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フィオラ4


目覚めの朝。

馴染んだ自室とは違う場所に驚きを覚えたが、脳の覚醒と共に段々と自分の状況を思い出してきた。

昨日倒れ込んだ二人が目を覚ますと、お互いの身体が入れ替わっていたのだ。


「なんだこれはっ!? どうなっているんだ!?」


激しく動揺を見せたスティーブとは逆にフィオラは冷静だった。

呪文のせいなのは間違いない。

だがフィオラに罪悪感はなかった。


「何故ボクが目の前に居るんだ!? ボクは何故スカートを履いてる!?」


穿いているスカートの裾を恐ろしげに摘まむスティーブ。

みっともないほど取り乱す自分の姿は複雑だが、どうしてもスティーブには悪いとは思えない。

この傲慢ちきな元婚約者を少しばかり困らせてやってもバチは当たらない筈だ。

とはいえこのままというのはフィオラにしても困る。

すぐにキャンセルしようと呪文を心の中で唱えたのだが、あの光はやって来ない。

母はキャンセル出来ると言っていたのに出来そうにない。


「意味が分からない…どうしよう…どうすれば…」


どうすることも出来ずに少し焦るが、フィオラよりも遥かに焦るスティーブを見て落ち着くことが出来た。

スティーブに正直に打ち明けようとは思わない。

この男は信用に値しないからだ。


「落ち着いてくださいスティーブ様。一旦冷静になりましょう」


彼の前では何故このような事態になったのかさっぱり分からないとシラを切る。

とにかく入れ替わってしまったなどと誰かに話そうものならば頭が可笑しくなったのだと思われるのが関の山。

このままの身体で日常生活を続けようと泣き出しそうなスティーブに説得した。

目に涙を浮かべる自分の弱々しい姿に複雑な思いに駆られながらも、焦っても仕方ないと自身を鼓舞する。

キャンセル出来ると言った母の言葉を信じよう。



そんなこんなでスティーブはフィオラとして、フィオラはスティーブとして生活することになったのだ。

朝起きて慣れない目線の高さに恐々とした動きで王都アカデミーの制服に袖を通すが、いまいちタイの結び方が決まらない。

一応一般生徒と同じように結んではみたものの、この身体の持ち主は洒落ていて普段から少し工夫されたタイの結び方をしていた筈だ。

はて、どうしようかと迷っていると部屋の扉がノックされた。


「坊っちゃま、ベッドティーをお持ち致しました」


入ってきたのはこの屋敷に古くから仕えている老執事だ。

フィオラも何度か顔を合わせたことがある。


「おやまぁ坊っちゃま! 今朝はお一人でお目覚めになるばかりか制服まで着用なさったのですか! タイもこのようにきちんと巻かれるとは、爺めは感動致しましたぞ!」


常に紳士然と構え何事にも動じず常に穏やかな老執事が目に涙を湛えている。

見たことのないその様子に少し引きつつ、まさかこの身体の持ち主は服も一人で着ないのかとその事にもドン引きするが顔には出さずに笑顔を作る。


「タイが今日は上手く結べなくてね。どうやるのだったかな」

「いいえ、とてもお上手ですよ。折角坊っちゃまが結んだものに手を加えるなど爺めには出来ません」


皺のある硬い手でそっとタイを撫でられる様子に不思議な感覚が胸に押し寄せる。温かいような、それでいて寂しいような。


「さあお顔をお洗いください。お茶が冷めますよ」


気付くと皺くちゃな笑顔に無意識に頷いていた。




馬車に乗り込み暫くするとすぐにアカデミーに到着する。


「おはようございますスティーブ様」

「御機嫌ようスティーブ様」

「やぁおはようスティーブ」


正門で停まった馬車から降りるとすぐさま沢山の生徒から朝の挨拶が寄越される。

元の姿の時も挨拶は寄越されるが、それはどこかよそよそしく義務的だった。

しかしスティーブに向けられる挨拶はどれもこれも親しげで皆笑顔だ。

嫌われ役のフィオラにはそのことが衝撃だった。

朝というのはこんなにも爽やかなものだということを初めて知る。


沢山の人に声をかけられ一つ一つに対応しているうちに、予鈴の鐘が鳴り響き慌ててスティーブの教室へと向かう。

もうほとんどの生徒が各々好きな席へと腰かけ講義をうける準備が整っていた。

手近な端の席へと座り持ってきた教材を取り出す。

教材とノートはこれで間違いないはず。

後でスティーブに文句を言われてはたまらない。


学年が一つ上ということで、いくら成績は良い方であるとはいえ授業の内容すべてを理解することは出来ないだろう。

せめてノートはきちんと取って教授の重要そうな言葉は聞き逃さずにメモしようといつも以上に気合をいれる。


ふと、たまたま隣に座っていた大人しそうな女生徒がこちらをチラチラと見つめてくるのに気付いた。

スティーブに成り代わってからというもの女生徒の熱い視線をビシバシと感じるのだが、この女生徒の視線は好意的とは言い難くどちらかと言えば迷惑そうな戸惑いがちなものだった。

気になるもののこの手のタイプの少女は目立つことを嫌う。

内向的なフィオラには気持ちはよくわかるが、どうしたって目立ってしまうこの姿では声をかけることも出来ずにただ不可解な視線を受け流すことしか出来ない。


「スティーブ様? 何故そのような端の席にいらっしゃるのです? シアの隣の席を確保していたのですよ?」


鈴を転がしたような可愛らしい声がスティーブにかけられる。


振り向くと愛らしさを前面に押し出した砂糖菓子のようなフワフワな少女が悲しげな上目使いでこちらを見つめていた。

昨日の婚約破棄の話の際にスティーブが名前を挙げた男爵令嬢のシアだ。

どうやら彼女もこの講義を選択していたらしい。


「どうしたのですか?」


反射的に身を固くしてしまうが、愛くるしい表情でこちらを仰ぎ見るシアは人畜無害そのもの。

とてもではないが陰で罵詈雑言をぶつけ嫌がらせを繰り返すようなことをするようには見えない。

彼女の所業を説明した時もスティーブがあのように歯牙にもかけず信じなかったのはこの演技力のおかげでもあるのだろう。もっとも、スティーブの目が節穴ということが一番の要因であることは間違いないのだが。


「……いや、今日はここで講義を聴こうと思っている」


いくら仕草や表情が愛らしくとも、彼女と一緒にいようとはとても思えない。


「まぁどうして? こんな隅の席などスティーブ様にはふさわしくないのに。もしかしてシアが嫌いになっちゃったの?」


言い募る彼女の顔はとても悲しげで本性を知っているにも係わらず罪悪感のようなものが湧き上がってしまう。


「そのようなことはないが……」

「だったら、もしかしてこの席が良い理由でも?」


シアの視線がチラリと隣の少女へと向いた。

殺気を剥き出しにしていたわけではないがスティーブの前で見せるような愛くるしく感情豊かなものでもなく、物を観察するような無機質さがある。

ほんの一瞬だったにも関わらず横で見ていただけのフィオラに鳥肌がたった。

何を仕出かすか分からない質の悪さを知っている分、感情が読めないシアの視線は恐ろしいものがある。

そう感じたのはフィオラだけではなく隣の少女も同じだったようで、微かに肩を震わせ身を小さくしている。

そうか、この少女もまたシアの正体を知っているのでスティーブの傍を嫌ったのだと納得がいった。


「…やはりシアの隣でないと落ち着かないな。移動しよう」

「まあ良かった! 私ったらスティーブ様の心が移ってしまったのかと心配しちゃったわ。シアのお馬鹿さん」


てへっと笑うシアにひきつった笑顔を返し、重い足取りで教室のど真ん中の席に向かった。

結局講義はやたらとしゃべりかけてくるシアのおかげであまり集中できずにノートを取るのが精いっぱいだった。


どこへ行こうにもシアが小鴨のようについてくる。

そんなシアの後ろを彼女に惚れている男子生徒が群れを成してついてくる。

結果結構な大所帯になり、物静かな場所が好きなフィオラにはかなりストレスに感じた。

しかも男子生徒たちの話題ときたらシアを褒め称えるものばかりで、同じようなセリフを何度も何度も聞かされ午後には耳にタコができるほどうんざりしてきた。


「どうなされたのですかスティーブ様。今日はなんだか元気がございませんね」


シアの取り巻きである子爵令息が怪訝そうにしゃべりかける。


「そうなの、なんだかスティーブ様朝から調子が悪いようで。心配だわ」


シアが白い手がフィオラの腕にゆるりと巻き付いてきた。振り払ってしまいたい気持ちをぐっとこらえて時が過ぎ去るのを待つ。


「シアは心優しいな」

「寄り添う二人のお姿は悔しいですがとてもお似合いですね」

「やはりシアの心はスティーブ様のモノなのだな。ああ、なんて羨ましい」


全員シアを取り合うライバルだが、スティーブの身分もスペックも際立っており他の男子生徒もスティーブには敵わないと認めているようだ。

中には、シアを介してスティーブに取り入ろうとしている者もいるのかもしれない。


「それにしてもスティーブ様の調子の悪い原因はもしかして私にあるのではないですか?」


ふいにシアの声が暗くなった。


「どういうことだいシア」

「まさか。無邪気で愛らしい君をスティーブ様が煩うようなことがあるわけないじゃないか」

「そうですよねスティーブ様」


取り巻きの早く頷けとばかりの目力に押されて渋々頷く。


「……そうだな。どうしたんだいシア。僕の不調に君が関係するはずないだろう」


スティーブを見上げるシアの瞳はうるうると湿っていた。


「いいえ、私がフィオラ様の嫌がらせのことを申し上げなければこのようにスティーブ様が煩うことはなかったのです」


シアの口から自分の名前が飛び出てズシンと胃が重くなる。


「フィオラ嬢の件でシアが気に病む必要などない!」

「そうだシアは優しすぎる」

「それにあの女の醜悪な所業を婚約者であるスティーブ様が知らないのはお気の毒すぎるだろう」

「愛する女性を傷つけられて黙っていられる男などいないよシア」


男子たちに励まされてシアは涙を拭い健気に微笑む。

なんなのだ…この茶番は。


「婚約破棄の件をシアの為にフィオラ様に告げてくださったのですよね? フィオラ様は少し気性が激しい方なのできっと素直には受け入れて下さらなかったのでしょう」

「やはりそうだろうな。あの女のことだ。簡単に受け入れるわけがない」


訳知り顔で取り巻きたちが頷く。


「今朝もシアのところへいらして怒鳴り散らしたわ。よくもスティーブ様に本当のことを話したなと。それはすごい勢いで…殺されるかと思ったわ……シアとっても怖かった」


とうとうバラ色の頬に一粒美しい涙が流れた。


「おお、大丈夫かいシア」

「あの女、よくもこのようにか弱いシアにそのような事が出来るものだ」

「くそっ綺麗なのは顔だけの汚れきった阿婆擦れめ!」

「まあまあ、近いうちに婚約も破棄され地獄に堕ちるんだ。調子に乗っていられるのも今だけさ」


今この場にフィオラの身体が姿を現せば殺されてしまいそうなほど男たちが怒りを燃やしている。

本当に好き勝手なことを口々に言ってくれるものだと最早呆れしかない。

本物のスティーブならば同調するだろうが、しかしそこまでする気は全くなく曖昧に頷くに留めておいた。



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