剣聖 ゲゼル・グレア 一頁目
それから十分後、訓練場には全身真っ黒焦げで虫の息の蒼野が転がっていた。
「ん~、流石にこれ以上は大変そうね」
「あ、ありがとうございました……」
本当に恐ろしい密度の時間であった。
開始から今まで、世界最強の名を冠する女性が蒼野が能力を使う暇さえ与えぬほどの勢いで攻撃を繰り出し、その勢いに飲み込まれぬよう蒼野は足掻く、
訓練の内容は口にしてしまえばそれだけのものである。
「えぐい……」
しかしそれは周りの様子を探りながら見ていた優からしても恐ろしい光景で、一本の棒きれが荒波に飲み込まれまいと必死に足掻くような訓練であり、今蒼野がこうして口を聞いていられたのはまさに奇跡のように思えた。
「ふぉ、フォーカスさん。この訓練って一体どんな状況を想定しての物なんでしょうか」
時間を五分だけ戻し、丸焦げの状態からある程度回復した蒼野の問いに、アイビスは表情一つ変えずに答える。
「これ? これはただ耐える事しかできない状況で生き残るための耐久訓練よ。周りから襲ってくる炎の波や電撃、光の銃弾を耐え凌いで、一秒でも長く生き伸びるのよ」
「ゼオス・ハザードって、光とか雷は使わないと思うんですが」
「…………多角的に対応することで生存能力がグングン伸びるのよ!」
そう言いながらも、彼女の視線は明後日の方向を向いていた。
それを見て蒼野に加え彼女に心酔していた優も気が付いた。
この人は教える事が苦手だ。
死なないように最低限の配慮はしていたとは思うのだが、それでも五分戻した程度では精神的な疲れから体は動かず、今度は引きずられて来た時とは違い背負ってもらい訓練場を出る。
「フォーカスさん。できれば今度の訓練はもっと別のものにしましょう」
「えーこれが一番いいと思うんだけどな~」
言いながら彼女が不満そうに頭を上下に僅かに動かすのだが、そうしていると彼らのいる範囲に柑橘系の香水の香りがしてくる。
その香りをかいでいると心が落ち着き、疲労感からか眠気が襲ってくる。
そうして彼女の背で蒼野がうつらうつらとしていると、気が付かない内に彼ら三人は木々や花が生い茂る庭園のような空間にまで移動しており、そこでは善と一人の老人が話していた。
「あの人は……」
善と相対する老人は一言で言えば仙人であった。
顎と上唇から座った状態で地面につくギリギリまで蓄えられた白鬚に、同じ長さまで伸びた白髪。瞳が隠れるかどうかというところまで伸びた眉毛に、白い布を被っただけのような服装。
そんな老人が石造りの噴水の縁にある木製の簡素なベンチに腰かけ、話し続けるている善に耳を傾ける。
「ここで何をしているんですか善さん?」
「姉貴に優……それに背負われているのは蒼野か。ちょうどよかった」
「ちょうどよかった?」
言われた言葉の意味が分からず、首を傾げる蒼野。
それに対し善は自分が蒼野と老人の間に立っている事に気が付くと、一歩後ろに後退し、蒼野によく分からよう、右手を老人の方に向け口を開いた。
「ああ、ちょうどお前の話をしてたところだ。この人をお前の三人目のボディーガードに推薦しようと思う」
「この人を、ですか? その、どなたかはあまり存知あげないのですが、一対どなたですか?」
蒼野や優が見る限り、目の前の人物はアイビス・フォーカスのようにメディアによく顔を出している人物ではないようであった。
そこで彼らは不審げな様子で聞き返すと、善も自分の言葉が足りなかったことを理解し、まずはこの老人の素性を語ることから始める事にした。
「そうだな。まずはこの人の紹介だな。この人の名前はゲゼル・グレア。姉貴を含めた神教の守護者『セブンスター』の第七席にして、千年前の戦争を終結させた当代一の剣豪。そして俺の師匠だ」
「え!?」
のだが、善が告げた老人の正体を耳にして、蒼野も優も驚きの声がこぼれ出る。
それほど目の前の人物との遭遇は意外な事であった。
千年前の戦争を知っているものであればその名を知らぬ者はおらず、無論古賀蒼野もその名を知っている。
曰く、戦争を終わらせた大英雄。
剣帝と呼ばれたその時代一の男を下し、人類史上最強と呼ばれた男を撃破し戦争を終結させた存在。
恐らくこの世界で最も熾烈な人生を送ってきた人物。
その男が、ここにいた。
「おいおい……今日はどうなってるんだ」
千歳を超えている生きた伝説が目の前にいるという現実を未だに信じ切れない蒼野。
だが原口善がそんな嘘をつく人物ではないとは思っているので信用すると、疲労感に襲われている全身を必死に動かし、何とか立ち上がり彼の姿をしっかり目にできるポジションまで移動することができた。
「うぐっ!?」
すると予想だにしなかった人物の登場に再び蒼野の心臓が跳ね上がるが、先にアイビス・フォーカスに出会っていたため、ある程度の耐性ができており気絶だけは回避。
彼の姿を、その眼で何とか捉える事に蒼野は成功した。
「それで善さん、俺の護衛役がこの方っていうのは、どういう事ですか」
「今回の件について俺なりに考えたんだが、この人がその役割において適正だと思ってな。お前が来る前に事情については説明しておいたから、三交代制でお前を守る。んで爺さんは並ぶ者がいないと言われるほどの剣の達人だ。剣を使って戦うのなら、余った時間を使って、色々教えてもらえ」
「それは、このままだと俺の死ぬ可能性が高いからですか」
「…………姉貴」
声を震わせて口にする蒼野の様子を目にして、目を細め恨みを込めた視線で現実を教えた張本人を睨む善。
「なによう! 事実を隠してコソコソやるよりかは、現実を教えた方が特訓にも力が入るじゃない!」
返事をしながら頬を膨らませて文句を口にするアイビスだが、その姿を確認した善は自身の額にそっと手を置き、口からはため息が漏れる。
「つっても、いきなり死刑宣告するかよ。馬鹿野郎が!」
「あ、馬鹿って言った! あたしなりに考えた結果なのよー!」
「んで、特訓ってのは何をしたんだ。あんた教えるの下手だろ」
「ふふん。聞いて驚きなさい、危機対応能力の向上を目的とした訓練よ」
「…………姉貴にしては悪くないチョイスじゃねぇか。どんなことやったんだ?」
幼子のような返事を返す彼女が、胸を張って宣言する内容に善は驚きの声をあげる。
なにせ彼の知る限り、彼女は人にものを教えるというのは苦手な事であった。そんな彼女が、聞くだけならば常識的な訓練をしていたのだ。
「全方位からの波状攻撃やら光速の攻撃の連打。まあそれ以外にも様々よ」
「褒めた俺が馬鹿だったよ。やっぱあんたは人を教える事に向いてないな!」
しかし内容を話した所で、肩を落とし再びため息を吐く。
「なによ! 良いじゃない危険察知の訓練」
「こうなると思って、この人を呼んだんだがよ。
てかそりゃ基礎能力を上げねぇことにはただ圧倒されて終わりだろうが。姉貴のやってる小手先の技術は後だ後。まずはしっかりとした体作りを始める必要がある。
つーわけでてさっき話した通りの話なんだが、受けてもらってもいいか?」
「お主が儂に頼み事など、いつぶりじゃろうな。さて、それでいいかなアイビス」
ゲゼル・グレアが機嫌が悪そうな様子のアイビスをチラリと見ると、文句を言っていたアイビスはおまかせしますとだけ言い一歩下がる。
それを見て老人は善の方を向き直り、何度か咳込んだ後に口を開く。
「わしにできる事ならさせてもらおう。だが、この身は既に一線から引かざる得ない程弱ってしまっている。万全の守りを敷くために、親衛隊の面々を複数人護衛に付けるがいいかね?」
「助かる。正直なところ、姉貴に護衛を任せるより爺さんの部下数人が付いてくれた方が安心できる」
「……ちょっと前から思ってたんだけど、あたしに対する評価低くない?」
「爺さんには蒼野の長所を伸ばして、加えて今言ったように体力やら筋力などの基本の基本を教えてやって欲しい。剣を使った戦闘の基礎は既にある程度はできてるから、能力や属性術を織り交ぜた戦法のさらなる確立ってところか」
「ふむ、心得た」
それから数分後、無視をされている事実に動揺するアイビスを脇に話し合いが終わる。
「ではよろしく蒼野君」
「は、はい」
「あ、蒼野君ちょっと待って。あなたの居場所が分かる発信機を渡しとくわ。首に肩、それに太ももの辺りに付けといて。耐水耐熱、その他もろもろに対する耐性があるわ。三つもあれば流石に全部壊される事はないでしょ。それと善は後であたしのところに来て。教えておきたいことがあるから」
「馬鹿みたい理由で呼んでいるわけじゃないんだな?」
「もう! ちゃんと重要な情報よ」
こうして、ギルド『ウォーグレン』の範疇に収まらない、古賀蒼野を守るための陣形が形づくられ、蒼野自身も強くなるための時間を費やすことになった。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
さてという事で本日二話目の投稿、タイトルに出ている新キャラクターのお披露目会でございます。
彼については語れる内容が極端に少ないのですが、今は善の師匠にしてアイビス・フォーカスと並ぶ神教最高戦力の要の一人と思えていただければ十分です。
彼が何を抱えている蚊は、こん後語っていければと思います。
という事であとがきも終了。
本日の投稿についてなのですが、時間があれば十一時半までの間にもう一話投稿できればと思います。
こちらは本当に実現できるかはわからないので、もし日をまたいでも投稿がなければ、今日の投稿はもうないのではと思っていただければ幸いです。
それではまた次回、お会いしましょう




