千年の魔影 五頁目
(おかしい。何だこれは? 一体どういうことだ?)
尾羽優がエヴァ・フォーネスの君臨する戦場に到着した時点よりも時間をいくらか戻し、神の居城最上階直前。竜人族ヴァン・B・ノスウェルが『果て越え』ガーディア・ガルフと戦い初めてからおよそ十分が経過したところで、彼は強烈な違和感を覚えていた。
自身が対峙している存在とはすなわち、人類のみならずあらゆる生命の現状最高到達点である。
単純な強さだけでなくその精神性に至るまで、こと戦闘においては右腕であるシュバルツ・シャークスさえ引き離す存在。
そんな目の前の男が――――――あまりに弱いのだ。
「動きが鈍ったな。考えごとかね?」
「っっっっ!」
無論圧倒的な強さを備えている事には何ら変わりはない。
それこそこちらの一挙一動を逃さぬ観察眼は凄まじく、こちらの動きを見過ごすように攻撃を叩きこんできており、竜人族の老人は防戦などという言葉では生ぬるいほど一方的に攻撃を受け続けている。
「むぅん!」
「粘るな。君ほどの男ならば、意味がない事くらい理解できると思うのだがね」
力を込めて撃ち込んだ拳は体を僅かに逸らすだけで躱され、カウンターで撃ち込まれた蹴りが顔面を捉え、濃緑の鱗と黒いローブに身を包んだ彼の肉体は床を何度か跳ねた後に真っ白で丈夫な壁に打ち付けられ、体勢を整えるよりも早く追撃に撃ち込まれた蹴りが何度も腹部を深々と抉り激しく咳込む。
そしてそんなヴァンの頭部をガーディア・ガルフは構えもない乱暴な動作で再び蹴り、百メートルほど離れた位置にある真横の壁へ吹き飛ばすのだ。
その光景を目にすれば、誰もが世界の行く末を担う大一番の結末を予期し胸を痛め、顔を覆う者さえ出てくるかもしれない。
「我が主!」
「よい。儂の身を案じる必要は露ほどもない」
がしかし当の本人、ヴァン・B・ノスウェルだけは決してそうはならなかった。
強靭な鱗を備えているからというわけではない。ローブに施している守りの術技を過信している故の言葉というわけではない。
ガーディア・ガルフが千年前に戦った時と比べ著しく弱体化しているとはっきり理解できる故だ。
「ガーディア・ガルフ!!」
「知恵が足りないな。その程度の攻撃が私に当たるわけがないだろう?」
例えば今。
自身が使役する精霊が激昂しながら攻撃した際、ガーディア・ガルフは後退した。
だが本来の彼ならば後退の間際に千回ほど蹴りを叩きこみ、どこが弱点かどうかを試してみるはずなのだ。
自身に対し攻撃する事に関しても、打撃の効果が薄いとわかれば炎や斬撃など多彩かつ柔軟な戦術を組んでくるはずなのだ。
いやそもそもの話として、目の前にいるガーディア・ガルフはやけに大人しい。
「これだけ殴っても鼻血すら出さないとは。体の丈夫さだけならばシュバルツさえ超えるな君は。ところで」
圧倒的な力を付けた今の自分でさえ翻弄する実力からして偽物ということはないと理解できる。
しかしその性格があまりに違いすぎるのだ。
本来の彼ならば、もっと性根が腐――――
「ぬぐっ!?」
「君はここに何をしに来たんだい? まさか私のサンドバックになる事がお望みかね?」
そんな老兵の思考は、強く脳が揺さぶられる事で強制的に現実に引き戻され、頭部を掴まれ投げつけられたところで頭を切り替える。
そうだ。今重要な事はガーディア・ガルフの身に降りかかったであろう変化についてではない。
そんな事は顔に見覚えのない星型が描かれていることや、白い髪の毛を染めるように出現している黒い髪の毛で十分理解しているのだ。
(今儂が考えなければならないのは、ただ一度のチャンスをどこで活かすか、だ)
問題なのはただ一つ。
たった一度、しかし確実に攻撃を当てられると言い切れるチャンスをどこで使うかだ。
「あちらにいる彼が話に出ていた者です」
「ほう。彼が。しかし…………少々離れ過ぎではないかね?」
話は遡る事二日前。決戦が直前に控えたそのタイミングで、彼はギルド『エンジェム』の隊長であるレイン・ダン・バファエロ紹介のもと、とある人物に出会った。
「お、おぉぉぉぉぉぉ」
その人物は柱に身を隠した状態で体をブルブルと体を小刻みに震わせているのだが、全方位に爆発させた青い髪の毛と垂れた瞳だけを柱から出し、少々困った様子で語るヴァンをじっと見つめていた。
「で、名すら明かせないというのは本当なのかね?」
「ご容赦下さい。彼はその…………臆病なのです。それも極度に。その上嫉妬深い」
「ふむ」
恐れている、という点については理解できた。
自分は死んだはずの竜人族でかつ巨体なのだ。それもつい先日突如現れたのだ。
過去の竜人族の歴史を振り返れば、復讐していると考えられ生命の危機の一つや二つ、抱いてもおかしなことはない。
「妬ましい。妬ましい」
「ん?」
「多くを見下ろすことができる巨躯が妬ましい。長生きできるのが妬ましい。人類最強に挑もうとする強い心が妬ましい」
「…………」
「妬ましぃぃぃぃぃぃぃ!」
「レイン君。彼、頭がおかしいぞ」
「あのご老公。もう少しその、言葉をですね」
「堂々と言いきれるのが妬ましいぃぃぃぃ!!」
「う、むぅ」
しかし自分に対し『嫉妬』の念を抱いているというのはどういう事かとヴァンは思ったのだが、変わらずこちらを凝視しながらシクシクと涙を流し、野太い声でそう告げる彼の姿を見てヴァンはそのような感想を告げる。
すると血の涙を流し始めたのを見て、彼は少々どころか本気で引いた。
「…………ま、まあいい。それで、例の話は本当なのかね?」
「はい。彼は間違いなくそのような能力を備えています」
「素晴らしい」
ただ話に聞いた彼の能力に関してだけは素直に賞賛できるでもので、彼は本心からそう称える。
ヴァンに名すら告げぬ男。彼の持つ能力の正式名称は誰も知らないが、その効果は大雑把に言えば『時間の操作』。もっといえば一秒を最大で十倍の長さにまで変化させるというものであった。
「で、善君は?」
「すぐに来ると思いますよ。ですが、あまり強要しないでやってくださいよ」
「彼の重要性くらい十分にわかっておる。無用な心配じゃよ」
これを使えば効果を与えられた者は他者の動きが凄まじく緩慢なものに見える世界を体験することができ、逆に他の者は通常の十倍の速度で動く相手の姿を体験する事になるのだ。
言うなればガーディア・ガルフが日常的におくっている光景を誰でも味わう事ができる。
この場にやって来る約束になっている原口善を例にすれば、大雑把な計算ではあるがガーディア・ガルフと同じ領域に到達することができるのだ。
「原口善です。よろしくお願いしますヴァン殿」
「うむ。こちらこそよろしく」
ただ強力な能力ではあるがデメリットもある。
それが使った場合の『反動』だ。
この能力を使用した者は通常とは違う時の中で動くことができるわけだが、解除した場合、能力により無理やり世界を置き去りにしたことによる『反動』が帰って来る。
この『反動』とは至って単純なもので、能力により動いていた分の疲労を中心とした体力の消費、それに通常の時間では不可能な動きをしたことによる筋肉の酷使による痛みが、現実の時間に戻った瞬間に、全身を襲うのだ。
いわば現実の時間ではありえない動きをしたことに対する世界からの修正のようなものだ。
これがあるため、柱に隠れたまま名すら口にしようとしない男は本来ならば自分用にしか使えないこの能力を使う事を極度に嫌い、その結果彼は、本来ならば自分用のこの能力を他人に付与する方法を会得した。
「で、では失礼します」
「あぁ。頼むぜ」
それが対象に背負ってもらった状態でこの能力を発動するという方法。
つまり自分は微動だにしない状態で反動を受けることなく、接触している相手を自身の能力の効果範疇内に収めるというものであった。
「ふむ。信じられんが速度だけならば確かにあ奴を目にしているような感覚じゃな」
男が善に背負われ能力を発動し、善が自身に来る反動が最低限で済むよう下半身だけを器用に動かしてみる。
すると閲覧していた情報よりも遥かに速く動く彼の姿を目にしてヴァンはレインの言葉に偽りがない事を理解し、彼らの前で秘中の秘を晒し、戦闘訓練を開始。
その甲斐あって彼は今、本当におぼろげではあるがガーディア・ガルフのこの世の摂理に逆らった異様な速度を目で追う事ができた。
(まあ、ここまで目ではっきりと捉えられる事自体奇跡なのじゃがな)
この速度で十分と思っているゆえに全力を出さないのか。それともそれほどまで弱体化しているのか。
(いかんいかん。弱体化など都合の良い事に頭を回す余裕はなかろうて)
そこまで考えたところで再び濃緑の鱗に強烈な蹴りが叩きこまれ、何億という回数同じ場所に刻まれたことで鈍い痛みが襲い掛かり、僅かに体を強張らせた瞬間に拳が後頭部に叩きこまれ、
(…………いや待て。あ奴はなぜここまで神器を使わない?)
そこで放棄しようとしていた思考に火花が散り、老人の思考は更に深い場所へと潜って行き、
「のう皇帝の座」
「?」
「お主まさか…………神器を持っていないのか? いや捨てたのか?」
戦局を大きく揺るがす、とある問いを尋ねるに至った。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます
作者の宮田幸司です。
ガーディア・ガルフVSヴァン・B・ノスウェル戦。
ヴァン側の背景回ですね。
今回はお仕事疲れで頭が回っていないためちょっと文章が乱れていて申し訳ない。
この名前すら明かさない嫉妬君の能力は分かりやすく言うと
『個人の一秒を二秒三秒に変化させる力』です。
次回以降もここの戦局を描いていきたいと思います。今のままではヴァン殿の背景がまだまだ薄いので
それではまた次回、ぜひご覧ください!




