29時限目 狩りの血潮
――『魔物』とは?
単純に、魔力を持った動物の事を指すが、魔力があるという事は、魔法を発現しているという事。
種族は、理性を持ち、魔法の使いどころをよく理解している。しかし、本能で生きる魔物はどうか?
……。
…………。
………………。
――『ガブル』という魔物を、始めて見た。
見た目は”狼”である。いや、天花市にいた頃に、狼なんて見た事は無かったが。
そもそも、天花市の様な街に、野良の狼が生息している訳がない。
例えば、柴犬は遺伝子的に狼に近いらしい。だからと言って、「狼だ!」と言う人や、一目見て狼だと思う人は少ないだろう。
それ程までに、狼というものは、日常生活において近しいものではない。人間の生息域にいないからだと、俺は思う。
しかしながら、情報なんてその辺に幾らでも転がっている。狼についての情報も、生きていく内に何となく脳にインプットされていた。
実際に、この双眸で見て、知識と現実の同期に時間はかからなかった。
「早速お出ましだね……!」
――ヴァンテージの森に突入して数分、直ぐに殺気を感じた。
真っ先に気が付いたのはミャンだった。それは『狩人』という職業柄なのか、種族的なものなのかは分からない。
俺はミャンの手を挙げる合図で理解してから、その唸り声を聞いてようやく認識した。
「グルルルルルルルルルルゥ……」
木陰から現れたそれは、いかにも魔物だと知らしめている様な姿をしている。
――体格は一回り大きい犬。毛色は灰色に、禍々しい紫のメッシュ。瞳は赤く、時折見せる牙は鋭く尖っている。
ダラダラと涎を垂らし、今にも襲い掛かろうと、常にこちらを警戒している。柴犬とは大違い。
「『魔狼』って種族の魔物だね。名は『ガブル』。群れで生活し、集落を組織的に襲う」
「! ひ、ひえぇ~。怖い魔物なんですねぇ~」
ミャンと俺が前衛的ポジションに立ち、後衛にランコを控えさせる。
頭の中はお花畑だが、一応アイドルだ。戦闘に慣れている様子もないし、俺とミャンが前に立つのが正着だろう。
「フン。どうやら俺達を歓迎しているみたいだナ?」
「そうだね。”ウェルカムドリンク”ってところかな!」
気付けば、いつの間にかクソデカハンマーを構えている。一体全体どっから出しているのか。
「群れで生活すンだろ? 見た所、1匹しか見当たらねェが」
「この子は”門番”の役割だよ。多分数メートル先に”伝令”がいて、門番がやられたら”本隊”へ伝えに行くんだよ」
「フン。まるで人間の様な生態だな」
「そうだよ。だからこそ厄介だよね」
俺も、ベルトに挟んで隠していた”鉄パイプ”を取り出し、構える。
「……え? 何それ?」
「武器だが?」
「ただの鉄パイプじゃん」
「いや、武器だが?」
「え?」
「は?」
「「……」」
一番手に馴染むんだが? 最強の鈍器だが? 俺硬派だが??
「……いやまぁ、何でもいいんだけど」
どこか呆れたような素振りをして、再び目先の敵へとロックオン。
「先にウチが戦ってもいい?」
「あ? なんで?」
「『狩人』として、お手本を見せたいかな?」
この怪力女……俺が素人だと言ってるようなモンじゃねェか……!
「分かった。頼む」
実際、”喧嘩”は慣れてるが、”戦闘”は素人である。ここは謙虚に、ミャンのお手本を拝見させて頂こう。
「人に悪さする魔物は――ウチが正す」
ミャンが一歩前に、俺は一歩後退し、ランコの隣へ。
(お手並み拝見だな――)
「はあっ!!」
――即座に戦闘へと移る。
大槌を胸の位置で構えたまま、力強く地を蹴って、ガブルへと肉薄する。
「!グラアアアアアアアアアアアア!!」
咆哮と共にミャンを迎え撃つ。
口を開け、予備動作無しで前方のミャンへと噛みつく――
「――よっと」
――直前に、左へとステップで避ける。まるで最初から左へ避ける様動いていた様だ。
「!」
ガチンッ、と歯と歯がぶつかる音。牙はミャンを捉えたはずが、虚しく空を噛む。
「やあああああああああああああ!!!!」
「!?」
左に避けながら頭上に掲げられた大槌。勢いのまま、力の向くまま、ガブルの頭上から振り下ろされる!
「うおっ!」
「キャッ」
ゴズッ、と鈍い音と共に、何かが砕ける。
大槌の勢いは止まらない。敵を粉砕したまま地面へとめり込んだ。衝撃で地面が揺れ、俺とランコは多少揺らめいた。
……。
「いっちょ上がり!」
流れる様な討伐に、気付けば感嘆の息が漏れていた。
「すっっご~い! 凄いね『ミャンお姉ちゃん』!」
「!? お、おおねっ!?」
ランコの称賛に過剰反応のミャン。
――ああ、この子ランコの”お姉ちゃん”なのね。変わってるなぁ。
「ま、まぁ? ここんな感じだよね?」
ちょっとソワソワしながらやって来るミャン。ハンマーを動かすと、無惨に地面へ顔を埋めているガブルの姿が露になった。
「ガブルは左右の動きに弱いみたいだから」
「成程な」
だから目の前でフェイントを加えたのか。真っ直ぐ突っ込んでいたら、間違いなく噛みつかれていただろうからな。
「随分詳しいが、戦ったことがあったのか」
「前ね。この”ヴァンテージの森”に入るのは初めてだけど、ガブルとは何度か」
この魔狼は広く分布しているという事だろう。とは言え、実戦でスムーズに動けるのはドエレーと思わざるを得ない。
「いい勉強になったな」
「うんうん☆ カッコよかったですぅ☆」
これは素直に褒める他ない。動きが鮮やかだった。敵を屠ると、覚悟している奴の動きだ。
「ふ、ふふん! お役に立てたようで嬉しいよ!」
嬉しそうに表情を緩めるミャン。狩人と言うだけあり、俺の喧嘩とは一味も二味も違う。普通に勉強になる。
「さて、門番を倒した事だし、多少は捜索出来そうだね」
「あ? 伝令が本隊に伝えに行くからヤベェんじゃねェの?」
「大丈夫。伝えに行くんだけど、それを受けて本隊は守りを固くするだろうから」
「こっちまで襲って来ないと?」
「そーゆーこと!」
ミャンがピースし、安全を伝えると共に、隣のランコが肩から力抜いた。
「はあ~~~~~~緊張しましたぁ……」
そりゃそうだ。俺だって緊張感を保っていた。俺より”軟派”な奴が緊張しない訳がない。
「他メンバー捜しつつ、宝探ししようか!」
「了解」「は~~い☆」
ここは狩人でもあり、リーダーでもあるミャンに従うとするか。
歩を進める――が、ちょっと止まる。
「……」
――再度、頭の潰れたガブルを見る。
さっきまで生きて、俺達を襲おうとしてきた魔物だ。界塵の様に消滅する訳ではない。
(死体が残るってのは……複雑だ)
魔物とは言え動物でもある。実生活で動物の死体を見る事はそうない事だろう。
(……行くか)
覚悟とは――魔物を殺める事でもある。この胸に生じたモヤモヤは、この死体と共に置いて行こう――
……。
…………。
………………。
暗くジメっとした森は、歩いているだけでも鬱な気分になるものだが――
(路地裏みたいだナ?)
むしろ、俺としては、これくらいおどろおどろしい方が性に合っている。
悪は闇を好むもの。不良も同じ。お天道様の下は――眩しすぎる。
「この辺りにはいないね」
――数十分、俺達はこの森を散策していた。
ミャンは時折、地面に屈んで足跡等の痕跡を探したり、宝の在りそうな草藪をかき分けていた。
……スカートでこちゃこちゃ動かれると、目線が持っていかれそうで恐ろしい。
特に、ミャンはタイツやストッキングの類を履いていない為、瑞々しい生足が視界に入って非常に困る。
「もっと奥に行ってるのかもな」
「んー、困ったな。あんまり奥には行きたくないんだよね」
「本隊があるからか」
「それもあるけど」
そう言うと、近くの木にナイフで傷を付けた。
「森って簡単に遭難しちゃうからさ。方向感覚を失いやすいし」
「確かにな」
気付くと森の入り口はもう見えない所まで来ていた。こうなると、俺も帰り道が分からなくなってくる。
「ま、これは『5つの試練』ではなくオリエンテーションだしね。ある程度フォローしてくれるんだとは思うけど」
普段、森なんて入らない俺にとっちゃあ、これも一つの試練に感じる。
しかし、ミャンにとってはそうでもないらしい。先行し先導し、パッパと木や岩に目印をつけ、いつでも撤退できるように動いている。
それだけじゃなく、周囲への警戒や痕跡を探ったり、メインのお宝さがしにもちゃんと参加している。
(ただの怪力女じゃねェな……!)
この子、あまりにもサバイバル慣れしている……!
(――対して)
「ひぃっ! ……な、なんだぁ葉っぱかぁ……汗」
このラリ子、あまりにもサバイバル慣れしていない……!
「……あんまり引っ付くなよ」
「え、えぇ~! だ、だってぇ~」
俺の左腕を両手でガッッッッチリ掴み、オロオロしながら付いてくるランコ。
「マオお兄ちゃんは、こういうの慣れてる人なんですかぁ?」
「慣れてない」
「だったら一緒じゃないですかぁ」
「は?(ピキピキ)」
「! こ、怖いですぅ! 顔が怖いですぅ! 鬼ですぅ!」
誰が人に掴まらないと歩けないラリ子と一緒じゃこの野郎。あと誰が鬼だ。
「つーか君、向いてないだろ。こういうの」
「う、うぅ~。そ、そうかもですけどぉ……」
――何故この子はヴァルヴァラ学園に入園したのか?
エルルは言っていた。「アクアマリンはメルン王家が広報の為に学園へ呼んだ」と。
広報として入ってくれるのは有難い事なんだろうけど、あまりにもサバイバルに向いていないと感じたが――
「グロいもの苦手なんですよねぇ……」
良く分からない理由が飛び出した為、一瞬頭が疑問符で埋め尽くされた。
「……は? どういう意味?」
「そのままの意味ですよぉ。ランちゃん、虫とか超苦手なんですよねぇ」
「グロいから?」
「グロいから☆」
…… ??
(なんかよく分からないからいいや)
グロかどうかは個人の感覚によるものだ。俺は深入りするのを止めて、宝探しに集中する事にした。
「……ねぇ、マオお兄ちゃ~ん」
――だと言うのに。左腕に憑いてるラリ子が煩い。
「ランちゃん、この森暗くてこわいですぅ~~~~☆」
(――ふふ、流石のお兄ちゃんと言えども、このシチュエーション! こんなに可愛いアイドルが寄り添って、上目遣いで甘えたら……キュンキュンしする事間違いなし☆)
――吊り橋効果! 不安や恐怖を煽る場において、男女は恋愛感情を抱きやすいと言うらしい!
「マオお兄ちゃん……守ってくれます?」
(そう、これは一種の”狩り”。ランちゃんがマオお兄ちゃんを狩るか、狩られるかの戦いなんです☆)
ランコの絶対に真魚を堕としてやろうとする意志に対し、当の真魚は――!?
「黙れ」
――逆効果! 普段アイドルムーブをかましている為、むしろ辟易していて逆の効果が働いている!
「! ひ、酷いぃ~!」
「むしろ優しいだろ」
相手してやってるだけ有難いと思え、と真魚は思うだけだった。
「大人しくしてろよ、ガキじゃないんだから」
「……!!」
悪気のない真魚の一言だったが、逆にランコの神経を逆なでた!
「~~~~っ! えいっ☆」
「 !? おいっ!」
アイドルのプライド的に悔しくなったのか、半ばヤケクソ気味に俺の腕へと抱き着くラリ子。
ギュッと体ごと腕に抱き着いた為、女性的な柔らかい感触が左腕に直撃する!
(ムカつく~~~~☆ なんで堕ちてくれないのぉ!?)
「お前……アイドルだろ!?」
「堕ちないマオお兄ちゃんが悪いんじゃないですかぁ!?」
「はぁ? ラリった事言ってんじゃねぇ!!」
「ラリってませ~ん! ランちゃんは正常ですぅ!!」
「ああ、そうだったな。お前最初から”職業ラリ子”だったナ?」
「あーーーー!! また言った! またランちゃんの事”ラリ子”って言った! ムカつく!!」
「 !? もっとくっ付こうとすんな! しばくぞこの野郎!?」
「くっ付かれて嬉しいって言ってくださいよぉ!!」
「言うか!? しばく!!」
「!? いた゛ああああああああああああああ!?」
ギャーギャー言い合う2人。傍目に見ていたミャンは――
(こいつら何イチャついとんねん!!!!!!)
羨ましさと苛立ちが同時に募るのであった――。