第19話 星空が鑑賞会
――待ち合わせ時間である、夜の7時。
昼間さめざめと降っていた雨は止み、曇りのない濃紺の夜。
異世界においても、空模様は特段変わる事はない様だ。雲は雲、空は空。
――ヴァルサリル城の最上階、『高座の展望』。
城の最上部にして、巨大な展望スペースとなっている。まん丸いフィールドを、格子状の鉄の柵に囲まれ、カフェテラスの様に丸テーブルと椅子がセットで幾つか設置されている。
――屋上のカフェテラス、と言っても過言ではない。
「あ! 真魚様~!」
数ある席の内の1つに、メールの差出人がいた。
遠くから、ブンブンと大きく手を振って場所を教えてくれるウルル。近づくと、満面の笑みで出迎えてくれた。
「お久しぶりです真魚様! 来てくれてありがとうございます!」
「ああ。晴れて良かったナ?」
「はい! ”星空観賞会”なのに、”曇り空鑑賞会”になるところでした」
ギュッと両手を握られ、オーバーな歓迎を受ける。相変わらずの、桃色の髪が揺れ、濃い桃色の双眸が俺を見つめる。
王家特有のものだろうか……とても目を惹き、吸い込まれるような感覚に陥る。
「曇り空鑑賞会はご勘弁願いたいものだ」
俺は自然に目を逸らす。
長く見ていると、全て見透かされそうで心がざわつく。
「ささ、どうぞどうぞ」
ウルルが椅子を引き、俺の座るべき椅子を提示してくれた。どうやらここにある椅子はリクライニングチェアの様だった。
迷わず座る。どっかりと、深く座る。
すると、俺の対面にこれまたニコニコ笑顔の少年が座っていた。
「や、真魚君」
頬杖を付き、ひらひらと手を振る少年――結城飛鳥だ。
「よう」
一目見て、すぐ気が付いた。
「……多少は、やるようになったか?」
「そりゃあねえ。もう毎日訓練ですよー」
はぁー、と深いため息。
……初めて会った時の飛鳥は、良くも悪くも普通の男だった。
恐らく、喧嘩も満足にしたことが無いような、貧弱で頼りなそうで、幸薄そうなザ・普通の少年。
――ところが今はどうだ。程よく筋肉が付き、肌は浅く焼けている。硬派には程遠いが、漢に近しい凛々しい顔になった。
「勇者として、頑張らないとね」
意志の強さは変わらないが、そこへ自信も付随されている様な気がした。
「しごかれてるのか」
「まぁね。いかに自分が、平和な世界で生きてきたんだって実感したよ」
「離れて初めて有難みを知るって言うしな」
「まさにそれ」
困った様に眉を歪ませたが、その視線に迷いはない。
飛鳥はもう、勇者としての”覚悟”を持った男だ。この程度の事で、挫ける事はないだろう。断言できる。
「確かに、天花市は平和でした」
俺の斜め右に、ウルルが座る。丸テーブルを中心に3人のみ。3人だけの貸し切りの屋上だ。
「平和も平和。”僕は”平和だったね」
「『僕は』を強調するナ?」
「だって真魚君は世紀末の世界の人でしょ?」
「誰が汚物消毒するヒャッハーモヒカンだ」
確かに世紀末みたいな学校通ってはいたが。
「真魚君は知ってる? 戦うって事は、相手を負かす事なんだぜ?」
知ってる。だから俺は、誰よりも強いボケ高の番長になった。なって……しまった。
「僕はそんな事も知らなくてさー。何て言うか、弱らせる? じゃないけど、喧嘩両成敗? 的な感じを求めてたと言うか」
「誰も傷つかない優しい世界……みたいな事ですよね?」
「そうそう。虫を殺すのにも躊躇してた僕がさ、魔物や界塵を殺さなきゃいけないってのは……中々に僕の精神衛生上良くないんだよね」
気持ちは良く分かる。初めて人を殴った時の感覚……俺は絶対に忘れないだろう。
(――鈍い音。拳から伝わる嫌悪感。頭がグラつく高揚感。鼻息は荒く、心臓は煩く、尋常じゃない程視界は狭まる)
そして血の気が引く程の罪悪感。
その時に悟った。俺はもう、正義ではなく悪なんだ、と。
「と言うかその前段階だよね。訓練って言っても、相手を攻撃すれば相手は怪我をする。さっきまでワイワイやってた仲間が相手だよ? 仲間を傷つけてまで僕は強くならなくちゃいけないってのがさー……」
「アスカ、最初は嫌そうでしたね?」
「そりゃ嫌だよ! 誰が好き好んで仲間に怪我させたいと思うのか!」
頭を抱え、奇声の様に気持ちを吐露する。あまりにも真っ直ぐな感情で、俺は思わず笑う。
「そんな事言ったら、柔道や剣道みたいな対人競技だって同じだろ? 練習や試合で怪我させてしまう可能性だってある」
「それはだって、スポーツマンシップに則ってるじゃん! 訓練は違うぜ? 相手は殺すつもりでくるし、僕も殺すつもりで相手にしなきゃいけない」
「命がけでやらなければ意味はありませんから」
「そうだけどさー……」
ぐでーっと、テーブルに突っ伏す飛鳥。よっぽど溜まっていたのか、前より感情表現が豊かだ。
「うーん……」
疲れているのか……と思えば、急に顔を上げ姿勢を正した。
「止め止め! 僕は愚痴が言いたくてここにいるんじゃないよ! 星空を見ながら癒されるんだ!」
「タフだな君」
意識の切り替えが上手なのかもしれない。心のメリハリは、生活必需品だ。
「星空を見ましょうか」
苦笑いを浮かべたウルルの一言により、俺は椅子をリクライニングチェアを傾けた。
……。
…………。
………………。
星が、瞬いている。
――月並みな感想に、我ながら苦笑する他ない。
大小様々な光の粒が、真っ黒なスクリーンを鮮やかに装飾している。どれがどの星だとかは俺には分からないが、ただ単純に、原始的に、俺の視覚を満足させる。
人生で、自ら能動的に星空を眺めるなんて事をしたのは、初めてかもしれない。綺麗な夜だ、そう思わざるを得なかった。
「アーキュリアは、周囲を広大な海に囲まれています。とても自然豊かな国なのです」
隣で、ウルルがガイド案内板の様に、説明をしてくれているが、ほとんど入って来ない程、観賞に集中していた。
「景色に関しては、特に最東端から見える景色が素晴らしいのです」
「最東端って言うと……ミミスの方?」
「そうです。よく覚えてましたね、アスカ!」
「まぁねー。勉強についてもみっちり叩き込まれている最中だからさー」
「ふふっ、身になっていて良かったです」
「……鬼教官」
「? 何か言いましたかアスカ?」
「いえ、何も!」
ウルルと飛鳥の表面上穏やかな会話をBGMに、俺はただ星を見る。
「最東端からは四季折々の島々が見られるのです。光り輝く島、曇りの島、火山の島、氷の島――実際に、上陸しても素晴らしい景色が待っています」
「へぇ、何だかワクワクするね! 良いよね真魚君?」
「……何故俺に振る?」
「いや、共感してもらえるかなって――」
「共感しかないだろ」
「だよね!」
少年心を擽るよな、そういう島を冒険するのって。
「あ、流れ星です!」
「 !? 」
ウルルの声にいち早く反応した俺は、すかさずその方向を見る。
――キラキラ輝く星が、落ちていく。
「変わらないな、この世界も」
「だね」
流れ星は流れ星だ。夜空を切り裂き地に帰るのだ。
「……古い言い伝えがあります」
この言葉を皮切りに、ウルルが話し始めた。自然と視覚から、聴覚へと集中の度合いがシフトチェンジされた。
「界塵は、人の魂を結晶化して食べるのですが――」
物騒な始まり方だが、事実だ。世界の敵である絶望の具現化、界塵とやらは人の魂を喰らう。
「人の肉体自体は食べません。なので、魂の抜けた抜け殻だけが残ります。それは意思もなく、ただ生きているだけの物体となってしまいます」
「それは……辛いね」
「はい……とても」
幾つも実物を見てきたのだろう。ウルルの表情は、憂愁に沈んでいる。
「魂を食べられた人は『堕落者』と呼ばれ、抜け殻のまま実質死を迎える事になります」
「どうにもならないの?」
「魂は、命そのものですから」
形は残るが、そこに意思はない。堕落者――か。
「ここから本題ですが……古い言い伝えで、“流れ星が落ちると、落ちた星が堕落者の魂となり、勇者として生き返らせる”というものがあるのです」
ウルルは飛鳥と俺を見た。強い意志の溢れた瞳だ。
「子供の頃は信じていました。でも、大きくなった今では、それが嘘だったと判明しています」
流れ星は、宇宙の塵の凝縮したモノが、地球の大気にぶつかって発光する事を言うんだったか。うろ覚えだが。
その原理を、この世界でも常識としているのだろうか……いや、しているか。天花市と繋がっている以上、そう言う情報も流れているはずだ。
サンタクロースが父親だったり、両親の夜のプロレスはアレだったり、大人になるという事は、世界の真理を知る事と同義だ。
それでも、とウルルは続ける。
「――私は信じてみたいです。全てを知って上で、信じてみたい……。だって、奇跡はあるのですから」
「……そうだな」
本当にサンタはいるかもしれない。両親は本当に夜にプロレスをやっていただけかもしれない――本当にそうか?
とにかく、全て否定出来る人なんていないし、出来ないだろう。
「その結果、俺達がいるのかもな」
俺の言葉に同意して、飛鳥がピースをする。
「そうそう! 皆の願いは、確かに受け取ったよ!」
任せろ、と胸を張る。
それでいい。勇者はいつでも自信満々で、悪を倒す正義でなくてはな。
――俺は……どうだろうな。
「……真魚様」
気付けば、ウルルが俺を見ていた。
「4月16日――3日後に『聖剣授与』があります」
「聖剣授与?」
「聖剣は、メルン王家に代々受け継がれてきた家宝の1つです。家宝でありながら、アーキュリアの人では上手く扱えず、勇者ならば上手く扱うことが出来る剣なのです」
「何とも不便な家宝だな」
”聖剣”か。名前だけは超メジャーだ。俺の世界の創作物にも、幾度となく使われている。
(もしかしたら、魔剣教団の崇める魔剣と関係していたりして……?)
――なんて、都合のいい妄想だ。
「聖剣は”対界塵用”の最終兵器です。これを王家は勇者へ授与し、勇者パーティを導いてもらうのです」
「それが聖剣授与か」
頷くウルル。
つまり、聖剣を飛鳥へあげるという事だろう。
「大がかりな国を挙げての式典です。ルザブル大通りを勇者パーティが行進していくこととなります」
「それはドエレー大がかりだが……」
あの広い道路を、勇者パーティが歩き、沿道でそれを見送る事になるのだろうか。
……見送る、事になるのか?
俺が気付くと、飛鳥が先に口にする。
「――行くよ、その日に」
「……旅立ち、か」
リクライニングを元に戻す。飛鳥もウルルも既に戻している。
「1週間足らずで行かなければならないのか?」
「敵は僕らを待ってはくれないみたいだねー」
残念残念、と飛鳥は大げさに肩を竦めた。
「状況は悪化しています。怪しい動きもある。早めに進軍しなければ、押し切られそうなのです」
「一応、最低限出発の準備は整ったしね」
「そうか……」
急な事で驚いたが、頭は冴えている。ようやくこの会の意図を理解した。
星空観賞会は、俺への最後の挨拶の為の会だったのだ――。
「フン……達者でな。死ぬなよ?」
「死なないよ。僕は勇者だからね」
余計な言葉などいらない。これでいい。覚悟の決まった人間に送る言葉はこれでいいのだ。
「ま、死んじゃったら宜しくね?」
何をだよ、と言いたかったが、含んでいる意味を理解していた。
「真魚様……」
ウルルが、真っ直ぐに俺を捉える。
俺も、逸らさずに前を向く。
「例え今、この世界に何も無かったとしても、“過去”の貴方が消えてしまった訳ではありません。天花市で私を助けてくれた貴方は確かに……正義の『勇者』でした」
最高の賛美をありがとう、ウルル。
気持ちは最早、走り始めている。
――決意の時は、もう近い。




