究極錬成 二頁目
究極錬成――――
聞こえてきた単語に胸騒ぎがする。
声の主である原口積が行うには無茶無謀、あまりに無理難題な言葉を耳にして、彼女の脳裏を様々な感情が埋め尽くす。
「馬鹿にしてるの?」
それは悍ましさから来る忌避感や敵対している積の身を案じるものまで、本当に様々な気持ちが含まれていたのだが、常日頃とは違う、黒い染みを体に張り付けたアイリーン・プリンセスの口から突いて出た言葉、すなわち最も強く頭に浮かんだ思いとはそのようなものであった。
「もし貴方が、本当にあれを…………使えるとしても、練度は間違いなく足りないはず、よ? それこそ発動までにかかる時間だって…………馬鹿にならないはず。それなら私の方がは、や、い……っ」
如何に強力な奥義を持っていたとしても、その発動に幾らかの時間を要するとなれば話は別だ。
今の彼女は頭上からの脅威のため思うように動けない状況だが、それでも積が奥の手を使うよりも早く、その状況を抜け出せるという自信くらいはあった。
そうだ。これを使うのがエヴァ・フォーネスやアイビス・フォーカスならば話は別だが、積程度の実力の『メイカー』ならば発動に数分程の時間を要するのは確実であり、
「あ」
そこまで頭を回した所で蒼野が彼の側により、自身が口にした『時間』という単語を強く意識したところで、彼女は全てを理解した。
「アイリーン・プリンセス。薄々感づいてたけどさ、今のあんたは普段より弱いよ。こんな事、普段通りのあんたならすぐに気がついてたはずだ」
積の言葉に合わせ、蒼野の掌から丸時計が現れるのを彼女は目にする。
それはつい先日彼が会得した新たな力であり、その力の内容は――――
「し、しまっ!?」
積が『究極錬成』と呼ばれる錬成を終えるために必要な時間はおよそ三分。その間は他所事を行う余裕は完全になくなる。
つまりアイリーン・プリンセスの予想は見事に的中していたというわけだ。
「これが! 俺の! 全身全霊!!」
しかし忘れてはならない事実がある。
古賀蒼野が新たに手に入れた希少能力『時間破戒』。
その能力は『様々な予備動作や移動時間などの省略』。その中には術式展開までの省略も間違いなく含まれており、声をあげる積の右腕が、瞬きをする暇もなく変貌する。
「輝け! 輝けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
喉を引きちぎる勢いの声をあげた積の右腕は、今や完全に原形を失っていた。
鉛色の脈動する肉の塊と成った右腕は、長さ五メートルを超える担い手さえ超える巨大で歪な円錐形に変貌。
無数の血管に似た罅が集約する中心部は妊婦の腹のように膨れ、新たなる力の生誕を祝うように、一対の金色の天使の羽が空へと向けまっすぐに伸びていた。
担い手である積といえば、背中と頭頂部に天使の羽と同じ色合いの円輪を装着し、右腕から襲い来る重さを体を後ろに傾けた上で両足に力を込める事で何とか耐え、咆哮の直後、襲い掛かる吐き気に耐えきれず口膣からドロリと固まった血液を吐き出す。
「おぉおぉぉおぉぉぉぉぉぉ!!」
そしてその声に感化されたかのように先端部が生き物のように生々しい動きで口を開き、原口積という一個人が体内に循環させている全ての粒子が集中。
鋼属性を中心としたそれは他の属性を混ぜ合わせた事で彼にしか描けない光の塊を産み、
「吹き飛べぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
血の涙さえ流しながら発せられた号令に従い、溜めきったものを目標へと向け一直線に放出。
それは黒く輝く壁や天から降り注ぐ光の柱さえ容易に飲み込み、消滅させ、
「あ」
その奥にいるアイリーン・プリンセスの体さえ瞬く間に飲みこむ。
僅かな抵抗さえ許さず、圧倒的に、あまりにあっけなく、蹂躙する。
「これが積の本気…………」
「…………古賀康太も口にしていた究極錬成か……一個人が神器もなく、希少能力でもなく使える最強クラスの力ということだったが」
「これは度を越しているぞ」
積の撃ちだした切り札が、僅かな時を置き姿を消す。
通った先には草木一つ残さぬほど綺麗な一本道が広がり、その途中で黒い染みを顔から消したアイリーン・プリンセスの姿があり、地面に体を張りつけたままピクリとも動かぬ彼女の姿を眺め、優に蒼野、それにシリウスの三人の口から息が漏れる。
「ぐ、おぉぉ…………!」
「積!」
任務優先で考えるのならば、今彼らがすべきはアイリーン・プリンセスが本当に動けなくなったかの確認だ。
ただ背後から聞こえてきた悲痛な声を聞けば彼らの大半がどのような動きをするかなどわかりきった事であり、振り返った蒼野や優が、先に動き出したゼオスに続き声の発生源である積の元へ接近。
「うっおっ」
「これってもしかして……さっきの攻撃の代償!?」
そこで彼らが目にした者は、全身から水分を抜き取られたかのように干からび、荒い息を吐き頭に異形化させていない左手を置く積の姿。
彼は両膝を地面に張り付け時折息と血を吐き出したかと思えば、体を大きく痙攣させ続けていた。
「す、すぐに回復を!」
「前もって渡されてた各属性のアンプルも撃ち込め! 宝石を噛み砕く力もないって話だ!」
慌てて動き出す優に続きゲイルが懐から十色の注射器を取り出し、積の体に慣れた手つきで撃ち込んでいく。
そうしているとすぐに積の体は右腕を覗き普段通りの様子に戻るのだが、彼の様子はよくはない。
「ど、どういう事なの? 回復術技は確かに働いてっ」
(そうなのね。貴方達は、その力の本当のリスクを知らないのね?)
「「!」」
それがなぜだかわからず、延々と回復を続ける優の口から嗚咽に近い声が漏れるのだが、その問いに答えたのは味方の誰でもなく、少々離れたところに倒れていたアイリーン・プリンセスの念話であった。
(安心して。もう指一本すら動かせないし、回復する余力も残ってない。うん。悔しいけど私の負け。貴方達の勝ちよ)
それを察すると彼ら全員が思わず身構えるのだが、彼らに対しアイリーン・プリンセスは戦いの結果を素直に伝え、
「積が使った力の…………リスク?」
しかし続く言葉の意味は分からず、彼らは疑問符を浮かべることしかできなかった。
幾分か前、鉄閃と修行の最中、シュバルツ・シャークスやエヴァ・フォーネスと鉢合わせ、奇妙なな巡り合わせの末に稽古を付けてもらった際、積は康太にこの力を使いたくないと言った。
その際に彼が説明した理由は、体内に巡る全ての粒子を放出する、すなわち死に至る可能性があるというものであったのだが、これとは別にもう一つ『究極錬成』を行う上で避けられぬリスクがある。
かつての積は二つとも説明するのは面倒であると思いそれを説明せず、今の積は仲間が静止する事を見越し口にしなかったもの。
それは『原口積』という人間の人格崩壊だ。
『究極錬成』とは自身の体内に巡る全ての粒子を一ヶ所に集め、放出するという『メイカー』が行える最終奥義である。
これが『最終奥義』である理由は兼ね備えている威力以上に、全てを出しきり干からびるという問題に加え、人格崩壊の危機というものが襲い掛かる、すなわち二つもの死の危機が襲い掛かるゆえである。
口では簡単に言うものの、命を投げ捨てるように『全てを出しきる』というのはそう易々と行える行為ではない。
不死者のような類を除けば、よっぽど多くの死地を乗り越えたり、ある種の境地に至った者でもない限り、死の危機に瀕すればそれから逃れようとする防衛本能が存在する。
例えるなら、体内に巡る血液を出しきる事ができる蛇口を勢いよく開き、己が意志で全て出し切ろうとするところを、命の危機から反射的に閉めてしまうようなものである。
『究極錬成』とはその分厚い柵を超え、蛇口を開き続けるよう体を魔改造させるというもの。
言うなれば、人間が生まれもって備えている理から体の一部分を解き放ち、人間と刃別の『新たな生命を誕生させ、己が身に纏うこと』である。
それは並大抵の努力で叶うことではないが、もし成しえる事ができたとしても、後処理が極めて大変なのだ。
何せ自分の体に異なる常識、異なる脈動、異なる生命を宿しているのだ。
元々存在していた人格や肉体は、新たに生まれ、自身と密接に繋がっている悍ましい怪物に侵食され、果ては飲み込まれ発狂してしまう。
「はぁ! はぁ!」
今の積はまさにその状態だ。
優が傷を修復し、ゲイルが属性粒子の補充を行ったため、衰弱状態からは間違いなく抜け出した。
けれど自身の脳の中で蠢く異物が精神の悉くを踏みにじり、『原口積の再起』を阻む。
「積!」
「積!」
「セキ」
「せぇきぃ…………!」
仲間達が自分の名を呼ぶが、時を経るごとに遠くなり歪曲する。
やがて外部から送られる刺激の全てが遮断され、自分自身という名の殻に閉じこもり、脅威と向き合うことになる。
すると夥しく恐ろしい腕の数々が彼という肉体を模した精神にまとわりつき、体の各部を簒奪するべく腕を伸ばし、張りつく。
「あ、ぐ、うぁ!」
この状況から逃れるために必要なのは『強靭な自己』である。
右腕から伝って来る侵略者をねじ伏せられるほど強く、はっきりとした『己』であり、このデメリットを事前に知っていた積は思い浮かべる。
「ま、だだ」
光に包まれ、己に背を向ける男の姿。
直視することができないほど眩しい光に包まれ、多くが幸せになれる思いを胸に抱き、けれど死んでしまった兄の背中。
「まだ、俺は…………あの人の『夢』を!」
彼が抱いた思いは美しく、尊い。決して絶やしていいものではない。
それがわかっているからこそ、彼は継ぐと決めたのだ。
どれほど困難なのかは分からない。
けれど、そうすることこそが今の自分の役目であり、正しい事だと信じ、走り続ける事を決意したのだ!
「叶えなくちゃいけない!」
体に張り付く腕の数々に負けぬよう、死んだ兄が身を置く光へと向け手を伸ばす。
それはどこまでもどこまでも伸びていき、その途中でまとわりついた腕の数々は消滅し、
「積!」
「…………………………ああ、聞こえてるよ」
気がつけば、彼は空に浮かぶ黄金の月に向け元に戻った右腕を伸ばしており、
「完敗ね」
「ああ。俺達の勝ちだ」
兄とは違い生還した若人は立ち上がり、しっかりとした足取りでただ一度も敗北を刻んだことのない女に近づくと、女の口からは賞賛の言葉が発せられる。
「けど一つだけ聞かせて頂戴。どれほど自信があったにせよ、『究極錬成』を使うとなればそれ相応の理由があったはず。それに関して心当たりが一つだけあるんだけど…………積君。康太君は隠れてたんじゃなくて」
ただ彼女はどうしても知りたかった疑問があり、遠慮することなくそれを尋ね、
「お察しの通りだ。康太の奴はここにはいない。銃弾を撃ち込んでた狙撃手は俺と隠れてた宗助さんだ。あいつは」
その答えを言いきる事なく、積は頭上、すなわちシュバルツ・シャークスが待ち構える細長い塔の最上階を見つめていた。
そして
「な、にぃっっっっ!?」
「は、はぁ!?」
「どういう事だ!」
その戦場にいる者達はその時初めて知る事になる。
「そこだぁ!!」
アビス・フォンデュを連れた康太がいつの間にか潜伏しており、たった一度の好機を待ちわびていたこと。
そしてシュバルツ・シャークスがそれを晒した瞬間、銀河を携えた槍の着弾と完全に一致するタイミングで、己が右腕を犠牲に、槍と同様に、銀河のエネルギーを集約した弾丸を撃ちだしていたことを。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です
VSアイリーン・プリンセス完結!
最後はあっさり目の、どちらかといえば積の内心やら扱う究極錬成に焦点を当てた話になりました。
まぁ今回の話を見ればわかる通り『そりゃまあ使いたくないわな!』と言いたくなるデメリット。
あの状態の席なら断固拒否するのは当たり前ですね。
そして話はシュバルツ・シャークスサイドへ。
積が行った会心の一手。それが炸裂します
それではまた次回、ぜひご覧ください!




