第9話 異世界モーニングルーティン
「お早うございまーす!」
ティタの呼びかける声で、一気に脳が眠りから覚める。
「……おう、お早うさん」
「お、お早うございます! マオさん!」
上半身だけ起こす。上は何も着ていないため、微妙に目線を逸らしているティタ。
俺の肉体には、硬派の歴史が刻まれている誇りの肉体。俺は恥ずかしくないので、堂々とする。
「別に目を逸らす必要はないぞ?」
「! そ、そうでしゅか……」
どちらかと言えば、ティタの方が恥ずかしがっている。頭の上のイヌミミがちょっと赤い。
「……今から、見ます!」
「え?」
謎の前置きと共に、眉間に皺の寄った、鬼気迫る表情のティタが俺の素の上半身を見た。
「くぅ~ん……!」
頑張って、俺の鍛えぬかれた肉体を凝視。
「く、くぅ~ん! くぅ~ん!」
凝視!
「く、く……ばうー」
――するものの、湯気を上げそうな程赤面し、逸らされてしまった。
「……くぅん。ご、ごめんなさいマオさん。あたし何だか恥ずかしくて!」
「気にするな」
俺の漢臭さに当てられてしまったのだろう。初心者にありがちな事だ……。
(というか、凝視されるとは予想外だった……)
「うぅ、ありがとうございます。いずれはマオさんの裸を見れるよう頑張りますっ!」
「おう……」
そんな事頑張らなくていい、と思ったが、
「ご主人様誇りの体も見れない様では、専属メイド失格ですから!」
やる気に満ちたティタの姿を見たら、言う事も憚られた。
――そんなやり取りから、今日が始まる。
「フン……」
ウザったく視界に垂れる前髪を、まとめてかき上げオールバックにする。
……チッ。ワックスがねぇとまとまらねぇ。
「そう言えば、マオさんの言っていたワックス、入手出来ました!」
「 !? そうか! ありがとう!」
「い、いえいえ!」
以前ティタに頼んでいた整髪料。こんなすぐに手に入るとは。
ワックスさえありゃ、硬派的オールバックがキマるというものだ。気分もアガる。
壁にかかった時計を見る。
――時刻は6時1分。
程よく暖かい濡れタオルを渡され、顔を拭く。吹き終わると、目覚めの一杯が手渡される。
「今日はコーヒーです」
「あざっす」
一口飲む。口の中に苦みと旨味が広がり、鼻から風味が逃げていく。
脳が起き、気持ちも目覚める。一気に飲んで、気合を入れる。
「それでは、支度出来たら食堂室に来てくださいね!」
「ああ……」
ティタが去って行った後、ゆっくりとベッドから抜け出た。
上半身は良くとも、さすがにパンイチの姿を年下の少女に見せる訳にはいかない。硬派な漢として。
自室の洗面所で顔を洗い、歯を磨きながらぼんやりカレンダーを眺める。
――4月12日、日曜日。この世界に来たのが9日なので、あれから3日経った。
何となくだが、多少はこの世界に順応してきている気がする。
……とても良い事だ。俺自身、この世界を受け入れているという証。世界を知るには、世界を受け入れなければ話にならない。
「さっさと着替えるか……」
白のタックトップに、ボンタン、短ラン。靴はローファー。これがいい。
リング型のピアスを付けたところで、今朝入手したばかりの新鮮なブツを手に取る。
「これがワックスか……」
頼んでいた通り、瓶に入ったマット系のハードワックス。成分は異世界のナニかである。あまり突っ込みたくはない。
早速、手に取りオールバックをキメていく。
「――硬派な漢は、髪からキメる」
俺の考えた謎化粧品キャッチコピーを呟き、アクセを付けて全身整える。
「今日も一日、俺はやるぜ」
……。
…………。
………………。
――朝の食堂室は、それなりに騒がしい。
城に仕える役人や騎士等、多くの人が朝食を取りに訪れるのだ。
「頂きます」
そんな中でも動じぬ俺は、黙々とおにぎりを食べる。
今日は良く分からない焼き魚と、味噌汁もどきと、何かの漬物。
「 !? 美味い……」
正直美味いから思考停止している。何を使っているか知ってしまったら多分食えない。
「――朝から良く食べますね、少年」
そう言って、俺の対面に黒のスーツ姿の女性が腰を下ろした。
彼女の名は『リーナ』。
20歳という若さにして、この城を護る『フラグナ防衛軍』の中隊長をしている。
異世界に来て2日目の朝、ここで同じように飯を食っていたら”6代目ですね?”と話しかけられたのがきっかけだ。
――そう聞いてくるという事は勿論、俺の事情を知っている人だ。
「リーナ中隊長、お早うございます」
「お早うございます」
グレーのショートヘアーに、グレーの瞳。赤ブチメガネが良く映える。
フィリル王妃やウルル、エルルと同じ『ヒューマン族』と言う種族との事で、かつては『新人類』とも呼ばれた。
――要するに、魔力魂を宿した人間。
俺もこの世界では”ヒューマン族”に当たるらしいが……魔力魂を持たないため厳密には違う。
「ここの飯、美味いんで」
「だからっておにぎり10個も山盛りにしてる人なんて、そうそういないと思いますが」
「食べ盛りなんで。食ってデカくなりたいんス」
「少年はもう十分デカいと思いますが。身長はいくつですか?」
「183っス」
「いやデカい方ですね」
会話は淡々としており、冷静なイメージを持ってしまう中隊長ではあるが、良く話しかけてくれる気さくな人だ。
彼女の朝食はトーストにスクランブルエッグ、ヨーグルトと軽めの朝食だ。
「そう言うリーナ中隊長は、それで力出るんスか?」
「ワタシはこの量でベストなんです。中隊長なんて、ほとんどデスクワークなので」
「いっぱい食べないと大きくなれないっスよ?」
「ワタシの場合、食べすぎると背ではなく贅肉になってしまうので……」
防衛軍の中隊長、という事もあって、華奢に見えて肉付きは良い。相当体を追い込み、鍛えているのだろう。
城を護るための防衛軍。
無条件でリスペクト出来ると言っても、過言ではない。
「それではワタシはこれで。今日も今日とて、事務処理に明け暮れることになりそうです」
「頑張って下さい」
「お互いに」
量が量だったため、あっという間に食べ終わり、早足で食堂を後にする中隊長。
忙しい中、わざわざ俺の席に来てくれたのは、まだ馴染めていない異世界人だから気をかけてくれたのだろう。
もしかしたら上からの指示かもしれないが……だとしても有難い事だ。こうやって気を配ってくれることは。
「すいませんマオさん! お待たせしましたー!」
「おう」
遅れて自分の食事を持ってくるティタ。
専属メイドの場合、仕える主人と自分の分の料理を作り、共に食べるという習わしらしい。
「すまないな。先に食べていた」
「いいんですいいんです! 先に食べて貰わないと。あたしがマオさんを待たせるなんて……メイド失格ですから!」
……という事らしい。ティタをメイド失格にさせないために、俺は先に食べる。
「ティタも和食か」
「はいっ! 折角ですので!」
同じメニューを食べるティタ。もっとも、おにぎりではなくお茶碗一杯のご飯だが。
「……」
ふと視線を感じ追ってみると、ティタと目が合った。
「あ、えっと……」
逸らされる。今日は良く逸らされる日だが……。
気にしないで味噌汁を啜っていると、感じる熱い視線。
(俺の様子を窺っているようだが――)
味噌汁を飲み切ったところでようやく察する。
そうか。ご主人である俺の感想を知りたがっているのか……。
「――美味い」
「……! あ、ありがとうございまひゅ……!」
素直に感想を述べると、ホッと安堵の表情を見せる。緊張がほぐれ、変に甘噛みまでしている。
……そうだな。”思い”ってのは、言葉にしなきゃ案外伝わらないものだったな。
――理解した気になってはいけない。自分の言葉はしっかり話して、理解してもらう事だ。
偉ぶる気が無いが、従者のティタにとっては、ご主人である俺の言葉に左右されてしまう。立ち居振る舞いには気を付けないと。
(ティタが、この人になら、兄妹杯を交わせると思わせるような人にならないとナ?)
……。
…………。
………………。
自室に戻ったところで、暫し寛ぐ。
俺は食後すぐ動きたくない性格でね。こうして食後は、のんべんだらりとするのが好きなんだ。
「あー……」
備え付けのソファに深く沈み込み、宙を仰ぐ。
……今日も上手い飯だった。
食が豊かなのはいい事だ。生活に彩が出る。
漫ろに窓の外を見る。今日も元気よくホワイトドラゴンが周回している。
「グギャガゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「うるせぇな白トカゲめ」
天気は良好。心地よい日差しが、国を照らしている。
――よし、今日は外に出てみよう。
そうと決まれば準備だ。だらけモードから一気にやる気モードへ。
王妃より恵んでもらったお金が入った長財布をケツポケットにぶっ刺し、ウォレットチェーンを付ける。
部屋から出ると、丁度ティタがやって来たところだった。その手には、食後のコーヒーの乗ったおぼん。
「あ、マオさん。いまコーヒー持ってきたところだったんですけど――」
「これから外に出たい。同伴頼めるか?」
「! は、はいっ! 勿論です! お供します!」
「サンキュな」
折角用意してくれたものだからな。
あっつあつのコーヒーを一気に飲み干し、灼熱が喉を通過する。
「ま、マオさん!? 大丈夫ですかっ!」
「……へ゛い゛き゛」
小汚いド低音で返す。硬派な漢はやせ我慢が得意なのだ。
「食後の散歩だ。気楽に行こう」
「はい!」
思い立ったが吉日と言うらしい。俺は今城の外に出てみたい、その気持ちを尊重しよう。
1階へ降り、正門ではなく裏門から出る。
「ん。少年」
「あ、リーナ中隊長」
大きな門の側に防衛軍が数人おり、その中にリーナ中隊長もいた。
「外出ですか?」
「ウス。たまには外の空気も吸いたくて」
「素晴らしいことです。大切なのはインドア、アウトドアのバランスですから」
食堂の時とは違い、武装した姿の中隊長。
エメラルドグリーンの甲冑に身を包んだ女騎士となっていた。
「気を付けてくださいね」
「あざす。まぁ、俺にはティタもいるんで」
「! は、はい!」
「……ティタも少年のことを、守ってあげてくださいね」
「勿論です!」
俺たちを見送ってくれた中隊長を背に、門を抜けて外に出た。
「 !? おー……」
門の先には小さい路地があり、その先に城下町へと出る。
「ルザブルの街を適当に散策したい。案内頼めるか?」
「任せてください!」
尻尾が最高に揺れている。頼られて嬉しいのだろうか。
「行きましょう、マオさん!」
「ああ」
石造りの小道を歩く。
(そう言えば、中隊長は今日デスクワークっつってたが)
普通に武装した姿であった。何かあったのだろうか。
(まぁ、何かあったとしても、今の俺には何もできないが……)
中途半端には関われない。焦る気持ちを抑えながら、ティタの後に続いた。