ロッセニム和睦会議 四頁目
神教所属不死鳥の座アイビス・フォーカス。
彼女は多くの者が認める、世界で最も『神教』という組織を愛している者である。
備えている類まれなる力であらゆる外敵を退け、味方に様々な恩恵を与えてきた超越者である。
しかしそれは言い方を変えれば敵対者に対し最も苛烈で厄介、残酷な存在という意味でもある。
神教に魔の手が届かぬよう、彼女は多くの施策を行ってきた。
境界の維持を代表として外敵を防ぐための様々な法の制定。襲って来る敵対者を許さぬ過激な攻撃。
神教にさらには住む他の者達に敵意を向けさせないため、なおかつ敵を寄りつかせぬため、見せしめとして相手を惨たらしい殺し方をしたことも幾度かある。
加えて言えばクライシス・デルエスクが賢教の民のストレスのはけ口として選んだのも、イグドラシル以上に死ぬことがなく、憎しみに晒されて折れる事のない彼女である。
つまり賢教にとって神の座イグドラシル以上に憎しみの象徴とも言える人物がこのアイビス・フォーカスなのである。
「アイビス・フォーカスよ。貴方は、いや貴様は本当に、たった一度の土下座で過去全てを清算できるとでも思っているのか?」
そんな彼女の謝罪を前に会場にいる賢教の民全体の総意を告げるのは金と黒の髪の毛を逆立てた銀の騎士。
アイビス・フォーカスが戦いを避けていた数少ない強者にして、クライシス・デルエスクがいなくなった今、間違いなく賢教最強の男シャロウズ・フォンデュだ。
彼は自身が愛用している疑似銀河さえ作成できる槍の神器を会場全体に見せつける事で場の空気を締めあげると、見下している彼女の言葉を待つように沈黙する。
「…………………………いいえ。そんな事は夢にも思っていません。彼らの怒りは妥当であると私自身理解しています」
「ほう?」
その意図に彼女が気付き声を上げたのは数秒ほど経ってからの事で、頭を上げずにそう返す彼女に対しシャロウズ・フォンデュが短く返事をする以外には誰も口を開かない。まだ先があるのではないかと様子を伺う。
「けど私はこうするしかないのです。頭を下げて、許しを請い、その上でお願いするしかないのです。それをしないのは…………あまりにも都合が良すぎるとわかっているのです」
「…………」
自身の側に不死身の自分さえ殺せる可能性がある相手がいる。
それを肌で感じ取った彼女は声と体を震わせ、縋りつくような様子で言葉を吐きだす。
「「…………」」
それを聞くと炎のように荒ぶっていた賢教の民たちも、シャロウズ・フォンデュが自分たちの意見を代弁してくれたことも合わさり沈黙する。
なにせ彼女が今口にしたことは実に的を射ている。
賢教にとって最も恨まれている彼女が素知らぬ顔をしたまま両勢力の協力はできない。
いやもし出来たとしても、インディーズ・リオが攻めてくるという大義名分さえ飛び越して戦いが始まる可能性とてある。
だから彼女はこうして土下座をして、過去の清算を願った。
それが不可能であるとわかっていても、しなければ先に進めないと理解していたので行った。
「「…………………………」」
彼女の謝罪を受け入れ、全ての過去を清算できたと考える者は賢教には一人たりともいない。
しかし彼女が自分たちに頭を下げた意図を理解することで、燃えるような憎悪を今すぐ彼女に攻撃として打ち出す者はいなくなった。
「ねぇエルドラ。これってさ」
「ああ。予定外の事態の連続ではあるが、悪くない空気だ」
このままうまく事が運べば、少なくともインディーズ・リオを相手に立ち向かう事だけはできるかもしれない。
この和睦会議を開く決意をした代表者達のいくらかがそのような事を思い始め、その意志を具現化するように場の空気も僅かずつ穏やかなものに変化する。
「アイビス・フォーカス。一つ私から提案がある」
「え?」
そんな空気を切り裂くように強い意志を秘めた声を発する者。
それは先程から彼女に対し語りかけていたシャロウズ・フォンデュで、勘の冴えているいくらかの者は、この時点で悪寒を覚えた。
「君が神教と神の座を本当に大切に思っている事はよくわかった。がしかしやはり納得のいかない者は大量にいる」
「そう、ね」
情熱を迸らせ味方を率いる事が常日頃のシャロウズ・フォンデュは、なおも彼らしくもない理知的な物言いを続け、彼の発言を聞き、正座し頭だけを上げた彼女は視線を逸らす。
「そこで君に提案したい。この憎しみを解消する私が考える唯一無二の方法を」
そんな彼女を見下ろしながら彼は話しを続け、
「アイビス・フォーカス。君は我々賢教が共にインディーズ・リオ打倒を誓った暁に、その命を捧げよ」
「お、おいおい!」
「聖騎士の座。貴様いきなり何を言い出す」
続けて口にした言葉に会場全体がどよめき、シロバが取り乱し、ノアが敵意を孕んだ声を発する。
「可笑しなことは何も言っていないはずだ。賢教が神教の主の守護に手を貸す。その見返りを求めているのだ」
「ふざけるな。それとこれとは話が違う!」
返された言葉に対し語気を荒くして言いきるノア。
「待つんだシャロウズ。そのような事をしては…………」
「申し訳ございません教皇様。ここは私めにおまかせを」
その提案は味方側にして上司である教皇アヴァ・ゴーントからしても突拍子もないものだったのだが、彼は驚くことに敬愛する主の意見さえ退け自身の論を綴り続ける。
「ノア・ロマネ。神教参謀長殿よ。これは同じ地平線にある話だ。我々賢教にとって憎しみの象徴であるアイビス・フォーカスが味方にいる。
それに対する言いようのないほど複雑な感情はいつ暴走してもおかしくないほどだ。それを解消する見返りがある。それだけで士気は大きく違うのだ」
「ぬ、ぬぅ」
「貴方がたが味方につけようとしている賢教という組織はそれほどの価値があると、おっしゃるのであれば同意していただきたい。神の座イグドラシルを守り抜く、そのこと以上に重要な事はないはずだ」
淡々と、交換条件を語るシャロウズ・フォンデュ。
彼が口を開くたびにノアの額に嫌な汗が張り付き、賢教の民は戸惑いを覚えながらも同意し、他の勢力の者達はざわつく。
「いいわ」
「む」
「なっ」
その空気を一つに締め上げた者。
「恐らくこれから先の人生で、『果て越え』を含んだ彼らを超える脅威は二度と現れないはず。そんな危機から彼女を救えるなら」
それは自身の命を天秤に置かれた、他ならぬアイビス・フォーカスであった。
「賢教という最強の援軍を得るため、私はこの命を捧げましょう」
「ま、待てアイビス!!」
彼女は自身の決意を示す様に立ち上がり胸元に手を置きながらそう告げ、それを聞きノアがこの日初めて表情を切迫したものに変化させる。
「いいのよノア。これが最善であるというのなら、私はこの命を捧げるわ」
「ぐっ!」
「アイビス…………」
「ごめんね義母さん。でも許してね。あたしにはこれ以外の選択肢が浮かばないの」
それに対し全てを理解し、諦観と希望を兼ね備えた美しい笑みを浮かべるアイビス・フォーカス。
彼女の言葉に闘技場の中心にいる味方二人は何も言えなかった。
「でも約束して聖騎士の座シャロウズ・フォンデュ。そして賢教の民たち」
「何だ」
「「………………」」
「神教に注がれている憎しみ。その集約点が本当に私だというのなら、私の死を約束に貴方達は、私が愛しく思っている彼女を間違いなく守りきると!」
そんな二人から視線を外した彼女はシャロウズ・フォンデュを一瞥すると、会場にいる賢教の民を覚悟を秘めた目で射貫く。
「アイビス・フォーカスが命を捧げるというなら…………なぁ」
「此度ばかりは、な」
「ああ。味方にならんこともない」
それに対する返事は様々。秘められた思いも様々だ。
彼女の決意に心打たれ善意から動く者。憎き仇の死の約束から心を浄化され此度ばかりはと理解を示す者。
この戦いが終わった暁には、最大の障害が取り除かれる事に歓喜する者。そこから神教侵略を打算する者。
そのように枝葉の如く分かれていたのだが、彼らは少なくとも此度だけは協力してもいいという姿勢を見せる。
「うまくいった、て事でいいのかこれは?」
「お姉さま…………」
がしかし会場だけでなくこの情報を知覚している者達の反応は決して祝福できる様子ではない。
来たるべき戦争に対する見返りとして、神教を守り続けた最大最強の守護者の一角が消え去るとわかっていたからだ。
「ふん。殊勝な心掛けだ。貴様の父も中々やるなアビス」
「そう、ですね」
とはいえ二大宗教の協力はここに約束され、四大勢力全てを用いて過去千年において最強の敵を打倒する準備が可能となった。
「これでいいかしら聖騎士殿」
「ああ。君の、いや君達の決意に敬意を表する」
様々な感情を覚えながらも各勢力の代表者たちはその結果だけは確かな物だと胸に刻み、来るべき決戦に向けた戦力の確認や陣形の構築。他にも様々な取り決めを行う事に頭を向ける。
「では死ね」
見覚えのない黒い衣に身を包み、フードで顔を隠した男が現れたのはその時であり、同時に賢教最強の男の持つ槍が線を描き、
「え?」
「え?」
「えぇぇぇぇ~~~~?」
会場にいる誰もがこの会議の終わりを理解し息を吐いた瞬間、アイビス・フォーカスの首から上が胴体から離れ、血を撒き散らしながら空を舞ったのもその時であった。
ここまでご閲覧していただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
二つの対立した戦力が手を取りあうための和睦会議。
それもいよいよ大詰めです。
悲壮な覚悟を抱いたアイビス・フォーカスに大多数の目に凶行としか映らない行為を行うシャロウズ・フォンデュ。
彼らを中心に展開する物語は佳境を迎えます。
気になる結末はすぐそこ。
ぜひ見ていただければと思います。
それではまた次回、ぜひご覧ください!




