神殺しの獣ウェルダ
シュバルツを筆頭とした三人は親友であるガーディア・ガルフの参戦により町を、自分たちの居場所を、守ることができた。これは純然たる事実である。疑うものはいないであろう。
しかしその後の展開に関して言えば、逆に予期していた者はいなかっただろう。
「――――――――ゥゥ…………」
「が、ガーディア?」
それを示すように、後に『果て越え』の懐刀とまで呼ばれる男の口から声が零れる。『こんなことが起こるなど、微塵も思っていなかった』という意味合いが含まれた声が。
「っっっっ」
突如現れた、黒い炎に包まれた巨大な魔犬。その何気ない一歩で地面が砕ける。
その存在が口から絶え間なく漏れ出す涎は地面を溶かし、体にまとわりつき揺らめく黒い炎は周囲の温度を瞬く間に上昇させる。
そんな空間で最初に動いたのは新たなる怪物の誕生により目が覚めた第二の襲撃者。すなわち全身を真っ白な衣装で隠し、顔面から髪の毛に至るまでを同じく真っ白な包帯で覆った小さな襲撃者だ。
「来たか。神殺しの獣――――ウェルダ!!」
「!?」
その一言でシュバルツ達四人は予期していなかったこの状況を、彼が待ち望んでいたことがすぐにわかった。
誰もが困惑する状況の中で、見るからに特大の厄ネタであるこの魔犬を彼だけは待ち望んでいたのだ。この事態を正確に飲み込んでいたのだ。
その理由が果たしてどのようなものなのか?
シュバルツ達は突然の事ゆえに、彼の態度に関して問いかけることができない。
ただ小さな襲撃者は全身から暑さだけが理由ではない汗を迸らせながら掌を頭上へと掲げ、何らかの呪文を口にし始める。
「え?」
ただ、それが完成するよりも早く彼の下半身は食い破られ、掲げていた幼子の腕は魔犬の鋭利な爪が掠るだけで鮮血をまき散らしながら吹き飛んだ。
「な、あ………………」
その状況を飲み込んだ瞬間彼は理解する。「この場にいてはいけない。自分達は選択を誤った」と。
ただ頭に思い浮かべた言葉の通りに体を動かすよりも早く、再び鋭利な爪が揃えられた腕が頭上から振り下ろされ、残っていた上半身は地面に到達することなく早く四散し、血も肉も骨も残らぬよう、天上へと伸びていく炎の渦によってかき消された。
「――――――――!!!!」
その結果を祝福するためか、はたまた歓喜によるものか。ガーディア・ガルフから変貌する形で出現した魔犬がとっくの昔に傾いていた日輪を見上げながら咆哮。
犬のものとは思うことができないその咆哮は物理的な衝撃を伴っており、瓦礫の山や崩れかけていた建物を吹き飛ばして周囲一帯を更地に変え、シュバルツを除いた全員が大なり小なり体を強張らせ、
「早い! しかし!」
唯一微塵も動じず臨戦態勢を取り続けていたシュバルツにここで幸運が訪れる。
己が身をかばうことに意識を向けていたエヴァたちと違い、突如現れた怪物の動きに注視していた彼は周囲の光景をはっきり捉えられる余裕があり、そこで目にしたのだ。
瓦礫の山に埋まってはいたものの息があった燕尾色のローブで全身を包んだ第三の襲撃者。
彼は魔犬の咆哮により瓦礫の山から姿を現し、それを見た魔犬は瞬く間に詰め寄り、小さな襲撃者と同じようにその肉体を容易く噛み砕き、文字通り命脈を絶った。
(ガーディアほどではない。それに見たところ……狙いはこの町に襲ってきた連中か?)
凄惨な光景であることに疑いようはない。
ただ威圧感に屈しず観察してみると敵意は自分たちには一切向いておらず、行動指針からして狙いはこの町に訪れた襲撃者の類であるように思えた。
「――――ァァ!!」
「でかいばかりの犬っころが。調子こいてるんじゃねぇよ!!」
その推測が正しいものであると示すように、ガーディア・ガルフが変貌した魔犬の矛先は『嵐の無双者』へと向けられ、周囲に駄々洩れの強烈な殺意を前にしかし彼はおびえることなく啖呵を切り、腕に螺旋を纏い、腰を沈め、
「オォォォォォォ!!」
ガーディア・ガルフと比べれば幾分か緩慢な、けれど光に到達するだけの速度を備えたその動きに、しかし黒い振るフェイスのヘルメットを被った男は対応。
大口を開けたことで見えた牙の群れと瓦礫の山さえ溶かす涎に怯えず、冷静に魔犬の進行方向から外れ、横っ面から思いっきりぶん殴る。
「あぁ!?」
ここで再び事件は起きる。目の前にいる魔犬は固いのだ。凄まじく。
炎属性粒子を圧縮したとは思えぬほど強固で分厚い炎の表皮。これはガーディア・ガルフが所持していなかったもので、突然そんなものが生えてきた事実に振るフェイスのヘルメットの奥からは戸惑いの息が漏れ出し、
「ゥア!!」
わずかにのけ反った隙間に打ち込まれた鋭利な爪。その速度は先の移動よりもはるかに早く、驚くほど簡単に分厚い戦士の肉体を引き裂いた。
「こ、の程度の体じゃ……ここが限界、かっ!!」
(この程度の体?)
他の二人と同様にこと切れる瞬間、恨めしげに呟く男の言葉にアデットは反応する。ただその真意を尋ねるよりも早く男もまた魔犬の前足による踏みつけで四散し、その時点で時が凝固する。
「どうするシュバルツ」
「…………」
両者ともに動かぬ状況。すなわち膠着状態が遮蔽物一つなくなった戦場に広がり、不安げな表情をするアイリーンとエヴァの二人を背に置き、シュバルツが一切の油断も慢心もなく剣を掴み、瀕死の重傷を負ったままのアデットの問いに無言を貫き、
「ォォォォォォォォ!!」
「おいおいおいおい! マジかマジかマジかお前!?」
数秒経たところで、その状況は火に当てられた飴細工のように容易く溶けてなくなる。
獣の口から発せられた咆哮。それとともに周囲を伝う、聞いた者の耳を呪うような殺意。その矛先が向かった場所が自分たちが築き上げた安住の地であることをシュバルツは悟ってしまったのだ。
「クソッ。今日はもうくたくたなんだけどな!」
「おいシュバルツ! お前まさか殺す気で!」
「殺す気で挑むが殺しはしない!」
「は、はぁ!?」
「そのくらい本気で挑まなけりゃ、やばい相手ってことだよあれは!」
わめくエヴァを一言で黙らせ、殺意を迸らせる。
するとそれを感じ取った魔犬の視線が自身へと向き、彼は自身の意図が伝わったことを理解し獰猛な笑みを浮かべ意識を研ぎ澄ますが、
「おい。待て。お前…………そっからさらにでかくなるのか!?」
直後に浮かべていた笑みは凍りつき、自身の見込みの甘さを思い知らされる。
というのもシュバルツは友が変貌した魔犬に対し、手際の良さや表皮の固さこそ脅威に思えど、それでも元々備えていたスペックを凌駕することはないと踏んでいたのだ。
けれど目の前にいる魔犬がその体を急速に膨らませていくとその予想を撤回。
纏う黒い炎の量と熱量を倍々に増幅。さらにただ一歩前に進むだけで地面を割れるほどの膂力を備え、シュバルツは思わず口内に溜まっていた生唾を飲み、
「見たところさっきまでの奴は休眠明けといったところか。だが少し体を動かして、本調子を取り戻したようだ」
「勘弁してくれよ。いやそれより、そんな嫌な推測するくらいならエヴァに早く体を癒してもらえ。こいつはたぶん…………私だけじゃ無理な奴だぞ」
背後に控えている友の推測をうんざりとした顔で聞きながら、今できる最善手を打ち込んでいく。
そんな状態の彼らを八つの目全てがじっくりと捉えるがすぐに襲い掛かってくるようなことはなく、他の面々を守るため一番前に立つシュバルツは周囲の暑さに反するように心胆は凍えさせていき、
「オォォォォォォォ!!」
そんな彼らの耳を咆哮が再び突き抜ける。
先ほど以上の声量。先ほど以上の衝撃を伴いながら。
それにはしっかりと覚悟を決めていたアイリーンでさえ身を硬直させ、アデットの回復に徹していたエヴァは体を一度震わせたかと思えばかけていた術式が解けかけ、
「シュバルツ!」
同じように動揺を体で表すアデットは、けれど正常に働く脳と目を働かせ、視界の端に映った光景を前に悲鳴に近い声を上げ、
「応とも!!」
ただ一人、それを真正面から受けても万全の状態を保ち続けたシュバルツは、自身の倍ほどの巨体になった魔犬の、鋭利な爪を伴った右前足の振り払いを分厚い鉄の塊のような剣で受け切り、そのうえで一歩も引かず均衡状態を作り上げ、
「全く。面倒な奴だよお前は!」
「ルゥアァァァァァ!!」
「さっさと目を覚ませ!」
己が肉体を構成する筋肉全てを働かせ、均衡状態だった右前足をかちあげ、反撃が来るよりも早く、大上段の一撃を打ち込んだ。
「っっっっ!!」
それは黒い炎で構成された分厚い表皮さえ切り裂き、鮮血の如き勢いで真っ黒なマグマが噴出した。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
ここ最近、投稿が零時を過ぎてしまっている作者の宮田幸司です。
毎度のことながら遅くなってしまい申し訳ありません。
以前後書きで語っていた予告通り襲撃者たちとの戦いは終了。詐欺臭いかもしれませんが、そこはご愛敬。さすがにこのネタバレはできなかったのです。
とはいえ様々な敵が出てきた大規模戦闘も間違いなく大詰め。
最後の障害である魔犬の実力は見ての通り圧倒的なもので、人間なんてチーズでも裂くくらい簡単に食い散らかすスペックです。
なお天敵はミレニアム。こういう理性が働いていない力任せに対してはあの全身鎧の神器マンは役に立ちます。
それではまた次回、ぜひご覧ください!




