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祖母の家

作者: よしお

<1>

 祖母の家は、東京から3時間ほどで行けるほどの距離なのだが、かなりの田舎だった。最寄りの駅まで車で1時間程度かかるし、最寄りのスーパーですら、車で20分ほど県道を行かねばならなかった。車で県道から、段々細い道路を入っていくのであるが、近づくほど、車一台しか通れない林道やら、田んぼのあぜ道のような舗装されてない道になっていく。訪問の時間が遅い時は、街灯がないので、車が用水路に落ちないか不安だった。小学生の頃は、母に連れられて、夏休みと正月休みに遊びに来ることが習慣となっていた。母は免許を持っていないので、祖母と同居している叔父が車で駅まで迎えに来てくれた。

 この年、私は、大学の受験を失敗して浪人をしていたが、何年かぶりに、母と一緒に祖母の家に行くことにしたのだった。途中の道が、多少、舗装が進んだり、街灯がいくらか増えたりしていたが、「THE 田舎」は、顕在していた。叔父の運転の後部座席で、窓の外の景色を眺めながら、思い出とともに記憶にある道を辿っていた。


 車を降りると、別世界のように、アブラゼミが耳をつんざいた。家主がいなくとも、縁側のガラス戸は全開放だったし、引き戸の玄関は、ボロボロで割れたガラスはガムテープで貼り付けてあった。(当時は、ほとんど縁側で出入りしていたように思う。)それほどの無頓着さに対して、僕たちの今夜寝るための布団が、物干しに下がっていて、とても温かい気分になった。廊下と部屋を仕切る引き戸は、上半分が障子、下半分がすりガラスで、開け閉めしようとすると引っかかって、スムーズに動かないし、障子は破れっぱなしで、掃除は行き届いてなく、天井にはクモの巣があり、寝る部屋の蛍光灯の2対の1つは、ついていなかった。家は、木造平屋、部屋は茶の間を入れて、6部屋あり、1部屋当たりの広さは江戸間10畳のほとんどが和室、一つは叔父の部屋だった。結構広い。トイレは、まだ、汲み取り式(この時代はほぼ100%水洗の時代)で、個室が2つあり、男用と女用に分かれていた。大の時は、奈落に落ちやしないかと、必死に壁に手をつくのだが、聚楽壁のため、表面がはがれるので、こればかりは慣れなかった。


 祖母は田畑で一日中仕事をしていた。叔父は昼間どこかで働いていて、きっと私たちの予定に合わせて、迎えに来てくれていたのだと思う。祖母と叔父の2人暮らしで、僕たちの訪問中も、お二人とも、ほとんど留守だった。昔は、お盆の行事と正月は、わんさかと親せきが集まり賑やかだったこともあったが、この頃には、孫たちが学生用事が増えたとか、他にも諸事情があったのだろうが、この盆は、僕たち以外は来る予定はなかった。


 僕たちは、「天照大御神」の掛け軸が掛けられている奥の間で寝ることになっていて、そこには、亡くなった曽祖父、祖父、戦死した祖父の兄の写真が飾られていた。彼らは、眠るときに目が合ってしまう角度で、天井付近の壁から額縁が吊るされていて、子供の頃は、怖くてなかなか寝付けなかったりしていた。


 ただ、僕は、子供のころから、何故だかこの場所がとても大好きだった。浪人生という、親に迷惑をかけているという負い目に乗じて、勉強もはかどらないという、精神的に苦しい最中、ここにエネルギーをもらいに来た、つもりだった。



<2>

到着した日の夜12時を回ったころ、祖母や母はそれぞれの部屋で就寝していた。僕はもう子供ではない年齢だから、まだ起きていた。茶の間で、叔父は、酒を飲みながら、借りてきたビデオ(「男はつらいよ(寅さん)」)を見ていたので、僕は風呂上りに涼みがてら、一緒に見ていた。僕なりに叔父と交流のつもりだったと思う。叔父は、しきりに「寅さんはいいよなー」などと言っていた。


ビデオが終わったタイミングで、話しかけてみた。


僕「明日は仕事なの?」


時計の秒針の音がカチカチ、聞こえた。


叔父「明日はないよ。お寺さんに、塔婆とーばを頼まねーといけねーかんな。」


僕「いつも、どんな仕事をしているんですか?」(敬語出ちゃっているし)


叔父「今はな。喫茶店で働いているだけんどな、コックみたいなことやったりな、手伝う人がさ、誰もいねーくてよ、俺が作ったりしてんだわ。」(全然事情が分からないけど、これ以上聞けない。)


僕「大変なんだね。」(意味不明)


僕「あ、そろそろ、僕、寝ます。」(もう少し会話あるだろうよ。)


叔父「あー、ちゃんと布団被れよ、明け方、寒くなんからな。」


会話はあっという間に終了し、寝ることまで宣言してしまったのだった。茶の間を出て、廊下をそろそろと歩き、縁側の廊下に回る。夜のセミが、ジー、っと鳴いているのだが、東京とは違い、虫の絶対数のサラウンドが圧倒的だった。母を起こさないように、なるべく静かに、奥の間の開かないふすまをガタガタやったが、なかなか開かなくて、結局は大きな音を立てた。しかし、母は起きなかった。用意された布団にもぐった。オレンジの電球の灯の中、ご先祖達の写真が相変わらずの角度で僕を見おろしていた。子供ではないし、知っていたし、慣れているはずだったが、ご先祖様一同、僕を叱っているように感じて、暑いけど布団をかぶった。なかなか寝付けなかった。


<3>

目が覚めると、未だ空が白みがかっていた。起き上がると、祖母は起きていたようで、茶の間の電気がついていた。茶の間へ向かうと、祖母がお茶をすすっていた。


僕「おはよう」


祖母「はい、おはようございます」


祖母「(僕)君。早いね。いつも、こんなに早いんかい?」


僕「いや、カブトムシでも取りに行こうと思って」


目を丸くして、驚いたような顔をなさった。(子供でもないのに虫取りすんのか?)という意図と理解した。


祖母「虫なんか、そこら中にいんぞ。木に、はちみつでも塗っておくかい?」


僕「いや、いいです。」


僕は慌ててやめてもらった。本当に虫が取りたいわけではないからだ。


祖母「お母さんはまだ寝てんのかい?」


僕「下手すると8時ごろまで寝てるかも。。」、僕は笑った。


また、目を丸くして、驚いたような顔をした。


祖母「ご飯は後でいいかい?」


僕「はい。少し散歩してきます。」


祖母「そうかい。」


祖母は、ゆっくりお茶をすすった。


静かな朝だ。祖母は目をつむって何やらムニャムニャと口を動かした。


柱時計の秒針の音が響いた。



 日焼けで全身真っ黒、手ぬぐいを頭に巻いて、和装だった。午前5時だというのに、既にひと仕事が終わって、お茶休憩をしていたのだろう。僕は農家の仕事が全く分からないから、早朝に何の仕事があるのかは、今でもわからない。今だったら、どんな仕事なのか、何が大変なのか、何が楽しいのか、根掘り葉掘り聞いただろう。


 子供の頃の一番のイベントは、やはり、カブトムシ採取だった。当時のいつものコースをはっきり覚えていた。昔は舗装されなかった道路が舗装されていた部分も増え、近所の家々が新しくなっていたり、様変わりしていた。林の雰囲気が違った(木の数が減っていた)ので、カブトムシなどいないか、と思った。道を外れて、林に入っていくと草のつゆが足にまとわりついた。目的のクヌギを目指す。奥に行くと、遠くからでもこの辺の木々の感じは覚えていて、それほど変わってなかった。そして、遠目でも分かったが、数匹の黒い物体が密の周りを囲んで、食事をしていた。心の中で歓喜した。そして、大人のふりして、ひとしきりうなずいたりして、結局、何もしなかった。


 30分程度の早朝散歩の後半は、自分の境遇について考える時間だった。浪人している自分、勉強がおもしろくない、全く集中できない、彼女ができない、など、考えているというより、自分の置かれている状況や思いをトレースして嘆いていたのだった。ふと、子供の頃の僕が無邪気にカブトムシをもって、となりを通り過ぎるイメージが浮かんだ。何か、希望を達成してない虚しさがこみ上げた。


 暫くその場にたたずんでいると、いつの間にか、多くのセミが鳴いていて、すっかり朝になっていて、青空だった。遠くで飛行機のブーンという音が聞こえた。


 勝手口から土間の台所へ戻ると、祖母はいなくて、母が茶の間でお茶を飲んでいた。


僕「あれ、(起きるの)早いね」


母「(僕)こそ、どこへ行っていたのよ。」


僕「朝の散歩だよ」


母「おかあちゃん(祖母)と会った?」


僕「朝、会ったよ。もう畑に行ってるのかな。」


 母は答えずに、祖父の仏壇に線香をあげ始めていた。お線香のいい香りと、共に「チーン」という耳を包むような柔らかい音が響いた。母は、だいぶ長く熱心に手を合わせていた。当たり前ではあるが、だいぶ前から、母には、父がいないことを再意識した。


<4>

 僕は、勉強を始めたが、最初からやる気などない。勉強道具はかなり持ってきていたが、もしやりたくなったらやろうかな、程度だ。(本当の馬鹿だ)母は朝からずっとテレビを見ている。(ここへきても、特別な生活になったわけではないんだな。。)僕はテレビは嫌いだから、座布団を二つ折りにして、縁側でごろごろしたり、2回目の散歩で田んぼのあぜ道を歩いたりした。昼は、ありもので、ソーメンなど食べて、午後も同じように過ごした。僕は、一体何をしに来たのだろうか。14時か15時かに、お坊様がスクータで庭にやってきて、塔婆を持ってきた。スクータとお坊さんの不釣り合いが余計にリアルだった。


(生臭め!)、と僕は知ったかぶりなことを言った。


 縁側に座っている僕を怪訝な感じでみていたが、きっと家主の親戚なんだろうということで、解釈したらしく、何の疑いものなく、これ渡しておいてね、といって、さっさと行ってしまった。代金のこと言われても、出来栄えの良しあしを聞かれても、わかるわけはない。きっと、昨日、叔父が頼むと言っていたやつだ。こんなに早いものなのか。それとも、既に頼むのは決まっていて、名前入れるだけなのかもしれない。と、どうでもよいことを考えていた。そういや、叔父は、いったいいつ起きて、いつ出て行ったのだろうか。よくわからないので、ご先祖の塔婆を縁側の廊下に、横にしてそのまま置いた。


 昔は、子供らで、ご先祖様を「通り」(お墓まではいけないので、略している)まで迎えに行った。ここは、9体のご位牌があるので、孫たちはそれぞれ彼らをおんぶして、縁側まで背負ってくる、縁側に入るときに、水が張った桶に足を入れて清めてから、家に入る。迎え盆の行事である。慣れ親しんだ行事ではないが、その経験は覚えていた。全盛期の盆の飾りは、左右の灯篭がくるくる回っていて、沢山の果物は、箱のまま並べてあった。僕を含め、親戚の子供らはその前で、はしゃいで、向いてきた桃やら、とれたてのスイカなどを食べて過ごしたのだろう。


今は、飾りなど全くなかった。最近、お盆はどうしているのかな。そんなことを考えていると、ヒグラシが鳴き始め、空が赤くなっていた。そこに、祖母と叔父が車で帰ってきた。勉強する振りもせず、ただ、ぼやっと、それを見ていた。祖母と叔父は、当たり前だが、今だって生活をしているのだ。僕のようにノスタルジックな時間を満喫しているわけではない。ただ、そんな馬鹿な浪人生でも、時がたつのはとても早いということは、既に気がづいていた。そして、当たり前だけれど、どうしようもなかった。


<5>

 30年が経過した。私はサラリーマンになった。結婚して子供も二人いて、みんな健康に過ごしている。マンションも購入した。


 祖母は、随分前に既に他界して、叔父は例の家に一人で住んでいる。先年、がんを宣告されて今治療しつつも、まだ働いているとのことだ。ここ10年ほどは、お会いしていない。


 しかし、私は、今、生きる事に力を失っていた。誰かが描いた幸せを手に入れて来て、優等生のように達成してきた。それは本当のものではないのかもしれない、と思うようになった。世の中の起きていることが馬鹿らしく、会社でやっていることに意味を感じず、しかしながら、周囲の意志合わせて、活動してきた。無理しているのにも関わらず、その思想は、周囲には自主性がない、と映った。ただ、そんな人間のほうが多いのでは、とも思うのだが、どういうわけか、他者の自主性がないことに腹をたてる人間も少なからずいるのが現実だ。さらに、自主性がないことに腹を立てる人間に賛同して、腹を立てている人もいる、わけだ。私は、そういった正義の仮面をしている輩を、許容できなくなってしまっていた。しかし、環境を選べず、正義の仮面の集団に追い込まれ、とうとう息ができなくなった。そして、サラリーマンが落ちてはいけないポジションに嵌り、全てに絶望した。収入と生きる意味のバランスを取れは良いだけだ。昭和では当たり前だったろう。納得しようとすればするほど、心が病み、セレトニンをあげるだけの薬が増えた。



そして、理解者がいない、と叫んで、自暴自棄になった。


してはいけない行為に及んだ。いや、及ぼうとした。


ただ、勇気がなかったおかげで、生き残った。


馬鹿だ。妻は泣いていた。裏切られた気持ちだったに違いない。自らの行いに心が裂けた。


***

その日、睡眠剤を飲んでも、全く眠れなかった。


空が白くなってきた。


変わらず、朝日が昇るんだ。


変わらず、遠くで車が走っていた。


変わらず、小鳥が鳴いていた。


変わらず、新しい朝が走り始めていた。


世の中は、僕の不幸など、つゆほどにも関係なく、笑っていた。


いや、笑っているわけではなく、泣いていたのかもしれない。


いや、泣いてるわけではなく、必死だっただけかもしれない。


普通に見えたみんなも、きっと、いつか同じ場所に戻ることは知ってる。


 浪人生の時に、祖母の家に行ったことを妙に思い出した。だからこれを残すんだ。そして探すんだ。映像が鮮明に浮かび、セミの音やお線香の匂いも、はっきりと蘇った。何故、今それがよみがえったのだろうか。天国にいる、ばあちゃんなのか。記憶の彼方に、答えを教えてくれないだろうか。忘れかけた記憶から答えを。当時は、何が好きで、何をしたかったのだろう、浪人した時に、一度、踏みとどまって答えを探しに行ったのではなかったか。思い出をトレースしたら、人生を継続できやしないだろうか。


(終わり)

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