3月24日の混沌
積が兄である善を呼び止める事ができたのは偶然であった。
自室でギターを手に自作の音楽を弾いていたところ、窓の外で蠢く影を見つけた。
サングラスをかけていた彼にはその正体が誰であるのかすぐには分からなかったのだが、窓に近づきサングラスを外して見てみれば、ちょうど側にある街灯が真下にいる人物を照らし、それが自身の兄であることがわかった。
「こんな夜更けにどこ行くんだよ馬鹿兄貴」
春先とはいえ零時過ぎはまだまだ寒い。
なので厚手のシルバーのブルゾンを羽織り、チャックを閉じ、窓から飛び降り、兄の真後ろの乾いた大地に着地して声をかける。
「積か」
すると突如現れた彼の名を善は唱えるのだが、サングラスをかけなおした積の瞳は、そこに秘められた思い、『隠しきれなかった動揺』を掴んだ。
「アンタ、神の座になるんだろ。ならこんな時間に呑気にブラブラしてる暇はないんじゃないか? 体調管理は大切だぜ?」
真っ赤な髪の毛を掻きながらため息を吐き、右斜め下に視線を注ぎながら当然の疑問を尋ねる積。
「そりゃそうだが、夜の散歩まで口うるさく言われる筋合いはねぇはずだ」
その答えをやれやれとでも言いたげな様子で、体の向きを正すことなく告げる善。
しかし積は気づいた。自身の兄が頬を掻きながらそう言っているのだと。
すなわち、嘘をついているのだと。
「神の座になれる。それほどの結果が目の前に迫っていてなお動くってことは……ヘルス・アラモードか」
「…………よく分かったな」
「わかるさ。兄弟だからな」
積にシロバのように他人を観察する力はない。
けれども血のつながった兄の癖を見抜く事くらいならば十分にでき、嘘をついてまで兄が行おうとしている愚行に、誰に対してもお気楽に接している彼にしては珍しく、語気の強い言葉が発せられる。
「それが、それがこの土壇場でやることかよ。あんた分かってんのか? 今がどういう状況か!?」
「あぁ。分かってるよ」
静かに返事をする彼に対し、積は「いいやわかってない!」と言い返す事もできた。
しかし彼は自身の兄がそこまで馬鹿ではない事を知っており、であれば、口にする言葉は違う。
「じゃあ何でだよっ!」
悲鳴にも似た心中の吐露に、善は一瞬押し黙る。
しかし観念したのか腕を組み深く息を吐くと、瞳を閉じ、正直に話す。
「今しかねぇからだよ」
「え?」
「この機会を逃せば、恐らくこれから先、俺は奴に構う事ができなくなる」
弟に語りかける姿に、普段の様子はない。
冷静さを持ちながらも確かな熱を感じさせる普段とは様変わりした、悪い事をしている事が親にばれた子供のような弱弱しい声色で、善は語る。
「告白するとな、俺の人生の中心には、いつだってあの野郎がいた。俺は家族や友人、いやガキの頃に持っていた全てのものをぶち壊したあいつが許せなくて、殺された奴らの数だけ、あいつをぶん殴らなくちゃならねぇって、いつも思ってた」
ただそんな言葉も続けば続くほど、強い熱が宿る。それだけでなく刃のような鋭さを纏い、殺意という名の毒が塗られていき、それを聞いていた積は自身の喉が急速に乾いていくのを感じていた。
「それが…………兄貴があの場所から生き延びた時に、抱いた目的?」
「…………あぁ。そうだ」
二人を照らしていた外套の光が点滅を繰り返し始める。
それに合わせ時には姿を現し、時には姿を消す復讐鬼の姿はおどろおどろしいもので、言葉を絞りだしていた積も、それ以上問う事ができなかった。
「…………だったんだけどなぁ」
「え?」
とはいえ、どれほど言葉に重みを持たせようと、目前の兄弟が憎き仇ではないことなど百も承知で、であれば冷静さを失っていない善は、その瞳で無暗に怯えさせてしまった事もすぐに理解できる。
なので周囲に溜まった重い空気を入れ替えるように軽いノリで息を吐くと、それだけで積は重い空気から解放され、戸惑った声を上げた。
「なんだなんだ。どういう事だよ馬鹿兄貴?」
「いやな、ここ最近ちと心境の変化ってのがあってな」
「?」
「実はな」
正直なところ、善は今の己が胸中を誰かに語るのは避けていた。
シロバに明確に示さなかったのも、その考えによるものだ。
しかしである。彼はこの状況でふと思ったのだ。「自身の弟にくらい、語ってもいいのではないか」と。
ゆえに多くの者が寝静まり他には誰もいないこの時この瞬間、ただ一人の肉親に対してのみ彼はそれを語り、自身が辿り着いた結論を提示。
「…………」
全てを聞き終えた時、積は自身に背を向け歩き続ける兄を黙って見送る。
もはや止める事はできぬと悟った故の結果だ。
兄の進む道を照らす様に連なっている街灯はそんな兄の姿を追っていくのだが、どうやら不自然に点滅していたのは一本だけでなく複数本あったようで、ある時善を包んでいた一本が完全に消えたかと思えば、それ以降善の姿は映しだされなかった。
「帰って来いよ…………馬鹿兄貴」
周囲には誰もおらず、耳を澄ませる者もいない。
それを承知の上で少年は、求める結果をまっすぐに口にした。
「各勢力の主要人物達への報告は?」
「し、していません」
「どういう事だね? 見つけ次第、各勢力に通達する、というのが以前決まった取り決めのはずだが?」
「は、はい。ですが! それが…………」
「?」
日は跨ぐことなく同日の午前十時。
高価な壺や美しい花が飾られ深紅のカーペットが敷かれた廊下を、負けず劣らず真っ赤な衣装に身を包み、力強いオーラを発しながら歩く男がいた。
貴族衆全体を纏める男にしてこの邸宅の主、ルイ・A・ベルモンドである。
普段通り丁寧に整えられた服や髭を周りに誇示する彼は、普段と比べ歯切れが悪いタキシードを着た執事に問いを投げかける。
「その、内容に少々問題がございまして」
「…………どういう事かね?」
すると少々申し上げにくそうにしながら執事は答え、それを聞き益々ルイは疑問を深める。
ただそれ以上の言葉を申し上げにくいという様子で口ごもる姿を見せた執事を見て、これは自分で確認するのが最も手っ取り早いと判断し、彼は男から視線を外し自室に入ると、高価な品々やこだわりの家具が置かれた部屋の奥にある豪奢な椅子に座り、部下の言葉通りに目前にあるパソコンを触りページを開く。
「閲覧不許可?」
そのページはインディーズ・リオが動画を挙げている個人のページなのだが、不思議な事にその動画だけは開けないよう厳重なロックが仕掛けられていた。
しかもそれをしたのは、開示されている情報によれば自身の背後に立つ執事なのだ。
「解除PASSはこちらです」
「……」
「なぜこのような事をしたのか」抱いた疑問を尋ねようと振り返るルイ。
しかし彼が何かを口にするよりも早く執事はパスワードの書かれた紙を渡し、ルイは何かを言うよりも先に内容を吟味するべきだと考え、無言でそれを入力。
「な、何だこれは!?」
その動画の内容を確認し、執事が戸惑った理由を知る。動画の配信を独断で封じた理由も知る。
流れている動画の内容。それは
E・エトレア家の当主、オリバーがしでかした悪事。
非合法の兵器を制作し、売りさばいているというものであり、貴族衆の沽券をどん底に落とすものであった。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます
作者の宮田幸司です
徐々に徐々に、不穏な影は伸びていく。
終盤の激戦に向け、話は進んでいきます。
そんな中、今回の話でオリバーの罪が露呈したわけですが、この展開がいつか訪れる事を実のところ本人は分かっていたところがあります。
だから普段はやらないとシロバが考えていた、先日の行為を仕出かしたわけですね
それではまた次回、ぜひご覧ください!




