形勢一変 三頁目
『ギィィイイャァァァァァァァァ!!?』
声が、画面の中から躍り出る。
両足を躊躇なく吹き飛ばされたオリバーの口から発せられる絶叫には、今彼が抱いている気持ちがそのまま乗せられており、状況の変化を無言で見届けいた歴戦の猛者達も程度の差はあれ、大半が表情を歪めた。
「ルイ。こりゃあ」
「……まずいですね」
そんな中でも最も顔を歪めているのは貴族衆全体を纏めるルイなのだが、老婆を隣に侍らせ、優雅にコーヒーを飲用していた彼がそのような表情をしたのは、同じ貴族衆の長が大変な目にあっているから、というわけではない。
もちろんそのような気持ちも含まれているのだが、彼が最も気にしているのは貴族衆を運営するにあたり、各勢力に対する威嚇、それに貴族衆内の結束の強さを示すために作成した一つの『法』。
『貴族衆のメンバーに対する殺人は、貴族衆全体に対する宣戦布告であると考え、全家系の力を結集し報復に動く』というものだ。
これがあるからこそ、他の勢力はそう易々と手だしすることができなかったわけだが、至極残念な事に此度の相手に限って言えば、たとえ貴族衆総出でかかったとしても勝ち目は極めて薄い。
なのでこの脅迫染みた法律は意味を成さない。いやむしろ、この法律を適用させた場合、貴族衆が側が取り返しのつかないダメージを被る可能性が大いにあった。
であれば今回に限ってのみ、特例であり見逃すことを何とか示すほかないように思えたが、
『…………先程から時折やって来る奴らに指示を出しているのはその両腕か? それも邪魔だな』
『ぎ、ギィィィィイィィ!!?』
『どうやら当たっていたようだな』
画面越しに伝わってくる声が、脂汗を浮かべあまりの痛みに原形を留めていない顔が、そして一方的に行われる『蹂躙』という枠組さえ取り払われた『殺戮』が、彼らに逃げ場などない事を訴えかけ、『特例』という措置などありえないと理解させた。
パチパチと音を鳴らす火種が命を失った木々を燃やし、オリバーの前に立つ巨躯の強者の姿を照らす。彼は自身が放った斬撃により飛び散った血しぶきで右手から右肩、そして右側の頬に至るまでをべっとりと濡らしており、小さく縮こまった姿を無情に見下ろす姿は悪鬼羅刹、魔王や修羅と呼ぶにふさわしい風格を備えていた。
「た…………」
「ん?」
「頼む。許して、許してくれ…………俺が悪かった。悪かた。けど…………殺さないでくれぇ」
自身の体から溢れた血でできた水たまりに己が身を預けたオリバー。彼は既に両手と両足を失い、もはや一歩も前に出る事ができなくなった状態なのだが、それでも朦朧とした意識の中で、掠れており、聞こえなくてもおかしくない声で懇願する。いや、懇願することしかできなかった。
「…………」
「生かしてくれたら…………知っている事は全部話す。残された人生は、全て、善行に尽くす。だから、だから許してくれ」
消え入りそうな声には彼の全てが詰まっていると言ってよかった。
小狡さも上昇意欲もなく、他者を見下すこともなく、残りの人生全てを善き行いに尽くすという思いが、今この瞬間の彼には確かにあり、誠意を示すために掌と足をなくした体を器用に持ちあげ、土下座に近い形を自身の前に立つ処刑人に晒す。
「同じような事をしてきた者を…………いやそのような者だけではないな。罪のない善人も含めた多くの者達の最後の懇願。それをこれまでの君はどう返した?」
「っ」
それを見ても男の態度は変わらない。
体を僅かに曲げ、オリバーの顔を持ちあげ、まっすぐにサングラスの奥の瞳を見据えながら。自らの決定を変えるつもりはないと突き放す。
「それが答えだ」
燃え盛る炎を背景にシュバルツ・シャークスは言いきり、それを聞いた男の体が一際大きく震え、小便を垂れ流しながらも言葉を吐きだす。
「クソっ!」
涙と鼻水が流れた顔には自身の結末を悟った故の絶望と、最後まで捨てきれなかった憤怒が浮かび、オリバーの口から、目前の存在を呪わんとする呪詛のような言葉がこれまでの中で最大の声量で吐きだされ続ける。
「クソッ! クソッ! クソォォォォォォ!!」
「…………」
「ひ、ひぃぃぃぃぃ!!!!」
それを受けたゆえか、それとも別の理由かはわからないがシュバルツ・シャークスは鉛色の人斬り包丁をおもむろに掲げ、ついに目前まで迫った結末を前に、彼は自身の周りにだけ地震が生じているかのように体を揺らし、心臓の鼓動が早まるのに比例するように喉を突き破るような声が発せられる。
「いやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!」
許されぬ悪事を仕出かしたのは間違いなくオリバー・E・エトレアである。
それを裁くシュバルツ・シャークスにその権利はないとはいえ、自身の身に降りかかる様々な障害を承知の上として行うのならば、多くの人の無念を晴らし、行われるはずだった悪事を食い止めた『義賊』や『英雄』として持て囃されてもおかしくはない。
戦や人死にが隣り合わせのこの世界ならば特にそうだ。
「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
だがこの光景を見ている誰一人として、そんな言葉を浮かべる者はいなかった。
彼らの大半が思い浮かべるのは、インディーズ・リオという組織のこれまでにない姿を見た事に対する恐怖。なぜこのような事をしたのかという疑問。一思いに殺さずいたぶるように四肢を奪った事に対する義憤や吐き気である。
「…………シュバルツ・シャークス!」
「なんだと?」
後は刃を振り下ろせば全てが終わる。
そのタイミングで、彼は自身が建てた計画になかった声を聞き、勢いよく振り返る。
「アイリーンめ。しくじったな」
「……古賀蒼野が覚醒した。その影響だ」
そこにいたのは不健康な灰色に近い肌に、同じ顔の少年と比較し鋭い視線をした黒い服に身を包んだ少年。絶対的な力の差を理解してなお、闘志と紫紺の炎を纏ったゼオス・ハザードである。
「…………その手を下ろせシュバルツ・シャークス」
「……この状況でそんな事を言うとはな。大した胆力だ」
少年は自分の目の前にいるのが誰なのかを完全に理解した上で命令口調でそう言いきり、その物言いにシュバルツ・シャークスは失笑を返す。
「…………シュバルツ・シャークス」
「……なんだ」
もはや目前の四肢を失った存在に抵抗する余地はないと言いきれたシュバルツ・シャークス。彼は声にはんのうすると振り返り、普段ならば決して口にしないようなぶっきらぼうな声で応じ、
「……お前に」
「!」
そこでゼオス・ハザードが見せた顔を見て、激しく動揺する。
目を細め、頬を上げ、つらいものを見てしまったと訴えかける表情。幼い頃に一度だけ自身に向けられたその表情。
それをした亡き親友が己に向けた続く言葉。
「オリバー・E・エトレアはヒュンレイ・ノースパスを殺したきっかけになった人物だ」
「!」
それが発せられるのを阻止するためにシュバルツ・シャークスは固い声でそう言いきり、それを聞いたゼオスは一瞬だが身を強張らせ、結果続く言葉は途切れ、
「黙って見ていろゼオス・ハザード。これから先に……君の出る幕はない」
それを見届けたシュバルツ・シャークスは顔を元の方向に戻し、もはや言葉も発する事もできなくなったオリバー・E・エトレアの首に、迷うことなく、刃を、振り下ろし、
「や、やった」
「やりやがったぞあの野郎…………」
世界中の様々な人々が目にする前で鮮血が飛び散り、男の頭部がほんの一瞬宙に浮いたかと思え、砕けた大地を転がり、側にあった地割れの狭間に落ちていく。
それが此度の事件の一つの終わり。
「あれは」
そしてオリバー・E・エトレアの置き土産が彼の全てである孤島に到達した瞬間であった。
「兵器に命を宿したか。まあ、殺傷能力だけに意識を向ければ妥当な判断ではあるな」
降り注ぐ光を遮るように空を埋めてやってくるのは、機関銃やロケット弾などに羽や人間の体が生え、禍々しさを強く感じさせるフォルムをしたものであり、それに混ざって空に浮かんでいる巨大な物体は、鉄色の軍用機に心臓の鼓動のように脈動する筋肉が付着し、くぐもった声をあげる醜悪な怪物だった。ただシュバルツ・シャークスが注目したのはその更に奥にいる存在で、多くの空を飛べぬ兵士の足場となっている生きた空母の裏に、何か底知れぬ悪意が潜んでいるのを感じ取る。
「おうおうシュバルツ。大遅刻した援軍の処理は私にさせろ。お前やアイリーンと違ってこっちは欲求不満なんだよ」
「…………背負っているシロバ・F・ファイザバードは置いておけよ」
その処理をしようとゼオスを一瞥してすぐ、無表情で歩を進め始めたシュバルツ・シャークスであったが、頭上からボロボロのシロバを連れたエヴァ・フォーネスが降りてくると、戒めるようにそう告げ自身はその場から撤退。
残されたのは、うめき声をあげるシロバと、呆然とした様子のゼオスの二人だけであった。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます
作者の宮田幸司です。
オリバー死亡回。
これまで色々と話を書いていましたが、こうやっていたぶるように殺す事はあまりなかったな、などと考えたりしていました。
二章のパペットマスターの時もありましたから、それ以来かな?
まあそれをやった人物がシュバ公なので、幾分かの衝撃を抱いていただければ嬉しいな、なんて思ったりしてます。
で、これにて今回の物語の大筋は終わりなのですが、後々の話のためにもうちょっとだけ続くのです。
それこそ、誰も想定していない人物の襲来という大イベントが待っているのです
気になるその正体は次回で!
それではまた次回、ぜひご覧ください!




