古賀蒼野と尾羽優、森を駆ける 三頁目
「あ、そう言えば康太の奴を止めてくれたんだろ。ありがとな」
自分の態度で辛気臭い空気になってしまった。
そう感じた蒼野が明るい声でそう口にすると、優が不思議そうに彼を見つめた。
「あれ、それ話したっけアタシ? てかあんたの義兄弟、大分嫌な性格してるわね」
「まあ誰に対しても当たりが強いところはあるな。でも根は家族思いのいい奴なんだ許してやってくれ。話については康太本人が俺に愚痴ってきた。んで気になったんだがあいつになんて言ったんだ。どれだけ聞いてもどーしても教えてくれなくてなぁ」
両手を拝み合わせて優に尋ねる蒼野。それを聞いた優は口に入れていたパスタを飲みこみ、そばにあったティッシュで口を拭いてから、話しを始めた。
「ああそれね。アンタが捕まえたゲイルが、貴族衆の一員だって言ってやったのよ」
「貴族衆?」
聞きなれない言葉を前に疑問符が浮かぶ蒼野。
「ああそっか、知らない人は知らないのよね、貴族衆」
そんな彼を目にしてそう言いながら、彼女は水を飲みこみ説明を始める。
「貴族衆って言うのは、『神教』『賢教』『ギルド』に並ぶ四大勢力の一角よ」
「四大勢力ってことは世界を支配する程の強さってことか。信じられないな」
それほどの勢力にも関わらず、名前をお聞いたことがなかったため首をかしげる蒼野。対する優はそれが当たり前だと首を振る。
「貴族衆は二十六の貴族たちで構成された巨大な組織の事で、彼らが二大宗教に肩を並べるといわれる所以は、経済力にあるの」
「経済力?」
「そうよ。世界中で出回っているお金の約八割が、貴族衆から投資されてるの」
「八割!?」
喉の奥から奇妙な声が漏れる。貴族という言葉から想像した彼の予想では、大企業の大株主、軍事国家の支配者階級程度の考えだったのだ。
その正体が世界中の金の流れを支配している程の存在などとは思いもしなかった。
「金もそこまで貯めれば二大宗教と肩を並べられるか。すごいな」
「そゆこと。まあでも貴族衆を知らないのも無理はないわ。二大宗教やギルドと比べたら知名度はそんなだし、お金に関して然程興味ないなら名前くらい……なんて人も多いわ」
「影の実力者ってわけだ。まあその場しのぎの嘘だろうが、もしもの事を考えれば迂闊に手は出せないわな」
「何言ってんのよ、嘘じゃないわよ」
「へ?」
優の返事を聞き、蒼野の表情筋が硬直し、無機質な声が口を衝く。
「だから、嘘じゃないって」
目を丸くする優を見て、蒼野の全身から嫌な汗が溢れだす。
「つまり……あいつは」
「光が一切ない空間でもその存在を主張する黄金の鷲は、Uの座にいるフォン家の紋章。アンタたちが捕まえた男はおそらくフォン家の御曹司、ゲイル・U・フォンよ」
「するとそんな奴らを捕まえた俺らは……」
「うーん、首ちょんぱ?」
優が面白おかしな様子で、笑いながらフォークを握る右手を首に当て、一直線に引く。
それだけで蒼野の全身から力が抜けていき、口から魂が抜けかけ持っていたフォークが落ちた。
「じょ、冗談よ冗談!」
首をグラグラと揺らし、白目をむいていた蒼野であったが、その一言で魂が戻り正気に戻るが、未だに全身の震えが収まることはなく、
「そ、そりゃよかった」
「でもまあ、殺さずに済んでよかったのはマジよ。あそこで殺しちゃってたら、世界中を巻き込む戦争に発展してたかも」
「せ、戦争……」
追い打ちとばかりに告げられた優の言葉に、蒼野の顔が引きつった。
しかし目を閉じてあれこれと考える優にはその姿が見えておらず、淡々とありえたかもしれない未来について語りだす。
「貴族衆は基本二大宗教のやり方に口を挟むことはしないけど、身内殺しはよっぽどのことがない限り許さない。最低でも犯人のいる町へのお金の供給をストップ。もしくは全員血祭」
「ちまっ!?」
「最悪なのは、悪いのは神教の考え方だ、っていう事になること。その結果神教に対する支援を完全ストップ。その隙に乗じて賢教が攻め込んで……世界大戦が始まることね」
ゴトンと、机の上に何か重いものが落ちる音がする。
両腕を組み、目を閉じ集中していた優が音に驚き目を開くと、机に顔を埋めている蒼野を目にする。
「ちょ、あんた何やってんの!」
「お、俺らのミスで世界大戦。俺らのミスで世界大戦。俺らのミスで……」
「お、落ち着きなさいよ。その未来は、アンタがあいつを殺さなかったおかげで回避したんだから。アンタらの町に被害が及ぶことはないし、世界大戦なんて起きないから!」
「そ、そうだ! そうだよな! やっぱ人殺しなんて良くないってことだよな!」
「そーいうことよ。あんたは偉い! アタシも頑張った! あのクソ猿は知らない!」
言い合いながら、机を挟み乾いた笑い声をあげる両者。
「「……………………」」
一通り笑い合った後、静寂が場を支配し、
「えっと…………ごはん、食べる?」
「こんな気持ちで食えるか!」
ヤケクソという言葉がピッタリな表情と声で、蒼野が叫んだ。
「首、首……首が飛ぶ。みんな……首ちょんぱ」
夜が過ぎ、朝日が昇る。
朝食を摂り、大型二輪に跨り移動する二人だが、その間ずっと蒼野はそう呟いたまま夢遊病患者のような様子で優についてきていた。
優はうじうじした態度というものが嫌いだ。竹を割ったようなさっぱりとした性格の人間を好む傾向にある。
しかしそれでも、今の蒼野の様子を見ると、嫌うよりも先に保護対象、つまり子供を助けなければというような母性愛のような気持ちが湧き出ていた。
「首ちょんぱ首ちょんぱ……みんな揃って首ちょんぱ」
「何で無駄に韻を踏んで歌ってるのよアンタ」
無論そんな状態の蒼野を置いて行く事などできるはずがなく、意識が朦朧としている蒼野を縄で自分の背中に縛りつけ、森の険しい道を走り続けていた。
「……っ!」
そんな状態でしばらく進んでいると、薄暗い森を進んでいた優がいきなりブレーキを掛ける。
「うおう、なんだなんだ!」
「しっ! てか痛いっ!」
優の頭部に額をぶつけた蒼野が正気に戻り前を見ると、口を閉じるように指示を出す。
「なんだこれ。周りの気温が」
そうして息を潜めじっとしていると、二人の肌に触れる空気が、夏のものとは思えぬ冷たさを帯びる。
その後大地に根を張る草木が不快な音を立てながら徐々に凍っていく。
「優、これは」
「静かに……何か来るわ」
ガサリと草陰が動き、二人が顔を見合わせる。
敵襲かと思い武器を構えた両者が見たもの、
それは口の端の辺りから弧を描き、空へと向け延びる対になった灰の角と、刃物のような白い毛皮。
それは二人の全身を超える丸々とした巨体。
それは辺りの空気を凍えさせるほどの強烈な冷気。
「Mooooo!」
二人に敵意を向けるのは、それらの特徴を備えた巨大な猪だった。
「スノークランチ!」
二人が身構えるよりも早く、猪は自らの通った道を凍らせながら優に襲い掛かる。
「めんどくさいのが来たわね!」
水の属性粒子は全属性の中でも守りに特化した属性だ。
加えて全属性中最大の回復能力を持ち、気体・液体・固体のどれにしても使いやすい。
欠点は攻撃力の低さで、攻撃面で使った場合他属性と比べ尖った点や特徴が一切なく、先陣をきって戦いにくい属性だ。
そんな水属性だが大きな弱点の一つに氷属性にめっぽう弱い点が挙げられる。
気体として使っていた物は地に伏し、液体として使っていた物は静止し、固体の物は凍らされ砕かれる、まさに最悪の相性。
「どうする、引くか?」
よほどの差がない限り、属性の相性というものは戦いにおいて無視できるものではない。だからこそ撤退を提案する蒼野だが、
「確か風属性よねあんた。あいつの体勢を横に崩せない?」
「それくらいならできると思うが」
「なら引く必要はないわ。あまり騒ぎを大きくして面倒ごとにしたくないし、こいつにはご退場願いましょ」
優はそれを否定し前に立つ。
「スノークランチがアタシの方に向かってきたら体勢を崩してちょうだい!」
「わかった!」
蒼野の返事を聞き、得物である水の鎌を作り出し斬りつけにかかるが、刃は凍り一度の接触で砕け散り、猪の視線が優に向く。
「お願い!」
「風塵・烈風!」
優に視線を向けているスノークランチから見て死角の位置から放った蒼野の目に見えない風の塊が、猪を横合いから殴りつけると、巨体がバランスを崩し体は傾く。
「横転させるのか」
「ちょっと違う」
大きく体勢を崩した猪を、両腕から出した大量の水が押し流す。水は体に触れた部分から凍っていくのだが、全身を覆う荒波のような激流が凍らせる速度を上回り、目の届かない場所にまで流していく。
「普通に戦っても相性的にきっついのよあいつ。だからこうやって流すのに限るわ」
「でもちょっともったいないな。あいつの肉はうまいらしいんだけどな」
「あら、スノークランチの肉はサクサクとした触感かつ美味で有名だけど、食べたことあるの?」
「昨日康太の奴が取ってきてくれたんだよ。俺は生きてるのを見たのは初めてだ。にしても聞いてると食いたくなってきたなぁ」
「…………」
康太の名前が出た途端に、優の表情が歪む。
「どうした、何とも形容しがたい表情になってるぞ?」
「何でもないわ」
「もしかしてあいつの名前を出したから機嫌が悪いのか?」
「…………」
「仲悪すぎだろお前ら!」
蒼野の言葉を無視して、身長を超える程の草をかき分けながら先へと進む優が、バイクから降り辺りを見渡す。
「ゲイルによると拠点はここらへんらしいの。駆動音でばれたりしたら嫌だから、徒歩で行けるところまで行くわ」
「たしか一目見ればわかるって言ってたけど……まさかあれか?」
木々を払いのけ、飛んでくる昆虫を弾き、少し歩いたところで見えたものを見て、二人が唖然と言った様子で口を開く。
彼らがその目で捉えたのは、五十メートル近い高さの樹木を超える大きさをした黒と灰の毛並みの二頭の馬。
二頭はその背中に巨大な住居を乗せて鎮座しており、それを見てゲイルが言っていた事を理解する。
「優さん優さん」
「なにかしら蒼野君」
「これは盗賊に狙われても仕方がないと思うんですが、どうでしょうか」
「こんだけ目立つ移動手段使うなら護衛の一人や二人用意しておくべきでしょうねー」
本来はしないような口調で話しながら、可能な限り近づいて周辺の様子を伺う2人。
彼らの視線が向かう先には、ジコンを襲ってきた兵士たち同様、金の棒を持っている者達が存在していた。
「均等な感覚に兵士を設置して防衛……厄介ね。どこの相手を襲っても仲間を呼ばれちゃうわ」
「風の膜でこそこそ忍び込むっていう手は……ばれたら蜂の巣か」
「そもそも相手がこの巨大な馬を操れるとしたら、ただ人質を逃がすだけじゃ後で追いつかれちゃいそうなのよね。とすると最低でも全員追い払う必要があるわよね、これ」
すぐに気を取り直し蒼野と優の二人が顎に手をやり考える。
他人から見れば仲睦まじい兄弟や恋人が相談しているようにも見えるその姿だが、本人たちはそれこそ脳を捻るかのように悩み続ける。
「あいつらの服。白のラインが入った戦闘服に頭部を守るためのヘルメットか。なぁ、ちょっと考えたんだが、聞いてくれるか?」
「何? 良い案浮かんだ?」
そうして悩んでいるうちに蒼野がふと気づいた事を口にして、優がそれを了承。
思いついた作戦を時に合いの手を入れ、時に頷きながら話しを聞く。
「てのはどうだ?」
「うん、いいんじゃないかしら。ガッチリ固めない分、幅を持たせられる点が特にいいわ」
そうして最後まで聞き終えた時、文句は一切ないと優は同意した。
「問題なのはこの辺りにまださっきの奴がいるのかってところなんだけど、まあいなかったらいなかったでもう一度考え直しましょ」
「そうだな。じゃ、あんま遠くに行ってない事を願って、動きますか」
作戦は決まった。ならば両者が行う次の動きは決まっている。
探すべき対象の名を思い浮かべ、彼らは日の光遮る森の中へと走りだした。
ここまでご閲覧いただい、誠にありがとうございます。
作者です。
今回の話なのですが、最終日に数話投稿するとうまい具合に一週間で収まるため、
連続投降をさせていただこうと思います。
詳しい日程などは前日に予告すると思いますので、よろしくお願いします