シロバ・F・ファーザバードの秘密事 二頁目
「君がすぐに引き受けなかった理由ってさ…………ガーディア・ガルフを恐れてなんかじゃないだろ?」
善の前に進もうと上げていた足が、止まる。
シロバ・F・ファーザバードの普段の涼やかな声よりもやや低い声に含まれた「全て御見通しだぞ」とでも言うような雰囲気を聞き、彼は思わず足を止めてしまったのだ。
「そりゃそうだ。さっきも言ったじゃねぇか。神の座になるってんなら、身の周りを整える必要があるってよ」
自身の背後にいる僅かに年上の男は、善が知る中でもかなり勘がいい部類の男だ。だからこんな風に言い繕っても意味がないのは分かっている。
ただ彼としては無言の肯定を示すのは少々癪であったため一応そう言い返すわけだが、背後で鼻で笑われたのを耳にして「これなら素直に認めた方がよかったかもしれない」などと思ってしまう。
「そんな無意味な取り繕いなんてする必要がないだろ。君が神の座になるのを蹴ってまでしたいことなんて、一つしかないじゃないか」
なおも振り返らず無言を貫く黒い衣服で染めた背中に、言葉は注がれ続ける。
しかし男はやはり振り返らない。
一方が軽い声で気安い様子で話しかけ、もう一方が棒立ちで立ったまま、部屋を出る事もなく無言でそれを聞き続けるのは、少々どころではなく奇妙なものであった。
「ま、何が言いたいかというとだね」
「ぶっ!?」
飽きる事もなく、根負けした様子もなく、いくらかの時間が流れ、話の締めを示す様にシロバが一度言葉を切ったかと思えばそれまでと比べ幾分か真面目な声を発し、一瞬の沈黙が流れたかと思えば善のワックスで固めた髪の毛とうなじを風が撫で、宙を舞った紙の束が視界を埋めたかと思えば、その顔に勢いよく張り付いた。
「それ、持っていきなよ。『今』の君にならきっと必要だからさ」
善という男が発するにしては珍しい声を耳にしてもシロバは笑わない。
それまでの口ぶりが嘘のような、最初に善の足を止めた時のような声を発すると、紙の束を惹き離しながら半ば反射的に振り返った善を指差し、その自信を伺える堂々とした物言いを行い、
「彼女が死ぬ前にそれを提示したら、まあ大騒ぎだろうけどさ。今なら別にいいだろ。死人に口なしって奴だ」
「!!」
それを見て善は心底驚いた。
そこに書かれていた情報がまさに今、自分が求めていた類のものであったから、ではない。
シロバ・F・ファイザバードが、決して他人では辿り着くことができないと考えていた彼の心の深層まで完全に理解したからである。
「シロバ」
「んー」
ニヤニヤと、目の前の男の胸中を読みきった事と驚いた顔を晒したことに対し、得意げな様子で頬杖を掻くシロバを見つめる善。
普段ならば苛立ちの一つくらい抱いてもおかしくないその表情を見ても彼は真剣な面持ちを崩さず、
「お前はすごい奴だよ…………本当にな」
「おいおい。分かりきってる事を言ったところでお駄賃はやらないぞ!」
心の底から敬意を称しながら断言し、いつもと変わらぬ様子の彼らしい返事が投げ返される。
そのまま善は踵を返すと今度こそ部屋を出ていき、自身が帰るべき場所へと進み始めた。
「…………頑張れ。死ぬなよ」
足音が徐々に徐々に、自分のいる部屋から離れていくのが感じられる。
それが完全に聞こえなくなったところでシロバは顔に張り付けていた表情を解き、強い意志で願うのだ。
原口善という男が追い求めた一つの『夢』。いや『目的』。
それが最上にして最高の結果を叩きだせることを。
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
桃色の空に包まれた不可思議な空気の世界に、可憐な声が木霊する。
属性粒子の使い手としては歴史上でも最高位の一角。溢れんばかりの知性を備えた不老不死の存在は、しかし今、そんな背景を一切感じさせぬ獣の咆哮を上げていた。
「ふざけるな! ふざけるなふざけるなふざけるなぁぁぁぁぁぁ!!」
声に呼応するように様々な色が彼女の肉体から撃ちだされ、彼らしか知らない秘密の場所に雨のような勢いで、否、流星群の如き勢いで降り注ぐ。
「落ち着いてエヴァ! 貴方彼が言った事を忘れたの!?」
通常ならば一都市どころか国さえも軽々と滅ぼす程の攻撃の嵐。だがそれを受けても彼女らのいる場所にいる建物や草木は傷や焦げ目を一切点けない。
となればいくら無尽蔵に粒子を備えていようが意味のない行為であるように思えたが、そもそも幼女の姿をした吸血姫の目的は環境破壊の類ではない。
空を浮かぶ己の視線の先で、半日にわたり立ち塞がり、耳障りの悪い言葉を吐き続ける千年来の腐れ縁、アイリーン・プリンセスを退けるためだ。
「お前は! お前は黙っていられるのか!! ガーディアが一夜明けても帰ってこないんだぞ! その意味が………………その意味が分かっているのかっ!!!」
ガーディア・ガルフは決して誓いや約束を違えない。
最強である彼は、余人ならば不可能な誓いや約束でも必ず守る。
今回の場合はっきりと口にすることこそなかったが、彼は間違いなく帰還する事を大前提に話していたはずだ。
そんな彼が、一夜経った今でもなお彼らの前に姿を現さない。
その意味が分からないほど彼女らは馬鹿ではない。信じられない気持ちはあるものの、受け入れてしまう。
「殺す! 一人残らず! 奴らは全員! この私が殺してやる!!」
そうなればエヴァ・フォーネスという存在がどのような行動に出るかなど、味方にせよ敵にせよ、誰の目で見ても明らかだ。
しかしそれはガーディア・ガルフの掲げた主義に反するため、対峙する男装の麗人は己が得とする十の切り札を用い、全力でそれを止めていたというわけだ。
「どけぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「っ!」
その抵抗にも終わりが見え始めたわけだが、これを責める事をできるものはいないだろう。
集中力と体力こそアイリーン・プリンセスにはまだまだ余裕があるものの、手にしている粒子の量には上限がある。
対してエヴァ・フォーネスはこの桃色の空に包まれた空間の中では粒子・体力共に無尽蔵で、激情に身を任せ攻撃を続けることができる。
しかもアイリーン・プリンセスは対峙するエヴァ・フォーネスに対し負い目から僅かにだが感じ、全力を発揮しきれないのに対し、そんな彼女に攻撃するエヴァ・フォーネスはアクセルを全開で踏んでいる。
それこそ「自身が抱いた復讐心を阻むならば、例え見知った中でも殺しても構わない」という意志が、誰の目で見ても明らかな程だ。
「そこだ!」
時に攻撃を阻み、時に主に敵対する小さな体を弾き、時に物理的な目くらましとして活躍してきた光速にして超硬度の壁が、主の意思に反して砕かれる。
「っっっっ」
「最終通告だ。アイリーン…………そこをどけ」
それが腐れ縁であるアイリーン・プリンセスの限界であると分かっているからこそ、エヴァ・フォーネスはその時初めて攻撃の手を引き、片膝をつく彼女の頭上を取り自身の優位を完全に示したうえで、最終通告であるというように告げる。
「こんな事をしても」
「……」
「彼は喜ばない」
しかしなおも道を譲る意志を示さない彼女を前に、息を吐き、空を見上げ、
「…………あいつが喜んだところなんて、笑ったところなんて、いつの事だっかもう思い出せないよ」
それまでの苛烈で熾烈な言動や空気を消し、寂しげな声でそう呟く。
それを前にしてアイリーン・プリンセスもまた同じ意味の眼差しを浮かべ、
「悪いが、力づくで通らせてもらうぞ!」
そんな彼女に対し、幼子のもにしか見えない小さくて可愛い掌が向けられ、
「エヴァ」
「!」
「シュバルツ!」
そんな二人の前に『皇帝の懐刀』という異名を背負っていた男が現れた。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます
作者の宮田幸司です
善&シロバサイドの続き、そして残された三人サイドの話です。
敵側である三人がどのような事を話したのかはまたいずれどこかで
さて次回からは息抜き回(本番)。
後ろに本番などという言葉を付けたのは、これまでの何らかの意味合いが含まれた話から離れた、本当の意味で気楽な話という事です。
この戦争が終わった後の、各々の人間関係を描いていく話です。
これらを数話したところで次回へ突入。
クライマックスへと向けた戦いを始めて行きます
それではまた次回、ぜひご覧ください!




