古賀蒼野、特訓する
その人物は、彼の知る限り暇な時はいつもそこにいた。
初めて出会った日も、稽古をつけてもらおうと探した日も、自分が神教を抜けギルドを作った日も、常にそこにいた。
「やっぱここにいたか」
神の居城内部に設立された巨大庭園。
外周には天井付近まで伸びた木が植えられ、それに沿うようにレンガで出来た道があり、無数の円が重なりように設計された庭園には様々な色の花が咲いている。
そんな空間の中心に男はいた。
緑生い茂るこの巨大庭園の名物である樹齢千年を超える木の脇にベンチに、一人の男が座っている。
「久しぶりだな、爺さん」
「おお、善じゃないか。久しいな」
善が見つけた男にあいさつをすると、穏やかで落ち着きのある低音の声が返ってくる。
顔を覆う程まで生えた髭や髪、それに眉毛がふさふさに生えている、白の衣で全身を隠したまるで仙人のような男の姿に善は目を細める。
「どうした、固まっているぞ? 何も言わず突然やってきたからには何か用事があるのではないのか?」
「あ、ああ。そうっす。すんません」
思わず浮かんだ過去の記憶を懐かしんでいたところで老人の声が聞こえ話を彼は意識を現実に戻す。
「今日は折り入って頼みがあるので伺わせてもらいました。助けてもらいたい部下がいるんです」
「ふむ?」
そうして善がそう告げると、老人は彼に向き直りながら、善の話を聞き始めた。
「とうちゃーく。あたしの部屋へようこそ二人とも」
話し合いが終わった蒼野に優、そしてアイビスの三人が神の居城内部にあるアイビスの私室に入る。
「おじゃましまーす!」
「おじゃま、てうお! 何じゃこれ!」
宴会場を思わせる巨大な部屋の中にはありとあらゆるものが置いてあった。
椅子や机、ベットなどはもちろんの事、最新のゲーム機にテディベア。ポップコーンの入った容器や様々な色の飲料水が転がっている。
そこまでならばどこにでもある風景だが、この部屋にあるものはそれだけでおさまらない。
辺り一面に乱雑に置かれた雑誌にゲームのソフト。何故か置いてある自販機に出前の屋台。グランドに線を引くために使われる石灰の袋に、使いようがないししおどし。
他にも田んぼに置くための案山子や掘削機など、本当に様々な物が乱雑に置かれている。
それを見て優は喜色に染まった声をあげ、蒼野や康太はその真逆の困惑に染まった声をあげた。
「ごめんねー散らかりすぎて足の踏み場もないわよね。すぐに片付けるから待っててね」
そんな二人を傍目に、これまでと全く変わらない様子で中へ進み指を鳴らすアイビス。
「え?」
それだけで部屋中の家具に雑誌類、それ以外にも自販機や出前の屋台が消え、
「もいっちょ!」
もう一度指を鳴らせば部屋は縮み、ベットや机、それに椅子が置いてある、簡素ながら清潔感のある空間に変化した。
「うわぁ、すご!」
その光景を見て、優の口から彼女らしくもない声色の感嘆の声が発せられる。
「いやー恥ずかしいものを見られちゃいましたわー。あ、部屋の内装とかこれでいいかしら。ちょっとシンプル過ぎ?」
「あ、いえ。全然問題ないんです」
ホテルの一室のような温かみのある部屋の明かりや、クリーム色の壁を目にしながら蒼野がそう告げ、アイビスを加えた面々が部屋の中に入って行く。
「そう。なら、好きなジュースとか食べ物とかはある?」
「あ、アタシ甘いコーヒーにパンケーキがいいです!」
「優、お前アイビスさんになに頼んでるんだよ」
「いいのいいの。はい、出来上がり。人気カフェ『アリス』の物を真似てみたけど、どうかしら?」
「え?」
「やった! お姉さま大好き!」
優が歓声をあげる傍らで蒼野は言葉を失う。
今しがたアイビスがしたのは食料の作成だが、その精度に驚く。
食料品の生成は腕のいい作り手ならば問題なくできる。
しかしできるものといえば味気ないものがほとんどで、店の真似をするという行為は神業と言っても過言ではない。
「さあ、蒼野君も何でも言って」
「あ、じゃあ優と同じコーヒーを一杯」
「はい、どうぞ」
加えてその早さが異常だ。瞬き程の間に粒子が集まり、完成品を作成している。
「アイビスさんは……メイカーなんですか?」
「んー厳密には違うんだけど……そうね。これから何度か君を護衛することになるし、あたしの能力やら異能についてちょっとだけ説明しましょう」
その光景に息を呑みながらも当たり前の事を口にする蒼野だが、返事として彼女がそう口にすると、今度は瞬きの間にホワイトボードを出し、手で触れていないというのに何かが書かれていく。
「では、アイビス・フォーカスはどんなことができるのか。それを説明していこうと思います!」
「おー」
「え、そんな極秘情報みたいなこと教えてもらっていいんですか!」
「いいのよいいのよ。君たちみたいないい子ならいくらでも教えてあげる。というか、この程度の情報は極秘でも何でもないわ」
「え、いや…………」
「さて、どんなことができるかというと…………ぶっちゃけ何でもできます!」
答えになっていない!
胸中でそう叫ぶ蒼野の横で、優がこれまでにないくらい目を輝かしており、その姿を目にしたアイビスは満足げに頷いた。
「まあ細かく説明すると、あたしは世間一般で語られる作り手の一歩先、創り手って呼ばれる領域にいる存在なの」
「クリエイター?」
「そ、まああたしが勝手にそう名乗ってるだけなんだけどね」
「自称ですか……」
「何でもって、どのくらいの物ができるんですか!」
アイビスの最後の言葉に思わず肩を落とす蒼野に対し、依然目を光らせ質問をする優。
普段の彼女からは想像もできない姿に康太は少々引いているのだが、質問された本人はというと満足気に頷き続けた。
「んーまあ本当に何でもよ。大抵の物は瞬時に作れるし、大きなビルとか橋だって数分あればできる。それに二大宗教を両断してる『境界』だって、あたしが作ったんだし」
「え……」
が彼女達の様子に引いていた康太だが、アイビスが話した内容には反射的に反応してしまった。
「じゃ、じゃあアイビスさんが命じたら『境界』を消すこともできるんですか?」
そんな蚊、正体不明の期待と不安を織り交ぜた質問を繰り出す蒼野。
「あーそれは無理。昔なら可能だったけど、今は結界維持装置にわりと頼ってるから、あたし一人の意思じゃどうにもなんない。というかあたし任せにしちゃうと、万が一いや億が一、それ以上に低い可能性だけどあたしが負けて意識を失ったら、『境界』も解けちゃうじゃない。それはいくら低い可能性でも怖いわ」
言われてみればそうであるが、そこで蒼野はふと疑問に思う。『境界』ができたのは確か千年前の戦争が終わってすぐのはずだ。
目の前の彼女は、いったいどれだけの年を重ねたのだろう?
「とまあ本当に色々なものを作れるわけだけど、それ以外にも色々な能力も使えるわ。あたしは十属性全てを無限に使えるから、希少能力以外は理論上全ての能力を使えるわ」
「は?」
そんなふと浮かんだ下らない疑問が、世界最強の女の発言で彼方へと飛んで行く。
「め、めちゃくちゃだ」
「そーですよー、めちゃくちゃなんですー。さらにあたしは異能『神の恵み』を持っています。この異能の効果で、自己再生の力が備わり、あたしは死なないの」
「なるほど、確かにそれは、分かりやすく最強ですね」
「でしょでしょ! それに加えてもう一個奥の手があるんだけど、まあそれについてはまた今度。もう話し疲れちゃった」
その正体については蒼野は既にある程度予想ができていたのだが、本人が言わないというのならば蒼野も優もそれ以上聞く気にはならなかった。
同時に蒼野がふと気になった事を口に出しかける。
「でも驚きです。『境界』ができたのって確か数百年前でしたよね。そんな前ってことは」
「前ってことは?」
が、そこまで言ったところで、意識せずとも口が閉じる。
この先を言うのは寿命を縮める行為だと、意識より先に体が悟ったのだ。
「…………」
「あら、あらあら? さっきまであんなにしゃべってたのに何で口を閉じちゃうのかしら? お姉さん、その先が聞きたいなぁ」
「…………うぐむ!?」
明るい声の裏に隠れた不気味な空気を察知し、両手で必死に口を閉じる蒼野。だが悲しいかな、世界最強の彼女が筋力で非力なわけもなく、肉体強化の能力と地属性の強化をふんだんに使い、蒼野の手を簡単に払いのけ、頬を掴むと左右に引っ張った。
「ひたいひたい!」
「悪いお口はこうだー!」
そうして何度か口の端を伸ばしては縮めを繰り返すと、彼女は満足したのか手を離した。
「おおぉぉぉぉ、頬が元に戻らねぇ。伸びる!」
「まあ何が言いたいかなんとなく分かるけど、今後それは口にしないこと。レディにそれを聞くなんて、失礼極まりないわ!」
「す、すいません」
実際にはそんな事はないのだがあまりの痛みに蒼野は頬を抑えながらそう呟き、対する彼女はと言えば腕を組み、僅かに機嫌を損なったような顔で蒼野を見ていた。
「わかれば良し! さて、じゃあお話はここまでにして訓練場に行きましょう」
「ゆ、許してくれたんじゃ」
「許しはしたけどお仕置きを済ませたとは言ってないわ。さ、行きましょ行きましょ」
「い、いやだー!」
服の襟を掴まれ、一切足掻くことができず引きずられていく蒼野。
「あ、アタシも行きます」
「どうぞどうぞ~」
「優、この人を止めてくれ!」
「なに言ってるのよ。世界最強が直々に稽古をつけてくれるなんて、そうそうある事じゃないわよ」
蒼野が必死に抗議の声を上げるが優はそれを聞き遂げず、それどころかこの上なく乗り気な様子で二人と共に訓練室に向かって行った。
「そーいうのはして欲しい人がしてもらって喜ぶだけで、大半はそうじゃないんだよ!」
「まあまあ、蒼野君もそう言わず。どうせ誰かがする必要があるんだし」
「え? どういう事ですか、私怨じゃないんですか?」
「失礼な! そりゃあ、ほんのちょびっと、そういう気持ちがあるのは否定しないけど、それ以前の問題よ。誰かが蒼野君を鍛えなきゃ、生き残れる可能性が低いのよ」
「え?」
廊下を引きづられる最中に突如告げられた現実に声が強張る。
どういう事か尋ねようと口を開きかけるが、予想だにしなかった事実に言葉が出ず、自分を引きずる女性をじっと見る事しかできない。
「お姉さまや善さんが見張りをしても負ける……いいえ守りきれないって言うんですか?」
その事実は蒼野だけでなく優からしても驚きであった。
目の前にいるのは神教において最強と言われる存在だ。そんな彼女が蒼野を守れないなど、誰が考えるであろうか。
「負けるってことはあたしも善もありえないわ。でも守りきれない可能性はあるわ。さっきの話し合いで、あたしや善はそれに気づいたわ」
引きずりながら辿り着いた先は訓練場と書かれた何もない部屋。
三人はその中に入り、アイビスが部屋の入口の横に付いているコントロールパネルの設定を弄る。
「ゼオス・ハザードの能力がただの瞬間移動なら話は違ってたんだけどね~。空間を繋げるとなると穴から手を出して引っ張るだけであたし達が助けに行けないところに連れていける。
変な話、トイレの最中とかお風呂の最中でも、連れて行こうと思えば連れていけるわけよ。それに長期戦になればどう頑張ってもあたしも善も護衛に付けないタイミングっていうのは出てくるだろうから、そこを狙われたらおしまいよね」
「そうなったら、俺はどうすればいいんですか?」
「まあ戦うしかないわよね。あの若さで結構なやり手だったから、あたしも善も勝てとは言わないけど、時間を稼いで欲しいわ。そうすれば、絶対に助けに行ってあげるから!」
服に隠れた豊満な胸を叩き自信満々に語る様子に、沈んだ気持ちが僅かにだが晴れる。
つまりこれから行う特訓というのは、自分がゼオス・ハザードから生き残るためにすることなのだ。
「それなら、改めてよろしくお願いしますフォーカスさん」
「うんうん、その意気やよし! じゃ、張りきっていきましょ!」
そうして、優が辺りに神経を張り巡らせ警戒する中、蒼野とアイビスが訓練を始めた。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
という事で本日第一話目を投稿です。
少々遅くなってしまい申し訳ないです。
今回は特訓の導入となる一話ですが、その描写事態はそう多くはありません。
基本的にただの特訓というのは、見ていて億劫なものであると思うので。
これからの話を少しさせていただくと、引き続き神教側の登場人物の紹介が続くと思います。
あとは、決戦に辿り着くまでの導入ですね。
次回は今日の普段通りの時間内に投降する予定なので、よろしくお願いします。




