羽化
兄、原口善の掲げた理想、追い求めた夢は良いものであった。
父と母を失くすまでの日々、そしてギルド『ウォーグレン』でもう一度会ってから今までの記憶を振り返り、その過程で知る事になった目標を思い浮かべ、弟である積はそう断言できた。
もちろんこれはヘルス・アラモードに対する復讐心を指しての考えではない。神になろうとしていた兄が目指していた世界、すなわち『泣いている人を助けられる世界』を指しての言葉である。
けれどこの夢を兄が叶えることはなかった。志半ばにして命を失ってしまったゆえに。
「…………そんなつもりはなかったんだがな」
ではその夢をここで終わらせて良いのか?
髪の毛と顔を濡らした状態で鏡を見つめる積はそう問い、迷うことなく答えを見出す。
否であると。その夢は叶えられるべきであると。
かつて蒼野が掲げた夢のように、誰もが『良いもの』であると断言するであろうそれは、ここで終わらせていいものではない。
だから彼は部屋から持ってきたものに手を伸ばす。
それは一つの決意であった。
首筋に添えられた刃が動かない。
どれだけ意志を固めようとしてもうまくいかず、思うように力が入らず進まない。
いや本来ならば力を込める必要さえないのだ。
今の状態から一歩前に出る、または体を傾けるだけで首に添えられた刃は対象の喉を突き破り鮮血を滴らせ、目の前にいる自分と同じ顔の青年は絶命する。
「……………………」
それだけの事が、今のゼオスにはできない。
足も動かず、体は彫刻になったかのように固まってしまっている。
それが何秒も続き横たわっている蒼野さえ眉をひそめ、
「もういいだろゼオス。これ以上戦っても意味なんかねぇよ」
「っ」
間もなく、自身を労わるような声が届いたかと思えば掴んでいた漆黒の剣に強烈な威力の銃弾がぶつかり、真横からの凄まじい衝撃に耐えきれず、掌から剣が弾き飛んだ。
「ゼオス」
「あんた」
「…………」
拘束が解けた事で蒼野が上半身を起こし目の前にいる彼を見つめ、康太と共に優がやって来る。
彼らの姿を見渡すと、ゼオスは呼び止められたにも関わらず歩きだして訓練室を出ていき、体を乾かす事もなくあるところに向かっていった。
「君は…………蒼野君かな」
「……ゼオス・ハザードだ」
彼が向かった先は一階の最奥にある施設。
かつて果て越えであるガーディア・ガルフが望んで潜んでいた独房があり、幾重もの防御策が敷かれた先にある牢屋の向こう側には、ゼオスが会おうとしていた人物。
すなわち原口善が助け、最後の最後にメッセージを残したヘルス・アラモードが閉じ込められており、
「ご、ごめんな。まだ二人の見分けがつかなくてさ。けど凄いな、纏う空気というか雰囲気まで似通ってるなんて」
胡坐を掻き、閉じていた瞳を開いて謝罪するその姿に、ゼオスは無言で視線を注いだ。
彼の処遇についてはギルド『ウォーグレン』に任せる。それがいくらかの時間を費やした末に辿り着いた結論であった。
この結論に至るまで、様々な意見が飛来した。
最初に出てきたのはヘルス・アラモードは処刑するべきという意見であった。
捕獲してすぐ善の遺言をヘルス・アラモードから聞いた彼らは、それが正しいかどうかを知るために彼の記憶を覗き見て、今際の際に善が『ヘルス・アラモードを殺すな』と確かに告げていたことを確認した。
と同時に彼らは見たのだ。そこに至るまでの戦いを。
それを見てある者は目を覆った。ある者は総毛立った。
それほどまでルイン=アラモードという存在は危険かつ強かった。それこそ今現在敵対している中で最も危険度が高いシュバルツ・シャークスと同等の強さを備えていると感じるほどに。
だからこそ議論に参加した者の中には、善を殺したこの存在を、私怨だけでなく恐れや今後の事を考え処刑するべきと考える者がいた。
ただ上記の意見は封殺される事になる。大半が彼を生存させておくべきだと考えたからだ。
理由はいくつもあるが、最大の理由としに捕まったヘルス・アラモード自身が現政府に協力的であったことが挙げられる。
というのも彼は今現在意識の底の底に沈んでいるルイン=アラモードから力をくすね、シュバルツ・シャークスの打倒に協力する事を誓ったのであった。
彼の記憶を探れば更なる情報が手に入る事や、これまで捕獲してきた相手には行ってこなかった処刑という物騒な手段を選ぶことに対する抵抗に加え、上記の誓いが意見として投げ込まれれば、多くの者が感情を制し実利を取り、なおも声高に挙げられる反対意見を封殺するきっかけとなった。
「で、どこにこいつをぶちこむ?」
となれば次なる問題は活かすことを決めたこの男をどこにつないでおくかという問題だったのだが、彼らはすぐに答えを出す事ができなかった。
通常通りならば脱出不可能とされている『監獄島』に叩きこんで話は終わるのだが、ヘルス・アラモードは協力する姿勢を見せており、もし本当にルイン=アラモードの力を手に入れたとすれば、すぐにでも前線に立ってほしい思い彼らにはあったのだ。
となれば退出にやら移動にかなりの時間を捧げる事になる監獄島に閉じ込めておくのは不適切で、別の場所に閉じ込めておく必要がある。
「…………『ウォーグレン』なんてどうかしら?」
「ふむ。二つの神器を持つ康太君のいるところか。彼ならば火力負けすることもなく、ゼオス君がいれば咄嗟の連絡も可能だな。悪くない案だな」
そこでアイビスが手を挙げ意見を述べるとルイも乗っかり、他の者も反論することなくこの意見は通った。最も、この時点でアイビスとルイには別々とはいえ思惑があったのだが、議論を混迷させたくないことから、彼らはその場でそれを明かす事はしなかった。
かくしてヘルス・アラモードは原口善と今現在最も縁がある場所へと移動され、
「あいつの事が気に入らなかったら殺してもいいわよ。あんた達がやったっていうのなら、他の奴らだって厳しい事は言えないでしょうからね」
無事牢屋に閉じ込め終え声が届かない事を察すると、彼をここまで輸送したアイビス・フォーカスが、己が胸に秘めた思惑を彼らに語った。
「…………話せるか?」
斯くしてヘルス・アラモードはギルド『ウォーグレン』に運ばれ、蒼野達は神教最強の言葉に従わず、亡き師の遺言に従い彼を生かす道を選んだ。
といっても無論怒りはある。なので極力関わらぬよう大半が考え、事実ここに運ばれてから数時間の間に彼の様子を見に来たものはいなかった。
「少しなら。けどあんまりそっちには意識を向けれない。ごめんな」
ただそれはヘルス・アラモードにとっても好都合であった。
彼が求めているルイン=アラモードが持っていた『神の雷』。
それを取るというのは自身の意識、己が内部に潜り込む事を意味する。となればできるだけ静かな場所で意識を集中させることが重要で、自身に宿るもう一つの凶悪な人格に悟られず、その力を奪うために動く必要がある、そうヘルスは考えていたのだ。
「……思った事をそのまま口にしてくれればいい」
「そうか。それで、俺は何を話せばいいのかな?」
「…………貴様に聞きたいことはただ一つ」
そんな彼の考えを好都合と捉えゼオスが問う。
「………………うん。ちょっと意外だな。そういうのって君は考えないタイプだと思ってたよ」
それを聞き瞳を閉じていたヘルスは意外そうな声をあげ、ゼオスが無言で肯定し、
「そうだな。俺の考えだと――――――」
ヘルス・アラモードは先に告げた通り、思ったままの答えを視線さえ向けることなく口にし始めた。
自分たちはここまでかもしれない。
それがリビングに居た面々が考えていたことであった。
それはゼオスがヘルス・アラモードの元に行ってから一時間程経ったとき、リビングに残っていた蒼野と優、それに康太が抱いた思いだ。
その時の彼らは同じ部屋にいるというのに、どこか別の空間にいるような隔たりを感じていた。
(ヘルス・アラモードがいるからすぐにとは言えねぇが、目の前にある問題を片付けて蒼野と一緒に孤児院に帰る…………悪かねぇな。久しぶりに顔を出してシスターを安心させてぇ)
その中で最も明確なビジョンを持っていた康太がふとそんな事を考え、優がその気配を察して目を伏せ、
(ヒュンレイさんと善さんが死んだ。ここで蒼野までいなくなっちゃったらアタシはどうすればいいんだろう?)
嫌な可能性を考えてしまう。
「「!」」
そんな中、リビングに繋がる扉が勢いよく開き、静謐な空間に生まれた音に驚いた三人が顔をあげ、そこで彼らは見る。失ったはずの男の姿を。
「あ? え?」
「善、さん?」
彼らの目の前に現れた男。それは
「いや…………お前は」
「兄貴は死んだ」
髪の毛を真っ黒に染め、兄と同様の長さに切り揃えてワックスで固め、これまで人前では決して取らなかったサングラスを外した原口積であった。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます
作者の宮田幸司です
遅くなって申し訳ありません。本日分を更新しました
さて、大きな分岐点を超えた先の子供たちの物語は今回で八割方終了。
次回の途中で終わりとなります。
そしてついに始まります。三章最終決戦!
一年以上と本当に長いあいだ続いた全編通して最大のレベル差の戦いもついに終わりが見えてきました。
物語に出る登場人物達は最後まで意志を貫こうと頑張ります。
どうかその行く末を見届けていただければ、作家冥利に尽きます。
それではまた次回、ぜひご覧ください




