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或る日、或る時、或る場所で


「……………………………………………………………………………………ここは?」


 億劫げに瞳を開けると彼は乗った覚えのないバスの中にいた。

 いつ、どこで、どのようにしてそのバスに乗ったのか、彼には全く覚えがなかった。

 ただこのバスに乗っている事自体に関する不快感や違和感はさほどなく、最後尾付近の端の席に座っている彼が視線を窓の外に向ければ、のどかな田園風景と雲一つない青い空が広がっており、今まで己が過ごしてきた中で見てきた慌ただしい風景と比較して、思わず息を吐いてしまった。


「………………」


 その景色を見続ける事を嫌がった彼は視線を外し、バスの中に視線を向ける。

 背後まで振り返っているわけではなかったので断言できるわけではなかったが、このバスに乗っている人物は、自分を除けばみな項垂れ、意識を手放しているように思えた。


 それが自然で当たり前のことなのだという認識が胸中にスルリと潜り込むと、心地よい睡魔が彼を襲い、深いため息を吐くと思考が鈍り、窓ガラスに頭をこすりつけ、睡魔に身を委ねようと重くなった瞼を閉じかける。


 見覚えのある美しい長髪。すなわち雪に染まった銀世界を連想させる髪の毛が視界の端に映ったのはその時で、それを見た彼は自身の身を襲う睡魔を瞬く間に跳ねのけ、慌てて体を起こす。

 それからすぐに無我夢中で側にあったボタンを押し、馴染みのある電子音が止まる駅の名を告げたかと思えば、のしかかってきた重さなど気にせぬ様子でバスから飛び出し、今しがた目にしたものの後を追うように動きだす。


「この! 中か!」


 夏真っ只中を感じさせる日差しに包まれ、セミ達が元気よく鳴き続けるのを耳にしながら、男はアスファルトの地面を蹴るように駆け、目的の場所に辿り着く。

 そこは山小屋を連想させるログハウス調の喫茶店で、中に入れば涼やかな風鈴の音が聞こえてきた。

 ただそれに耳を貸すことなく、彼は店員の類がやってくるのを待たず頭を忙しなく動かし、


「――――――こっちだよ善」


 自分の名を呼ぶ懐かしい声を耳にして、逸る気持ちを抑えつけることができず早足で進み、声のした席にまで辿り着いた。

 そこは安物の黄色い合成皮革が貼られたソファーと漆塗りの黒いダイニングテーブルが同居している奇妙な席だったのだが、そんな事に意識を向ける余裕が呼ばれた男、すなわち原口善にあるはずがなく、


「…………ヒュンレイ」


 彼はもはや二度と会うはずがないと思った友の名を呼び、


「お互い積もる話があるだろうが、とりあえず座るといい。それとも君は、久方ぶりの再会を立ったまま続けるつもりかい?」


 自身の名を呼ぶ強張った声を涼やかに受け流し、重ねた手の甲の上に顎を置いたメガネをかけた美しい双眸の青年、すなわちヒュンレイ・ノースパスは、穏やかな声色でそう告げ、善はその言葉に従うように席に着いた。




 熱していた思考が落ち着きを取り戻すと、善はこの場所が酷く奇妙なことに気がついた、

 自分たちの他には客どころか店員すらおらず、自身とヒュンレイの前には、気がつかぬうちにコーヒーと、ツナとキュウリが挟まったサンドイッチにスクランブルエッグ、瑞々しい野菜を使った簡素なサラダにコーンスープが置かれていた。


 何より奇妙なのは彼らから離れたところにいる唯一の存在で、体操座りをして顔を膝に埋めた彼は、見覚えのある真っ白なホウキ頭を見るに恐らく………………


「君は…………失敗をした」


 そんな事を考えていると真正面から穏やかな声色ではあるが厳しい叱責を受け、彼の意識は真正面に向く。

 そこにはまだ湯気を発しているコーヒーから口を離したヒュンレイがおり、彼はその台詞を聞き素直に頷いた。


「そうだな。しくじったな」


 最初は意識が混濁しており直前の事を思い出せなかった善であるが、この場所に入りヒュンレイと顔を合わせた今ならば、はっきりと頭が働き、自分が何をしたのかを把握することができた。


 放っておけば善は、数日後には神の座に就いていた。

 それを蹴ってまで彼はヘルス・アラモード、いやルイン=アラモードと戦う道を選び……敗北した。

 結果自分はここにいる。


「やっちまったよ。俺は」


 今ならばあのバスに乗っていた自分たちがいったいどのような者達であったのかがわかる。

 あれらは死者であり、自分もその一員であった。ヒュンレイがいる事が、動かぬ証拠である。


「あんな化け物を野放しにするなんて……………………やっちまったよ、本当に」


 善が戦う道を選ばなければ、少なくともルイン=アラモードという名の災厄は世に解き放たれる事はなかったはずだ。

 しかし誤った一手により彼は現世に顕現し、恐らく暴虐の限りを尽くすだろう。誰にも止められないその実力を十全に発揮して。

 これは賄う事のできない、死した善が残した最悪の置き土産だ。


「君は何を言っている? 私が責めているのはそこじゃあない」

「なに?」

「私が責めてるのは……………………君が『復讐心』なぞに捕らわれ戦った事だ」


 ただいつの間にかテーブルの上に置かれていたワイングラスの中にあった液体を呑み始めていたヒュンレイはそんな事を告げ、それを聞き善は目を丸くした。


「責めねぇのか。俺を? 「お前はあそこで戦うべきじゃなかった」って言わねぇのか?」


 続けて信じられない事を耳にしたとでも言いたげな声が喉から飛び出し、それを聞いたヒュンレイは苦笑した。なぜなら、


「それを言う資格は、死にゆく体で君に挑んだ私にはないよ」


 彼自身も同じことをしていたからだ。

 するとそれを見た善は意表を突かれ言葉を失い、


「私はね『人にはどうしても避けられない避けられない戦い』というものがあると思ってる」

「避けられない戦い?」

「殴り合い殺し合いだけを指してるわけじゃないよ。個々人がどうしても『挑まねばならない何か』があると私は思っているんだ」


 続いて告げられた言葉を受け止めた。何の抵抗もなく。同意を示す様に。


「ある者にとってそれは夢だろう。ある者にとってそれは恋だろう。ある者にとってそれは宿敵との戦い。友との決着だろう。私なら君に。君なら怨敵に、全てを賭けて挑むのがそれだ」


 窓ガラスから注がれる暖かな陽の光に照らされながら、ヒュンレイは人差し指で机を小突く。

 それを見ている善はいつも彼に対峙していた時のように頬杖を突いていた。


「だからまあ、彼に挑んだことを責める気は微塵もないんだ。重要なのは」

「『復讐心』に捕らわれたこと。冷静さを失ったとでも言いたいわけかお前は?」


 穏やかな声色に対する善の返事は固い。隠しきれない憤怒の念が感じ取れる。

 ただそれを受けても真正面にいるヒュンレイは涼やかな表情で頷き、数年前まで毎日肩を並べ歩いていた男の見覚えのある表情を前にして、沸騰していた怒りが鎮まる。


「もし君が本来の状態なら、相手をもっと広い視線で見てた。今の君はカメラ越しの狭いレンズだけで相手を見てる。そんなんじゃ、原口善の本気には程遠い」

「…………」

「当たり前の事柄、戦士ならば誰だって知っているような弱点にさえ、今の君は気がついていない。はっきり言って絶不調だ。私が生きていた頃には見せた事がないほどの醜態だ」

「そこまで言うかコノヤロウ」


 憎まれ口を叩く善は何とか続く言葉を呑み込んだ。今この状況では何の意味もないとわかっていたからだ。


「俺が万全の状態なら奴に勝てたと思うか?」


 今重要なのは口にした事実のみ。それを聞いても彼は余裕を崩さず、


「断言はできない。いやそれどころかとても低い確率だと思う。何せ相手はあのガーディア・ガルフが認めた怪物なんだろう?」

「そうだな」

「けど別にそんな事を気にする必要はないじゃないか。だって、本当に大切な戦いなんていつだってそんなものだ。勝算の有無じゃなくて『やりたいからやる』ものだろう」


 続けられる相棒の言葉に、善は微動だにしないし言葉を返す事もしない。ただただ無言を貫き通し、それが肯定を示すものであると理解している男は柔らかに微笑む。

 けどそれを見てなお善の表情は浮かないもので、


「俺は…………あいつに対する復讐心を抑えきれるとお前は思うか?」


 腕を組んだまま視線を落とし、テーブルの上にいつの間にか置かれていたペペロンチーノに注ぎながら、最大最後の難問の答えを友に求める。


「なんだ。そんな心配をしていたのか君は。できるに来るに決まってるじゃないか」


 ただそんな善の深刻な様子とは裏腹に、向かい合っている青年は「馬鹿な事を聞いてくるな」と口にするような態度で接し、


「善。もしかしたら君は「これまでの人生は全て、彼を倒すためにあった」なんて思っているかもしれないがそれは違う」


 けれどこの問題を放置する事はできないと考えると手にしていたワイングラスを置き、真剣な面持ちで話し始める。


「始まりはそうだったのかもしれない。彼に復讐するために門を叩き、ギルドを作り、そしてついに対峙した」

「けれどそれは、実のところ原口善を構成するただの一要素に過ぎない。大きな大きな『目的』として体に巣食っているかもしれないが、そこに辿り着くまでに得た『過程』はそんなものより遥かに大きい」

「なぁ善。原口善。相棒にして友、生涯最高の理解者よ。君が戦い続ける本当の理由は――――――」


 語り続ける友を善は見つめ、そんな彼を前にしてヒュンレイは陽光に照らされながら右腕を掲げ、人差し指だけをまっすぐ伸ばし、とある方角を指差し、


「あれだ。あれこそが君が戦う理由のはずだ」


 その先には体操座りをしながら膝に頭を埋めているホウキ頭の男がいた。よく見てみれば肩を小さく揺らしており、必死に口から発せられる嗚咽を殺そうとしても漏れてしまっているその姿は、原口善にとってなじみ深いもので、


「…………それにしちゃ、年食ってる気がするがな」


 全てを理解した善の口から、力強さが宿った声が蘇る。

 すると彼は勢いよく目の前に置かれたパスタを頬張り、同時に二人のいる店内にクラクションの大音量が鳴り響いた。


「…………時間か」

「行くのか?」

「ああ。積もる話はあるんだけどね。残念ながらそれをするほどの余裕はないようだ」


 残念そうに息を吐くヒュンレイ・ノースパスが立ち上がるが善はその姿を追わず、窓の外に見える景色に視線を向ける。

 そこには見知った顔がいくらかおり、もう二度と見る事がないと思っていた顔ぶれを前にして、善は微笑む。


「私はバスに向かって先に進む。君は来た道を戻れ。少々長い距離を進む事になるかもしれないが、なぁに、君なら余裕だろ?」

「………………また会えるか?」

「……きっと」


 ヒュンレイ・ノースパスも振り返る事はしない。色々な思いが籠った声で、投げかけられた最後の質問に対し言葉を返し、


「あぁそうだ。一つ忘れてた」

「なん………………っ!?」


 そのまま目の前にやってきたバスに乗るべく足を進めるのだが、そんな彼の頬を善の拳が襲った。


「最後に少しだけ言わしてくれ」

「なんっ?」

「ヒュンレイ! この大馬鹿野郎が! お前さんが死んだせいで、俺はめちゃくちゃ苦労したんだ。いくら味方が増えてもそれは変わらねぇ。本当に…………苦労したんだ」


 最初は尻もちをついていた友を見下していた善であるが、発せられる言葉は徐々に力を失い、それに比例するように頭を垂れる。そして、


「…………俺があの時、今と同じだけの力を持ってたなら、お前を助けられたはずだ。本当に…………本当にすまなかった!!!」


 それだけの前置きを置いた末に、本当に言いたかったことを伝える。


「いいんだ。いいんだよ善。あれは私が勝手にやったことなんだ。君が病む事じゃない。謝らなければならないのは…………私の方なんだ」


 それを聞くと頭を垂れる友の頭に触れながら青年はそう返し、


「そうか。ならもう一つ」

「ん?」

「人が真剣に話してる時にアルコールを飲むな」

「っ!?」


 続けて顎を襲った一撃に顔をしかめ、僅かにだが体を浮かせた。


「ハッハッハッハッハッハ!!」

「善。君は!」


 そのまま頭から床にぶつかる姿を見て善は腹を抱えて笑い、対するヒュンレイは一瞬だけ声を荒げるが、そんな風に大笑いする友の姿を久方ぶりに目にしたのを見て同じように笑い、


「じゃあ行って来る」

「いってらっしゃい」


 自身に背を向け歩き出す友に対し、彼は優雅に手を振る。




 見送られた原口善が歩き出す。

 その道のりは果てしなく、加えて重い。

 最初こそ文明的な生活が送られ続ける場所が続いたが、しばらくすると来た際に見たような田園風景さえなくなり、延々と獣道が続く。

 さらに歩くと天候も変わって行き、太陽は分厚い雲に隠され、白が黒に変わり、雷が轟き嵐のような雨が降り注ぐ。

 それは知らぬ者からすれば決して喜ばしいことではないはずなのだが、原口善に限っては違った。

 なぜならその景色こそ、自分が先程までいた場所に近づいている事を知らしめるものであったから。


「ハハっ!」


 口から嬉々とした声が漏れ、闘志に満ちた獰猛な獣のような笑みが顔に張り付く。

 重くなる体とは裏腹に駆ける速度は増していき、無我夢中で走り続ける。


 すると


「!」


 彼の体を強烈な光が包んだ。



 







ここまでご閲覧いただきありがとうございます

作者の宮田幸司です。


そして男は再び戦場へ


という事で戦闘の合間に挟まれた一幕でした

今回の話に限らずこのルイン=アラモード戦は、小説家になろうに投稿を始める以前、この「ウルアーデ見聞録』という話を作り上げた時点からいつか執筆したいと思っていた話でした。

まあそれを言うならミレニアム戦を筆頭に他にもありますが、それでもまあ、三年以上の月日を経たうえでこうして皆さまにお届けできたのは感無量です。

それを示す様に分量も多いです。


というわけで次回は善さんリターンマッチに赴くの巻。

ただ本当に申し訳ないのですが、ここ最近仕事で部署移動がありまして、夜勤がある日は執筆する時間が全くない、それこそ泊まりこみになるような状況になってしまいました。

ですので普段の明後日は中々難しく、明々後日まで待っていただければ幸いです


それではまた次回、ぜひご覧ください!

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