5時限目 アンチラッキースケベ
――結局、晩飯前のつまみ食いは断念。
「はぁー……」
すごすごと戻る。
足取りは重く、まるで俺の周囲だけ曇っているかの様な、湿り具合である。
今なら湿度100パーセント越えも狙える。それ程、気分は落ち込んでいた。
(あのハッカって子……要注意だな)
理由は知らんが、俺に敵意の視線を向けていたメイド、ハッカ。今後は城内でも、警戒が必要だろう。
(敵意を向けるっつーのは、俺をぶちのめしたいという事だろうからな)
自分でも、やや歪んだ解釈だとは思うが、そう言う事だと考えている。
こう見えて俺は、百戦錬磨の喧嘩野郎。挑んでくるなら返り討ちにするだけだ――
(――いやいや、何で喧嘩腰になってんだ俺……)
恐らく空腹で、腹が立っているのだろう。頭を使い過ぎて攻撃的になっている。
髪をかき上げ、雑味のある思考を取り除く。
「取り敢えず、晩飯までベッドに寝転がるか……」
休もう。んで、飯食って今日は早く寝よう……。
――そうして。
気分萎え萎えのまま部屋の前まで戻ると、見た事のない生き物が、扉の前にいた。
「いやいや……今日は随分と、色々起こるナ?」
厄日か?
――二足歩行の亀みたいな生き物である。しかし、亀と言うには、些か珍妙である。
一般的な亀の甲羅はある。しかし、本体はゼリー状で、プルプルしている。
四肢はある。しかし、本体は立体的な円柱の組み合わせである。胴体の円柱に、4つの円柱が右腕・左腕・右足・左足としてくっ付いている様な感じで、胴体の背中には普通の甲羅がある。
顔はある。が、胴体の円柱が伸びて顔になっている。それも、赤く光る両目しか分からない。
――これだけの情報で、訳の分からない生き物と言うのが伝わるだろう。
そんな、亀っぽい謎生物が、俺の部屋の前で立ち塞がっていた。仁王立ちである。
あれだ……ゲームとかで扉を守っているボスみたいな感じだ。……子犬程度の存在感だが。
「おう、何か用か?」
「……」
恐る恐る、俺が声をかけ、近づいても……動じない。中々肝の座った生き物である。
正直、膝下ぐらいの大きさな為、跨げば部屋の中へ入れそう。
「悪いな、亀(?)ちゃん。ここ俺ん部屋だからよ。ちょっと邪魔するぜ」
「……」
返事は特にない。屍ではないが。
右足を高らかに上げ、謎亀を跨いで扉を押して中へ入る――
「 !! うおおっ!」
上げていない軸足の方に、あろう事か、突然抱き着いて来た!
「危ねぇな!」
バランスを崩しそうだった為、部屋へ入るのを諦め足を下ろした。
「……」
何も言わず、俺の足にくっ付きやがって……コアラかっての。
地味にぬめぬめとした皮膚により、自慢のボンタンズボンが薄っすら濡れる。
よく見ると、両手の先には5本指があり、鋭く尖った爪があった。
( !? 爪がボンタンにめり込んでんじゃねぇか!?)
「ちょ――オイオイオイ! ボンタン駄目んなるだろ!」
慌ててボンタンから亀っぽいブツを引き剥がそうとするが……爪が食い込み離れない。
「……」
ぼんやりと光る赤い目だが、絶対に離れないという意志を感じる。
「何がしたいんだよ……」
石の様に密着して離れなくなってしまった謎の亀。
(……敵意がないだけ、面倒臭ェ)
俺に牙を向けて来るなら、問答無用で蹴り飛ばすのだが、そう言う訳でもない。
一瞬、ボンタンを犠牲にしてしまおうとも考える――
(ハッ―― !? )
ティタが夜なべして、ボンタンを縫ってくれるイメージが浮かんでしまった! 流石にティタに申し訳ない……。
どうするべきか。いっそこのまま部屋に戻ってしまうか? まぁ、別にそれでもいいわな……。
「――はぁ……何してるんですの?」
部屋に入らず、立往生して考えていると、背後から声をかけられた。
この小憎たらしい喋り口調は……。
(アイツしかいないよナ?)
振り返ると――やはり、クルルことクソガキだった。
腰に手を当て、しかめっ面でこっちを見ている。いや、見下している。
「何って……見りゃ分かんだろ? 亀に襲われてるんだ」
「はぁ? 頭大丈夫ですの? 頭ざぁこ?」
「お前よりはマシだ。”犬ちゃん”?」
「……(ピキピキ)」
一々俺に突っかかって来なきゃいいのに……暇なのか?
「足元見ろよ。この子が俺に夢中らしい」
「はぁー? 自意識過剰ですわね。誰が不良なんかに――」
いつもの様に俺への罵声を言いかけ……謎亀を見て声を止めた。
「カメメちゃん!?」
……は? え、何?
俺が面食らっていると、クルルが謎亀の元へしゃがみ込んだ。
「もーっ! 探したんですわよ! ほら、わたくしの部屋へ戻りますわよ?」
「……なんだ。お前の”ペット”か」
「ペットじゃないですわ! わたくしの”お友達”でしてよ。名前は『カメメちゃん』」
しゃがんだまま、俺を見上げ睨んでくる。相変わらず、威勢の良い事で。
「なら、早くお友達を連れてってくれないか? 部屋に戻りたいんだけど」
「言われなくてもそうしますわよ!」
憤慨しながら、カメメちゃんへと両手を伸ばす。
「ほら、カメメちゃ~ん。そこの薄汚いゴミから離れて、家に帰りますわよ?」
「キレそう」
年甲斐もなく年下しばくぞ?
「……」
クルルの伸ばした手を、只々見つめるだけのカメメちゃん。
「見事に懐いてないな……」
「そ、そんなはずは……!」
愕然とした表情で、床に座り込んでしまうクルル。
何でもいいけど、早く解放して欲しい。
「くっ……やはりまた”血”が受け入れられなかったのですわね……」
おっ、中二か?
「お前、何拗らせてんだよ。分かるけどな、そう言うのに憧れんのは」
かく言う俺も、中二を拗らせていた時期があったな……。
自分には隠された力があり(設定)、闇の必殺技をノートに書き連ねてたっけ。
更に、その闇の必殺技を会得すべく、夜の街を意味もなく散策してたっけ。んで、街行く人に『大いなる闇に気を付けよ』って忠告してたっけ……。
………………。
駄目だ。死にたくなる。
「別に拗らせてなどいませんわ! これは王家の血筋のせいですわ!」
俺が昔の思い出に殺されそうになっているところに、クルルが忌々しそうに言ってきた。
「血筋?」
「メルン家の血筋には、『魔物特効』の素質があり、魔物に嫌われやすくなるのですわ」
「へぇ?」
「あなたの『界塵特効』の魔物版ですわね」
……そんな素質が眠っているのか、メルン王家には。
何気なく、首元の模様をなぞっていると、クルルが目敏く指摘する。
「あなた、エルル姉様と契約したでしょう? 王家の血は、魔力にも含まれる。つまりあなたが魔力を借りる度に、『魔物特効』が得られると言う訳ですわ」
「 !! 俺にも恩恵があるのか」
つまり俺は、魔力を借りた状態だと『魔物特効』、『界塵特効』の力を持って戦えるのか。
素晴らしい事だ……そうだよな?
「話がズレてしまいましたわ……要するに、『魔物特効』のせいで、わたくしはカメメちゃんに避けられやすいということですわ」
「あっそ」
「あ゛?(ピキピキ)」
クルルが避けられやすいのはどうでもいいが、良いことを聞いた。俺の戦力の一つとなるだろう。
「つーか、こんなナリで魔物なのか」
ビッと、カメメちゃんに指を差す。こうして話している間も、俺から離れてはくれない。
「『カメライミュ』……という、魔物ですわ。『ライミュ』って言う魔物の亜種ですわね」
「フン。ライミュっつーのも、こんな感じか?」
「甲羅が無く、もっとドロドロしてますわね」
ライミュに、カメライミュ、ね。
ワーグ族で言う”○○ベース”みたいなものだろう。カメベースのライミュ、みたいな。
「ライミュには他にも亜種がいますわ。中でも有名なのは、愛くるしい仕草の『ネコライミュ』――」
「はぁ、どうでもいいな。それより早く、この子取ってくれよ」
「あなたから聞いておいて……! ふんっ! 言われなくても分かっていますわ!」
俺の一言に苛立ちながら、クルルがカメメちゃんへとにじり寄る。
……ふと、小さな疑問が浮かんだ。
(そういや、カメメちゃんは魔物なのに、なんで城の中にいるんだ?)
城には『神聖結界』と言う、魔物や界塵を寄せ付けない結界が張られているはずだ。
魔物であるカメメちゃんも例外じゃないと思うのだが……。
尋ねてみようとしたが、既に事態は動いていた――。
「ぅカメメちゃぁ~ん。お家に、帰りますわよ~?(高音)」
「うわ、きつ……」
「あなた!! 聞こえてますわよ!!(激高)」
思わずガッと、俺に吠えてしまうクルル。
「!」
その声にビビったのか、カメメちゃんは俺の足から離れ、一目散に逃げ出してしまった。
「あ、カメメちゃん!」
慌てて手を伸ばし、捕まえようとするクルルだったが――
「! きゃあっ!」
カメメちゃんの残した粘液に足を取られ、すっころんでしまった――
「 !? うおっ!」
――俺の方へ。
派手な音を立てて、2人共倒れてしまう。
「――ってェなぁ……」
「それはこっちのセリフ……」
お互い悪態をつきながら、状況を確認して――固まった。
「ちょっ……おま!」
「! ふしゃああああああああ!! キモいキモいキモいぃ!!」
「テメー!! 早く離れろや!」
「分かってますわよ――あ、あれ? 回した手がっ! 離れないっ!」
「 !? 」
カメメちゃんのくっ付いていた左足を見ると、その部分だけカピカピに固まっている。
(アイツの粘液のせいかッ……!)
「ど、どうして! 手が! 離れない!」
「 !! ちょ、おま、あんまグリグリすんな……!」
「したくてしている訳じゃありませんわ!? こんな小汚いもの!!」
「誰の”ナニ”が小汚いってェ!? ”硬派”の塊だぞ!? ダイヤモンド級だぞ!?(?)」
「それ聞いて誰が”綺麗”だって思うんですの!? クサキモいぃ!!」
「よっしゃ、逆にグリグリしてやる」
「ぎゃあああああああああああああッッ!?」
「あれ~? あそこにいるのは……マーくんとクルル様?」
「何してるんですかね?」
「おーい! マーくん! クルル様~!」
OH……最悪なタイミング。
向こうから、無邪気なピスカと無垢なティタが、俺らを見つけて駆けて来た。
「! ま、マオさんっ?」
「あー……」
――俺の股間に顔を埋めるクルルを見て、2人も固まった。
「な、ななな何を!?」
「ち、違いますわよ!? そう言うのじゃありませんからぁ!!」
「いやー、マーくんの腰に両腕回して、ガッチリホールドしてアソコに顔くっ付けてるのは……ちょっと無理があるんじゃないかな~?」
「そうですよ! なんて羨ま――けしからん事ですっ!!」
「――ティーちゃん、今何言いかけた?」
「とにかく違いますのよ!! 違うんですわあああああああ!!」
「それなら早く、離れてくださーーーーい!!」「それなら早く離れてよーーーー!!」
……あー、やっぱり厄日だったわ。
……。
…………。
………………。
――5月8日。本日も晴天なり。
外の天気と同じく、晴れやかな気持ちで机に向かう俺。
時折窓から吹いてくる風が、一服の清涼剤になっている事は明白であり、俺の心もメンソールの如く涼しげである。
入園試験はもう明後日だ。勉強に筋トレと、ラストスパートをかけている。
(間違いなく、過去一で勉強している……!)
次々と過去問題集のページを書き進めていく。とかく進軍である。
(恐ろしいスピードだ。スラスラと解けてしまう!)
――自負がある。勉強し、賢くなりつつあるという、自負がある。
(イケる。イケんぜ入園試験!)
――この自負が、俺を羽ばたかせてくれる。そう、学園と言う、大空へと……。
「――ハッ!?」
「あ、起きた」
俺の顔を覗き込んでいたエルルと目が合った。
目を覚まし、ベッドから飛び起きる。周囲を見渡し、ここが自分の部屋だと知った。
「――なんだ、夢か」
猛勉強している夢を見た。
……何て言うか、夢の中でまで勉強しているなんて……終わってんな、俺。
「ふふっ、元気な起床ね?」
「……恥ずかしい所を見られたな」
恥ずかしさを誤魔化す様にして背伸びをする。節々が小気味よい音を立てる。
ふと、エルルを見る。いつにも増して、ちゃんとした格好だ。
純白のドレスが目に映える。あと、桃色の髪も。
「お早う、マオ。調子はどう?」
「……ぼちぼちだな」
「ふふっ、そればっかり」
クスクスと笑うエルルだが、やはりいつもよりお嬢様感が強い。
どう言う事かと少し考え、壁のカレンダーを見て……ようやく頭が冴えた。
「――そうか。今日が本番か」
5月10日、日曜日。今日が、入園試験本番の日であった。
「何? まだ夢を見ていたの?」
「今日が8日の夢を見ていた」
「あら、じゃあマオは2日未来へ進んだのね」
「2日間の記憶が飛んだとも言うな」
余りに過酷な勉強地獄に、脳が少し狂ったのだろう。なぁに、かえって丁度いいくらいだ(?)
ゆっくりと支度を始める。同時に、エルルが部屋から退出――
「ねぇ、マオ」
――しようとして、入り口で立ち止まった。
何事かとエルルを見ると、マジな顔をしていた。
「私、マオに認めてもらえるように頑張るわね!」
「……何の事だか、分からないな」
「ふふっ! じゃあ下で待ってるわね!」
それだけ言って、部屋から出て行った。
……思える日が来るのだろうか。俺が、エルルやティタ達を――。
「……フン。とにかく、準備だな」
まずは進もう。入園試験合格が、俺の番長への道の、第一歩となる――。