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陽炎の歯車


『神崎優香です。お待ちしておりましたよガーディア・ガルフ』


 殺風景な白い壁に簡素なパイプ椅子。それに事務用の安物の長机。それらを包む照明はチープな輝きを真下へと降り注ぎ続け、耳に届くエアコンの音は騒々しい。

 言ってしまえば誰も使いたがらない場末の格安スペースとでもいう空間がガーディア・ガルフとエヴァの前には広がっていたのだが、彼らはそのような印象を抱くことはなかった。


 どこにでもあるような事務用の長机の向こう側に座る人物がそれらすべての印象を覆していたのだ。

 夏の暑さを和らげるような、風鈴の音色が如き声を発したのは、この握手会の主役である神崎優香その人。

 彼女は背後にグレーの簡素な作業服を着こみ、なんの飾り気もない黒のニット帽を被った四人の警備員らしき人物を侍らせており、やってきた二人を歓迎することを示すように笑みを浮かべる。


『……その服、あんたの書いてる小説で見たことあるな。確か『十二単』だったか?』

『いえ。そこまで豪華絢爛なものではありません。これは『着物』と言って、『十二単』つ比べてもう少し気軽なもの。時代によっては誰もが着ていた、一種の普段着です』

『へぇ。それが着物か。そいつも確か小説で語られてたな」


 簡素なパイプ椅子に座っているのはガーディア・ガルフと比べ幾分か若い、それこそ小学生高学年ほどに見える幼い顔立ちをした少女で、見るだけで手触りの良さを確信できる髪の毛を首筋の辺りまで伸ばしおかっぱにまとめ、二人の紹介した深緑色のしわ一つない着物を見せつけるように両手を広げた。


 彼女がまとっている空気は、浮かべている表情も含め穏やかで明るい。春先の太陽の日差しを連想させるものだ。見た目の幼さもあり、見る者の頬を緩めるものであろう。

 ただ対峙するエヴァはそんな気にはどうしてもならなかった。彼女の背後に控えている顔を隠した四人の警備員、彼らの実力を瞬く間に察知したからだ。


『ガーディア…………あいつらは』


 エヴァは探知系の術者ではないが、その類に関してもそれ相応の実力を備えていた。自身だけでなく、自身が庇護する同族を守るためだ。

 そんな彼女は己の肌を刺す感覚を浴びるだけで理解した。

 自分たちに意識を向けている四人の本来の姿かたちもわからぬ者達。彼らは自分に『死』という結末を与えることが可能な実力を秘めていると。


 それが単体で可能か、それとも全員に襲われることによる結果なのかまではわからなかったが、彼女は久方ぶりに味わうその感覚に怯え、愛する人の服の裾を掴む。

 自分たちが何らかの意図でおびき寄せられたのだと察したのだ。


『怯えさせてすいません。ですがご安心ください。私たちに貴方がたに危害を与える気は一切ありません。まずは』


 そんな彼女の心境を察し神崎優香は言葉を紡ぐ。穏やかで人の心を安心させる笑みを添え、『本題』に移るために必要なことであると考えた故なのだが、


『おい』

『え?』

『人の連れを脅かす。心優しく、清く正しい聖人君子である俺だって、許せないことはあるんだぜ?』


 その直後に状況は彼女にとって思いもよらぬ展開へと進んでいく。

 神崎優香を名乗る彼女が想定していなかったエヴァが醸し出す緊迫した空気。

 それを遅れて察したガーディア・ガルフがそう告げた時、彼の拳にはおびただしい量の血が付着しており、遅れて神崎優香の真っ黒な髪の毛にもわずかだが生暖かいものが付着。

 ゆっくりと、信じられないというように瞳を見開き、彼女は背後を振り返る。

 そこにはエヴァが危険と感じた者たちが腹部から血を流しながら壁に埋まっている姿があり、


『あんたが本来口にする予定の言葉を勝手に予想するならだ』

『!』

『『まずは、形式に沿ってサイン会をしましょう』ってところだと思うんだがどうだ?』


 声が聞こえ視線を移した彼女が見たのは、掌についた血を懐から出したハンカチで丁寧に拭い、座っている自分を見下ろす絶対たる強者。自身の思考を読み解き、そのうえで賛同の意を示すように、そばに置いてあった色紙を手に取り、机の上にコトンと置くガーディア・ガルフの姿である。


『ええ。そうですね。そうしましょう』


 その姿を目にして彼女はわずかながら体を強張らせたものの同意を示す。

 その証拠に色紙を手にすると隣に置いておいたマッキーを掴み、さほど慣れていない様子でサインを描く。


『で、俺らを呼んだ理由はなんだ? いやこの場合俺か?』


 それは数秒とかからず終わる作業であったのだが、二人分書き終えるのを待たずガーディア・ガルフは質問を投げかけ、彼女の手が一瞬止まる。


『貴方と少々お話をしたかったんですよ』


 ただ自分の意図が知られる程度のこと彼女にとってもは想定のうちだったのだろう。

 動きを止めた腕は数秒もかけず動き出し、二枚目のサインを終え、ガーディア・ガルフの隣に立つエヴァに差し出される。


『俺と?』


 最初は受け取ることを躊躇したエヴァであるが、再び神崎優香がニッコリと笑うと警戒心を緩めそれを受け取り、その様子を見届けガーディア・ガルフが会話を続ける。


『なぜだ?』

『私には貴方が必要だったから。いえ、貴方とその心強い仲間たちが必要だったから』

『どういうことだ?』

『………………………………これは賭けなのです。ただ待つだけでは勝算が薄い私たちが、状況を覆すための賭け。そしてそれは成功した。奇跡的としか言いようがない確率を潜り抜け生まれた人類の最先端が、私たちのとって敵ではなかった』

『意味が分かんねぇな。あんた何言ってる?』

『………………………………ごめんなさい。私たちが今、この瞬間に語れることはあまりにも少ないの。でも伝える手段はある』


 これでは独り相撲だ。そうガーディア・ガルフは思う。

 先ほどまでとは違い陰りを帯びた声で言葉を綴る彼女は俯いており、目も合わせようさえしないため会話さえままならない。ただ自分が伝えたいことだけを延々と呟く。

 それは握手会という名目とは明確に反するものであり、並大抵のことでは眉一つ動かさないガーディア・ガルフとて異変に思えるほどの状況なのだが、そこでふと彼女の独白が止まる。


『これを』

『何だこりゃ?』


 とすれば、その直後の行動にも彼は疑問を発する。

 ガーディア・ガルフのもとに差し出されたのは一冊の本。元々は鮮やかな紅色であったであろう無地の表紙が色あせ、頁のいたるところが黄ばんだその本を、神崎優香を名乗る少女は差し出したのだ。


『お越しいただいたお礼。ピースワット冒険譚の記念すべき第一巻の初版です。受け取ってください』


 いつから出版されたのかもわからない小説の第一巻。それも初版ともなればそれはまさしく『幻の品』であろう。ただ『ファンと作者の立場が逆じゃねーのかコレ』などと彼は思ってしまい、けれど愛読書のめったに手に入らないレア物ゆえ素直に受け取る。


『私たちは貴方がたが持っていない技術を備えています』

『なに?』


 その直後である。

 神崎優香を名乗る童女の姿が霞のように突如消え去る。それは有史以来間違いなく最速であるガーディア・ガルフでさえ止められず、薄れゆく体に触れようとしたところで通り抜けてしまった事実から、彼は目の前にいた神崎優香を名乗る少女が、小説に出てきた『実体を備えたホログラム』の類であったのだと判断。


『ですから断言しましょう。ガーディア・ガルフ、貴方は長寿族に属する人間です』

『それが?』


 油断することなく周囲を観察する中でどこからともなく声が聞こえ、それが壁や床を反射しその場に残った二人の耳を射抜く。


『…………………………その本、大変貴重なものなんです。ですから時折読んでください。十年、二十年、いえそれ以上、千年経ったとしても、時折読んでください』


 それはなおも続けられるのだが、そこまで告げられたところで声は消え、彼らを包んでいた空間が歪む。

 その瞬間再び身構えたガーディア・ガルフとエヴァであるが、彼らに害があるような行為はなにもなく、数秒したところで彼らを包む空間が歪みはじめたかと思えば、いつの間にか炎天下の空の下に置き去りにされ、エヴァが頭から噴き出し始めた炎を消しながら日傘をさした。


『……?』


 その様子を見ていたガーディア・ガルフは彼女の頭で燃え盛っている炎を吸収しようと掌を向けるのだが、そんな彼の視界にヒラヒトと落ちてくるものがあった。


『どうかしたのか?』

『いや何でもねぇ。とりあえず帰って一回読んでみるさ』

『ふーん』


 その時エヴァはその正体をしっかりと視界に収めていたのだが、それはピンク色のかわいらしい栞であった。けどガーディア・ガルフはその事実を告げずそれを本に挟んだ。


 これが初デートで起こった出来事。

 長く生きたエヴァの人生の中で最も奇妙な出来事の記憶。


 そしてガーディア・ガルフという存在に異変が生じる直前の出来事でもある。




ここまでご閲覧いただきありがとうございます。

作者の宮田幸司です


というわけで神崎優香を名乗る少女登場回。

正直なところなんのこっちゃな話になってしまった気がして申し訳ないのですが、全編通しても絶対に避けては通れない話であったため、書かせていただきました。

書いている立場が頼み込んでしまうという大変申し訳ない話なのですが、大目に見ていただければ幸いです。


まぁもちろん今回の話にも大きく関わってくるわけで、それに関してはまた次回。

次回からはさらに時は進みます。


それではまた次回、ぜひご覧ください

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