第18話 超万能多機能携帯情報端末魔法道具『エルルフォン』(通称『EP』)
――4月14日(火)。
前日まで晴れ続きであったが、今日は珍しく雨模様である。
自室の引違い窓を、横に開けると、しとしと降っている雨。部屋の湿度も上がっており、タンクトップが何となく肌に張り付いている気がする。
「フン……」
朝から憂鬱な気持ちになって来る……訳でもない。
俺は、案外雨が好きだ。
びっしょり濡れるのは嫌だが、適度に濡れるのは構わない。ザーザー音を立てて降る雨が嫌だが、静かに降る雨は構わない。
……何と言えばいいだろうか。風情、趣の様な、昔の俳人に謡われたような雨は、聞いていて見ていて心地が良い。
『ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
外を飛ぶ白い竜も、気持ちよさそうに飛んでいる。まるでシャワーでも浴びているかの様だ。
「雨、止まないですね……」
俺が外の景色を満喫していると、傍らで呟くティタ。
彼女は俺とは違い、雨に対し憂鬱そうな表情で眺めている。
「雨は嫌いか?」
「はいぃ……。耳と尻尾が重くなるので」
そう言うと、器用に犬耳と犬尻尾をパタパタ動かす。
空気中の水分を含みやすいのだろうか。俺のタンクトップ同様、湿っている気がする。
「確かに重そうだよねぇ~」
何故か我が物顔で、俺のベッドを占領しているピスカ。メイド服にしわが付くのも気にせず、うつ伏せになって寝っ転がり、両足をバタバタしている。
「そう言えば何か用か?」
当たり前の様に、ティタと一緒に俺の部屋に入って来たが……。
「特にはないよ~」
自由だなこのエルフ。マイペースと言うか、仕事放棄してないか?
「エルルは良いのか?」
「1人籠って研究に没頭しちゃってねぇ。マーくんに”面倒見てもらいなさい”って言われちゃったー」
「おい」
自分のメイドを厄介払いするなよ……。つーか俺ン所送るな。託児所かココは。
「だーかーらー……久しぶりにティーちゃんに構ってもらうのだ~!」
「きゃー! あははっ!」
ベッドから飛び起き、ティタに抱き着くピスカ。悲鳴を上げるも、嬉しそうなティタ。
現に、尻尾がフリフリしちゃっている。
「にゅっふっふ。このモフモフ感……癒されるのお~」
「ちょっとピーちゃん、くすぐったいですよぉー!」
「これがいいのか~! これかー!」
「あははっ、あは、あはははは!」
こしょこしょとティタの尻尾を揉みしだく。くすぐったさから悶えるティタ。顔は赤らみ、涙目になっている。
(……!)
女の子同士のじゃれ合いは、見ていて飽きないと言う統計(自社調べ)があるそうだが……成程、言い得て妙である。
正直、俺はこの界隈に疎い。
「よーしゅよしゅよしゅよしゅ!」
「あはははっ! お、お返しですっ!」
「残念~。わたしは脇くすぐりには耐性あるからね~。そりゃー!」
「そ、そんなっ、あ、あはははは!」
「……」
――勉強しよう。この百合百合した光景を、目に焼き付けようではないか。
「ま、マオさんー!」
手を伸ばして助けを求めるティタに、俺は清々しくサムズアップ。
「安心しろ……邪魔はしない」
「マオさん!?」
存分に絡み合って欲しい。そして、俺の守備範囲を広げて欲しい。
すまない……後学の為だ。犠牲になってくれ……!
「マオさんの裏切り者――ひゃ、あはは!」
「 !? 」
一瞬、ティタが恨めしい視線を送って来て、目が覚めた。
いかんいかん! ティタに恨まれてまで勉強したい訳じゃない。
恐ろしい世界だ……一歩進めば沼。俺は底なし沼に沈み込むところだった……!
「その辺に――」
――しておけ、と言うつもりだったが……間に合わなかった。
「ちょっとだけ噛んじゃえ、かぷ」
「っ!! ひゃあんっ///」
調子に乗ったピスカが、ティタの耳に甘噛みした途端、ティタの口から非常にエッチな声が漏れた。
(そうか……ティタは耳が弱点か……!)
――じゃなくて。関心している場合ではなく。
慌てて二人の間に入る。
「こら。その辺で止めとけピスカ」
「えー? いいの~マーくん? 百合の間に入る男みたいだよー?」
「……俺も出来れば、その立ち回りはしたくなった」
2人を一生見守る観葉植物になりたかったが……事が事だ。
「自分の”舎弟”が困っているんだ。助けないのは”兄貴分”としておかしいだろう」
「そうだね……ん? そうかな?」
なんか変じゃない? と迷っている内に、ピスカの魔の手からティタを救出した。
「はぁはぁ……ま、マオさん……遅いですぅ……」
「すまん」
これについては本当に謝罪しかない。深々と頭を下げた。
「いい経験だった」
「何がですかぁ……」
息を切らし、四つん這いで状態回復を待つティタ。衣服は乱れ、健康的な鎖骨が見え隠れしている。
「ありがとう」
「何がですかぁ!?」
間違えた。
「――じゃない。大変だったナ?」
「……くぅーん。何かマオさん、ピーちゃんっぽくて意地悪ですぅ」
慰め代わりと、荒い息を吐くティタの背中をポンポンしてやるも時既に遅し。ティタから不信の目で見られてしまった。
何と言う事だ……俺とした事が。
「あーらら。嫌われちゃったねぇマーくん?」
「誰のせいだと……」
俺は思わず頭を抱えた。
つい昨日、ピスカとコスプレショップに遊びに行ってからというもの、かつての”オタク気質”が再燃してしまっている気がする。
――オタクであった事を恥じている訳ではない。困るのは、そのノリで他者へ迷惑をかけてしまう事だ。
「……やり過ぎなピーちゃんも意地悪です」
「! ぐ、ぐふ~」
ティタからの口撃に、ピスカは胸を抑え、立ち膝をついて崩れ落ちた。そりゃそうだ。
”スキンシップは程々に”――俺とピスカは心に深く刻み込んだ。
……。
…………。
………………。
「そう言えば~、連絡返してくれなかったよね~?」
気怠げに、ベッドの上からそう宣うピスカ。
( ?? )
俺は言っている意味が分からず、問い返す。
「何の話だ?」
「メール。今日来る前にメール送ったんだけど~?」
ジィー、と眠たそうな目で睨まれる。
メールという事は携帯か……と俺は短ランの内ポケットからスマホを取り出した。
「そっちじゃないよー。EPの方」
「……いーぴー?」
「姫があげたでしょー。こっちの世界のスマホ」
「ああ……」
そこまで言われて気が付いた。そう言えば、エルルと会った時に”異世界のスマホ”を貰ったんだった。
「スマホっつーか、ガラケーだけどな」
「どっちでもいいでしょ~」
「そうだけどな」
(そもそも俺の世界のスマホは、この世界では使えないだろ……)
無意識だった。長期休暇後で頭が回らない様な錯覚。異世界ボケ、とでも言える。
「って事はー、あんまり触ってない?」
「ああ、ほぼほぼ」
俺は立ち上がり、化粧台の上に置きっぱなしになっていたEPを持ってくる。
俺の世界では年代物となりつつあるガラケー……その見た目にそっくりである。真っ黒いボディの俺の異世界ガラケー。
「俺には使える機能がほとんど無いと思ってな。弄らなかった」
そのまま、部屋の中心にある木製テーブルの上に置き、その前に座り込んだ。
「確かに……マオさんが使っている所、見ないですね」
俺の対面に座るティタが、ティタ自身のEPを取り出す。
「簡易魔法はまだしも……電話とかメールは使えますよね?」
「多分」
「多分て」
呆れた顔をしてピスカがベッドから降りて隣へやって来る。
「EPには電話、メール、電話帳、時計、簡易魔法の機能があるんだけど~」
そう言って、片手で巧みにEPを操作する。操作しているのはピスカ自身のEPだ。
「姫がマーくんにあげたのには、予め姫とわたしの番号が登録されてるからね~」
「そうだったのか」
「そうだったのです~……はい、メール送ってみた」
ピスカの操作が終了――するも、俺のEPは微動だにせず。
「あれ? どうしたのかな?」
「……もしかして、マオさん充電してないんじゃ?」
「充電がいるのか?」
「いるいる! いるに決まってるよ~!」
俺のEPの電源ボタンを押すも、起動せず。恐らく、充電切れ。
「もー、ダメじゃ~ん」
「しょうがないな」
見かねたピスカに充電器を渡される。
――それは四角い機械だった。ガラケーを差し込んで格納するような物で、スイカぐらいの大きさだ。
「へぇ……つーか今どこから出した?」
「いや、ベッドの側に置いてあったの出しただけだけど~?」
どうやら、気付かないうちに部屋へ常備されていた様だった。
「充電器って、ケーブルでコンセントに繋ぐようなヤツじゃないんだナ?」
「それはマーくんの世界が発展し過ぎなんだよ~。そういう電気を供給するシステムは、この世界にはないよ~?」
そう言うと、充電器の底のカバーを取り出すピスカ。中からは、これまた真四角の宝石の様なブツが出てきた。
「これは加工した魔結晶。基本的にこの世界では、こういう魔結晶に蓄えられたエネルギーを使っているの」
「……要するに、何をするにも乾電池を使っている様なモンだな」
「んー、まぁ、そういう感じ~」
無限に供給されている訳ではなく――有限。調理も風呂も暖房も冷房も全部が使い切りの物を使っているという事だ。
「って、話が逸れたねぇ」
加工済み魔結晶を充電器に戻し、俺のEPを容赦なくぶっ刺した。四角いブツの真ん中に、直立不動の如く俺のEPが突き刺さっている。
そうやって充電するんだ……。
「暫くは使えないねー」
「ま、いいさ」
そもそも触って無かった代物だ。数時間程度余裕で耐えれる。
「そう言えば、さっき『簡易魔法』とか言っていたな。それってどんな感じだ?」
エルルに渡されて説明を軽く受けた時にも聞いたが、魔力さえあれば簡単な魔法が扱えるとの事だったが。
するとティタが、ティタ自身のブラウン色のEPの、スピーカー部分より上に付いている謎の突起物を上に向けた。
「見ててください」
次の瞬間、ボッ、と小さく火を噴いた。
「 !? 今のは?」
ライター程度の火ではあったが、確かに噴いた。それもガラケーが。
「今のが簡易魔法の1つです。【着火】と呼ばれる魔法ですね」
「ガラケーが魔法使えるのか?」
「ガラケー自体が、と言うより、内部にある魔結晶の魔法だね~」
ティタ同様、ピスカも【着火】させている。
「マーくんが知っているか分からないけど、この世界では魔力を得たモノは魔法も得るんだー」
「それは知ってる」
この間、メイドリーダーのピウから聞いた話にあった。
「魔結晶ってのは、”魔力が色濃く反応し形成されたもの”だからね~。僅かながら、魔法を得ていると言う訳なんです」
「ほう」
「だから、魔結晶に魔力を流して刺激してやると~――」
再び、ピスカのEPの先から火が出た。
「このように、魔法が発動するのです~」
どこかインチキ臭い手品師の様な口調だったが、手品は本物だった。
「他にどんなのが出来るんだ?」
「おっ、お客さーん。興味津々だねぇ~?」
茶化すピスカの側で、ティタがEPの画面を読み上げてくれる。
「火を起こす【着火】、ひと掬い程度の水を出す【飲水】、一息程度の風を吹く【送風】、電気を作って供給する【発電】の4種です」
ほう、ライター、水道、ドライヤー、発電機の機能が使える感じだな。規模は小さいだろうが。
「意外と多機能なんだナ?」
「姫の努力と叡智が詰まっているからね~」
どこか誇らしげなピスカ。
自分の仕えるご主人様の発明品だ。そりゃ、誇らしくない訳がない。
素人ながら、俺でも凄いと思えた。想像以上に、エルルは科学者としての”才”があるのかもしれない。
……赤ジャージに白衣と、格好は一王国の王女様とは思えなかったがナ。
内心褒めていると、突如、ピピー、と音が鳴った。
音の元をたどると、俺のEPがぶっ刺さった充電器だった。
「充電が完了したみたいだね~」
「早ッ!」
刺して10分程度だろ!?
想像以上に思った以上に、エルルは優秀かもしれない。
「ほらほら~、電源入れてみてよ~」
「分かった」
ピスカに急かされながら、俺は電源ボタンを長押しして起動させる。
「――ん?」
「なんかきてるねー?」
画面にはピスカからのメールもそうだが、見慣れないメールも届いていた。
「差出人は……ウルル?」
「そう言えば、マーくんのEPにはメルン4兄妹の番号も入ってたねぇ」
メルン4兄妹って……長男とウルルとエルルと末っ子の4人の事だ。
顔もまだ見ぬ長男と3女の番号も入ってんのかよ……と思いつつ、ウルルからのメールを開いた。
「『星空観賞会』の御招待……?」
――今日の夜、俺は星空を見ることとなった。