古賀蒼野と尾羽優、森を駆ける 四頁目
二頭の巨馬が穏やかな鼻息を立てる真下で、比べれば米粒程度の大きさの人々が忙しなく動き続ける。
彼らは皆一様に黄金の棒を装備しており、防弾使用のヘルメットを被り、橙色の服に白い十字のラインが入った服に身を包んでいた。
その内の一人が耳に付けた発信機のスイッチを入れる。
時刻は午前十一時、定期連絡の時間である。
『こちらアルファ5、付近に異常なし』
『こちらアルファ6、同じく付近に異常なし』
耳を傾けながら彼がふと考えるのはこの厳重な警備の必要性だ。
好き好んで来るはずのない危険な森の中、一度暴れれば周囲の景色を一変させる力のある馬が二頭。
加えて自分を含め三百を超える兵士。
数日前の不慮の事故に近い戦いなど度々起こるはずもないため、この警備の必要性をあまり理解できず、彼は心底億劫であった。
そんな風に考えていたところで、目の前の草むらが僅かに蠢く。
『こちらアルファ7。以上なし』
「こ、こちらアルファ3。付近に異常あり! 付近に異常あり!」
思ってもいなかった事態に声が強張り、腰に携えていた金の棒に手が向かう。
『一体何があった。状況を説明しろ』
その声に反応し別の誰かの声が聞こえると僅かに心が落ち着き、指示に従い目を細め、静かに状況を観察する。
すると肌を突き刺すような鋭い冷気が頬を撫で、草むらの動きが徐々に大きなものへと変化していく。
「Moooo!」
やがて現れたその姿を見て、男が声をあげる。
「スノークランチ、スノークランチが現れました!」
突撃してくる巨体に対し光の銃弾を放つが、皮膚を多少傷つける程度のダメージしか与えられず、武器を放り投げ姿勢を整える。
続けて拳を燃やし殴りかかるが、拳の炎は冷気に負け男の体が吹き飛ばされる。
「こ、こちらアルファ3! 対象の打倒に援護が必要、応援を望む!」
『アルファ4、すぐに向かう』
『アルファ2、向かう!』
『了解。三人で対応できない場合、再び連絡されたし』
「アルファ3了解、って、ちょっと待て猪!」
『どうした!』
吹き飛んだ男が立ち上がり自分を襲ってきたスノークランチへと視線を向けると、男の声が焦燥感に彩られたものに変化するが、それも仕方がない。
男が今しがた目にしたもの、それは巨大な居住区を支える二頭に向け突撃するスノークランチの姿だ。
「Moooo!」
「――――――――!!」
スノークランチの角が灰色の馬の右前脚に突き刺さる。その痛みに巨体が悶えそこら中を動き回り始めると、警備についていた兵士たちが蜘蛛の子を散らす。
「こんちはー」
「ようこそようこそ」
「え?」
そうして森の中へと逃げた面々の内二人を蒼野と優が捕まえ、暴れまわる巨馬とスノークランチから離れた場所に移動。
その後気絶させた片方をその辺りに放置し、未だ意識を保つもう一人の男を縛り上げる。
「統一した服装でよかったな。これならそうそう簡単にばれる心配もない」
「確か番号はアルファ3と7だっけ。あ、ヘルメットの方にご丁寧に書いてあるわね」
「き、貴様ら、我々にこんな仕打ちをして、ただで済むと思うなよ!」
奪い取った服の仕様を確認する二人に、気絶せずに意識を保ったままの男が、パンツ一丁の状態で二人に対し声を荒げる。
「怖い事言わないでくれ。こっちはこれから敵の巣に入ること考えて心臓バクバク言ってるんだ。お前の言葉を聞いて恐ろしさのあまりショック死したらどうする。責任とれるのか」
「なにを言ってるのかさっぱりだが……す、すまん」
何とも形容しがたい表情と光を灯していない瞳を覗きこみ、男が途端に罪悪感に襲われる。
「ところでもうちょっと大きい服ないかしら。胸の辺りがきつそう」
「し、知らん!」
この少年と目を合わせていてはいけない。
何故だかそう感じた男が視線を優へ向けると、胸の辺りに手を当てながら少女が尋ね、それを見た男が顔を赤くする。
「あ~~顔真っ赤にしてる。ウブなのね」
「うるさい痴女め!」
「痴女とはなによ!」
「ぎゃっ!?」
優が小馬鹿にした態度で彼に語りかけると、突き放したような発言が返され、それを聞いた彼女が渾身の力を込めた拳で、男の頭部に殴打。
痛みに耐えかねたのか、男は意識を失った。
「ま、まさか殺してないよな。これ以上俺の心臓と胃をいじめないでくれ」
「むかついたのは本当だけど、流石に痴女扱いされただけで殺しはしないわよ。さ、この服に着替えましょ。アタシはあっちの草むらで着替えるから、あんたはここで見張りながら着替えてもらっていい?」
「わかった。今のところここらは二頭の動きによる被害はないけど、早めに着替えてくれよ」
「はいはい」
それから数分後、二人が奪った服を着こみ、ヘルメットを被った状態で合流。
未だ暴れ続ける二頭へと向け走り始める。
「すっごい暴れようね」
「もしも潰されたらと思うと……吐く!」
「ちょ、やめてよ。アタシ隣でゲロ吐いた奴となんて歩きたくないわよ」
「だ、大丈夫だ。もし服についても能力で時間を戻す」
「……疑問なんだけど、その場合嘔吐したものはどうなるの?」
「巻き戻し映像の如く吐いたものが口の中に戻る」
「やばい、想像したらアタシも気持ち悪くなってきた。新手の拷問ねそれ」
喉元の辺りを抑えながら近づいて行く二人の前に、大地を震わし抉る巨大な蹄が迫る。
二人が二頭の隙間に入ってやり過ごした所で、十メートル程離れた位置に居住区へと続く入口が見えてきた。
「ラッキー。あそこまで一気に行くわよ!」
「ああ!」
法則性なく暴れ続け地面を踏む二頭の真下を駆ける両者。
地面の揺れや頭上から襲い掛かる足踏みなど大した相手ではないという様子で両者は駆けまわり、一呼吸の間に入口付近まで到達。
「よし、到着!」
先を走る優が、一切手こずる様子もなく入口のある足場まで跳躍し着地する。
続いて数メートル後方を走る蒼野も足場へと向け最後の一歩を飛ぶが、
「あ」
そこで一際大きな地響きが起こる。
「うそ……」
その光景を見て優は声を震わせた。
足場へと向け大きく跳躍した蒼野だが足場へと手を伸ばした瞬間、二頭の動きに合わせて居住区が僅かばかりだが上へと跳ねたのだ。
結果蒼野の手は空を切り、間髪入れず元の位置へと戻った居住区は蒼野を押しつぶした。
「このっ」
こうなれば結末は火を見るよりも明らかだが、それでも少女は確かめずにはいられないという様子で手から水を放出すると鎌の形で固定しすぐさま真下を破壊。
一縷の望みを抱きながら下を見て、
「え?」
青白い光を纏ったまま、大の字で地面に埋まる蒼野を見た。
「ちょ、ちょっとどうなってるのこれ!? まさかこれから魂が抜けるとかそっち系?」
これ以上の混乱はないという様子で頭を抱えうなだれる優の目の前で、蒼野の体がより強く発光し、十メートル先の位置にまで戻っていき、
「っ!」
再び時が動きだし、これまでと変わらぬ様子で蒼野が進み跳躍。今度は押しつぶされる事もなく入口のある足場に着地した。
「そ…………蒼野?」
恐る恐るといった様子で彼に手を伸ばし、語りかける優。
「おげぇぇぇぇ!」
「ちょ、うわ汚な!」
声を耳にし、無意識に振り向いた蒼野。
わずかな時間の後、そのまま動くことはなかった蒼野だが、頬をパンパンに膨らませたかと思えば、突如胃の中の物を一気に吐きだした。
「ま、間に合わず人間トマトケチャップになってたことを考えると……オロロロロ!」
「気持ちはわかるしアタシの服や体にかからなかったし、今回の嘔吐は良しとしましょ。てかその能力マジで反則ね。自分に使うと時間を戻してる最中は無敵なのね」
「じ、時間を戻している間はなにもできないけどな。まあ……要は使いようだ。痛みとかはないけど、踏み潰されたって感じる意識はあるから最悪の気分だけどな!」
言いながら、二人が扉をくぐり中へと入る。
入ってすぐに目に入ったのは、電球色の温かみのある廊下。地面には黄色の絨毯が敷かれており、人が五人程通れるほどの巨大な廊下が奥へ奥へと続いている。
「空間の拡張までされてるとは。んで、それを背負う動物を一個人が所有してるのか。すごいな」
移動式の居住区の中にこれだけの規模の廊下。しかも彼らが入った入口は正面入り口ではない。それを見ただけで貴族衆の財力を理解し呆然としてしまう蒼野。
「さ、じゃあ操縦室まで向かうわよ」
「ちょ……タンマ。今マジ無理。揺れも合わさって……また吐きそう。おぇ」
「えぇぇ」
蒼野の様子に呆れて何も言えない様子の優だが、第一目標である建物への侵入を達成したことで気が抜けてしまっていた。
そのため近づいてくる足音にも気が付かず、男が背後から近づいて来ているのにもかかわらず、手が届く位置に迫られるまで気が付けなかった。
「おいお前」
聞こえてきた野太い声に優が体を揺らす。
チラリと真下に視線を向ければ、影は一つのみ。
殺すのではなく気絶をさせる。得物を持つまでもない、そう決心して吐きそうなのを堪える蒼野を尻目に少女が振り向いた瞬間、
「相方が死にそうな顔してるぞ。医務室に連れて行ったほうがいいんじゃないか?」
「へ? あ、はい」
思いもよらない言葉にヘルメットの奥で目を丸くした。
『待機中の兵士一同に連絡する。各部隊11番以降のメンバーを警備に残し、他のメンバーはすぐさま二頭の鎮静に努めよ。繰り返す、各部隊11番以降のメンバーを警備に残し、他のメンバーはすぐさま馬二頭の鎮静に努めよ』
「さっきから放送がうるさいな! すまんが俺は外に出なければならんようでな。先に行かせてもらう。お前らも一桁台みたいだが……まあまずはそいつを医務室まで運んでやれ。ここに放置しておくのも色々まずいだろう」
「あ………………はい」
男の言葉にヘルメットの下で開いた口が塞がらない優。
そんな様子など露知らず、男はそれだけ言うと扉から出て行き外へと向かって行く。
「…………嘔吐もたまには役に立つのね」
未だ隣で苦しそうに胸をさする蒼野を見て、優はふとそんな風に思ってしまった。