スティーブ2
アカデミーに到着すると早速いつもフィオラが取り巻きにしている少女二人が寄ってきた。
あの恐ろしく奇妙な出来事の後で可愛らしい少女達を見るとほっとした。
名前はなんだったかと咄嗟に記憶を漁る。
「ご機嫌ようファジー、ヴァーゴ」
こんなに性格の悪いフィオラに未だに親しくしている心優しき少女達。
涙ながらにフィオラの悪事を止めたいとスティーブに語った二人の友情には胸が熱くなったものだ。
「フィオラ様、二限目の現代史の課題はやって来られまして?」
「良かったら見せて下さらないかしら?」
挨拶も返されず唐突にそんな言葉が二人から飛び出した。
現代史の課題と聞いてハッとする。
言われてみれば昨日フィオラとの別れ際に現代史の課題にまだ手をつけていないからやっておいてくれと言っていた気もする。
現代史の教授は厳しいことで有名で生徒を身分で判断しない。
たとえどんな身分の生徒でも課題をやって来ない者には厳しい罰が下される。
やっていないのはフィオラだが、怒られるのは自分だ。
慌てて少女二人に尋ねる。
「二人もやってないのかな? 実は私も忘れてしまって」
「まぁフィオラ様が課題を忘れるなんて」
「どうしましょう」
他の人間に借りるしかないか。
しかし二人以外にフィオラの友というものを見たことがない。
実際昨日彼女自身で友は犬しかいないなどと言っていたことを踏まえると、他に親しい者がいるとは考えにくい。
だが本物の彼女のように誰かを脅して宿題を写させて貰うようなこともしたくはない。
今から急いでやるしかないかと悩んでいると、フィオラの耳に小さな舌打ちが聞こえた。
「役に立たないわね、あてにして損したわ」
「勉強くらいしか取り柄がないのに使えないわね」
ファジーとヴァーゴがこちらを見ながらヒソヒソと、しかししっかりと聞こえる声量で内緒話をしていた。
――え?
何か聴き間違えてしてしまったのかと混乱しているスティーブに、完全に見下した視線を投げつける二人。
「仕方ないわ、ねぇそこのあなた」
ファジーはため息を吐くと、たまたま通りかかったクラスメイトらしき男子生徒に声をかけた。
「フィオラ様があなたの現代史の課題を見せて欲しいそうよ」
「え……」
「もちろん見せてくれるわよね、フィオラ様のお願いよ」
ファジーが凄むと男子生徒は青ざめて鞄から課題のノートを取り出した。
「さっさとしなさいよ。フィオラ様がお怒りよ!」
男子生徒がさっとこちらを見て更に顔を青ざめさせた。
別にスティーブは怒ってなどいないし、そもそもファジーの行動に圧倒されて固まっているところだ。
「も、申し訳ございません!」
頭を深く下げた男子生徒は全力で走り去っていった。
「お情けでアカデミーに入学した貧乏貴族はこれだから。グズでノロマでいやになる」
「まぁフィオラ様ほどではないでしょうけど」
「やだもうヴァーゴったら」
「あ、フィオラ様冗談ですからね」
「ふふふ、本気になんてしないわよ。私達お友達ですもの」
クスクスと含みを持たせて笑い合う彼女達。嫌な空気が肌を刺す。
—————何がどうなっているのだ。
結局男子生徒の課題はフィオラまで回ってくることはなく、ファジーとヴァーゴがそれぞれ写し終えるとそのまま高飛車な態度で彼に返却されていた。
スティーブは最初の計画通り僅かな休憩時間で課題をこなす。
元々学業は得意だし、フィオラは一つ年下。去年の問題など楽勝だった。
滞りなく回収された課題を見るファジーとヴァーゴの目が驚きに見開かれたのを見てふんと鼻を鳴らす。
噂には聞いていたが女とは恐ろしいものである。
涙を浮かべてフィオラのいじめを告発する健気な姿は幻だったということか。
スティーブとして対面した時との違いに度肝を抜かれてしまった。
男性の前では人畜無害な小動物のように愛らしく振る舞い影ではこのように陰湿で強かとは、流石はフィオラの取り巻きだと皮肉る。
こんな連中と付き合っているなど人間のレベルが知れるというものだ。
「フィオラ様、先ほどの課題は間に合ったのですねぇ。流石は学年一の秀才。それしか長所がないからって必死ですわねぇ」
早速こちらへやって来た二人は高圧的な笑みを浮かべて嫌味を投げつける。
「ヴァーゴったら。フィオラ様の長所はそれだけじゃなくってよ。フィオラ様に失礼だわ」
「あらやだ。何か他に長所なんてあったかしらぁ?」
「伯爵家とスティーブ様に寄生するっていう特技があるじゃないの。ご実家からあのように嫌われてもまだ伯爵令嬢として振る舞うなんて面の皮の厚いことフィオラ様でなければ恥ずかしくって出来なくてよ?」
「あははは! やだもう笑わせないでよ! お腹が痛いわ! あ、フィオラ様。今のも冗談ですよ」
「うふふ、いくら愚鈍なフィオラ様だって分かってるわよ。私達お友達なんだから」
なんて女達だ。
いくらフィオラにぶつけられた言葉であっても、今彼女の中に居るのはスティーブだ。
こんな言葉の暴力には耐えられない。
「いい加減にしないか、はしたない。いくらなんでもその言い草はないだろう」
「「っ!?」」
スティーブが言い返してくるとは夢にも思わなかったとばかりに絶句する二人。
「そうやって二人でネチネチと。醜いとは思わないのか」
「っ、私達にそのような口をきいていいんですかフィオラ様!? 」
「……何か問題でも?」
顔を屈辱に赤く染め上げたファジーの脅し文句に首を傾げる。
まずいのはそちらの方であろう。
いくら遠縁とはいえこんな格下の娘に本家の伯爵令嬢が言われ放題という方がおかしな話である。
「このことはロ-ゼリア様にきっちりご報告させて頂きますからね!」
「あのお方のお耳に入ったらアンタなんかすぐに伯爵家から追い出されちゃうんだから!」
ローゼリア様?
はて、誰だったか。
ああ、そうだ。フィオラの祖母の名前がローゼリアだったと思い返すスティーブ。
だったらこの二人は少しばかり知能が足りない。
フィオラの祖母に言いつけたところで不味いのは自分たちの方だ。
いくら厳しい人だろうと、自分の孫を馬鹿にされて怒らない者など居ない。
二人はフゴフゴと豚のように罵詈雑言をわめき散らしながら去っていった。
どっと疲れが押し寄せたスティーブであるが、それでも元来お坊っちゃまとして優雅に育てられた為に授業をサボるという発想には至らず、次の講義を受けるべくのそのそと移動する。
ふと廊下の向こうに愛しい姿を見つけ、落ち込んでいた気分が一気に浮上した。
(シアだっ………!)
慌てて彼女の元へ駆け寄る。
「あのっ!」
勿論今の自分がフィオラの姿であるということを忘れたわけではないが、とにかく愛しいシアに声を掛けずにはいられなかった。
そうだ、この姿で今までの事を謝れば、少しはシアの心も晴れるのではないか。
本来ならばフィオラ本人が床に這い蹲り誠心誠意謝罪すべきであるが、とりあえず今は元婚約者のよしみで代わりに自分が謝ろう。
彼女ならばきっと天使のように優しく受け止めてくれるに違いない。
立ち止まったシアに口元が緩みそうになるのを抑える。
振り返った彼女は呼び止めたスティーブを見て少し目を見開き、そして眉間に皺が寄った。
また何かされると思い身構えているのだろう。
慌てて謝罪を口にしようとした瞬間、身体が固まった。
「チッ!」
……え? 舌打ち?
それに見たことのないような恐ろしい形相でこちらを睨みつけている、まるで悪魔のように。
「気軽に喋りかけてんじゃねーよ。必要になった時だけ使ってやるからそれ以外は近寄んな。ヘラヘラキモいんだよ。じゃあね中身空っぽのお人形ちゃん!」
そんな……ばかな………。
戸惑い呆けることしか出来なかったスティーブ。
気付くとシアはもうそこには居なかった。




