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裏切りと下り坂と信仰と


 自身の人生を現す言葉を選ぶならば、それは『裏切り』であると彼は思っていた。そしてそれにより生じた『下り坂』は、自身の人生を象徴するものであった。

 幼い頃、彼は親から教わった。『信仰こそが人生を彩るものである』と。無宗教でもだめだ。他の勢力でもダメだ。この世界を今の形に整えた偉大なる『神の座』を篤く信仰し、神教の命題である『愛』と『善行』を積み上げる。その一端として粒子の研究をして、人々を幸せにすることこそ人生を豊かにすると秘訣だと彼は常日頃から言われていた。


 幼き頃の彼はその言葉を疑わなかった。毎日朝と夜の決まった時間に両親と共に『神の座』に祈りを捧げ、空いている時間の大半を趣味や娯楽に費やすことなく粒子の研究や敵対者を退けるための訓練に費やした。そんな自分の人生に対し幼い彼は『嫌』『めんどくさい』『つまらない』という感情を抱いたことはなかった。むしろ日に日に知識が増え生活が豊かになり、他社と比べ強い力を得ることに対し何物にも代えがたい快感があった。


「じゃあ行ってきます」

「ええ。貴方に主の加護があらんことを」


 彼は十二歳を超えるころには一人前の戦士となり、神教の熱心な徒として賢教から迫る敵対者を退け多くの人々を救うために戦場に立つようになっていた。これに関しても同年代はおろか大人たちでさえ舌を巻く成果を叩きだし、彼の人生はさらに満ちた。順風満帆と言えるものであった。


「この『裏切り者』! 二度とアタシに顔を見せるな!」


 彼の人生のケチの付き始め。坂を転がり始めたきっかけは、仲睦まじくしていたはずの両親の浮気からだろう。

 彼が十五歳になった頃、父の浮気が母にばれた。『若い女の方がよかった』なんてありきたりで、しかし決して許せない理由であった。

 すると両親は喧嘩をはじめ、互いが互いを本気で殺す勢いの戦いへと激化していき、悩みに悩んだ末に彼は母の味方をした。『裏切られた』母こそ庇護するべき存在で、父は許されざる者だと判断したのだ。


 不意を衝かれた父は心臓を射抜かれ絶命した。

 母や自分の味方になった息子に涙を流しながら感謝をし、父はいなくなったが頑張って一緒に暮らしていこうと彼に言った。けれど彼はそれを断った。許されざる者であると判断したとはいえ肉親を殺したことに対し強いショックを覚えており、残った母と共に暮らすことに強い抵抗を覚えたのだ。母は一人で生活できるだけのスキルや強い心を持っており、研究者としてだけでなく戦士として戦場を渡り歩くことも多々あったので、一人にしても大丈夫であるという打算もあった。


 それからの彼はというと時折母と会うことはあれど、前以上に祈りを捧げ粒子の研究に励み、戦場でも大きな戦果を挙げることにこだわるようになった。無我夢中でそうしていなければ罪悪感に押しつぶされそうであったからだ。


 そんな日々が一年と半年ほど続き彼は再び坂を転がり落ちることになる。残っていた母親が戦地でなくなったのだ。

 ただ実のところ、この事に関して彼は深い悲しみを覚えこそすれ絶望に伏すことはなかった。

 浮気が原因で亡くなる場合と比べ戦地でなくなるのは当たり前の事であったからだ。そしてそれが仲間達や善良で罪のない民を守った結果であるということで彼はむしろ胸を張った。母こそは自分が信ずるべき熱心な賢教の徒であると自信を持って言えたからだ。


 その自信を叩き折る事態が起きたのは母の葬式の際、一人の男が彼に話しかけてきた時だ。

 なんと男は母の再婚相手だったのだ! しかも付き合い始めたのは父の浮気がばれる前だった!


「――――――!!」


 まだ二十歳にも満たぬ彼は絶望した。強い吐き気を覚え頭を抱えた。

 父の浮気が発覚した際、彼は『母が一方的に裏切られた』と思っていたからこそ味方し父を殺めたのだ。しかし事実は違った。あの時すでに母も父と同じように相手を裏切っていたのだ。彼が誇っていた母は、涙を流し自分に縋りついた彼女は、庇護するべき存在等ではなかったのだ。あらゆる者を騙し甘い汁を啜ろうとした毒婦であったのだ!

 

 その事実が彼の心を蝕む。母の葬式の最中であったにも関わらず獣の如き咆哮をあげさせる。ただそれでも式をぶち壊すことはしなければ、自分にその事実を告げた男に手を挙げることはしなかった。

 今の彼を知る者ならばそれは驚くべきことだが、けれど当時の彼にとってそれは当然のことであった。

 なぜなら周りにいるのは母の死を嘆いた人々で、自分に話しかけてきた母の再婚相手も悪意があって近づいてきたわけではない。むしろ残された唯一の肉親を失った彼を慰め、共に暮らしていくことを提案した善良さを備えていた。であれば母を間違った道に進ませた相手であろうと、手出しするのは間違っているという判断であった。


 ただ母の再婚相手の提案も彼は断った。やはり嫌悪感は存在したからだ。

 それからの彼はというとさらに神教にのめりこんだ。無我夢中で、嫌なことを忘れるために必死で。それにより彼はさらに多くの徳を積み、敵対者たちも数多く退けた。


 そんな日々が毎日、毎日毎日毎日毎日続き、


「ではそのように」

『ああ。手筈通りにやらせてもらう。君もしくじるなよ」


 母が死んだ半年後に彼はもう一度、それまで以上に深く坂を下るに至った。

 篤き信仰、他者に対する愛と善行。粒子の研究に強さへの果てなき探求。肉親を失った彼を支えていたそれらの枝葉の根本にある幹、すなわち『神教』であり、それだけが彼に残された全てだった。

 だからそれを信じ続けたというのに裏切られた。神の座イグドラシルが賢教の支配者クライシス・デルエスクと裏で密約を交わし、命のやり取りを自身の手で招いているのを見てしまった。


 その瞬間、彼は粉々に砕け散った。一度命を落としたと言ってもいいだろう。

 ただそれは精神的なものだ。肉体はまだ動く。そして彼には自我があった。だから探し始めたのだ。自分が信ずるに足りる、主として進行するべき存在を。


 心底悲しい事実だが彼にとって最も幸せだったのは幼少期の両親が二人そろっていた頃。三人揃って熱心に神の座を信仰していた時だったのだ。それだけではない。辛いことがあった時、それを忘れさせてくれたのはいつだって『熱心な信仰の心』であった。だから彼はそれに縋った。そうすることしかできない、というよりもそれ以外の方法を知らなかった。


 そしてその思いを果たすため彼は彷徨い続けた。ある時は敵対勢力だった邪教の門を叩き、ある時は奇跡を起こすと言われていた存在を信じる新興宗教に入ったこともあった。世間では知られていないが宗教だけでなく一国の王や民に慕われている富裕者に仕えたこともあったが、それでも彼は満たされなかった。誰も彼もが完璧ではなく、善意の裏に醜悪でおぞましい悪意を秘めていたのだ。


 それを見つけるたびに常識さえ砕けていた彼は、その者を『生きていてはいけない存在』と決めつけ粛清の腕を下ろし、『今度こそは』と思いながら新たな信仰対象を見つけるために動き続けた。


「……………………………………………………」


 無論限界はある。自分勝手な論ではあるが、信じる度に裏切られ、その度に心を折る日々は彼から正気まで奪っていった。そうすることで暴走したときの被害はさらに巨大になり、『十怪』の一角になってからは執拗に命を狙われることもあった。


 そんな日々が延々と続き――――――その果てに彼は運命と出会う。


「むっ!?」


 それは本当に偶然であった。

 数メートル先が見えないほどの豪雨降り注ぐある日、彼の信じていた存在はまたも裏を抱えた邪悪な者で彼の期待を裏切った。それゆえ何度目かも覚えていない絶望に身を浸した彼は全身に負のオーラを纏っており、意図せず万物万象を腐らせる空気を発していた。

 迫ってきていた追っ手を撒くため人気のない田舎道を歩いていたためほとんど人などいなかったのだが、運悪く彼の少し前には大中小に分けられるくらいの身長差をした三人組がいて、ど真ん中にいる人物にまで彼の力は伸びた。


「!!!!」


 その時彼は立場ゆえに近づいて素直に謝罪することは選べなかった。だから心の内では謝りながらも即座に距離を取り、事の成り行き次第では死なない程度の治療をするくらいの気持ちだったのだ。


 そんな彼の視界を。これまで見た中で最も美しい炎の煌めきが埋める。それは周囲一帯に降り注いでいた豪雨さえ振り払い、空からは日輪がそれを成しえた者を祝福するように降り注いだ。


「あ、あぁ。あぁぁぁぁ!!!!!!」


 その姿のなんと美しいものであろうことか!

 他者を隔絶した圧倒的な美貌。体の端々から漏れ出る強き炎の名残。万物万象を従えることを宿命づけられたかのような『神』や『王』という言葉さえ物足りないまでの覇気。


「おい貴様いったい何のつもりだ。ことと場合によってはその命、この場で絶えると思え」

「まぁ待てエヴァ。見たところこいつに戦意はない。暗殺者という様子でもないしな。そこまで殺気立ってちゃ、聞けるものも聞けないぞ」


 彼の両端にいた『大』と『小』がそんなことを言いながら近づいてくるが彼の眼はそれを映さない。


「お側に――――付くことをお許しください」

「なに?」


 聞こえてくる声は自分の者と目前に控える今度こそ信じきることができる『主』のみだ。


 

 こうして彼、すなわちギャン・ガイアは真に信じるに値すると確信を持てる存在、ガーディア・ガルフと出会った。

 そしてその瞬間、彼は下り続けていた坂を上り始めたことを理解した。




ここまでご閲覧いただきありがとうございます

作者の宮田幸司です。


3月29日分の更新となるわけですが、正直申し訳ありませんでした。

予定通りならギャン・ガイアの過去はもっとあっさり進め、後半部分はエヴァVSギャン・ガイアの戦闘に力を入れる感じだったのですが、率直に言ってしまうと筆が乗りすぎました。

書いているうちに内容がどんどん積もっていき、結果一話丸々彼の過去話に費やすことになってしまいました。


ということでもう一話、次回を二人の戦いにもらい、その後にガーディア殿サイドへ進めればと思います。


それではまた次回、ぜひご覧ください

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