5月12日
アサガオを植えた。ずいぶんたっぷり肥料を与えるのだなと驚く。
何もしていない土からは、花は咲かないものなのだろうか。園芸から縁遠い自分はそれすらわからない。
カラスが多い地域なので、植えたばかりの種を掘り返されたりしないかと気を揉んでいる。
針金と糸で即席のトラップを作りアサガオの成長の邪魔にならぬよう、さりげなく仕掛けておいた。
私が小学生の頃に育てたのは大豆だったが、カラスに食われて芽が出なかった記憶がある。
歳をとった今でも、何かを植えるという行為がカラスの記憶と結びつくのだから、正しい教育の形だったのだろう。
何かを体験させることが教育の一環だとするなら、脅威を先回りして防いでしまう私の行動は間違っているのかもしれない。
だけど娘の悲しむ顔を見たくない、と思った。
進学したばかりの娘が国語のノートに書く字は、まだこなれていない。
「どせいさん」のフォントのような字を書いている。
それでも線むすびや、とめはらいの練習、色塗りなどをやっていくうちに、「こ」「い」「ん」などの字は明らかに形が整ってきている。
反復練習とはこれほどまでにわかりやすく結果が出るものなのだと驚く。
「なぜひらがなをこんなに何度も書かされるのだろう」一年生の頃、そう苦悩した自分が脳裏に蘇る。
つまらない単純作業の中にも意味があるのだということを、娘にも教えてあげなければ。
私がそれを真の意味で理解したのは確か27歳ぐらいのことだったからね。






