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アデット・フランクの遺産


「………………んぅ?」


 キュッキュッキュッと、何かの上をこする音がする。

 それに気が付き涎が垂れた机から体を起こしたのはガーディア・ガルフ。

 目を覚まして組んでいた腕を解きつつ眠気眼をこすった彼が周囲を見渡すと、そこが数年間ずっと過ごしていた生徒会室の自分用の机であることに気づいた。

 次に彼が見たのは壁際に置いてあったホワイトボードであり、その上を軽快に走る黒い水性ペンの持ち主は彼の生涯の友の一人。

 医者を連想させる真っ白な白衣に身を包み、真っ赤な髪の毛を伸ばしたものをヘアゴムで縛っていた温和な顔の青年アデット・フランクであり、


「起きたのか。それにしても珍しいな。君が居眠りなんて。疲れでも溜まってたのかい?」

「人をロボットみたいに言うなし。俺だって眠くなることくらいある」


 ガーディア・ガルフが自分を見つめていることに気が付くと、それに気づいた様子でアデットは振り返る。その時にされた質問を聞くとガーディア・ガルフは鼻で笑いながらそう応じるのだが、


「…………いや待てよ。居眠りすることはいくらでもあったが、思い返してみりゃクッソ暇な授業の時ばっかだったな。成長か? こりゃ俗にいう成長ってやつか?」


 しかし即座に意見を変えたかと思うと、解いた腕を組みなおし、うんうんと一人で唸り始める。


「さて、どうだろうね」


 自分自身に向けて投げかけている問いかけをアデットは『そんなわけがない』と否定できた。がしなかった。その思い込みが必要なものだと感じた故に。

 続けて何か話をしようと思った彼は、けれど耳に飛び込んできた音を聞き、頭に手を置く。


「? どした? 変なもんでも食ったのか? 作り置きの副菜が期限でも切れてたか?」


 その音はガーディア・ガルフには聞こえない。しかしその時アデットに起こった異変は第三者の視点で見ても明確なもので、だからこそガーディア・ガルフも気が付きそう尋ねられた。


「……ところで友よ。ここ最近はどうだね?」

「どうって何がだよ? 日常生活、他の奴らとのコミュニケーションか? それに関しては数年前と比べりゃ、だいぶマシになったんじゃねぇの? 俺の身の回りについては………………まぁボチボチだ」


 前者に対してはアデットも頷くことができた。がしかし後者に関してはそうはいかない。どうやら本人は隠し通せている気でのようだが、彼を取り巻く人々はずっと前から彼の変化を察していた。


「そうか……………………ところでこれは例えなんだが、私が敵と戦ってて、致命傷に近い傷を負ったとしたら、君はどうする?」


 そのことを指摘したい気持ちはあったが必死に抑える。耳に聞こえてくる音。何かが軋み続ける終わりの音が、残された時間の少なさを示していた。

 だから彼は気になっていた点を不審に思われることを覚悟のうえで聞き、


「変な質問だな。お前さんが怪我するってどのくらいよ?」

「そうだな。致命傷には至ってないが、かなりの深手だ」

「ありえねー。鏡見ろ鏡。俺の知ってるお前はな、シュバルツの次くらいにそういう想像ができねぇ。いやもしかしたらあいつ以上かもな。あの戦馬鹿みたいに、強い奴見たら誰彼構わず突っ込むことはしねぇだろお前」

「それでも、だ。君ならどうするガーディア」

「……そうなる前に俺やあいつがやってくるとしても」

「ああ」

「………………………まぁキレるんじゃね? 多分だけど」


 なんとも長い遠回りをした末に彼は欲していた答えを聞いた。

 それを聞き彼は抱いていた疑問の答えを知った。それにより安堵の息を吐いた。目の前にいる男ならば、二度目はないと理解したから。

 それを聞き彼は胸が熱くなった。目の前にいる文字通り並外れた存在、地平線の彼方に一人ぼっちで佇んでいる唯一無二が、自分なんかのために初めて明確な『怒り』を抱いたのだと知ったから。


「思い返してみれば本当に濃厚な日々だったな。暇な日といううものが一日もなかった。それというのもお前のおかげだ友よ」

「んだよ改まって」


 耳に響く音が強くなり、それに呼応するように彼の視界の景色にヒビが刻まれる。同時に脳が感じたことのないほどの痛みを訴えかけ、その場で崩れ落ちそうになる。


 けれど彼は倒れない。


 最後まで、自分の前で楽しそうに笑う友の顔を崩したくないと思った。できることなら笑顔のまま、さよならさえ告げず終わりを迎えたかった。


「私はね、孤独だった。お前と会うまでの間、ずっと孤独だった。シュバルツと同じようにな。立ち上がったばかりの子供のくせに大人を黙らせられるほど賢くなって、誰の手も借りずに何でもできる私を、周りは気味悪がった。そうして人が離れていくのを、けれど私は引き留めなかった。自分と同じ領域に立てない存在なんて、いらないと思ったんだ」

「…………」

「その孤独を、お前が砕いてくれたんだ。自分よりも優れた存在がいるって、お前が教えてくれたんだ」

「んだよ気色悪いな。なんで今更改まってんだよお前は」


 とすれば口に出す言葉はこのようなものではない。そうわかっているのに、口からは感謝の言葉しか出てこない。この会話が友と交わす最後のものであると自覚してしまい、理性を乗り越え語りたい言葉があふれ出てしまう。


「なぁ友よ。偉大なるガーディア・ガルフよ」


 笑みはまだ保てられている自信がある。声にだって張りがあると思う。

 だけど零れ落ちる言葉の数々を聞けば、漫画や小説を好むガーディア・ガルフとて、これが異常事態の類であるとは理解できる。

 だからこそアデットはもはや正確に認識できないが彼の顔には柄にもない表情が浮かび、


「……私は君を『理解』できてたか? よき『理解者』だったか?」


 『最後に聞きたい』という決定的な単語だけは何とか飲み込み、どうしても聞きたいことを、全身に襲い掛かる激痛や脳の痛みと揺れに耐えながらも聞き遂げることができた。


「――――――」


 その問いに対する返事は、もはや聞こえない。

 耳鳴りは届くはずのあらゆる音を塞ぎ、彼を彼方の孤独へと導いていく。視界とて同様で、今や大半が砂嵐に隠されてしまった。


 

 それでも彼は最後に、真剣な表情で首を縦に動かした目の前の人物の姿だけは朧げながら確認でき、



「あ、アデット!?」


 その直後、ガーディア・ガルフが戸惑いを発すると同時に箱庭は砕けた。



 そうして一方は眠りから覚め、もう一方は眠りに沈んだ。




「――――ダメーー! 血―止まら!」

「んーなんだよ。うっせぇぞ」


 ガーディア・ガルフが目を覚ます。先ほどと同じように、けれど今度は人の怒声で。

 いや違いはその点だけではない。

 今の彼は見慣れた机と椅子に挟まっているわけでなければ、そもそも部屋の中ではなく屋外にいた。

 彼が今いるのは瓦礫の山と炎が蔓延る空間で、聞こえてくる声も合わさり、彼の脳はこの場所が『地獄』であると断じた。


「お、おいおいどうしたんだよ怒鳴って。何があった。見せてみ?」


 何が起きたのか、この時の彼はまだ気が付いていなかった。

 ただ人生で最も体が重苦しく、一歩前に進むたびに感じたこともない抵抗を覚えたのは確かで、声は自然と震えるものになっていた。


「っ!」

「うぉ!? え、エヴァ!?」


 無我夢中で飛び込んでくるエヴァもいつものように抱き寄せられない。以前のように軽快に躱せもしない。

 美しい素顔に浮かんだぐちゃぐちゃな表情に呆気に取られ、呼吸することさえ忘れ押し倒された。


「ごめん。ごめんダーリンッ! 私が! 私がもっとしっかりとした回復術を使えてたら! 同族が死ぬときは即死ばっかりだったから、ロクな奴をっ!」

「な、なに言ってんだよお前! 俺らといるうちに色々勉強してたじゃんかよ。それこそ少し触れるだけでいろんな傷が治せてさ! そんなお前が治せないなんて、肉片がほとんど残って――――」


 直後に泣きながら届く声にガーディア・ガルフは笑う。なぜだかわからなかったが笑うことしかできなかった。


「ない、ような…………………………っ!」


 であれば彼女を跳ねのけ前に進んだのも意識ではなく本能、いや彼習習性であり、


「あ、あぁ」


 目にしたものを見て、上げたことのない声が漏れ出した。


「悪くない。お前は悪くないんだ。俺たちがもっと早く気付くべきだった。いや気づいたんだ! だけど言わなかった! お前ならどんな異変があろうと、勝手に乗り越えるものだって!!」


 共にして宿敵である男が隣に立ったにも関わらず、うなだれたまま言葉を綴るシュバルツ。その真正面には正座で地面に座り、己の両手に顔を埋めるアイリーンの姿があり、彼の膝の上には見知った顔が眠っていた。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぅぅぅぅぅぅぅうわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!?」


 首を残して全てを食いちぎられたアデットは、その直後、魔犬の口から内部へと自身の得物である鎖を通した。そのまま引っ張り上げた結果ガーディア・ガルフは外気に触れ、魔犬は消滅。

 けれどそこで彼はこと切れ、エヴァが失われた全身の再生を試みるも、魂が現世にとどまるといわれている五分のタイムリミットまでの間に成しえることはできず、アデット・フランクは絶命した。



 その事実を、ガーディア・ガルフは今更ながらに全て思い出した。

 自身が魔犬になった直後から今までの記憶全てが脳に叩き込まれ、自身の頭蓋を両手で抑え、人生で最も体を震えさせながら絶叫を轟かし、意識が失われるまでそれは続いた。


 この日からである。


 アイリーン・プリンセスは白兵戦を鍛え様々な光属性の術技を覚える道を選んだ。結果撤退戦や時間稼ぎという分野ではだれにも負けないほどの腕前を得るに至った。全ては『もう仲間を失いたくない』という一心ゆえの修行である。


 シュバルツ・シャークスはより一層修行に励むようになった。ガーディア・ガルフを最終目標に置くことに変わりはない。ただもしこの先同じことが起きたとしても、今度は町も仲間も全て守れるように、その強さを研磨しようと思った。なお彼は。死んだ友のことを一時も忘れないよう、真っ白なマントを羽織るようになったのもこの時からだ。


 エヴァ・フォーネスは愛する人に異変があればすぐに気づけるよう、いつだって彼の側にいるようになった。さらに回復術はもとより、これまで触ってもいなかった様々な術技や能力にまで手を回すようになり、多くの仲間を助けようと思った。

 何より、今度愛する人が困ったことがあれば、自分の手で必ず助けると誓った。


 そしてガーディア・ガルフは……………………この日から徐々に、けれど勢いよく、感情を失っていった。その真意を測ることは親友である彼らすらできずにいた。




 こうして歴史は先へと進み、千年前の戦争へと移り行く。

ここまでご閲覧いただきありがとうございます

作者の宮田幸司です


過去編における最終決戦は此度で終了。起承転結における『転』までがこれで終わったことになります。

とはいえこっからさらに長々として続くというわけではなく、最期は残された謎を進みゆく記憶とともに一気に解明します。


それではまた次回、ぜひご覧ください!


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