プロローグ 『日常から非日常へ』
夕暮れの路地裏は、まるで”異世界”の様に神秘的である――。
「――”硬派”が、足りねえな」
午後4時49分――強烈な西日がビル群を照らし、隙間から漏れた日差しが、薄暗い路地を容赦なく突き刺す。
「――お前の拳は軽い。浮ついている」
「ハァッ、ハァ……っっせぇなッ!! このヤロー!」
淡く幻想的な景色の中、泥臭い二人の不良が相まみえていた。
片方は、猫背気味の小柄な金髪ソフトモヒカン不良。もう片方は、長身長髪オールバックの黒髪不良。威勢がいいのが”金髪”で、冷静なのが”黒髪”。
「良く吠える……」
「っせぇなぁ!! ヘヘッ……これはチャンスなんだよ。ここでテメーを倒せば、オレの地位も上がるからなぁ!」
「あぁ、なるほど。お前のその制服……『桔梗学園』か。”下剋上”でも狙うつもりか」
「そういうことだ! テメーを倒して、オレが天下を取る! 前世からそう決まってんだよ!」
「……フン、口だけは随分と達者なようだが、体が動いてないみたいだナ?」
「ああん!?」
睥睨する金髪だが、肝心の黒髪へ視線が定まらない。
――理解しているのだ。だが、仕掛けた以上、引き下がれない――
「聞こえないか? 手と足はどうしたと言っている。水曜定休日か?」
「んだゴルァ!? テメーこそ、口数多くなってんじゃねぇかよ。随分疲れてんじゃねぇのか? ああん?」
「……試してみるか? 本当に疲れているのかどうか……!」
「!? 上等ォ!」
「いい返事だな……!?」
それは傍から見ればただの喧嘩であるが、当事者にとっては誇りをかけた”漢の戦い”なのである。
「テメーはここで死ねッッ!! 死んで野に咲く花となれやァ!?」
「来いよ雑魚キャラ!! お前の”硬派”を、俺に見せてみろやッッ!?」
全身全霊をかけた渾身の一撃。両者の拳が交差する――。
「……………………俺の”硬派”の勝ちだ」
路地裏のちっぽけな喧嘩は、黒髪のボディーブローで幕を閉じた――。
……。
…………。
………………。
――4月9日のことである。桜が咲き、花粉が舞い踊る。季節が春に入りかけている今日この頃。
「これで66戦66勝……」
”黒髪”――この俺、『雑候谷真魚』は、所謂、不良である。
程々に歴史があり、程々に都会の『天花市』。今と昔の入り混じる市であり、昔ながらの不良や喧嘩が日常茶飯事であった。
裏路地から表通りへ出る。古風な外観から、一気に都会のビル群へ。直射日光は、陰にいた俺にはあまりに眩しすぎる。
「!? おい、ありゃあ雑候谷じゃねぇか?」
「……マジだ。『ボケ高』の雑候谷じゃねぇか!」
「やっちまうか?」
「やめとけやめとけ。最凶の番長だぞ?」
「そ、それもそうか」
通りすがりの不良2人組が、俺を睨み指差しヒソヒソと策を練っている。
「……何か用か?」
「!? なっ! なんでもねえっす!」
「すんませんっした!?」
声をかけると挙動不審に返答し、一目散に逃げ出していった。
ふん、硬派のない漢共だ。
「番長……か」
2人組に言われていた言葉を、呟き、リフレインしてみる。
――今日のことである。
天花市の中でも、随一の不良高校である『木瓜商業高校』、通称『ボケ高』。
木瓜という植物が『ボケ』という呼び方をする事から、昔からボケ高と略され親しまれている。
……俺には、バカにされているとしか思えないのだが。
騒がしい表通りを、太陽を逃れながら歩く。時折”挑発的な視線”を浴びながら、再び裏路地へ。光から闇へと、世界が変わる。
これでいい。俺には闇がお似合いだ。
「!? ボケ高の雑候谷ァ! 見つけたぜぇ~~~~!?」
「!? こんな所、ふらついてたらぁ……オレらに狩られちゃいますよぉ……?」
「!? オメーを番長の座ァから引きずり下ろしにきたぜ……!」
「……フン」
ボケ高に入学した俺は、入学早々に勃発したボケ高全体での大喧嘩『終末戦争』の覇者となり、高校1年生にして『ボケ高番長』となった。
「番長の座なんてどうでもいいが――」
そのため、天花市中の不良共から、狙われる立場となってしまった。
「死ねやテメー!」
「あぁっ、殺しちゃう……番長のことぶっ殺す……よぉ?」
「俺と踊れッ!?」
雑候谷真魚、高校1年生、15歳――
「お前ら、俺に”硬派”を見せてくれよ……!?」
入学早々、”番長”になりました。
……。
…………。
………………。
――午後5時31分。日はほぼほぼ沈んだ。カラスが鳴くから帰らないといけない。
しかしながら、道行く不良共の相手をしているため、中々帰路につけないでいた。
「『天花葵高校』参戦!」
「天花葵の『大狸』こと、3年の『吉山』だー!」
「「「うおおおおおおおおおおおおお!」」」
敵はボケ高だけじゃない。天花市の東に陣取る『天花葵高校』の不良も、挙って俺を倒そうと息巻いている。
取り巻きを連れた巨漢が、俺の目の前に立ち塞がった。
「いいですねぇ~雑候谷クン。キミのその殺意……濡れちゃいそう!」
「そうか」
容赦なく、顔面を貫く右拳。吉山の体が大きく仰け反った。
「お前はそこで一生濡れてろや」
「アァンッ!?」
「!? マジかよ!? 大狸討伐しちまったぞ!?」
「ヤベー奴じゃねぇ―か!」
いつの間にか出来ていたギャラリーが沸く。騒ぎ立てる。盛り上がる。
「煩わしいな……」
俺は、その観衆をすり抜け、路地裏を疾駆する。
もう夜も近い。いい加減腹が減った。今日の飯は何だろう。
……なんて考えていた時だった。
「!? 何だ……?」
突如、強烈な閃光に視界を奪われた。咄嗟に地面へ伏せる。
右前方にある廃ビルの中から光ったようだったが、何なんだ?
目晦ましの可能性もある。暫く伏せて様子を窺っていたが、30秒経っても何も起きなかった。周囲を警戒しつつ、ゆっくりと起き上がる。
「脅かしやがって……」
多少、目の奥にチカチカと残光がある。それほど強烈な光であったことは間違いない。
「雑候谷はどこだ!?」
「いんなら出てこぉ!?」
「はぁ、しつこい奴らだ……」
遠くから聞こえる声に、俺は再び逃走の態勢に入る。
こちとら、朝から喧嘩しっぱなしなんだ。今日は店じまいなんだよ、この野郎。
右拳を握る。ほぼほぼ感覚はない。そりゃそうだ、何十人とぶん殴ってきたからな。
思考を切り替え、走り出す。もたもたしていると追いつかれてしまう。
幸いにも、足はまだまだ動かせる。自分でも信じられないくらいにタフだ。これも日々の筋トレのおかげだろうか。
真っ直ぐに駆けていると、先程光ったビルが右手にぬるりと現れる。
「(結局何だったんだあの光は――)」
興味本位であった。走りながら、横目でビルの中を覗き見た。
「 !? 」
思わず足を止めてしまった。そう、止めざるを得なかった。
「(あれは……ッ!?)」
今はもう誰も住んでいないビル、その一階。窓から覗いた室内は、暗く寂れた様子であった。
……ここまではいい。よくある。しかし、明らかに異常をきたしているものがあった。
――模様、である。地面一杯に描かれた文字の羅列による模様。
まるで――そう、魔法陣。漫画やゲームに出てくるような不可思議な模様。
ただし、ただただ見たことのない文字が描かれ、それを無理やり円形にした模様である。それも、一般的な体育館位はある広さの床、いっぱいいっぱいに描かれているのだ。
――異常、と言わざるを得ない。
「(気持ち悪いな……事件性を感じるのだが)」
あまり直視はしたくないので、少し離れてじっくり観察する。
……人気は……なさそうだ。胸を撫で下ろす。
つい最近、イカレた奴が一般人を集め、デスゲームをさせる作品を読んだばかりだったため、思わず繋げて考えてしまった。
良くないことだ。何でもかんでも関連付けてしまうのは。額に伝う汗を拭い、息を吐いた。
心拍数が上昇している中、追手の声が近づいていることに気が付く。
――急がなくては。何もなかったのであれば、それでいい。
そう思い、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
この先右は袋小路となっているが、正面にある建物は頑張れば壁をよじ登れる。そうすりゃ撒けるっている算段だ――
「今日はとても騒がしいです。早く向かうことにしましょう」
「わ、分かった!」
!? 人!?
右に曲がり、袋小路を目指すと、まず声が聞こえた。
女と男の声だ。こんなところに、人がいたのかよ。
次に、視界にその男女を認識した。
男はすぐ分かった。制服から『桐第一高校』の1年生だ。天花市で一番偏差値の高い高校だ。勿論、知り合いではない
女の方は……コスプレか? まるでお姫様の様な純白のドレスを纏っている。小汚い路地裏には似つかわしくはない。
慌てて止まる。数メートル先にいた2人も、俺を認識したようだった。
無視して駆けちまおう……そう思った矢先、気が付いた。
ああ、そうか。こんな袋小路に人がいるのに驚いて気が付かなかったが、止まって、改めて見て、ソレが視界に入った。
「! あ! え、えっと……」
「僕たち怪しい奴じゃないんだけど……!」
「……いや、無理があるだろ」
「「ですよねー!」」
男女が仲良くハモる。息ピッタリか。
――なんて突っ込む暇もなく、俺の思考と視線はある一点に釘付けになっていた。
「あの模様……!?」
廃ビルで見た奇々怪々な模様が――男女の下に大きく描かれていた。
それも輝いている。自ら喜んで発光しているかの様な……そんな模様に対し擬人的に考えてしまう程、色鮮やかに輝いていたのだ。
正直、気味が悪い。
「……お前ら、ナニモンだ? その辺にあったビルの中にも描いただろ?」
「ッ! あ、う~ん……」
俺の威嚇を込めた問いかけに、男は一瞬たじろぎ、言葉が続かない。
――警戒は続けろ。明らかに怪しい奴らだ。何か日常とはかけ離れた、得体の知れない不気味さがある――。
「わ、私たちっ……怪しい者です!」
女の放った言葉に、俺の口から間抜けな声が出た。
「……は? いや正直か」
「はい、正直です。正直に言います。私、嘘はつきたくないので!」
そう言って女は、改めて――
「私たち、怪しい者なんです!!」
倍プッシュで怪しい者アピールしてきやがった。
(えぇ……?)
怪しい女の、あまりの潔さに、俺は肺に溜まった空気を吐き出す。
――否。吐き出さざるを得なかったのだ。
「はぁ……まぁ、”嘘”なんて、つかないに越したことはないからな」
「そういうこと、です!」
大物なのか、ただのアホなのか……怪しい女は何故か胸を張っていた。
「貴方だって……嘘なんてつかない方が良いと思いますよね?」
(何故俺に問うてくる!?)
何か俺の背後を見据えている様で……俺は素直に答える事にした。
「……俺は”硬派”だ」
「? えーっと?」
「硬派な漢は嘘を騙らず。背中で真実を語るものだ」
「?? ……はい!」
フン、理解されていない事だけは伝わった。
「何言っているか良く分かりませんが……雰囲気でクールなものだと感じちゃいました!」
「!? ……ほう」
俺は、警戒レベルを下げることにした。
俺の”硬派”を感じ取れるなんて……いい子だ。
怪しい奴に変わりはないが、会話する事が出来る。話す価値はある。
大切なのは相互理解。そして、”理解しようとする想い”……俺はそう思う。
「あ、うーんと、僕らその……怪しい奴ではある、と言うか、実際そうなんだけどさ」
俺が話せる奴だと知ってか、男の方も会話に交ざって来た。
まだあどけなさの残る、少年である。
「ビックリさせたのは謝るよ。ゴメン! 今すぐ出ていくからさ、最後に許してくれれば……と思う」
「別に謝って欲しい訳じゃないが……あ? 出ていく?」
「うん。ここから出ていく」
「は?」
あっさりと、相互理解の枠から外れてしまい、脳内に困惑が充満していく。
俺が少年の言葉を理解出来ないでいると、女の方が一歩歩み出る。
「これは確かに”現実”です。でも、重く考えないで貰えれば良いです。年を取ってから『そういや、あんなこともあったなぁ~、婆さんや』と不思議な思い出として後世に語って頂けたら幸いです」
そういうや否や、どこからか取り出した杖を、地面に突き刺した。
「『メルン王家の名の下に――』」
女の言葉と共に、地面の模様が激しく明滅する。
「オイオイ!? 不思議な思い出にしちゃ、不思議すぎるぞ!?」
「うーん、そこは何とか」
「人の一生に刻まれる様な出来事を、そんな軽く言うなよ!?」
何かとんでもないこと足を突っ込んでしまった……と後悔するのはもう遅い。
今から前向きに、この可笑しな現象に何か理由を付けて、自分の中で納得させなければ……させなければ一生モヤモヤすることとなる!
「本当にゴメン! 僕らも他人を巻き込む気はなかったんだ。だから静かな場所で行う予定だったんだけど……」
「思ったよりも、街中に人が多くてですね……」
ボケ高の『終末戦争』せいじゃねえかこの野郎。
模様の光が、まるで2人を包み込むように展開されていく。
「でも、最後に……ほとんど知らない人だけど、この世界の人と話せることが出来て良かったよ」
「……まるで”異世界”へ行くかのような口ぶりだナ……」
「異世界の名は『アーキュリア』と言います。日本の様に四季があり、魔法のある世界です」
「!? オイオイ、ドエレー胸高まるじゃねえか!」
異世界……マジで存在しているのか……!
それこそ漫画やゲーム、アニメでしか知らねえぞ!?
「じゃあ何か? これから異世界行って、世界救ってくるのかよ?」
「あー……ま、そんな感じかな?」
「雑に返すじゃん……」
今まさに、異世界へと旅立つ少年。案内人と思われる女。
――それを見送る不良。どんな絵だよ、全くよォ……。
「なんつーか……いい体験をさせてもらったよ。そういうことにしておく」
「それがいいと思います。ありがとう」
光はとうとう、2人を全身包み込み一体となった。
宇宙人、と言っても過言ではないだろう。それほど衝撃的なシルエットをしている。
「貴方が”理解”のある人で良かったです」
「……理解ていないだけだ」
これから、転移されることになるのだろう。そう考えると、この案内人らしき女は”異世界の人”だったということだ。
「俺はこのまま、理解出来ないままだということを、理解する」
現実を現実として受け止めなければならない。そう思い、一度目を逸らした――
「!? 何だこれは……何だこれはよおおおおおおおおおおッッ!?」
視線の先、数メートル、金髪の不良が立っていた。どこか見覚えがあるかと思えば、ついさっき倒した奴だった。
何故思い出すのにワンクッションあったのかと言うと、金髪の目が、狂気をはらんだ目をしていたからだった。
「オイオイ、オイオイオイ。雑候谷ァ、こりゃ何なんだァ……? そいつらはよぉ、何なんだって聞いてんだヨ!?」
真っ直ぐ駆けてきた。なりふり構わず駆けてきた。
その手には銀色に光るナイフ。あろうことか、構えた俺ではなく、何故か2人の方へ――!?
「! きゃあっ!?」
「理解不能! 気色悪いんだヨ!? 死ねェ!!!!」
――ああ、未知なるものへの迫害とは――きっと、こういうことなんだろう。俺はそう実感する。
数分前の俺も、そうなる可能性はあった。”知らない”という事は、”恐怖”なんだよナ。
「……ッ、はっ」
「!? ざ、雑候谷ァ」
俺は当たり前の様に、2人を庇っていた。
懐に深く深くぶっ刺さる鋭い得物。止めどなく溢れる赤い液体。目の前が霞んでいく。
「!! だ、大丈夫ですかっ!?」
「ち、血がっ! こ、こんなにも!」
足に力が入らず倒れかけるが、女に受け止められた。
「あ、ああ……オレが、雑候谷を殺ったんだ……へへ、へへへへへへ」
俺を刺した金髪が、半狂乱で逃げていくのを確認した。大方、『ボケ高番長を倒した』を吹聴して歩くのだろう。
――別にいいんだそんなことは。大したことではない。
「どうして! どうして私たちを!?」
女が俺を手当してくれている。確かに、発光していて見辛いが、近くで見ると人間離れした美しさの少女だ。
「……硬派な漢は、人を……助けるの、に、り、理由をもたねえ……」
――そう、これは俺にとっちゃエピローグのはずだった。
ボケ高での俺の『復讐』は達成された。結果的に番長になっていた。
「このままじゃ出血で死んじゃうよ! どうする、『ウルル』!?」
「……彼を連れて行きましょう、『アスカ』。彼は私の命の恩人です。私の国ならば、彼を助けられます!」
ぼんやりとした意識の中で聞こえる会話。やがて、俺の体も光に包まれていく――。
「『運命の糸』よ! 元居た世界へ引き摺り戻せ!」
――ああ、どうやら、エピローグではなく、プロローグだったみたいだ。
夕闇の路地裏は、やがて異世界の様に神秘的であった――。