天を極めた拳
午前四時。周囲の炎が互いを照らし、分厚い黒雲から降り注ぐ雨が彼らの肌に打ち付けられる中、両者は戦況に見過ごせない変化があった事に気がつき動きだす。
善はといえば慌てた様子で前進し、ルイン=アラモードは深呼吸を行う体勢を整えるため後退する。
互いに勝利を掴むため行われた一手。
「ご、ばぁ!?」
「自身のスペックを見誤ったな――――ルイン!」
その結果はルイン=アラモードの後退以上の勢いで距離を詰め、撃ちだした右の拳を腹部に深々と突き刺した善の勝利に終わる。
「こ、いつは!? 肉体強化が!!?」
「自分の身に起きた変化くらいすぐに気づけってんだ!」
身をよじり衝撃を受け流そうとしても思うように動かず、その時になりルイン=アラモードは自身の身に起きた無視できないもう一つの変化に気がつく。同時に善も宿敵が流暢に喋れる様子を前に喉の回復について理解する。
(く、そ! 体がぁっっっっ!!)
だが今それについて気がついたからといって、どうなるというのだろうか?
善の体はとっくの昔に限界を超えており、目の前には最後の最後に控えていた生還するためには『踏み越えられない線』がある。となれば彼の快進撃もここまで。
あとは今の一撃でルイン=アラモードが気絶するなり呼吸を整えられぬほどの負傷を負ったなりを願い、両手を固く合わせ、祈るしか道はない。
「お、おぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「ぶはっ!?」
並の者ならばそう考え素直に膝を折るだろう。
がしかし神頼みをするほど、原口善という男は信心深くない。否。土壇場で自分以外の誰かに運命の選択権を譲るなど、決してしない男である。
「らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
もはや指一本動かすことさえできない。これは真実だ。しかしそれは『生還すること』を前提にした場合だ。その前提を投げ捨てるのであれば、その限りではない。
たとえ投げ捨てた結果が、戻れなくなる領域に両足を突っ込む事になると自覚していようとも、この男はここで勝つためなら、躊躇なく足を動かす。腕を振り抜く。
なぜならそれが、彼が自身に課した責務であるからだ。
「何で動けるんだよクソカスがぁ!」
雷属性の使用に誰よりも秀でた肉体を持つルイン=アラモードならば、その瞳で相手のコンディション、もう少し深く言えば全身を流れる微弱な電気の動きを察知する事ができる。
これはルイン=アラモード以上にヘルス・アラモードが得意とする技術のため、彼では相手の次の動きを察知する『未来予知』染みた事はできない。
しかし善の肉体がとっくの昔に機能停止しているはずだという程度の事柄なら把握することが可能であり、だからこそ彼は困惑する。目の前の男は、なぜなおも動けるのだと。
「おらぁ!」
一歩前へ踏みこめば足の感覚が消えていく。腕を伸ばし拳をぶつければ、自身へと跳ね返る反動で腕が千切れるような錯覚を受ける。一度呼吸をすれば血を吐き、喉が焼けるように痛み、意識が彼方へ旅立ちかける。
それらの事態を把握しておきながら、善はついに掴んだ勝機を先へと導くために攻撃を続ける。
「いい加減にしろやこの! クソカスがぁ!」
なおも攻撃は続き、ルイン=アラモードの体に絶え間なく拳と蹴りが撃ち込まれる。しかしそれを遮る壁のように落雷が両者の間に注がれ、真逆の方角へと後ずさる。
(大気中に舞ってる雷属性粒子をっ)
この星に生きる者達は基本的に自身の体内で生成した粒子を使い戦うが、それ以外に粒子を扱う手段がないというわけではない。
大気中に散っている各種属性粒子を自由に扱い、ほぼゼロの消費で強力な術技を扱う事ができるのだ。とはいえ破格の威力や速度を備えている『雷神の力』を易々と使えるわけもなく、大気中に散っていた雷粒子全てを使っても、術技に変換する事は不可能であった。
「覚悟しやがれぇぇぇぇ! テメェは楽には殺してやらねぇからなぁ! 四肢を切り取り喉を潰して、千を超える苦痛を刻んだ上で殺してやるよぉ!!!!」
しかし僅かなあいだでも『間』ができれば逆転できるというこの化け物には確信があった。
それを証明するように、再び自身へと辿り着こうと駆け出す善より早く、一度とはいえ深呼吸を行い、幾分かの粒子を補充した彼は蒼と黒の混じった雷を纏い、
「………………あぁ?」
応戦するために駆け出そうと一歩踏み込んだ瞬間、意志に反し力が抜け片膝を突く。
「強すぎるってのも考えもんだな。ダメージを受けた量によるコンディションの変化さえしらねぇのか」
「てめっ!?」
本人はそのような事実に困惑と驚愕を混ぜた声を晒すのだが、善は目の前で起きた事実に驚いた素振りを一切見せず、振り抜きかけていた右足をそのまま顔面を完璧に捉え振り抜き、ルイン=アラモードの肉体が砕けて凹凸がついた地面を何度も跳ね、数キロ先にある原形を留めていた摩天楼のビルの壁へと直撃。
もはや体の感覚はほとんどなく意識さえ薄れてきた善は、しかしそれをおくびにも出さず覚悟を決めた表情を浮かべながらビルの壁を駆けあがり、視界に捕えた敵影へと迷わず追撃。
「肉体強化さえ働いてりゃなぁ!」
「!」
「テメェなんざ相手じゃねぇんだよ俺様はぁ!!」
壁に埋まっている彼を踏み抜こうとするがその一撃は掲げられた左手に掴まれ、その足を起点に善の体を自身の真下にある壁へと叩きつけ、
「死ねやクソカス!!」
痙攣し、すぐには立て直せない善のボロボロの肉体を、反撃の暇を与えないと撃ち込まれた『雷神の砲撃』が包みこむ。
「っっっっ!!!!?」
全身に刻まれた傷から垂れ流された血が瞬く間に焼き尽くされ、地上に叩きつけられるまでの一瞬で肉体は焼け焦げ、意識は文字通り現世を去った。
「おいおい正気かテメェ。ここまで俺様をコケにして、この程度で死ねるとでも思ってんのか?」
これはまごう事なき原口善の敗北であり、彼はこのまま命を失うはずであったのだが、その状況を覆したのは誰であろう彼の意識を刈り取ったルイン=アラモードである。
「…………はぁ」
先の一撃で崩れ、燃えたビルの炎に照らされた彼は、いつでも捻り潰せるよう右手で首を掴んだ状態で善を持ちあげ、全身に刻まれた傷の数々が原因で九割九分死んでいる彼を目にして悦に浸った表情で浮かべるのだが、その様子を見て善はため息を吐き、
「あ? 何がおかしい?」
「いたぶる事を目的に好機を逃すなんざ、三流以下だ」
「?」
そのような行為に至った善を前に腹立たしげな声を発するが、首を掴まれた男はなおも冷静に指摘を行う。するとルイン=アラモードは言葉の意味が分かっていない様子で首を傾げ、
「殺す気で戦うならいたぶる事はやめろってこった!」
そのような様子を示す宿敵を前に、自身を掴む腕に残った力を振り絞り体を張りつけ足でガッチリと固定。このような展開に陥るとは露ほども考えていなかったルイン=アラモードは目を見開き、
「ぎ、ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
一歩反応が遅れた彼に対し、善は自身が包み込んだ腕を可動域とは真逆の方角へと力任せに折り曲げ、彼が目を剥ぎ絶叫をあげる隙を突き、布団をたたむように前腕を渾身の力で折り曲げる。
「う、うでが! 俺様の腕がぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
「こういう不覚を取る事になるからなぁ!!」
膝を突き、悲鳴を上げ続けるルイン=アラモード。彼へと向け吐血しながらもさらに一歩進み、顎めがけて拳を撃ち込む善。
「ぐ、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……………………!」
その一撃に対する返事は、これまでの『相手を見下すような声』からは考えられるほど困惑の念が含まれているもので、それでも何とか顎を狙った一撃を躱した彼は更なる安全を求め大きく後退しようと重心を背後へ向け、
「て、めぇっ!」
「死人を自分のエゴでよみがえらせた代金だ。ありがたく受け取りな!」
けれどその選択をあらかじめ予期していた善はルインの右足を自身の左足でしっかりと踏んでおり、思うように安全圏に逃げることができなかった彼の顔が引きつる。
それは訪れる未来を予期してしまったゆえのものだ。
「おぉぉぉぉらぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そしてその予期した未来が正答であると示すように、再度拳の嵐が撃ち込まれる。
それを受けるルイン=アラモードの動きは雷による肉体強化を行っているにも関わらず精細を欠いたものであり、一発一発の拳が肉を叩く感触が善の崩れかけた腕を伝う。
「…………く、ソォ!?」
ただ数多の攻撃を受け、一度ならず二度までも死の境を漂った善にはその反動さえ命を蝕む『障害』となっており、延べ三万を超える拳を撃ち込み、宿敵が両膝をつき白目を剥いだ瞬間、とどめを刺さなければならないと頭は理解しているというのに体が限界を迎え硬直。
「剣(斬刑)!」
「――――――肆式!!」
その一瞬を利用しルイン=アラモードが『雷神の力』を固め、あらゆるものを切断する剣を作りだし、同じタイミングで善が自身の体を大きく捻る。
――――己を勝利へと導く最大の一撃を撃ちだすために。
「馬鹿が! そいつだけは知ってんぞ!」
善にとって完全に想定外であったのは、ルイン=アラモードがその一撃を知っていた事だろう。
それというのも彼がヘルス・アラモードに対し『必ず勝つ』と訴えた事が原因である。
実は数時間前の戦いの際、最後の一撃を撃ち込む瞬間にはヘルス・アラモードは既に負けを認めており、意識の奥底で閉じ込めていた蓋を開けかけてしまっていたのだ。
つまりこの化け物は自身の顕現よりほんの少し前から外の世界を見ておは、それゆえ善が切り札として扱っていた一撃の動きを知りえていたのだ。
「こいつで!」
善のような類の男ならば『たとえなにがあろうと、それこそ事切れるとしてもとどめの一撃だけは撃ちだす』。そう学習している彼は、確実に攻撃を当てるために胴体を狙うことはせず、かといって命を確実に奪うために今の彼では狙いにくい首を狙う事もしない。
「終いだ!!!!」
狙うのは、攻撃の起点となる発射口。右腕の拳をブラフとして、体を捻った分の力も上乗せした裏拳を撃ちだそうと控えている左腕である。
「知ってたのか!?」
「そういう事だ。残念だったなぁ! クソカス!!」
刃が蒼と黒の混じった軌跡を描き、善の左腕を両者の頭上へと刎ね飛ばす。雨さえ跳ねのけ宙を舞う鮮血は彼の思惑がうまくいったことを示しており、
「そうか…………そりゃついてねぇなお前さん」
しかしそれは、彼にとって間違いなく不幸な結果であった。
「え?」
次の瞬間、ルイン=アラモードが狼狽する。
発射台となるはずであった左腕を刎ね飛ばしてなお、善が回転を続けていたからである。
「終式――――――!!」
ルイン=アラモードの知らぬ、否、レオン・マクドウェルやアイビス・フォーカスを含めた、それこそ誰も知らぬ事実がある。
それは原口善という男には『肆式・破天』さえ超える一撃があるという事実である。
これが発動される条件はシンプルであるが難しい。
それは『肆式・破天』を打ち破る事。それも今のように発射台となっている左腕に対し攻撃を仕掛ける事によってだ。
アイビス・フォーカスなどの場合、そもそも『肆式・破天』を撃ち込ませるような状況は作らない。遠距離から攻撃を続け、圧殺する。
レオン・マクドウェルや他の場合、そもそも『肆式・破天』を打ち破った事がない。
ゆえに彼らは、いや誰も、善が抱えている本当の最終奥義を知らない。
(か、体がぁ!?)
更に半回転分のエネルギをその身に纏う事で、『肆式・破天』以上の勢いで善を中心に空気と青い練気が渦巻き、敵対者を引き寄せる。その勢いはもはや足を踏まれていないものの疲弊と負傷から弱体化したルイン=アラモードが逃れられるほどのものでなく、
「お、お、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
手にしていた頼みの綱も絡め取られ、その口から悲鳴が上がる。
「極! 天!!」
そのような醜態を晒す宿敵へ、『肆式・破天』さえ遥かに凌ぐ、利き腕である右手から放たれる一撃が叩きこまれる。
「――――――――!」
その影響で…………ほんの一瞬、彼らの居座る世界から音が消えた。
しかし一度瞬きをしたかと思えば大地が軋み、空が割れ、これまで彼らの体に降り注いでいた雨の原因となっていた黒雲が彼方に去る。
それにより空に浮かんでいた月の光が両者を照らし、
「ぐ、がががが…………あぁぁぁぁぁぁ!!?」
それほどの一撃を受けてなお君臨する原口善の宿敵の姿を示す。
「惜しかった。惜しかったなクソカスゥ! だが!!」
攻撃は確かにルイン=アラモードに届いた。
しかし彼は腹部への直撃を遮るため、折られて使いものにならなくなった片腕を自身で切り離すと盾として利用。ほんの少しではあるが攻撃の威力を吸収した結果、敗北を免れる事ができたのだ。
「これが! これが結果だ! 俺様とテメェのようなクソカスのぉ!!」
己が卓越したバトルセンスを誇り、嬉々とした声をあげるルイン=アラモード。
「雷神の力に、よる! 神…………器……無効化っっの範囲は!」
「…………あん?」
対する善はもはや立っていることさえままならず、両膝を折り、頭さえ上げる余裕がなく俯いている。吐きだされる言葉もそれに呼応するように弱弱しい。
けれど語る内容は聞き逃す事ができる類の物ではなく、動けないものの立っているだけの余力を残していたルイン=アラモードは鬱陶しげな声をあげながら目前の男を見下し、
「それがどうしたよ? 今更そんな事を知ってもなんの役にも立ちやしねぇ!」
「いやそうでもない」
勝ち誇ったように言いきる彼を前に善はすぐさま否定の言葉を吐き、
「なにせ……それならこいつが通じるってことだ」
ルイン=アラモードはその直後に盾として利用しボロボロになった自らの右腕と、今しがた最大最強の一撃を撃ち込み砕けた善の右拳の間に挟まっているものを目にする。
それは宝石であった。
降り注ぐ月あかりを反射し、真っ赤に輝く、五つほどの宝石。善が使う余裕がないと懐に溜めこんでいたなけなしの切り札だ。
その効果は特殊粒子の補充。そしてこの状況で発揮されるもう一つの使い方。それは
「ま、待て!」
迫る結末を予期し動こうとするが、先の一撃を受け立っていることしかできない彼にそのような余裕はない。ゆえにその口からは弱弱しい声が漏れ出し、
「や、やめろ…………」
「爆ぜろ! そして!」
そのような声を出した宿敵の姿を前に、俯いたままの善は獰猛な獣のような笑みを浮かべながら呪文を紡ぎ、それにより宝石が闇夜を切り裂くような光を放ちながら膨張。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
「逆転しろ!」
周囲一帯に広がる衝撃。その内の自分にぶつかる分全てを真正面にいるルイン=アラモードへと押し付けるべく己が能力を発動。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!????」
『三狂』の一角に名を連ね、ガーディア・ガルフをして現代最強と語る男の全身が、善に向かうはずであった分も含めた色のない衝撃に晒される。
それは先の一撃ほどではなくとも確かな手ごたえを感じさせる威力を秘めており、十年以上続いた一人の男の旅の終わりを示す様で。
敵対者は砂塵を舞わせながら吹き飛んで行き、周囲の摩天楼は他の地域と同じように砕け散った。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます
作者の宮田幸司です
書ききった
そんな感想しか出てこないというのが本音の一話です
まさか六千字を超える話を、書き溜めなしで投稿することになるとは思いませんでした。
それはそれとして長かった戦いも一区切り。エピローグへと向け進みます
皆さまどうか、最後までお付き合いしていただければと思います
それではまた次回、ぜひご覧ください!




