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メイキング・アンサー1

 今年は雨があまり降らなかった。思い返せば梅雨も雨の降る時期という実感があまりなかった。農家の人が困っているとか、ダムの貯水量がどうとかってニュースを見た記憶もある。たぶん、全部今年の記憶で間違いない。

 もちろん、俺が考えていたこととは一切因果関係はないだろうが、土曜日は久しぶりに思い出したように朝から雨が降っていた。そこまで激しいわけではないが、家の前に水溜りができるくらいの雨量はある。自転車で移動しようと思っていた俺は、やむなく雨合羽を着ざるを得なかった。両親が「近くなら送るよ」と申し出てくれたが、クラスの女子の、しかも樹理以外の家に行くなんていったら裏で色々な誤解をされるのは明白だ。日々の会話を聞いている限り、両親も俺が樹理と付き合っているらしいから。……その原因は、はっきりと否定しない俺にあるわけだが。


 撥水加工された生地を打ち付ける雨の感触を味わい、約七分。先日学校帰りに案内された玲奈の家に到着した。同じ小学校に通っていたのだから近くにあるのは道理だが、改めて認識すると、その当たり前の感想を抱かずにはいられなかった。

 玲奈の家は隣接する民家に比べて綺麗だった。東京に住んでいる間は家政婦を雇っていたらしく、その女性が熱心に働いてくれた結果、まるで新築のような外観にまで住宅が回復したらしい。世の中には凄い技術を持つ人がいるものだ。


 新築同然という以外、玲奈の家はシンプルな造りだった。娘が異端なだけで、彼女の両親はまともな性格なのだろう。仮に玲奈が家を建てたら、こんなありきたりなデザインを許容するとは思えない。

 自転車を枢木家の屋根付き駐輪場に置いて、玲奈のスマートフォンに電話をかけた。

 六回ほどのコール音を経て、玲奈の声が聞こえた。

 スマートフォンで塞がれていないほうの耳に、彼女の声が届いている。

 開いた玄関の扉から、玲奈がじっとりとした目を覗かせていた。


「なにしてんのよ。あんたの常識では電話がインターホンなわけ?」

「いや、車が停めてあるし、両親がいると思って。インターホン鳴らしたら、たぶん玲奈の親が出るだろ? そしたらなんて説明すればいいかよくわからなくてさ……」

「あんたあたしの彼氏でもないんだから、遊びに来たっていえばいいじゃない」

「男を家にあげるっていうのは、そう単純なものじゃない。絶対に疑われるだろ」

「そんなのあたしだって誤解されたくないから、両親にはちゃんと説明してあるに決まってるじゃない。それとも、『大丈夫、今日は両親出かけてるから』とでもいうと期待した? それでドキドキな展開になった途端に帰ってくるとでも妄想した? だからあんたはテンプレ野郎なのよ」

「妄想してるのはお前だろ!」


 馬鹿にされて反論したが、彼女のいう妄想をしなかったといえば嘘になる。しかし人間誰しも漫画みたいな劇的展開を期待してしまうものだろう。異性の家に呼ばれて、そういった妄想が一瞬たりとも過ぎらない奴がいるならば、どんな思考の持ち主か話してみたいものだ。

 扉から顔半分だけを出している玲奈の目元が緩み、隠れた口元がくすくすと音を立てた。こいつがこうやって笑うときは、どうやら人をからかっている証拠らしい。熱くなったら負けだ。俺は直立不動のまま、彼女の笑いが収まるのを待った。


「……ふぅ。で、いつまでそこにいるのよ。早くなかに入りなさい。わかってると思うけど、雨合羽は脱いでからね」

「ああ、そうだな。わかった」


 脱いだ上下の雨合羽を時点のハンドルにかけて、なるべく濡れないよう駆け足で玄関まで移動した。

 開け放たれた扉の前に立ち、玄関で靴を脱ぐ玲奈の後ろ姿を見て、思わず息を呑んだ。

 ……表現を変えよう。俺は玲奈の後ろ姿を見て、あろうことか胸を高鳴らせてしまった。


「お前……これからどこかに出かけるのか?」

「? なんでよ?」


 玄関から廊下にあがり、目線が俺と同じ高さになった玲奈が疑念の眼差しを向ける。

 俺は彼女の不審そうな瞳ではなく、彼女の着ている服を注視した。


「その格好、とても部屋のなかで着る服には見えないんだが……」


 外出はしないと聞いていたのに、俺を待ち構えていた玲奈は膝丈の白いワンピースを着ていた。仮に外出するにしても、白いワンピースで歩いている人はそうそう見かけない。それ以前に、玲奈がそんな物語のヒロインがいかにも着そうな服を持っていること自体が驚きだった。

 俺の疑問に、玲奈はにやりと微笑を浮かべて、ワンピースの裾をつまんだ。


「その反応を待っていたのよ。あんたいま、どうしてあたしがこんな、メインヒロインが終盤で浜辺を主人公と二人で歩いているときに着てそうな服を持っているんだろうって思ったわよね?」

「そこまで細かくは思わなかったぞ」

「あたしはね、白いワンピースっていうのはヒロインにとって必殺兵器だと捉えてるわけよ。大概、ヒロインは終盤まで温存するの。だからあたしは室内で着てやるの。それが全メインヒロインへの反逆ってわけ」

「お前はいったい誰と戦ってるんだ……」


 学校と変わらないサイドテールに、端正な顔と白いワンピース。外見は申し分なく、たとえわずかな時間だったとしても目を奪われてしまったわけだが、話してみればやっぱり普段の奇人で、不覚にも沸き起こった胸の高鳴りはいつの間にか完全に静まっていた。

 玲奈は膝立ちになり、玄関前の床をとんとんと指で叩いた。


「いつまで突っ立ってんのよ。さっさとあがりなさい。部屋まで案内するわ」


 促されて、「お邪魔します」と小声でいって靴を脱いだ。

 俺が廊下に立つと、玲奈との目線の高さに再び差が生じた。

 玲奈は少し見上げる形で俺に目を合わせると、くるりと回って廊下の途中にある階段をのぼっていった。

 俺はあまり大きな足音を立てないよう注意しながら、揺れる白いワンピースの裾をなるべく見ないようにしながら、少し段差の急な階段を彼女のあとに続いて進んだ。



「ここがあたしの部屋よ。遠慮なく入ってちょうだい」


 最上階である三階について、すぐ左手にある扉を開けながら玲奈がいった。

 若干の緊張。小学校の頃に樹理の部屋に入って以来、異性の家に遊びにいったことなどない。

 同じ年頃の女子は、いったいどんな部屋で暮らしているのか。扉の向こうに広がる光景を想像して、慎重な足取りで室内に足を踏み入れた。


「……」


 ……ひとつ、忘れていた。

 玲奈が年頃の女子であることは俺と元同級生であった史実が証明しているが、彼女が一般的ではないことも彼女と過ごした一週間の学校生活で充分に知っていたはずなのだ。

 そんなやつが妙齢の男子が妄想する部屋に住んでいるはずがないことくらい、少し考えれば簡単にわかったはずなのに、異性の部屋を訪ねるという出来事への思いが先行して、そいつが“異性”というより“異星”の括りに入る存在である事実を忘れてしまっていた。


「お前……なんというか、すごい部屋だな」

「意外?」

「……そうだな。意外からの意外って感じだ」


 畳六畳ほどの玲奈の自室には、まだ東京から戻ってきて間もないせいか、開封されていない段ボールが三つほど片隅に積みあがっている。それはいい。引越しの形跡が残っているのは自然なことだ。あと、テレビがある点や中央に冬場はこたつになりそうな正方形の机があるあたりも普通と呼べる内装だろう。ベージュのベッドも大手の家具販売店で売り上げナンバーワンっぽいありがちな調度品だ。


 だが、それ以外は特殊だった。

 まず二メートル近い本棚に、びっしりと新旧様々な漫画が収まっている。どれも聞いたことがある作品ばかりだ。覚えのない作品は、よく見ると漫画ではなくライトノベルのようだった。


「これ全部お前が買ったのか?」

「譲ってもらったものと中古で買ったものがほとんどよ」

「全部読んだのか?」

「飾ることが目的のように見える?」

「そういうわけじゃないけど……俺も一部の作品は読んだことあるけど、どれもお前の嫌いな王道ファンタジーや恋愛漫画ばかりだろ」

「王道の逆をいくなら、まずは王道を知っておかなくちゃ駄目でしょ? そういうことよ」


 腕を組み誇らしげに解説する玲奈から目を逸らして、本棚とは別の方角を見た。

 黒色の台に透明なケースを被せた長方形の物体が、いくつも縦横にびっしりと連結されている。ケースのなかは全てフィギュアだ。それも、漫画やアニメに登場する女の子のキャラクターばかり。圧倒される光景だが、よくよく観察してみると俺の知っているキャラクターも何体かあった。


「これも全部お前が買ったのか?」

「全部プライズよ。ゲーセンで獲れる安価なフィギュアのことね。最近のはクオリティ高いけど、それでもちょっと作りが雑な部分があるでしょ?」

「あんまり気にならないけど……じゃあ全部お前が獲ったのか。よほどクレーンゲームがうまくないと、こんなの漫画全巻セットなんて比じゃないだろ」

「獲ってないわ。これも中古で買ったのよ。信じられる? こういうのが一体数百円で買えるのよ。すごくない?」

「すごいけど……こっちも俺の知る限り、どれも作品のメインヒロインばかりだ。お前メインヒロインが嫌いじゃなかったのかよ」

「さっきと同じよ。嫌いだからこそ、よく観察して研究する必要があるの」

「研究って……」

「ちなみに、そこにあるのは全部各作品のメインヒロインよ。あたしは嫌いだけど、やっぱり魅力はあるわよね。メインヒロインって」


 フィギュアケースの前に金魚鉢でも眺める体勢で屈む玲奈を尻目に、俺はフィギュアケースの隣にあるパソコンデスクに目をやった。

 これが一番の驚愕だった。

 パソコンがあるのはいい。現代において、学生がパソコンを持っているのはそう珍しいことじゃない。俺も親のおさがりを使わせてもらっている。

 問題は、デスクの下に平積みされた辞書みたいな箱だ。見える範囲だけにも、カラフルな髪をしたかわいい二次元美少女が何人も描かれている。


「お前……これはいわゆるギャルゲーってやつか?」

「あら、よく知ってるわね。隆志もやるの?」

「一度もやったことはない。漫画、ライトノベル、フィギュアの時点で察しはついてたし、なんなら部屋に入った段階で確信していたけど、ギャルゲーまであるとは思わなかった。しかも積み上がってるし」

「ちゃんと全部やったわよ? あたし、積みゲーは嫌いなの。製作者が悲しむもの」

「それはえらいな。しかし……お前がここまで首元に浸かったディープなオタクとは思わなかった」

「あたしはオタクじゃないわ。勉強してるだけよ。これは教材だわ。ニューホライ○ンと同列よ」

「もはやニューホライ○ンがどっかのギャルゲーのタイトルにしか聞こえんな……」


 玲奈はフィギュアケースの前から立ち上がり、パソコンのディスプレイの電源をつけた。画面下が緑色に点灯して数秒後、ディスプレイにデスクトップ画面が映し出された。

 デスクトップの中央に、ウインドウがひとつ開いている。どうやらゲームのタイトル画面のようだ。《すたーと》と《えんど》という文字が青色で表示されており、背景は真っ白だ。


「絵は下手だからないのよ。下手な絵があるくらいなら、ないほうがマシでしょ?」

「待て。もうその一言で九十九パーセント把握したけど、念のため確かめさせてくれ。このゲーム、お前が作ったのか?」

「そうよ」


 サイドテールを揺らして背後の俺に首を回した玲奈は、ご機嫌な笑顔とともにいった。


「今日あたしの家まで来てもらったのは、このゲームで明日のデートの予習をするためよ」


 満面の笑みの横に、ディスプレイに映るゲーム画面が並んで見えた。

 《すたーと》と《えんど》の他にもうひとつ、タイトル画面の真ん中に大きな斜体文字で《非王道恋愛ゲーム(仮)》と書かれていた。

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