ、にっこりと笑う。

 殿下は参ったみたいな顔をされていたけど、微笑んでくれた。


「俺がペネロペの家族になる。一緒に幸せになろう」


 そう言って、殿下は私の頭に自分の頭をこすりつけた。

 甘えるしぐさは優しくて、フワフワしてて、泣きそうになるの必死でこらえた。


 父と母は懲りずに喚きだしていたから、殿下は早々に晒し者の儀をおしまいにしてしまった。

 時間が短くて、殿下へのお咎めがないか心配だったけど、何事もなかった。



 儀式の時間は短くなったけど、陛下には満足してもらえた。 

 私が父へ反論したのが、功を奏し、獣人の国の方々には好意的に受け止められてもらえていると陛下からお話があった。


 この国に来てから、ずっと世話をしてくれたヘビ族の侍女は、三白眼の瞳から涙を流しながら「よかったです。よかったです」と、言ってくれた。

 私は彼女を抱きしめ「いつもそばに居てくれてありがとう」と感謝を言った。



「殿下は最前線で戦っていましたから、国民の人気は高いです。そんな殿下が、人々の前でペネロペ様にデレッデレだったので、お二人の婚姻をとやかく言っていた連中も、黙ったそうですよ。ようございましたね」


 そう殿下の従者に言われてしまい、少し照れたけど、嬉しさの方が大きくて、私は微笑んでしまった。



 陛下の判断で、父の息の根を止めることとなった。


 母や兄夫婦は、海に浮かぶ監獄へ行く。そこでは、自分が食べるものは、自分で育てなければならない。

 手を抜くと、タコ族にスミをブシャーっとかけられて、反論すると即ブシャーと、スミをかけられて、何も言えなくなるそうだ。


 母たちは毎日、スミまみれになっているらしい。



 王家が崩壊して、私の住んでいた国はてんやわんやみたいだったけど、叔母のことが心配で殿下と陛下にお願いして、彼女を保護してもらった。

 叔母は国内が荒れても、「そんなことあったの? そういえば、動物さんが怖がっていたから、ずっと歌っていたわ」と、微笑んでいたそうだ。


 叔母らしい言葉に、ほっとしてしまった。

 彼女と再会したとき「ペネロペちゃん、結婚、おめでとう!」と笑顔で言われて、私は幸せすぎて泣きそうになってしまった。



 殿下と婚姻し、今宵は初めて、殿下の隣で眠ることになる。

 私はベッドの上で両手をつき、これからどうぞ宜しくお願い致しますとご挨拶した。


 殿下はパタンパタンと、しっぽでベッドの上を叩いていて、顔が赤くソワソワされていた。

 可愛い。


「ペネロペ……正直に言うと、今、とても緊張している」

「まぁ……そう、なのですか……? 私もです……」

「ペネロペも、か?」

「はい。……殿下と、夫婦になれるのが……幸せで……ソワソワします……」

「……そうか。男として情けなく思っていたのだが……」


 殿下はそう言うと、お顔を引き締めた。

 たしたしって、しっぽがベッドを叩いている。

 可愛い。


「ペネロペっ……君を幸せにする! 愛している!――ワン!」


 久しぶりに殿下からケモノ語が聞けて、嬉しくて、心から笑ってしまった。

 しまったという顔をされる殿下を見ながら、返事をする。


「私も愛しております。……わん」


 はにかみながら言うと、殿下が私を抱きしめてくれた。

 ぎゅうぎゅうに抱きしめられながら、目を閉じる。


 これから先もきっと、殿下と仲睦まじく過ごせるだろう。


 私は幸せな未来を瞼の裏に描いた。




 Happy END ワン!



(∪・ω・) < ワンワン言う王子が、無性に書きたかったです。お読みくださって、ありがとうございます。よろしければ感想を頂けると嬉しいです。★で応援してもらえると、励みになります。よき暇つぶしになれば幸いです。


2023年12月6日 いただきもののAIイラストを飾ります♪


挿絵(By みてみん)


猫耳付きバージョン♪

挿絵(By みてみん)


作成:さらさらしるな様

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どうぞ。おなかをなでてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ワンワン言う王子もそれをフォローする従者も最高でした。 動物好きで獣人を好きってなるキャラは結局獣人を獣人ではなく動物として見ているのでは?と読んでいて思う描写があったりするのですが、ペネ…
[良い点] 王子が可愛すぎ、ワンワン最高です。 [気になる点] 息を呑み干すという言葉は初めて聞いたので誤字かと思いました。
[一言]  読ませていただきました。 凄く素敵なお話でした。 虐げられた王女が、政略の為、蛮族の国の王子と婚約し自白剤や辛いことがあったけど、彼女は前向きに生きようとします。 わんわんと王子が可愛ら…
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